タブレット
一段階の迷宮を攻略した次の日から、それぞれの通う学校や大学の日常が始まる。
一日開けて再び集まることにした。迷宮ではなく場所はファミレスだ。
日菜子は現在大学を休んでいる。普段は姪である惠と暮らしながらアルバイト生活の日々らしい。
「最近は惠も落ち着いてきてるし、私がずっと家にいるのもあまりよく思っていないのかも」
そう言う日菜子の顔色はあまりよくなかった。
惠は元々父子家庭だ。母親は幼いころに離婚していて、今はもう別の家庭をもって生活しているのだそうだ。
日菜子の両親も、惠の父である智成や日菜子が探索者になったことで今は絶縁状態であるようだ。惠の希望があれば祖父母と暮らすことはできなくはないが、惠自身も日菜子との生活を望んでいるらしい。
会ったこともない親戚より日菜子の方が頼りにされるのは当たり前だが、日菜子と惠の関係にもなにかすれ違いのようなものがあるのかもしれない。
「そういえば、タブレットは見たかしら」
日菜子が指摘したのは、深界人のコタマが言っていた追加された機能のことだ。
実際に見てみると、新たなアプリがインストールできるようになっていた。
それはアイテムの売買が出来るようになるアプリで、探索者同士が迷宮などで得たアイテムを売ったり、買ったりすることが出来るものだった。
組合で購入できる品は、本当に初心者向けのものばかりで、二段階に進むような探索者が買っても、すぐに使わなくなる可能性が高い。
一段階の迷宮ではアイテムはあまり出ない。せいぜい深界石がドロップするのがせいぜいだ。
けれども一攫千金を狙うなら当然希少なアイテム入手するのが一番である。
あまりにも高い品はそもそもアプリではやり取りされず、組合や協賛会社が管理するオークションなどでやり取りされるらしいが、数十万から数百万単位のものならこのアプリで十分である。
前回の探索で得られた金額は、三万円ほどだ。アルバイトとして考えれば悪くないかもしれないが、これまでにかかった装備や消耗品などを考えるとあまりにも稼ぎが少ない。
「アイテムで稼げればいいが、問題はどこの迷宮に行くかだ」
「二段階の簡易迷宮にいくのですか?」
紫雨が不思議そうに聞いてくる。まだ予定は固めていなかったが、彼女は建石にある土地型迷宮に行く予定だと思っていたらしい。
「土地型迷宮は稼ぎは悪くない。魔物を狩れば、組合から報奨金は出る。だけど探索者が必要とするようなアイテムはドロップしないんだ」
例えば、職業変更カードなどの有用なアイテムは当然落ちない。深界石は魔物が体内に有しているらしく、それを集めることになる。
魔物の身体を回収することもあるが、それはよほど有益な魔物や、希少な魔物の肉体だけである。
「二段階の迷宮はそんなにアイテムが落ちるんですか?」
「そうね。私も精霊術師になれたのは二段階の迷宮で、精霊術師のカードを手に入れたからなの。武器や防具もそうだけど、簡易迷宮で手に入れられるアイテムカードは、探索者にとって強くなるためには必要なものが多いと思う」
三段階の迷宮まで攻略する必要はないだろうが、ある程度二段階を進めていかないと話にもならないというのは、日菜子も俊太郎も共通の認識だった。
職業を変更するかはともかく、それぞれの熟練度や新しいスキルなども覚えていかなければならない。
それにはやはり簡易迷宮を攻略していくのが手っ取り早いのだ。
「問題はどの二段階にするかよね」
タブレットを開くと、現在のここら辺に発生している簡易迷宮の情報が記載されていた。
俊太郎はタブレットを開くとき今まではこの機能しか使っていなかった。
一段階以上に種類や数が豊富な二段階は発生率も高く、多くの探索者が利用している。数が多くあるだけ、どの迷宮を選んでいいかも分からない。
「建石にある土地型迷宮はどんな魔物が発生するんですか?」
紫雨の問いに俊太郎と日菜子はなるほどと思わされた。
つまりどうせ簡易迷宮を攻略するのであれば、建石迷宮に出現する魔物と同じものが現れる迷宮を選べば魔物に対する経験も得られるということである。
