伝説の始まり
未だに忘れられません。あの日のことは……………
ホウキに乗って高速で走り抜けるときの、耳で暴れる風切り音が心地いいです。
やはりホウキの練習をするのなら、田舎の貴族の領地に限ります。ここならいつ走ってもほとんど通行人もホウキ乗りもおりませんので、全開で飛ぶ事ができるからです。
深呼吸をすると、冷たい空気が入ってきて、肺から全身に伝わっていくのが分かります。ホウキから出る氷が、私の体温を奪っていき、高速飛行中のホウキは凍える様な寒さです。
けれど弱音を吐くことはできません。私はアイスローゼ家の次女「レイナ・フォン・アイスローゼ」として、ホウキで高貴なる一族であることを証明し続けなければならないからです。この程度で音を上げていては、お父様に失望されてしまうでしょう。
さて…………
「まいります」
次のカーブから本気を出すことにします。魔法の出力を最大にして、ハイスピードでカーブに進入して…………
「お嬢様。そろそろお戻りください」
…………と、思ったのですが、執事が魔法「テレパス」で私の脳内に呼びかけてきました。せっかくの良いカーブだったので思い切りやろうとしていたのに、どうして執事というのはこうも無粋なのでしょうか。
「わかりました」
…………帰りましょうか。帰ると言っておいてなかなか帰らないと、執事が怒ります。彼は怒ると面倒くさいので。
「ふぅ」
魔力の出力を押さえ、巡行に移行。体にぶつかってくる風が落ち着き、気持ちを落ち着かせるために、ゆっくり周りを見渡してみることにします。せっかく始めてきた林道ですので、景色をみておきたいですし。
「…………あれは」
背後に首を回したとき、何か黒い点が見えました。しかもそれは私の方に近づいてきているようでした。
不審に思い、私は再度箒の出力を上げてスピードを出しました。ですが後ろの黒い点はどんどん大きくなっていきます。
そして遂に、しっかり相手が分かる距離に黒い何かが近づいてきました。あれは…………
「運送業のホウキ…………?」
あれは、運送用の透明な板を出す魔法「エア・ウォール」を搭載し積載量を上げた、運送業者専用のホウキでした。しかし、確かに少量だが運んでいるみたいですが、速さが一般の運送業者とは段違いに速いく、乗ってる人間が私と同じくらいの女の子のようで、私はつい、「えっ」と声を漏らしてしまいました。
そのホウキはどんどん私に近づいてきて、遂に私の後ろを煽る距離に。だが一向に私を抜き去らなかったのです。
「…………上等です」
そこまでされたら、ここで逃げればアイスローゼの名が泣きます。そっちがその気なら、私だって本気を出さなくてはなりません、この時、そう私は考えました。
「私を煽ったこと、後悔させてあげましょう」
私はホウキを強く握り、魔法を最大出力に上げました。今まで本気を出した私には誰も、お姉様でさえ敵いません。それが運送用のホウキであれば、私より速いわけがないでしょう。
しかし、気がかりなこともあります。普通、運送用のホウキはもっと多くの荷物を持って、もっとゆっくり走っているものです。荷物は荷下ろしした後なのかもしれませんが、だとしてもこの競技用のホウキを煽るなんて真似は不可能なはずです。一体、何がどうなっているのでしょうか。
……まあ、そんなことは関係ありませんね。喧嘩を売られた以上、私の速さを見せつけるまでです。
次のカーブに向けて、加速していきます。先程本気を出し損ねてしまったので、このフラストレーションを解消するためいつもより多めに魔力を送ります。
ホウキから熱が放出されているのを感じます。ホウキを動かすための魔法が入っている魔術回路が、魔力を強く込めたことで熱を発しているのです。私のホウキは、その熱を冷却し、100%以上のパフォーマンスを維持させるために氷を発生させ続けているのですが、本気を出すと生成した氷もすぐに溶けてしまいます。
暑いし水で濡れるのが不快ですが、その分アイスローゼの名にふさわしい走りができるのです。
あと30メリ(メートル)で右のカーブにさしかかります。
減速は空を飛ぶ魔法「フライ」を逆方向に、絶妙なバランスで使います。そしてある程度減速できたら、少し右に体重を傾け、「フライ」を右方向に使って大気を滑るように曲がっていきます。体の傾ける角度と、滑りすぎて飛んでいかないようにするコーナーワークが重要になるのです。
直線では私に追いつくホウキはある程度存在しますが、コーナーで私に敵う者はいません。そう、後ろの運搬業の方も、当たり前ですが例外ではありません。
ぐぐっと体を右に傾け、左後ろに引っ張られる重力に耐えながらカーブの内側めがけて突入していきます。
カーブを曲がっている最中、相手の様子が視界に入りました。
「……なっ!?」
同じ相手に再度驚かされるとは思いもしませんでした。相手の運送業の方は、体の向きが地面と平行だったのです。真横を向いて、私よりも速い速度でカーブに入ってきているのでした。
確かに遠心力は掛かっていますが、流石に真横まで体を倒すと落ちてしまうはずです。しかし、相手は落ちそうなそぶりもなく、余裕そうにカーブを抜けていくのでした。
ここからは連続したカーブで、相手につかず離れずの距離を維持されました。
これは屈辱です。直線で差をつけ、カーブで追いつかれるなんて、アイスローゼの恥です。
このまま終わるわけにはいきません。このまま終われば、アイスローゼの名に泥を塗ってしまいます。
次のカーブで突き放して、その後の直線でお終い、です。
いつもより深くカーブに突っ込み、思い切り減速して、いつもより深く体を倒し、カーブを曲がっていきます。私がコントロールできるギリギリです。いつにない集中力で、周りの音が聞こえなくなっているのを感じました。
だからか、感覚視野に入ってくるまで、反対から走ってくる馬車に築きませんでした。
「!?」
私は慌てて馬車を避けます。しかし、既にコントロールギリギリで走っていた私は、避けた拍子にコントロールを失ってしまいました。
地面に激突しないよう、上手く体を逃がしていく最中、相手が綺麗に馬車を躱してカーブを抜けていく様子が見えました。
なんとか体勢を立て直した私は、カーブを抜けて加速していく運送業の方の背中を、ただ呆然とみていました。
このことは、まだ誰にも話していません。話せるわけがないでしょう、私が名前も知らない運送業の方にホウキで負けたなどと。
例え彼女が世界を取ろうと、私の口からは絶対に言いません。
そして、私、レイナ・フォン・アイスローゼにおいて、同じ相手に二度の敗北はありません。
「ユーカ・キルヒホフ」
「えっ。あ、アイスローゼ様。」
決勝の舞台を前にして眠そうにしている、認めたくはありませんが私の宿敵に、一言言ってやります。
「決勝戦、勝つのは私、レイナ・フォン・アイスローゼです。覚悟なさい!」
「…………勝つのは私だよ。先輩のためにも、魔道書のためにも、私は勝たないといけないんだから」
宿敵、ユーカ・キルヒホフは、眠そうな目のまま、ニヤリと笑ってみせました。
この決勝戦、絶対に負ける訳にはいきません。アイスローゼの名に恥じぬ、最強の走りをお見せしましょう。