建石1
建石の迷宮に入り、砂が舞う荒野を歩いていた。
「結構大変ね。迷宮で歩くのに慣れてなかったら辛かったかも」
日菜子に同意するように紫雨も頷く。
迷界の中であれば身体は強化されるし、歩くのもそれほど苦ではないにしろ、やはり東京暮らしに慣れている人間にとっては、大変なものだ。
舗装されてない道は、歩きにくく平らな場所ばかりではない。ちょっとした石や岩が転がっていることもある。そのくせ荒野の世界は色が少なく、砂が舞うため、見えにくい。
「乗り物とかは持ってこれないんでしょうか」
紫雨がなんとなくそんなことを言う。
「昔そうした人がいたらしいけど、すぐ壊れてしまったって」
車やバイクなどを運び入れることが出来れば、迷界内で乗ることも可能なようだが、たとえば魔物などが車を攻撃した場合、ものすごく簡単な攻撃でバラバラになるそうだ。
その他にも、ここのように砂埃が舞っているような厳しい環境では、車などは壊れやすくなるらしい。現実の砂漠や荒野では考えられないような速度で壊れてしまうという。
そんな話を紫雨や日菜子と話をしていると、再び何者かが前方から歩いてくるのが分かった。
徒党を組み、武器を持っているのが分かる。
ゴブリンだった。
日菜子が精霊を召喚する。さっと土精霊を召喚し、命令を下す。
そのころには俊太郎が魔法の準備が完了していた。
紫雨も刀に手を添えいつでも抜刀できる状態に腰を落とす。
土精霊がスキルを使い、ゴブリンの視線を集めたのが分かった瞬間、俊太郎は雷の魔法を放った。
全部で四体のゴブリンは一瞬で戦闘不能になった。
どの程度の強さなのかは分からなかったため、手は抜けなかった。しかしゴブリンたちは反応も出来なかったようだし、かなり弱そうだと俊太郎は感じた。
倒したゴブリンは簡易迷宮と違って勝手に消えたりはしない。いずれ消えてなくなるそうだが、一日二日の話ではないようだ。
その上、体内の深界石を取り出さなければならない。これを回収し、組合に提出すれば報酬を得ることが出来る。
現在の一層は魔物の数が少なく、危険が少ないためか得られる報酬も少ない。
二層は少し高くて、二段階の簡易迷宮で入手する深界石よりも多くの報酬が得られるそうだが、その分だけ強くなっているし数も多いため危険があると考えていいようだ。
攻撃するだけでなく、身体を切り開く作業は思ったよりも抵抗があった。
解体用のナイフで胸を開くと血まみれの深界石があった。
さすがにこの作業を紫雨や日菜子にさせる気にはなれなかった。
それでも二人はやると言って、顔を引きつらせながらも頑張っていた。特に日菜子は血生臭い行為に馴染みがないため、紫雨よりも抵抗感が強いようで、顔を真っ青にしていた。
それでも泣き言を言うことなく魔物を倒していく。
その後も魔物と何度か遭遇したが、数も少なくあっさりと倒すことが出来た。
一層をしばらく歩くといくつかのテントがちらほらと見えてきた。
休息のために探索者が迷宮内にテントを張ってそこで仮眠したり、食事をとったりすることもあるという。
とくに土地型の迷宮では何日も泊りがけで探索に潜ることも多いのだ。
二層くらいでは帰ろうと思えば一時間ほどで迷界から脱出することが出来るのでそれほどでもないが、三層や四層、には賑わいを見せるほどの人が集まっていることもあるらしい。
それらのテントのある辺から二層、ということになっている。この建石の迷宮では明確な区切りがあるわけではないようで、出てくる魔物の種類によって分けられているそうだ。
このように自然の大地に囲まれた迷宮が多い土地型の迷宮では、どちらかというとサバイバルの技術も問われてくる。ただ魔物を狩ることが出来ればいいというわけではないのも土地型の特徴らしかった。
今日は下見のようなもので、必要はないが一応簡易的なタープを購入して持ってきている。それほど広くはないが日差しを遮ることはできる。
これを組み立てることも練習だと思い、三人で休息のための準備を済ませていく。
紫雨はお湯を沸かす。半日もいないため本来必要はないが、今後食事を用意しなければならないことも出てくるかもしれない。
