冷酷王子とぽっちゃり令嬢
ゴトゴトゴト……。
家紋入った豪華な馬車が王宮の門扉をくぐり抜け、広い庭園の石畳の道を走る。初めて目にする美しい建物に心を奪われた。
「なんてキレイなんでしょう!」
馬車の小窓から見える景色に思わず感嘆の声が漏れる。
ガタリ
馬車が停車し、扉が開く。ビシッと正装した執事が手を差し伸べてきた。
その手をそっと取り、ゆっくりと馬車から降り立つ。小さな赤い靴に、フリルとリボンで飾られた真紅のドレスを纏う少女。
「お待ちしておりました。マリーティアラ・フローレンス公女様」
そう、この物語の主人公でもあるマリーティアラは今、婚約者に会うために初めてこの国の王宮に辿り着いたのだった。
金色の流れるような美しい巻き髪に、ツンとした青い瞳。幼い子ども特有のぷっくりとした頬にプニプニの手の持ち主。
王宮内の廊下を進むと、お出迎えの侍女達が一斉に頭を下げる。
通り過ぎると、何やらコソコソと声がかすかに聞こえてきた。
「まぁ、見て。なんてお可愛らしいのでしょう」
「あのぷっくりした頬をツンツンしてみたいわ」
「ぷくぷくで可愛い」
「お子らしくて、いいわね。最近のご令嬢は小さくても皆様細身だものね」
つまり、マリーティアラは今時珍しいプニプニ体型の令嬢なのだ。家族からも従者からも子どもらしい体型で可愛いと言われ育ってきた。
だからこそ、自分がいわゆる「ぽっちゃり体型」だという認識は皆無なのだ。
ガチャリ
謁見の間に着いたマリーティアラは入室した瞬間、ゴクリと息を呑んだ。
あ……、天使様がいる……。
それが第一印象だった。
目の前に現れたのは、マリーティアラよりも淡いシルバーブロンドの髪に、新緑を思わせる瞳。陶器のようなきめ細かい白い肌に、ほっそりとした体型の少年だった。
隣に立つ父、フローレンス公爵にヒジでつつかれ、ハッと現実に戻される。
慌ててドレスの裾を摘み、カーテシーの挨拶。
「まぁ、なんて可愛いのかしら。将来がとても楽しみですわ」
王妃が褒めると、国王もウンウンと大きく頷いた。
「さぁ、レイモンド。お前の婚約者にご挨拶しなさい」
国王陛下に促され、麗しい王子はマリーティアラに微笑みながら挨拶をした。
声まで美しいなんて!
ボーッとするマリーティアラ、御歳八歳。にこやかに天使の笑顔を見せる第一王子レイモンド、十歳の出会いだった。
それから七年後。
王立学園で日々勉学に励むマリーティアラだったが、一つ大きな悩みを抱えていた。それは、婚約者でもある第一王子レイモンドが全くと言っていいほど自分に興味を持ってくれないことだった。
二歳年下のマリーティアラがようやく学園に入学した時には、レイモンドにはすでに心を寄せる令嬢が学園内にいたことに気づいた。
「ねぇ、見て。今日もあのお二人の姿を見れるなんて」
「麗しいお二人は、本当にお似合いよね。憧れるわ」
「あれ? でも、レイモンド殿下には婚約者がいなかった? 確か、公爵令嬢で今年の一年でしょ?
