いつしか雨のあがった街は
しっとりとした雨が朝から続く日だった。
家庭教師の日だったため、薄家のインターホンを俊太郎は鳴らした。
最近では迷宮の外では深玉をあまりださなくなった。迷宮内で取り出したときには『声』にはもっと出せと言われることもある。
紫雨の勉強部屋で、テキストの穴埋めテストを行う。このテストも、簡単なものだが紫雨にはすでに教えることは少なくなってきているのだ。
結局、この日のテストも満点だった。
休憩をはさむと「先生」と紫雨が見上げてこちらを見ている。
あまり顔に感情を表に出さない彼女にしては珍しく、頬を赤らめ嬉しそうにしていた。
「最近、装備を考えたりするのが楽しくなってきているんです。まだ購入してはいないんですけど、少し見てもらえませんか」
俊太郎たちの稼ぎは学生のアルバイトにしては本格的な金額になっていた。
その分装備や消耗品で消えていくことになるが、それらの装備をどのように組み合わせて購入するかも、探索者としては重要な要素であった。
「なるほど。いい感じだね。見た目は特に問題ないのかな?」
彼女が選択したのは、以前購入して装備している羽織や鉢巻きはそのままに、いろいろと追加されている。
目を引くのはセーラー服という防具だった。彼女は普段から着ている学校の制服はブレザー型の学生服だ。
「私はそれほど気にならないですけど、変ですかね?」
「いや、良いと思う」
少なくとも女子高生であるうちは、全く問題ない。
その他にも女の子らしいアクセサリーであったり、まったく見た目度外視のいかつい腕輪などもあった。
「この装備の能力は確かに良いけど、紫雨さんにはこっちの方がいいんじゃないかな。これなら器用さや敏捷性なんかも上がるみたい。レア度もこっちの方が高い」
「なるほどそんなに値段も変わりませんね」
タブレットを見ながら装備を見ていく。本当に楽しそうにしている紫雨というのは珍しい。
勉強も卒なくこなし、迷宮ではさながら剣豪のような働きを見せる彼女だが、真剣な眼差しを見せることはあっても、こんな風に楽し気にする姿はあまり見なかった。
元よりそれほど親しい間柄ではなかったが、だとしても彼女のこんな姿は想像しがたいものだった。そんな風に俊太郎は言い訳してみるも、そんな姿の彼女に動揺するのを必死に抑えるのが精いっぱいだった。
「先生、このあと迷宮に行きませんか?」
彼女がそう言いながら誘う。まるでデートにでも誘うかのように恥じらっているのか、頬が赤く染まっている。
いや、彼女はこんな風に男を誘うなんてするわけがない、などと俊太郎は心の中で、拗らせた一人男のような、気持ちの悪い自我を抑えるのに苦労するのだった。
二段階の迷宮では、まだ行ったことのない迷宮も多い。
例えば獣型の魔物が多く現れる迷宮には挑戦していなかった。
それも建石の迷宮の二階層にはそれらの魔物は現れなかったからだ。
建石の三階層になると出現する魔物も変わる。
その三階層では、獣型の魔物や、リザードなどの大きなトカゲ型の魔物、その上、ゴーレムと言った、動く岩のような魔物まで現れる。
紫雨と組合に行き、簡易迷宮の申請を出す。
ちょうど良さそうな迷宮を近場に見つけ、行ってみることにした。
コボルトなどは戦ったことがあるが、それも一段階のものだった。
ウルフやリザードといった魔物が出現する迷宮を選んだ。比較的戦いやすい部類の魔物たちだが、ゴブリンやオークと違ってすばしっこいやつもいる。
紫雨の刀で斬ることができるのか少し心配だった。
すぱり、と刀を振るう紫雨。
鱗で覆われたリザードが、一刀のもとに切り伏せられた。
地球で見かけるような大きなトカゲなどと違って鱗が硬く、防御力も高そうに見える。しかし、紫雨の刀にはあまり意味をなさなかったようだ。
