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1-4 貴婦人のルーティン

 エンドルフの貴族の既婚女性の一日のルーティンはこうだ。


 十一時頃目を覚まし、ベッドの中で朝食のスープか、エタン産の発泡性の白葡萄酒を一杯を飲む。


 そのあと軽く入浴し、身支度を整える。


 昼食までは、出入りの商人への対応、屋敷のことを家政婦長や家令と話しあい、帳簿を確認する。


 昼食はだいたい十五時過ぎ、妻は夫よりも先にダイニングルームに来てはならないので、半時ほど過ぎてから向かう。


 夫と共に昼食を食べてからは自由時間。

店を見て回ったり、お友達と散歩やお茶を楽しむ。屋敷でゆっくり過ごしても良い。


 夜は何も予定がなければ夫と晩餐。

お客様を招待していなくても、夫が一緒なら夜用のドレスに着替える。一人なら気軽に自室で夕食を取る。


 晩餐会、舞踏会に招待されたなら、そこで社交活動をする。

たいてい屋敷に戻るのは深夜を過ぎてからだ。


 そして寝支度をして、空が白みはじめる頃に就寝する。



 ……北部の貴族は、こんな生活はしていなかった。


 朝はもっと早く起きる。

例え、夜に舞踏会やら晩餐会があったとしても、深夜すぎまで続くことはなかったので、そんな宵っ張りの生活はしていないかった。


 朝食はベッドの上ではなく、朝食室で家族と共に食べるし、もっとしっかりした食事を取る。

燕麦のお粥、パン、卵と加工肉なんかを。

あとは酢漬けのニシンや発酵キャベツ、それにミルクとチーズ。

(でも鹿肉の煮込みなんて食べない。エンドルフの貴族もそうだ。あれはリュリーの嫌がらせだった)


 朝から葡萄酒なんて飲まない。お酒を飲んだとしてもエールか林檎酒だ。

 ああ、考えていたら、セレスの体が、故郷の朝食を思い出したのか、堪らなく北部の朝食が恋しくなってきた。

 エールはエンドルフでは貴族が飲むものじゃないから、我慢はしなきゃいけないけど、林檎酒ぐらいは飲みたい。

辛口のものはハムにとってもあうのだ。


 昼食も、わざわざ、夫を待たせるとか意味がわからない。

朝食は液体を摂取しただけだ。出来るなら、すぐに食堂へ行って食べてしまいたい。


 あと、家族だけで夕食を取るときに、わざわざ着替えなんてしない。


 そんな意味のわからない風習ではあったけど、セレスのルーティンは、一ヶ月ほど前から貴婦人の模範から外れていた。


 ファルネティ家の専属医から、まず体調を整えることを推奨され、一日の殆んどの時間を、ハーブ蒸しだ、マッサージだの、効かない治療に割いていた。


 これらの治療法に効果がない訳ではないが、セレスには効かなかった。いや、効くわけないのだ。

だって、セレスは健康だ。治療など必要なかった。


 確かに結婚して暫くは体調を崩したが、すでに健康な体に戻っていた。

つまり、この主治医は嘘の診断をセレスと伯爵に報告していた。


 セレスが死んでからわかったことだが、この主治医はリュリーとグルで、伯爵夫人を夫と同衾させないようにしていたのだ。

そして、彼への報酬はリュリー自身だった。





 浴室でぬるいお湯に浸かり、大神シューベリが精霊の女王アポロニアに求婚する場面が描かれた天井画を見上げながら、これからすべきことを考えた。


 まず第一に、殺されないこと。


 次にアデライードが訪れるまでに、この屋敷の不穏分子を排除すること。


 そして、ジゼルを救い、今度こそ、あの恋を成就させること。


 つまり、今、リュリーをどれだけ無力化できるかにかかっている。

 