「あぁ。あの子ブタ令嬢? 殿下があんなの好きになるわけないじゃない」
「まぁ、公爵令嬢だから婚約できたのよね」
教室でもカフェテリアでも、学園の庭園でも。どこに行ってもいつもこの話題で持ちきりだった。嫌でもマリーティアラの耳にもその情報は入ってくる。
「はぁ……。レイモンド殿下はきっとあのキレイなご令嬢と結婚したいんだろうなぁ……」
一人、庭園のガゼボでため息を吐く。レイモンドの隣にいつも寄り添うように歩いているシルバーの髪の伯爵令嬢、ムーンディアナは学園内でも有名な才色兼備の令嬢だった。
かたや、肩書きだけは立派な公爵令嬢マリーティアラは、幼い頃のプニプニ体型をしっかりと維持したまま成長していた。
制服もサイズがなかなか合わず特注だ。
「うー。このお肉……、やっぱりなんとかしないとダメかしら……。痩せたら殿下は少しは私のことを見てくれるかな……」
プニュッと自分で自分のお腹のお肉を摘み上げる。柔らかく、弾力がある。
「んん……。これはなかなか手強いわね……」
ムニュムニュと自分の肉を摘んでいると……。
「気持ちよさそうだね、そのお肉」
「へ? わっ! きゃあ!」
背後から急に声をかけられ驚くマリーティアラ。その瞬間にズルッとベンチから滑り落ちた。
公爵令嬢にも関わらず、制服のスカートが捲り上げられムッチリとした太ももが露わになる。慌てて身だしなみを整え顔を上げると、ふわふわ巻き髪の愛らしい男子生徒が心配そうに見つめているではないか。
「あ…‥、えっと……」
「大丈夫? 急に声をかけたから驚いちゃったよね。ごめんね」
「い、いえ。大丈夫です」
手を差しのべてくれる男子生徒。なんだか見覚えが。
「あ、あの、もしかしてソル様……、でしょうか……」
「うん。こうやって話すの初めてだよね。よろしくね、レイモンドの婚約者さん」
ソル・グレゴリー侯爵令息はレイモンドの側近候補でもある人物で、学友でもあった。何度か王宮内でも一緒にいる姿を見かけたことがあったが、結局レイモンドから紹介されることはなく遠巻きで様子を見るだけに終わっていた。
「どう? 学園生活はなれた?」
「あ……、えぇ……はい……」
歯切れの悪い返事にソルは全てを悟る。
「大丈夫。他の令嬢はみんな君に嫉妬しているだけだから。気にしない気にしない」
「え?」
「まぁ、未来の王妃ってそんなもんだよ。しかも相手があのレイモンドだもんね」
ニッと歯を見せて笑う顔はまだあどけなさの残る少年のようだった。
「やっぱり私なんかがレイモンド殿下の婚約者には相応しくないんです……」
ポツリと思わず本音が出てしまった。今までずっと胸の中に秘めていた言葉。誰かに言いたくとも、言えないもどかしさ。
「そんなことはないと思うけどなぁ。お妃教育も熱心だって聞いてるよ」
「え?」
「オレはよく分からないけど、姉も隣国の王族に嫁いでいったからさ。その時よく言ってたなぁ。お妃教育は学園で学ぶよりもずっと大変で、誰もが乗り越えられるわけじゃないって。その苦しさ、孤独をどう乗り切るかも大事だって」
「苦しさ……、孤独……」
まさに今、マリーティアラが直面している感情だった。
思わずポロリと涙が頬をつたう。
「え⁈ な、なに⁈ 大丈夫⁈ どうしたの! オレなんかまずいこと言ったかな! ごめんね!」
慌てふためくソルに、フルフルと大きく首を左右に振り微笑みかけた。
「ありがとうございます、ソル様。ソル様の言葉、嬉しくて」
「え?」
「一人でも、私の気持ち分かってくださっている人がいるって初めて知って……。それが嬉しくて……」
涙を流し、柔らかい笑顔を向けるマリーティアラにソルの胸の奥が熱くなる。
「マリーティアラ嬢。オレで良かったらいつでも話を聞くよ」
「ソル様?」
「君はいつも頑張っている。とても尊敬できる人だ。だから辛い時、少しでもその感情を分かち合えたら……」
「あ、ありがとうございます……」