「先生、最近はあまり出さないのですか?」
紫雨が肩の上らへんに丸い球がそこにあるように手の形を見せた。
深玉のことだ。
「うーん……今回は二人だしね」
「前は勉強しているときも出していませんでしたか?」
最近の俊太郎は深玉を出していない。
物寂しさを感じて『声』が聞きたくなり、普段から出していたが最近はそう思うことも少なくなった。
完全な一人のプライベートの時間でさえ出していたこともあるが、最近はそれもなくなっていた。
なんて答えようか迷っているうちに、返す言葉のタイミングを失ってしまった。
「実は先生の活動、結構好きだったんです」
「そんなに見てたの?」
ふと紫雨の方をちらりと見ると、こちらをじっと見つめていた。
「一番最初に始めたのは先生が、まだ高校生の時でしたね」
俊太郎は思わず、えっと驚く。
「知りあいの活動者が活動を始めると、タブレットに通知が行くのを知ってましたか? 実は私の父も活動者だったんですよ。知ってますよね」
そう言いつつ一つのタブレットを取り出す。紫雨がもっているはずのものより、傷が付き少し古めのタブレットがそこにあった。
まだ初期のタブレットのためか少し分厚く頑丈に見える。現在のタブレットも探索者が迷宮で使用するのを想定してか頑丈にできているが、これはそれ以上だ。
そう、紫雨の父と俊太郎は確かに知りあいだった。探索者を始めた頃のこといくらかの知識を教えてくれたのが紫雨の父親である正則だった。
とはいえ、それほど深い関係であったわけでもない。数回ほど組合などで優しくしてもらった。それだけである。
彼が亡くなったと聞いたのは、その一年後のことだ。
行方不明になった彼の葬式は中々行われず、いつしか大学生になったときにようやく知らせが届いた。
知りあいの探索者には仲の深さなど無関係に呼んだようだった。実際に妻である綾子はあまり探索者の仲間たちに関して詳しくはないようだった。
俊太郎も参列し、そこで綾子と知りあったのだった。
夫とはどういった関係だったのかとか、今はどんなことをしている人間なのかとか、根掘り葉掘り質問されたのを覚えている。
長年探索者として働いていたにしては、参列していた人間が少なかった。そのせいか、あるいは若い俊太郎が珍しかったのか、紫雨の母親の綾子には興味を持たれたのかもしれない。
「実はその時にも見かけてます。その時には先生の活動を見守る一人だったので、緊張して話しかけられませんでした」
俊太郎は思わず嘘だろう、と言い返したくなった。
今までのことを考えると、彼女は見た目に寄らず何もかも積極的だ。そんなしおらしい性格ではないことは俊太郎も分かっている。
なんとも言えない俊太郎の顔を見た紫雨は頭にはてなマークでも浮かべてるかのようだ。
「あの当時は探索者になるだなんて考えもしてませんでした」
「どうして探索者になろうと思ったの?」
「うーん、それはもちろん……内緒です」
それ以降黙って迷宮の中を進むことになった。
紫雨は少し先を行き、彼女の顔は見れなかったが黙々を魔物を狩る姿は頼もしくも思えた。
途中で深玉を出して『声』を聞きながら狩りもしたが、すぐに解散となった。深界人たちの『声』はかなり不満げだったが仕方ない。
一つ思いついたことがあった。これからどうなるのか彼女たちがどうするのか、まだ分からないが提案だけはしてみたいと俊太郎は思うのだった。
翌日、時間が空いてから組合によって、受付で相談をした。
昨日帰ってからも一人である程度調べたものの、細かい詳細のほうはまだ分かっていないこともあるかもしれない。
いくつかの候補を見繕って資料ももらった。
この後、紫雨と日菜子と迷宮に行く予定がある。
その前に、少し話でもできるだろうと待ち合わせのカフェに向かった。