「建石迷宮の二階層は主にゴブリン、スケルトン、大蜘蛛、オーク、なんかが出現するわ。それ以外にもたまにいるくらいの魔物ならたくさんいると聞くわね」
「とりあえずゴブリンは外していいかもな。他の三種類だけど、二段階迷宮ならスケルトンと大蜘蛛が一緒に出現する迷宮ならあるかも」
タブレットの検索機能で大蜘蛛とスケルトンが出現する迷宮を探してみる。
さすがに俊太郎らが住む近辺には発生していなかったが、近隣の駅の近くだけでも二駅の場所で発生しているのが分かった。
平日時にはさすがに億劫だが、休日にそこまで足を運ぶくらいなら問題ない。
平日の時間が少ない場合はオークで、休日なら電車にのって一気に迷宮を攻略してもいいだろう。
ある程度話をまとめた後、タブレットでいくつかのアイテムを購入。
その後日菜子とは別れた。どうやら惠の食事やらなにやらを用意しないといけないようで、これから買い物に行くと言って帰っていった。
まだ陽が落ちていないが、紫雨を家まで送っていく。
紫雨に断り光る珠を取り出した。
「そういえば、タブレットで他の活動者の光景を見ることが出来るようになっていたのを知っていましたか?」
「え? そうなのか」
俊太郎は思わずタブレットを取り出そうと思ったが、歩きながらそんなものは表に出せないなと諦めた。
「知りあいの活動者だけのようですけど、先生と日菜子さんの名前が表示されていました」
「なるほど」
『シュンタロきた。デートか?』
『一段階をクリアすると他の活動者限定で見ることができるようになる。ただの探索者ではなく、ちゃんと僕等に活動者として認められた者たちだけだけどね』
『シュンタロの影響かもしれないが、三人とも選ばれているから自動的に見ることが出来るな』
『活動してんのはシュンタロだけだけど』
『シウちゃんの活動も見てみたい』
『まあ、光る珠を出してると活動者だって他の活動者に知られてしまうから気をつけろ』
『何に気を付けるんだよ』
後で調べたところによると、活動者全体に公開することも出来るし、知りあいだけに見せるだけにすることもできた。
元々、深界人の声が聞ければいいと俊太郎は考えていたため、あまり他の人間に知られたいとまでは思わなかった。
俊太郎は設定を変更して、連絡先を交換した探索者のみにした。見てもらうのは深界人だけで構わない。
自分が知らない世界で有名になるならともかく、同じ探索者などから有名になりたいとは思わなかった。
ふと見ると、ポイントの表示がされている。そこにはそれなりの数字が貯まっており、履歴を見ると活動者としての活動によってポイントが増えているらしいことが分かった。
見てくれる人が増えれば、その分タブレットで使えるマネーポイントが増えていく仕組みのようで、そのポイントで『ストア』というアイテムを売買するアプリで使用できるようだった。
活動者としての働きがポイントとして表示されていたのは嬉しかった。最近までは本当に『声』の数も少なかったし、数年間はただの日常を垂れ流していた時間の方が多かったため、ポイントとして加算されているのはほとんどがこの数か月ほどのものだろう。
「私、昨日はあまりうまくできませんでした」
紫雨が歩きながらうつむく。住宅の隙間を縫うように歩いていると、人とすれ違うこともあまりない。
制服を着た彼女は学校帰りの普通の女子高生だった。
「そんな簡単にうまくなんてやれないよ。まだ探索者になって一か月も経ってないんだ。それに紫雨さんはむしろよくやれてると思う。紫雨さんの攻撃力にはかなり助けられているし」
俊太郎が慰めるようにそう言うが、紫雨は上手く飲み込めていないようだ。
「攻撃力も、父が残してくれた刀があるからです。それがなかったら、多分もっと足手まといだったのではないかと。それにこれからもついていけるのか……」
確かに攻撃力の面では、形見の刀に助けられているところはあるだろう。
一段階の迷宮では正直、威力過多だ。本来なら紫雨だけでは威力が足りず、俊太郎の魔法をもっと使わなければならなかったはずだ。そのためにはポーションなどの消耗品なども、かなりの量を必要になった可能性もある。