初めて優しい言葉をかけられたマリーティアラ心もほんのりと温かくなっていくのが分かった。自分を認めてくれている人がいることはとても大きな喜びでもある。
「ねぇ、そこでなにしているの?」
「え?」
振り向くと、そこには渦中の人物レイモンドが立っているではないか。
「ソル、なんでマリーティアラといるんだ? しかも、こんな人目が少ない場所で二人きりなんて。変な噂を流されたらお前のキャリアに傷がつくぞ」
そしてマリーティアラをひと睨みしてくる。その視線が冷たく、きゅっと体の奥に突き刺さる。
「別に。ただ、マリーティアラ嬢が一人ここでランチしていたから声をかけただけさ。お前こそ、この時間はカフェテリアで他の令嬢とランチタイムなんじゃないか?」
「誤解を招く言い方をするな。オレは雑談をしながら、学園内の情報収集をしているだけだ。令嬢は噂話が好きだからな。色々な情報がいち早く耳に入ってくる」
「それ、ただの噂だよ。令嬢の噂話の中に真実はほぼない。自分たちの保身や嫉妬で作られたまやかしばかりだ。そんなものを情報と称するのはおかしいんじゃないか」
ソルの意見は至極真っ当だ。が、しかし。相手は一国の王子。意見をするなど、憚れる。
「さすが、ソルだな。オレの側近に相応しい」
「へ?」
一人取り残された感のマリーティアラは小首を傾げる。レイモンドとソルはなぜかグッと拳を突き合わせ、笑みを浮かべていた。
「準備は着実に進めている」
「レイモンド、お前は王子なのに自ら動かなくとも」
「これは、オレの問題だ。至高の宝を脅かされて黙ってるほどお人好しじゃないさ」
「それ、ちゃんと伝えればいいのに」
そしてレイモンドとソルは視線をマリーティアラに移す。
見目麗しい二人に同時に見つめられ、マリーティアラのふっくらとした頬が少し朱色に染まった。
うー。美しい人をこんな近くから見たら破壊力が凄すぎますわ……。やはり、私は遠目で見守っていくことに徹します!
そう心に決めたマリーティアラだった。
が……。
「え、えっと……。これは……」
今マリーティアラがいる場所は王宮だった。八歳で婚約が決まってからお妃教育が始まり、王宮には日々通っていたが、ここ星空の宮殿と呼ばれる建物の大広間に足を踏み入れたのは初めてのことだった。
しかも、ダイヤが散りばめられた濃紺から淡い水色にグラデーションされたドレスを纏って。
ムチッと張りのある腕はシフォン生地で覆われ、歩くたびに揺らめき、雪のように白くモチモチの肌が見え隠れする。
「これはまた……」
マリーティアラのドレス姿を見た婚約者レイモンドの最初の言葉だった。
「あ……。す、すみません……」
せっかくの婚約者からのプレゼントも、ぽっちゃりの自分が着てしまうと美しさが台無しに。マリーティアラはよく理解していた。
いきなり王宮に呼び出され、侍女たちにあれよあれよと仕立て上げられたのだが、誰も説明してくれない。聞かされたのは、このドレスがレイモンドからの贈り物だということだけだった。
そして、レイモンドの驚いた表情。
これはまさしく、折角の美しいドレスもお前みたいなぽっちゃりが着てしまうと輝きが半減する、といった目だ。
もう謝罪するしかない。
「婚約者であるお前を披露する夜会だが、これは皆には見せられないな……」
ポツリと呟いた声はマリーティアラの耳にもしっかりと届いていた。
さすがに悲しくなる。でも、ここで泣いたら余計にレイモンドに迷惑をかけることになってしまう。マリーティアラはグッと堪えて、大きく息を吐いた。
「仕方がない、時間だ」
「はい……」
レイモンドのエスコートを受け、共に王宮内の星空の宮殿の大広間に向かった。足取りの重たさは、慣れないヒールだけのせいではないだろう。
中に入ると、来賓客が一斉に二人を拍手で出迎えてくれた。目立つことが苦手なマリーティアラは一瞬怯み、足を止めてしまう。震える手をレイモンドが強く握る。
「行くよ」
「は、はい……」
好奇な視線がマリーティアラを射抜く。
