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入学して一年が過ぎたが、相変わらずアンソニー殿下と側近候補達はマイア嬢を贔屓にし、マイア嬢もそれに慣れてしまったのか、殿下だけでなく側近候補や殿下の学友達にも気安い言葉遣いで話しかけるようになっていたし、彼らもそれを受け入れていた。
その中で唯一、僕だけがマイア嬢の気安い態度を折に触れて注意することがあり、殿下や側近候補を含む学友達には態度が固すぎると煙たがられていた。他の側近候補の様に積極的にマイア嬢を祭り上げてちやほやしなかったり、アンソニー殿下に嗜めたり苦言を呈したりしていた僕は自然と|彼ら《アンソニー殿下と取り巻き達》の公務以外の行動から外される事が増えていた。
こうなってしまえばもう、誰もマイア嬢を注意しようという生徒はいない…一部の女生徒たちを除いて。
殿下専用の談話室にはマイア嬢が常に滞在していることもあって、良く小言をいう僕は厄介払い代わりに、アンソニー殿下の使いとして名目上の書類を持って学院の教職員室に向かわされる事が日常となった。今日もある講師に宛てた書類を運ぶ途中で、ブライス兄妹と偶然出会った。
ブライス兄妹は僕を見つけるとニヤニヤと含み笑いをしながら声をかけてきた。
「ねえヒューゴ様、サマンサ様はなんとも頼りないお方ですこと。アンソニー殿下に付き纏う平民女生徒を放っておくなんて。あれで将来の王妃が務まるのかしら、私とっても不安ですのよ。ヒューゴ様はどう思われますこと?」
「そうだよヒューゴ卿、簡易石鹸とやらで平民からの小銭稼ぎで支持を得ている様だけど、それだけではトニーの婚約者としてはね。一部の平民に人気が高いという事だけど、肝心のトニーに厚顔無恥にまとわりつく平民女生徒一人御せないのだからね。このままでは王国の将来が心配だよ。」
ガブリエラ嬢は扇子で口元を隠し、ガブリエル卿は困った表情を作って肩をすくめた。
生徒たちの間でも時折ささやかれている事だが、面と向かって言われると随分と堪えるものだ。だがここでの安易な返事は危険だが、何も返さないのもかえって危険だ。それに…こんな誰が通るかもわからない公共の場所で、マイア嬢の事を平民女生徒と呼ぶのはもうブライス兄妹…特にガブリエラ嬢くらいしかいないのだが、彼ら自身はそれに気付いているのだろうか。殿下への諫言でさえ、側近候補という王家からある程度保証された立場があるのに僕以外に誰も行わないのだ。そんな立場の無い彼ら兄妹の周囲が二人に指摘することなど出来るはずも無いのだろう。
「アンソニー殿下とサマンサ嬢の婚約は王家が決めたものですから、僕には返答のしようがないですよ。」
「まあ、それはそうですこと。お二人の婚約は当時の判断ですもの。」
「今、判断するとなればどうなるだろうね?トニーの仲よりも平民への媚売りの方がご執心の用だし。聞いたかい?また平民街で衛生施設を作ったそうだよ。そんなことよりもっと大事な事があるんじゃないのかなあ。」
「あらガブリエル、サマンサ様は土いじりもお得意ですことよ。目を楽しませるような美しい花が咲くわけでもなく、実が食べられるわけでもない木を、それはそれは熱心に育てていらっしゃるとか。」
「そうなんだガブリエラ。まったく、王妃よりも庭師の職の方が彼女には適しているのかもね。」
つまり、高貴な身分であるアンソニー殿下と相性があわない、サマンサ嬢には低い身分がお似合いだと言いたいのだろうが、うかつに頷く訳にはいかない
「アンソニー殿下も平民の方とお親しいようですし、もしかしたらそういう所は気が合うのかもしれませんね。」
「っ、ん…、んまあ…そんなことある訳が…!事故だか自業自得だかで碌に歩けぬ親の子など、トニーにはふさわしくありませんことよ!あんなのは物珍しい玩具に過ぎません!」
挑発めいた誘導には乗らず素直にそのまま返されるとは思っていなかったのか、ガブリエラ嬢は扇子を口元に当てて言葉を選ばずに話し出そうとしたところを兄に遮られた。
「エラーナ、その辺でやめておくんだ。あはは、言うねえ、ヒューゴ卿。まあ、君の側近候補という立場じゃ、表立ってはそう言うしかないか。でももし困ったことがあったら気軽に相談しておくれよ?王家を支える同じ公爵家同士、仲良く手を取り合いたいものだからね。」
ガブリエル卿は、怒りに震えまだ何か言いたそうなガブリエラ嬢の肩を掴みその場から連れ出しながら、去り際に僕に向かって言った。
ひとまずほっとした僕は、教職員室に向かいながらガブリエラ嬢が言ったことについて考え始めた。手元の書類はそれなりに大事な内容だが、これを講師に渡して談話室へ戻ってももう既に誰も残っていないだろう。
僕が小言を言うからか、マイア嬢を連れて学院の外へ出かける際はこうやって用事を頼まれることが多くなった。こうやって王太子としての公務以外の行動予定はよほどの事が無い限り伝えられなくなってずいぶん経つ。今ではガブリエル卿の方がアンソニー殿下の行動予定について詳しいのだ。
側近候補としては失格な事だと思うけれど、おかげで時間はたくさんある。
書類を講師に届けた後、専用の談話室へ戻るのは気が引けるし、なによりもまたブライス兄妹と会いたくは無かったし、かといってアンソニー殿下が学院へ戻ってくることも考えタウンハウスへ帰ることもはばかられる。それで今の事を考えながら静かで落ち着ける場所として、図書館へ向かった。
僕は人の居ない端の方の閲覧席を陣取り、借りてきた王国の地図を広げ。ひとしきり思案すると領地にいる両親に宛てて手紙を書いた。領地と王都のタウンハウスを定期往復する駅馬車がそろそろやって来る頃だと思い出したからだ。定期便にさりげなく紛れさせれば僕が両親と特別に連絡を取ったことは、他家のものには一切判らないだろう。
学院の図書館には王宮の図書館ほどでは無いが王国全土の地図がある。他家の領地の地図なんて王宮の図書館で閲覧しようものならすぐ噂になるけれど、学院の図書館ならそうでもない。それにもし噂されたとしても今の僕には「殿下の帰り待ちで暇だったから」という格好の理由がある。王太子の側近…つまり将来の王の側近が王国の地理を学んで何か悪い事でもあるのか?という絶好の言い訳が。
もっとも僕の事よりも、サマンサ嬢とマイア嬢に関する針小棒大な噂の方が、困ったことに学院内では人気が高い。しかし学院の図書館の入り口近くの開架台…人気が高かったりお薦めの本が置かれている棚にはサマンサ嬢が編纂した民衆衛生に関する書が並べられており、噂に振り回されている人ばかりではない事を感じられて、僕はなんだか救われた思いがした。
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