 昼食の時間までにしなければならないことが山積みだ。


 私は気合いを入れるように勢いをつけて浴槽から出た。




 浴室から出て、メイドが広げた用意されていた昼用のドレスを見て私は思わず眉をしかめた。

 ミアが少し困ったような顔をする。

 緋色の、最先端の流行を取り入れた豪奢なドレスで襟ぐりが深く、金糸で施された刺繍が美しい。


(……でも、これはセレスには似合わない)


 リュリーに言われるがまま、仕立屋に頼んだドレスは、セレスよりも、リュリーにふさわしいものだった。


 セレスは社交界で笑い者だった。

似合わないドレスで身を飾り、濃い化粧をした伯爵夫人は、まるで道化のようだと、笑われていたのだ。


 その、ドレスを選んだのも、濃い化粧を施したのもリュリーだ。彼女はセレスを出来る限り貶めたかったのだろう。


 セレスは叔父に言われた通り、屋敷の使用人達が少しでも働きやすくなるよう、配慮していたが、叔父に言われた言葉を鵜呑みにし、何もかもリュリーに頼って、最終的に自分で判断する事をやめてしまった。


 ミアはなんとかして、リュリーの暴挙を止めようとしたが、セレスはリュリーをいつも側に置いていたから、それは出来なかった。

 セレスの気の弱さをわかっていたから、伯爵がリュリーと浮気している真実を告げても、セレスが傷つくだけだと思って何も言えなかった。


(なんて愚かなんだろう。あなたは凄く恵まれてたのよ。それなのに、考えることをやめてしまった。だから死んじゃうのよ……)


私はセレスにそう言いたかった。


 セレスは自分のことを、不美人だと思っていた。

 アデライードはエンドルフでセレスに再会し、親友のけばけばしく変わり果てた姿に唖然とした。


「セレス、そのお化粧やドレスはちっともあなたに似合わない」


「だって私醜いもの。だから、こうやって隠すしかないのよ」


 彼女は社交界で笑い者にされて、ただでさえ低い自尊心はズタズタにされてしまっていた。


「いいえ、あなたは綺麗よ」


 アデライードは強い語気でそう言って、セレスのけばけばしい化粧をハンカチでごしごしと拭ったのだ。


 鏡に映った私―――素のままのセレスの姿を見て私もそう思った。

 アデライードのような溌剌とした魅力や、エロイーズのような華やかさ、リュリーのような艶やかさはないが、彼女には彼女の魅力があるのだ。


「他の……もっとおとなしい服はない?」


 恐る恐るミアに聞いてみると、彼女は光沢のある絹で出来たドレスをカロリーヌに持ってこさせて広げた。


 色はブルーグレイで、シンプルだが、それがワルド産の絹地の見事さを際立たせている。飾られたシフォンレースも上品だった。


「アングレ夫人のお店で仕立てたものです。他に昼用のドレスが三着、外出用が二着、夜用のものが一着あります。どれも奥様にお似合いになると思いますよ」


 すっかり忘れていたが、アングレ夫人は、リュリーが色々と口を出すのに負けず、根気よくセレスに似合う服をすすめてくれた人だった。


 いつもはリュリーの言いなりだったセレスも、アングレ夫人の熱意に負けて、彼女のすすめた布とデザインでドレスをオーダーした。

 まぁ、リュリーの妨害で、アングレ夫人のお店に行くことは、その一回きりだったのだけど。


「お化粧はどうされます?」


 思わず微笑んだ私にミアは嬉しそうに尋ねた。


「あなたに任せるわ」


 ミアはリュリーのような濃い化粧はせず、彼女は私の想像以上にセレスを綺麗にしてくれた。


 華奢なセレスに清楚で上品なドレスは似合った。

化粧も、今みたいに薄くていい。セレスは肌が綺麗だった。それを白粉で隠すのは勿体ない。

 既婚者にしては、少し楚々としすぎて威厳が足りないかもしれないが、彼女はまだ若いのだ。これぐらいは許されるだろう。


 セレスの人生を再出発させるのにふさわしい装いだと、私は明るい気分になった。


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