一通り挨拶を済ませると、一気に疲れが襲ってくる。
「オレはまだ挨拶が残っている。お前は先に部屋に戻れ」
「はい、レイモンド殿下」
一礼をし大広間を一人出ていく。後ろを振り向くと、すでにレイモンドの横には学園内でいつも一緒にいる美しい令嬢ムーンディアナの姿があった。
「やっぱりお似合いだな……」
モヤッとした気持ちと寂しさと、諦めの気持ちが入り混じる。
「はぁぁ……。今日は疲れたなぁ……。なんで、急に婚約者のお披露目なんてやることになったのかしら。誰も教えてくれないなんて……」
事前に分かっていれば少しでもダイエットができたかもしれない。
「はぁぁ、お腹空いたわ……」
美味しそうな料理がすぐ側にあったにも関わらず、周囲の目もあってなにも口にすることができなかった。
「マリーティアラ嬢」
「え?」
振り向くと、ソル・グレゴリー侯爵令息の姿が。正装しているのでカッコ良さも倍増だった。
うぅ……。この方も眩しい……。
「ソル様」
「マリーティアラ嬢、もうお帰りで?」
「え、えぇ。殿下のお許しをいただいたので部屋に戻るところです」
「挨拶回り疲れたでしょ? なにも食べていない様子だったけど、お腹空いていない?」
「う……」
この人はなぜ、こうも全てお見通しなのだろう。
「じゃあ、向こうの休憩室で一緒に食べない? オレもちょうどお腹空いていたんだ」
ニッと可愛らしい笑顔を向けてくる。
はぁぁぁ……。まさに天使の微笑み。癒されるわぁ。
王宮の侍女に食事を運んでもらい、二人で食べ始める。こうして対面で過ごすことになるとは、マリーティアラには新鮮だった。
婚約者でもある第一王子レイモンドとは幼い頃から食事やお茶を一緒に嗜んできたが、会話が弾んだ記憶はない。
いつも目線は食事か、またはマリーティアラのずっと遠くにあったので対面でも視線が合うことすらなかったのだ。
「ほら、これ美味しいよ。マリーティアラ嬢」
「え? あ、はい」
「あーん」
「へ?」
「はい、口を開けて」
言われるがまま、口を開けるとソルがフォークでお肉を食べさせてくれた。
「まぁ! とっても美味しいわ!」
頬を押さえて、口の中の蕩けるお肉を堪能する。マリーティアラの一番の至福の時が、食事だった。それ故に、このぽっちゃり体型のできあがりなのだが、公爵家でも王宮でも料理人たちにはマリーティアラは大変可愛がられていた。
昨今の令嬢は体型ばかり気にしすぎて、パーティで出された食事やスイーツにはあまり手を出さない。
時間もお金もかけて腕を振るった料理は、残れば全て廃棄処分。
だからと言って、品数を少なくしたり使用する材料を安物にすれば苦情がくる。
「はい、マリーティアラ嬢。次はこっちね。あーん」
パクリ
ソルはマリーティアラに餌付けを始める。マリーティアラもなにも疑いなく、なすがまま差し出された食事を次々に口に入れていった。
「ねぇ、二人ともなにやっているの?」
「あ……」
「うぐっ」
突然のレイモンド登場に口の中のものが詰まる。慌ててソルが水を飲ませてくれた。
「ソル、前にも言ったはずだよ。マリーティアラはオレの婚約者だ。第一王子の婚約者と二人きりになれば君が今後困ることになるって」
「二人きりじゃないじゃないか。侍女もこんなに大勢いるし」
確かに、五人もの侍女が二人の様子を微笑みながら見守っていた。
「で? なんでマリーティアラはここに? 部屋に戻るよう言ったよね」
「あ、はい……」
消え入るような声で返事をする。
「お腹空いていたの?」
「う……」
軽蔑するような声に、マリーティアラは小さく頷く。
だから太るんだよ! そう言われているような錯覚に陥る。食べることを我慢できない自分はやはり第一王子の婚約者には向いていない。
「なら、言えばよかったのに」
「え?」
「オレもちょうどお腹が空いていたんだ。挨拶回りでなにも食べてなかったからな」
そう言うと、ドカリとマリーティアラの隣の席に座った。
「それ、美味しい?」
「は、はい」
