建石3
「なかなか見つかりませんね」
紫雨がぽつりとこぼす。
二層を探索し始めてから、数時間が経つ。その間一度も休憩を取っていない。いくら迷宮の中で能力が上がっているとはいえ、疲れるものは疲れる。
さすがにどこかで休憩しないと厳しい。
「一度戻るのはさすがに面倒かな。どこか休めそうな場所を探そう」
迷界の中にも魔物の現れない場所は存在する。
それが階層の切り替わるエリアだったり、ちょっとした場所にも休息所のように点々と存在しているのだ。
タブレットでマップを確認すると、もう少し行った先に小さな休息エリアがあるのを見つけることが出来た。
荷物を下ろす。トロリーからレジャーシートを地面に敷いてそこに座った。
日菜子が背中に背負ったリュックの中からおにぎりを取り出した。
今回も朝から食事を用意してくれた。眠いと言いながら惠も手伝ってくれたのだと話しながら、紫雨と俊太郎の二人に渡した。
「美味しいです」
「本当だ」
水筒から水を紙コップに注いで、二人にも渡す。
ペットボトルではすぐに温くなってしまう。少し重いが仕方ないと持ってきたものだ。
テントを張った場所にはペットボトルの水を数本持ってきたが、さすがに重たかった。
正直この地面から数十センチ浮かんでいるこの台車がなければもっと大変な思いをしていただろう。
『こんなことは言いたくないが油断しすぎだぞ』
『初めてならこんなもんだろ』
『気を付けろ。敵は魔物だけじゃないぞ』
『ベースキャンプならともかく、探索中はまじで気を付けろ』
これにはさすがの俊太郎も、ハッとした。
確かにそうだ。ベースキャンプでは他の探索者の目や耳がある。騒ぎを起こせば他の探索者が話を聞きに来るだろう。そこでは滅多なことはできない。
しかし、こんな迷界の只中では、大声を出しても他の探索者が駆けつけてくれるとは限らないのだった。
俊太郎は急いで食べ終えると、水をグイっと飲みこむ。
「休憩中の警戒ってどんなことをすればいいんだ?」
いきなり態度を変えたのを呆然としていた二人を置いて、装備を付け始める。
『そこまで警戒するってほどじゃない』
『武器を持ったままの人間が一人でもいたらいいんじゃないか』
『気を抜かなければいいだろ』
『まだ二層だぞ? そんな気を張る必要もないって』
「どうしたんですか?」
「ああ、いや。警戒しなさすぎだと言われてね。確かにと思わされたよ。ごめん、二人は今回は気にしなくていい。ちゃんと休んでて」
三人で話あって、ローテーションで警戒する役を決めることにした。
今回は食事をもうすでにとってしまったが、二人が食べ終わると一人ずつ交代して周囲を警戒することになった。
俊太郎もそれから十分ほど休みを取ると、再び出発することにした。
ようやく二層の半分より先に進むことができた。
とはいえ三層を目指しているものの、ルートは細分化されているため、通っていない道が数えきれないほどたくさんある。
中央の一番近いルートから離れれば離れるほど、敵の強さや数が増えていくという。
特に数は脅威である。
今は三人で戦っているだけだが、何とかなっているのも、魔物もそれほどの数が一遍に出現する数が、それほど簡易迷宮などと変わらないからだ。
土地型の迷宮では数に制限は存在しない。
それでも、比較的中央のルートでは魔物数もまばらで、複数の魔物に囲まれるということは少なかった。
「お兄さんの遺品が見つかったのは、二層ということしかわからないの?」
「いえ、二層の中腹あたりとは聞いていたけど。中腹と言ってもね」
「中腹、ですか」
最初に違和感を覚えたのは紫雨だった。
二層から三層に向かうおよそ中間は、今いる周辺がそうである。となると中央のルートから外れた場所で見つかったのだろうか。
「普通、中腹と言えば、山や丘などにおいて使う言葉ではないですか?」
「まあ、そうだね。その人が探索を登山と捉えている、というわけではないなら」
日菜子をちらりと見る。直接話したのは日菜子だけだ。どうだとみても、日菜子は首をかしげただけだった。
もしそうでないなら。
「あそこ、なんでしょうか……」
視界には岩肌が見えているだけだが、そのちょっと上には少し高い丘のような場所があるのが分かる。ちょうど頂上のあたりが岩壁の上からひょこりと見えているのだ。
それほど遠くはないようにも見えるが、迷ったりするのが怖くてなかなかうろうろする気にもなれなかった。
しかし、何も手がかりがないよりはましだと考え、向かってみることにした。
「それにしても、魔物を倒してもアイテムが落ちないのは残念ですね」
紫雨がそんなことを言う。
お金だけ見れば、こちらの土地型の迷宮でも、稼ぐことはできるだろう。
二層だけで考えてもそれなりだ。
しかし地道で過酷だ。高級なアイテムをゲットするような一攫千金の夢は見れない。
時折強い魔物が現れることはあるようだが、それを倒したって普段より報酬が高くなるだけである。
三層や四層まで攻略できるようになれば、かなりの稼ぎだろうが、そこまで行くことも大変なのだ。
その上命の危険もある。怪我などで長く活動できないということも考えれば、どちらにせよそれほど夢のあるものではないということだ。
タブレットを開き、ルートを選びながら進んでいく。
丘の麓まで来たところで、タブレットのアプリに反応があった。