「そうだとしても、それは紫雨さんの探索者としての能力の一部と言って良い。武器や防具だって探索者には必要なものなんだからね。それに連携だって上手くやれていたよ。本当だったら、僕がもっとあらかじめ指示を出したり、その場で声をかけれたらよかったのさ」
紫雨がちらりと、俊太郎の腕を見る。痛みはなんともないが、腕の一部に赤い打撲痕のようなものが残されていた。
怪我をしたわけではないのに、こうして痕が残るのは探索者にとってよくあることのようだった。
「そういえば、紫雨さんはなんで居合術なんだい?」
「え? 居合、ですか?」
俊太郎が質問するとぽかんとした表情で顔を向けた。
「えっと、居合っていうんですね。父が以前庭で素振りをしていたのを思い出して真似していただけなんです」
「なるほど、それで」
普通、剣士の知識を持たなかったら、居合術に寄ったスキルなど覚えようがない。一般的には西洋剣術のようなスタイルでスキルなどもそれっぽいものを覚える。
刀を持っているため、剣士の中でも刀剣寄りのスキルになることは考えられたが、紫雨がおぼえたのは居合術などの抜刀剣術がメインのようだった。
紫雨にそのような知識はあまり持ち合わせていないようだったし、前から不思議に思っていたのだった。
数は多くないが、一部の探索者には人気のスタイルではある。やられる前にやるという偏った剣術であるため、相手を選ぶことが多かった。
「とにかく明日は新しい迷宮に行ってみよう。今抱えてるものも新しい環境になってみないと分からないこともある。逆に新たに他のことが問題になるかもしれない」
「そうですね。分かりました」
紫雨と別れたあと、迷宮で軽く魔法を消費して深界石を入手する。
組合で換金しようとすると、現金にするか、タブレットで使えるポイントにするかと問われた。
今のところ何に使用するかも迷っているため俊太郎は現金に換えてもらうことにした。現金ならあとからいつでもポイントに換えてもらうことが出来るのだ。
大学に進学してから借りた安アパートに帰宅する。まずはシャワーを浴びて軽い食事をしながらタブレットを開く。
初めて見たときには驚いたが、ポイントが三十万円分ほどに貯まっているのである。
『まー、一段階、二段階の探索者にしては多いかも』
『シュンタロは一段階の実力じゃないのに何年も行ってたからな』
『今日も行ってたし』
『最近は女の子増えたおかげで見るやつ増えた』
『声』のいうことももっともで、紫雨や日菜子が個人で活動を行わないおかげで、こちらにポイントが集められてると思えば、二人にも何か還元をしなければならない。
二段階でドロップするアイテムや装備品ならばそれほど手が出ない物ではなく、その中から有用そうなものを探した。
いくつかこれは良いと思うものを購入した。
日菜子はともかく、紫雨には何か買ってあげたいと考え、躊躇しながらも装備を選ぶことにしたのだった。
俊太郎は家ではテレビなどを付けない。一応安物のテレビは置いてあるものの緊急時のニュースなどを見るくらいで、とくに見たいものがあるから用意したわけではなかった。
自然、部屋は静かで、外を走る車の音が良く聞こえてくる。
玄関側から歩く音、扉の開閉音がすると、隣人が帰ってきたのが分かるのだ。
となりのテレビ音が漏れ聞こえてくる。そうすると落ち着いて本も読むことができなくなるのだ。
あまりに落ち着かないため、イヤホンを買って音楽を聴いたりするようになった。
どこの部屋の住人かは分からないが、時折男女の言い合うような声も聞こえたこともあった。大学生で余裕のない生活とは言え、もう少しゆとりのある生活を送りたいと俊太郎は思う。
開けっ放しの窓から入り込んでくる風は湿り気があり、雨でも降るかと思われた。
窓を閉めると、部屋が暑苦しくなった。エアコンをつけたところでぽたぽたと雨がアパートを鳴らす。
次第に雨足が強くなった。
いつの間にか聞こえなくなった雑音は雨音に切り替わる。
その日は雨がアパートを叩く音を聞きながら眠りについた。