マリーティアラの食べかけを指差す。
ソルが侍女に合図をし、レイモンドの分の食事を用意させようとした時だった。
「いい。オレはこれを食べる」
「?」
「マリー、これを」
「へ?」
レイモンドが指差したのは、ソースがたっぷりの美味しそうなお肉だった。
「あ、あの、私の食べかけ……ですが……」
「構わない。それをオレの口に運んでくれ」
「へ……」
「さっき、お前はソルに食べさせてもらっていただろ? それと同じだ」
「は、はい」
恐る恐る肉を刺したフォークをレイモンドの口元に運ぶと、パクリとそれを躊躇なく食べた。
トクン……。
体の奥底が跳ねる。
恥ずかしさと恐怖が入り混じって、うまく言葉が出てこない。
「うん、なかなかうまいな。じゃあ、次はこっち」
「は、はい」
言われるがままレイモンドに食べさせるマリーティアラ。
「交代だ」
「え?」
「貸してみろ」
するとレイモンドはマリーティアラが持つフォークを取り上げて、プスッとニンジンを刺した。
「ほら、口を開けろ」
「あ、あの……」
「肉ばかりではなく、野菜もきちんと食べろ」
まるで父親が子どもに諭すように話しかけてくる。仕方なく、マリーティアラも言われた通りに口を開けた。ニンジンのグラッセは甘く、マリーティアラは口の中で幸せを噛み締めていた。
「甘くてとっても美味しいですわ!」
手で頬を押さえる仕草が愛らしく、嬉しそうに食べている姿を後ろに控えている侍女達も笑みが溢れる。
「へー、意外。レイモンドがそんなに甲斐甲斐しいなんて」
「べ、別に。オレはただ、食べ物を粗末にしたくないだけだ」
「ふーん」
「ソルこそ、人の婚約者に対してマナー違反なんじゃないか?」
「だって、マリーティアラ嬢があまりにも可愛いから」
「へ⁈」
この言葉に反応したのは、マリーティアラだった。
可愛いなんて男性に言われた経験が皆無の公爵令嬢は、顔を真っ赤にし俯くしかない。
「ソル、言っていいことと悪いことがある」
「マリーティアラ嬢が可愛いって言っちゃダメなこと? 本当のことなのに? なんで?」
「そ、それは……」
チラリと隣で俯くマリーティアラに目をやる。
ふるふると小刻みに震え、恥ずかしかっている姿がまるで小動物のように見えるではないか。
「と、とにかく! ソルは早く婚約者を見つけろ!」
「んー。いいなぁって思う令嬢はいるんだけど……ね」
意味深な視線をマリーティアラに向けるが、当の本人は今それどころではないようだった。
こうして怒涛の婚約お披露目会は幕を閉じ、再びいつもの学園生活が始まった。
ベルが鳴りランチタイムの時間が訪れた。いつものように一人ランチをするマリーティアラを待ち構えていたのは、シルバーの髪が美しいムーンディアナとその友人だった。
「ねぇ、あなたがレイモンド殿下の婚約者のマリーティアラ様ですわよね」
「は、はい」
「先日のお披露目会に私も出席していたのですよ」
「あ、あの、ご挨拶ができず申し訳ありませんでした」
「いいのですわ。マリーティアラ様は公女様ですもの。私のように伯爵の娘なんか格下ですから。ご挨拶をいただきたいなんて、おこがましいことは言いませんわ」
「そ、そんなことは……」
どう対処していいか分からず、ただ俯くしか術がない。
「マリーティアラ様、どうかお顔をお上げなさって。未来の王太子妃がこれではいけませんわ。もっと堂々としていなくては」
「は、はい。申し訳ありません」
「まぁ、王太子妃様になろうというお方が簡単に謝罪など口するのはどうかと思いますけど」
すかさず、ムーンディアナの隣に控えていた令嬢が口を挟む。
「ムーンディアナ様のように気品ある振る舞いを心がけてくださいな」
クスリと笑いながら、もう一人の令嬢が追い討ちをかける。
「は、はい……」
ムーンディアナのような気品ある振る舞い。
もっと自分に自信が持てれば少しはムーンディアナのように堂々と振る舞えたのだろうか。一人落ち込むマリーティアラは、食べようとしていたサンドイッチをただただ見つめていた。