沸かしたお湯をでインスタントのコーヒーを淹れた。
食事はさすがに用意したものだが、日菜子と惠が二人で朝から作ってくれたサンドイッチである。
「美味しいな。こんなものを食べられるなんて、贅沢かもね」
俊太郎が思わず言葉をこぼすと、紫雨もコクコクと同意するように頷いた。
「ふふ。作ったかいがあったみたいね。惠にもそう言っとく」
俊太郎はタブレットを取り出し、失くした探索者タグや惠から依頼された腕時計などを探すためにアプリを開いた。
マッピングツールを併用すれば、だいたいの位置が分かるようになっている。しかし、遠すぎれば反応しないため、そこそこ近くまで行かなければならない。
一層分全域を探しだすことはできないのだ。その上誰かひとりのものを探すなんて器用なことも出来ない。
結構時間がかかる可能性は十分あるだろう。
タープはそのままにしつつ貴重な荷物などは片づける。こんなところで物を盗られてもどうすることもできない。
さすがに探索者が物を盗むなど聞いたことがないが、警戒は必要だ。
紙コップのなかに砂をいれてさらに深界石を入れておく。
それを紙の上にこぼれないようにさかさまにすると、近くにある石の上に置いた。このコップを取ると砂はこぼれてしまうし、紙なども汚れてしまう。
そもそも何かを盗むつもりなら深界石は持っていくだろう。
二層のエリアを進み始めることにした。
魔物を戦うことが出来ればそれでいい。
「それにしても、なぜお兄さんはこの二層で遭難してしまったんだろう」
俊太郎は前から気になっていたことを聞いた。
日菜子の兄で、惠の父は大卒の探索者で、十年ほどのベテランでもある。
もちろん二層はそんなに簡単な階層ではないのかもしれないが、だとしてもそんなことは当然分かっているはずだった。
「兄さんは元々ここの四層で魔物を狩っているような探索者だったの。それが半年くらいまえにパーティーを解散するかもと、兄さんはこぼしていたのを覚えてる」
パーティーの解散は、仕方ないこととも言える。日菜子の元のパーティーでも怪我をしたのをきっかけに解散となった。
幸い怪我の具合はさほどひどくなかったようだが、まだ年若い彼女たちに、親たちが探索者を続けるのを許さなかったのだと言う。
日菜子も両親とはしばらく会っていないそうだ。探索者になるといったきっかけを機に元々絶縁状態となっていた兄を頼りにこちらに引っ越してきてしまったのだという。
それが高校時代だというから、そのころから探索者になりたかったようだ。
俊太郎たちはしばらく道なりに進むも、タブレットには何の表示もないままだった。
元より一層に近いここらでは、探索者の数も多く、こんな場所で遭難することもないのかもしれない。
現れたのはスケルトンだった。岩の隙間からカタカタと聞こえてくると思ったら、動く人骨が槍をもって歩いてきているのが分かった。
この周囲は、大きな岩があちこちにあり、まるで自然の迷宮のような場所だった。
そこからそんなものが飛び出してくるものだから、まるでホラー映画だ。
二体のスケルトンが歩いてくる間に、日菜子が精霊を召喚し、命令を促す。
購入したばかりの鞭の扱いにも慣れてきたのか、ぱちんと地面をたたく音が小気味好い。
召喚されたばかりの土精に、俊太郎は火属性付与と、保護魔法を掛ける。
さらに紫雨にも付与を掛け、攻撃を開始した。
スケルトンは歩くのは遅いくせに、槍は鋭かった。
土や砂で出来た土精の身体に振り下ろされた槍が、埋まっていく。
その隙を狙って俊太郎と紫雨が攻撃スキルを放つ。
ファイアーボールは、ぶつかるとぶわりと燃え広がる。そこに叩き込むようにして紫雨の刀が振り下ろされていった。
やはり二段階の簡易迷宮に出現したスケルトンと比較すると、二階層よりは強く、四階層よりは弱いと言った印象だった。
まだ二層の初めであることも関係してくるかもしれないが、階層主のような強力な魔物でもない限り、進むだけなら問題なさそうである。
スケルトンは倒すとカラカラと音をたてて、バラバラになった。
槍を持っているが、こんなのを持って帰っても大した金額にならず重たいだけだ。それに迷宮に残して置けばなぜかそのうち消えてくれる。