近くに印があり、そこに誰かがいるかのような反応だ。
動きはなく、じっと止まっている。考えられるのは怪我をしているか、亡くなっているかかだ。
探索者のタグは行方不明と判定されたり、自らタグを引っ張り信号を発しなければ、マップのアプリには表示されない。
行方不明となった段階で、登録された三輪田智成氏の腕時計や探索者タグは、アプリに反応される仕組みとなっているのだった。
「行ってみようか」
二人に声をかけると、真剣な眼差しで頷いた。
中央のルートから外れ麓から丘の上へと歩いていくと、とにかく魔物に遭遇するようになった。
特に大蜘蛛とスケルトンが多い。
丘のどこからこんなにも魔物が発生するのか分からないが、次々と薙ぎ払っていく。
スケルトンには俊太郎が活躍した。
大蜘蛛となるとさすがの紫雨が刀で両断していく。
どちらも、それほど厄介な魔物ではなく、サクサクと倒していくことが出来た。
スケルトンなどは深界石を取るのも簡単で、時間がかからない良い魔物である。
見つけたのはちょっと大きめの岩にもたれかかるようにしてあった。
残っているのはシャツや、小さめの荷物に探索者である証明となるタグ。
本人の身体や、装備していたはずの武器や防具もなくなっている。
誰かに持ち去られたというなら、あまりにも不自然で不気味である。
何日間でこうなるのかは分からない。探索者が死ぬときは家族にも会うことはできないとはこういうことなのだ。
紫雨や日菜子はともかく、俊太郎には帰ってこないと悲しむ人間ももういない。
俊太郎は手を合わせてから、荷物を回収していく。
タグには探索者のものであろう名前が刻印されていた。
分かっていたことだが、日菜子の兄である智成氏のものではなかった。
漏れがないように、遺品を袋の中に入れていく。これらは組合に渡せば遺族の元の渡されることになる。
そんなとき、ガタリと音がなった。俊太郎が振り向くと、影がさっと離れていくのが見えた。
少し影になって見えなかったが、緑っぽい色だった。大きさや速さからしてゴブリンのようにも思えた。
「魔物でしょうか」
紫雨が刀に手を掛けなながら、言葉にする。
「そうかも。一度テントまで戻ろうか。また明日ここらに来てみるのも良いと思う」
紫雨と日菜子が頷いたのを見て、俊太郎は立ち上がった。
幾分気分が落ちているのが分かる。とはいえ、この場を和ませることができるようなユーモアも持ち合わせていない。
神妙な顔をして、迫りくる魔物を倒したり躱したりしながら、帰り道のルートを進んでいくことにした。
会話のネタも浮かばないまま、テントにたどり着くと思わず息がこぼれるように吐き出された。
荷物などをチェックするも誰かに触られた気配もなければ、なくなってもいない。
少し休憩したあと、それぞれの仕事を始めていく。
俊太郎はもう一つテントを組み立てる。日菜子と紫雨は食事の用意しはじめた。
俊太郎はクラン、というものについて考えていた。
確かにこれは大変である。探索を終えて帰ってきたところで、食事や雑多なことをするのはかなり億劫だ。
特に今日のような、一日歩き通しだった日には、いくら迷界や迷宮の中だとは言え疲労はたまるものだ。
迷界内では電化製品などの便利なものは使用できない。バッテリーなどの電力の供給源を持ってくれば話は別だが、さすがにそんなものは用意できなかった。
それらのものはやはりクランなどの大所帯のパーティーが所有しているものなのかもしれない。
火はつけても問題ない。さすがに焚火などしたことがないから、簡易のキットを用意した。そこで調理も出来る。
ここらには使用できるような木材もないから、用意したものだ。
さすがに何日も籠ることを考えたら数は足りないが、今回は一日分で十分だ。
本来なら一度帰宅するのが楽だし、コストもかからない。
しかし、今回のことは紫雨や日菜子の提案でもあった。
この建石の陽が落ちる時間は、日本時間と比べると少し早い。陽が昇るのも早いが、その時間には迷界に入ることはできない。
早すぎて組合が開いていないからだ。
その提案をした二人は、楽しそうに調理をしていた。紫雨はあまり料理は慣れていないようだったが、日菜子の手伝いをしている分を見るに、問題なさそうである。
そんなものをアウトドアチェアに座りながら考えていると、暗い中でも探索者が帰還していくのが見えた。
手にはライトを持っていたり、魔法の灯りを宙に浮かべている者もいる。
自らのキャンプの位置に戻ってきた者や、そのまま一層へと歩いて行ってしまうものもいた。
まだ慣れていない探索のために陽が落ちる前には帰りたいと早めに帰還した俊太郎だったが、こんな時間まで探索や帰還の足を止めることはない探索者もいるのだと知った。
ベテランの探索者にとっては一層など子どもの遊びのようなものなのかもしれない。
タブレットを見る。マップアプリには赤い印がいくつか表示されていた。
もちろん俊太郎がいるこの場所にも表示されているがそれだけではなかった。
止まっていたり、歩いている探索者たちと同様に動いているのもある。
たまたま拾っただけかあるいは誤って作動させただけかもしれない。しかし、それだけ迷宮の中は危険であるということは分かる。
自分自身や自分達の仲間が、同じようなことにならないようにするにはどうしたらいいか、俊太郎の考えはしばらく止まらないのだった。