「おはようございます」
組合の隣にあるカフェにいくと、すでに彼女たちはそこにいた。
「今日はどこ行くの?」
「その前にちょっと話して置きたいことがあって」
前置きして、鞄から先ほどの資料を取り出した。それはアパートやマンションの建物の候補である。
「これはなんですか?」
「これは、クランの住まいとして、組合が保持している建物や部屋の候補だね」
「クラン?」
「僕たちクランを結成してみない?」
以前、新谷に誘われてから考えたのはクランについてだ。
新谷に誘われた通り、どこかに入るというのも悪くない。悪くないが自分たちで作ってみたいと俊太郎は考えていた。
いわばクランとは探索者にとっての会社や家族みたいなものだ。それを結成し、組合に認められればいくつかの税金などの免除があったりするものもある。
そこで社宅のようなものを建てるか、建物を借りたり、買い取ることでそこに住むことも出来るのだ。
「今の段階ではそんなに高いところは無理だけど、なんとか頑張れば、小さなアパート一つくらいは何とかなるかも。もちろん借りることも出来る」
買い取るならばローンで返済することになるだろう。
「そんなに稼げるのですか?」
「もちろん無駄なお金は使えない計算だけど、僕たちも強くなってる。三段階に挑めるようになって安定してくれば、もっと早いと思う」
二人はあまりピンと来ていないようだった。
「惠ちゃんや紫雨さんのお母さんもそのアパートに住んでもらうことも出来る。住む場所のことだからそんな簡単には決められないし、当然すぐの話ではないから考えてほしいだけなんだ。どうかな」
「私としては有難い話だけど。惠にとっても時廣くんや紫雨ちゃんにすぐ会えるなら、きっと嬉しいことだと思うし」
日菜子が言ったそのことは、今回の件で考えるきっかけになったものそのものだった。
惠は最近父親がいなくなった。紫雨も数年前に行方不明になっている。
彼女たちの寂しさを少しでも紛らわせることが出来るのなら、こういう形で生活をしていくのも良いのではないかと、ひらめいたのである。
「正直、乗り越えないといけない問題はいくつもあるけど、これからもパーティーを組んでいくつもりなら、目標は合った方が良いと思うんだ」
俊太郎は一度言葉を切り、二人に視線を向ける。
「正式に僕と二人にパーティーを組んでほしい」
「も、もちろんよろしくお願いします」
紫雨が返事をする。俊太郎は日菜子に目を向けると、彼女は驚いた顔をしていた。
「私も良いの?」
「今までの話はなんだと思ってたんだ? クランを組むなら当然そうなるだろう」
「いや、分かんないけど雑用とか」
日菜子の言葉に苦笑いを浮かべならが、俊太郎はよろしくと言った。
俊太郎は遠くない未来に、一緒に生活をしているみんなを頭に浮かべた。
早くそうなれば良いと思うが、自分がその中で楽しくしているのだけは想像が出来なかった。
それが楽しみでもあり、怖くもある。
自分で考えてみても、今回のことは思い切ったことをしたと俊太郎は思う。
カフェの外を見ると、しっとりとした雨が降り始めていた。
まだ日差しが見えかくれしているところを見るとすぐに止むのかもしれない。
ちらりと二人をみると、彼女たちも外を眺めていた。
彼女たちはどんな光景を思い描いたのだろうか。
俊太郎には分からないことだが、それが現実のものなればいいと思うのだった。
俊太郎はカフェの伝票をつかみ取り立ち上がる。
今日も迷宮に行く。まだ見ぬ世界はどんなところか、それを思うだけでこんなにワクワクすることは他にない。
梅雨の季節だろうが、気にならない。俊太郎の足取りは軽かった。
ぴしゃりと水たまりが跳ねた。
雨上がりの空の隙間に、太陽の光が差し込むと、それまでどんよりとした街が輝いて見えたのだった。