骨の身体もそうだ。
実は探索者の身体も死後放置されたままであると、迷界に吸収されるように消えてしまうらしい。
あまり考えたくはないが、迷界の養分にでもされているのかもしれない。
その後、大蜘蛛やオークとも戦った。
やはり一層よりも魔物の出現数が多い。
紫雨が汚れないようにオークの肉体を切り伏せると、血糊を飛ばした。
土地型の迷宮では当然のように汚れが目立つ。砂埃はひどいし、オークのような魔物はその丸っとした体から勢いよく血が噴き出てくる。
紫雨が持つ刀のような切れ味の鋭い武器ほど大変で、気を付けていても汚れてしまうことも多い。
その上、深界石を回収しなければならない。簡易迷宮では気にもしていなかったが、こういった点では一番スケルトンが楽だった。
胸のあたりに石があるらしいが、倒れた時点でポロリと一緒に落ちてくる。
オークなどは身体も大きくゴブリンよりも切り分けるのが大変だった。
大蜘蛛も初めて深界石を回収するときはさすがに勇気が必要だったが、一度やってみれば簡単に回収できるのが分かればなんてことのない相手だ。
そんな風に魔物を狩っていると、スマホのアラームが鳴った。大きな音ではなかったが、自分で設定したはずの俊太郎も少し驚いた。
あらかじめ設定しておいた時間がタイムリミットで、今日はこれで帰るという時間を決めてしまっていたのだ。
タブレットを見るもやはり反応はない。まだ二層の半分も来ていなかった。
「今日は帰ろうか」
「なかなか大変そうですね」
これから来た道を帰ることになるのが少し億劫だった。
二層の休息エリアに戻ると、少しテントが増えているような気がした。
二層に戻ってきた探索者か、あるいはこれから来た探索者なのか。
自分たちが張ったタープに戻る。置いておいた深界石入りの紙コップはどうやら誰も触っていなかったらしい。
さっさと片づけをし、荷物を再び背負うと帰宅だ。
この荒野も少しずつ陽が落ちてきているのが分かる。
建石の迷宮では陽が落ちるのが、日本にいるときとくらべて少し早い。
二十四時間という周期は一緒のようだが、それは地球の時間と連動するような働きがあるのではないかと考察されていた。
土地型の迷宮でも見える景色や時間は、バラバラでどうしてそのようになるのかは分かっていないことが多い。
ゲームセンターの外に出たとき時間は十八時手前。夏まじかのこの季節ではまだ明るい。
それにしても暑くなってきた。基本的に厚着になるのが探索者である。
迷界にいる間はあまり気にならない。
特に簡易迷宮は過ごしやすい。今回の荒野は日差しの感覚があり、暑いとも思えるが、それでも上昇した探索者としての能力か、あまり気にならなかった。
日菜子はぴちぴちのライダースーツの上からローブを羽織っている。中々に暑そうである。
俊太郎たちは組合に行ってさっさと着替えを済ませると、深界石の清算をお願いした。
すると深界石の鑑定があるのか、それなりに時間がかかるそうだ。
振り込みやポイントでの支払いなら、終わったらこちらで支払っておくと説明されたので、お願いすることにした。
三分割して、俊太郎はポイントでの支払いをお願いした。
「お疲れ様。明日は予定通り休みにする。今日は慣れないことをして疲れただろうから」
あまり焦っても仕方がない。
最近は日菜子と惠の関係も落ち着いてきたようで、一緒にサンドイッチを作ったのだとうれしそうに話していた。
まだ、形見の腕時計は見つかっていない。見つけてあげたい気持ちは当然あるが、俊太郎には見つけられないのでは、とどうしても考えてしまう。
こんなことをいつまで続けるのか。
簡易迷宮で空いた時間に探索者を続けるのとは訳が違う。
二層でさえこんなに時間を奪われる。学校帰りにちょっと行こうなどとは考えられなかった。
三層ともなればおそらくと泊まり込みになるだろうし、二層でよかったとも言えるが、二層であるからこそできてしまう。出来るならやらないわけにはいかないと、真面目な俊太郎は思うのだった。
次に建石の迷宮に潜る際にはテントを用意して、あの二層に泊まるべきなのかもしれない。
なかなか勇気のいることだろうが、少し楽しみでもあった。