「お父様、お話があります」
フローレンス公爵の執務室。
「なんだ、マリー」
「その……。わ、私とレイモンド殿下の婚約……のことですが……」
「あぁ。レイモンド殿下は来月、学園をご卒業だな。本格的に王太子としての執務がスタートする」
「え……、あ、はい……」
「お前もレイモンド殿下が学園を卒業したら一緒に王宮に住むことになるから、王太子妃としてしっかりと殿下を支えなさい」
「はい……。へ? え⁈ 私も一緒に王宮に⁈」
初めて聞いた情報に、狼狽えるマリーティアラ。
「そ、そんなことは聞いていません!」
「あぁ、今言ったからな。これはレイモンド殿下からの強い要望だ」
「え? 殿下からの……」
そんなはずはない。自分は自慢ではないが婚約者レイモンドから好かれていると思ったことは一度もないのだ。
「なぜ、そのようなことを……」
まさか、城に閉じ込め幽閉? それとも、小間使として働かせるとか? 殿下にはお慕いしている令嬢がいるわ。ムーンディアナ様と結婚したいはず……。
「それは……。まぁ、殿下から直接聞くといい」
「お父様……」
結局言えなかった。レイモンドと婚約破棄してほしいと。
このままでは、一生お飾り王太子妃になるのだろう。きっと王宮内には常に愛人のムーンディアナがいることになる。
このまま惨めな生活を送るよりも、婚約破棄してもらい皆から嘲笑われる方がマシだった。
田舎にある領地でひっそり暮らすのも悪くない。自分には、煌びやかな王宮生活よりもずっと合っている。
マリーティアラは意を決して、レイモンドに直談判することにした。
しかし、こういう時に限ってレイモンドとの謁見は叶わなかった。学園では常にレイモンドは側近やらムーンディアナと行動を共にしているので近寄ることすらできない。
久しぶりに顔を合わせても、二人きりで話す機会は皆無だった。
そんな日々が続き、とうとうレイモンドが学園を卒業する時期にきてしまった。ムーンディアナも同じ学園なので、恐らく卒業後は二人で王宮という愛の巣で生活をするのだろう。
卒業式は毎年盛大に行われる。令嬢達はここぞとばかりにオシャレをして、最後の卒業パーティーを楽しむのだ。中にはこの卒業式で新たなカップルも多く誕生している。
マリーティアラはレイモンドのパートナーとして一緒に卒業パーティーに参加することになった。
「え……。それは拒否できないのですか……」
「当たり前だろ」
そう父に一喝され、渋々出席をすることに。
そして、なぜかお揃いのコーデになっている。目立つことこの上ない。
隣には端正な顔立ちの王太子。エスコートされるのはぽっちゃり体型の令嬢。
「はぁ……。これ拷問だわ……」
レイモンドの瞳色のドレス。マリーティアラがコンプレックスに思っている腕はしっかりと隠されるデザインに仕上がっていた。その代わりに肩と胸元がぱっくりと開いていて、ボリュームある胸の肉が盛り上がっているのが丸見え状態だ。
「マリーティアラ……」
「はい……」
「お、お前……、その……む、胸元は……」
「え?」
珍しく頬を赤く染めたレイモンドがマリーティアラの露わになった胸元を指差す。
「う……。も、申し訳ありません……。なんだかここ最近、またお肉がついてしまったようで……」
「で、でも、ウエストはゆとりがありそうだが……」
胸に対して、なぜか以前よりも引き締まった腰回り。ドレスがぱつんぱつんになっていない。
「あ……、えっと……。毎日腹筋を少々……」
「腹筋? 筋トレしていたのか? それは……」
なんだか不満そうな顔で、マリーティアラの腰からお腹へと手を滑らせてくるレイモンド。
「ひゃん!」
「んん……、まぁ、まだカチカチにはなっていないな」
「う……」
それもそのはず。長年蓄積されたお肉はちょっとやそっとじゃ引き締まらない。
「でも、なんで胸だけ大きくなった?」
「わ、分からないです……。成長期?」
「ほぉ……。成長期……か。なら、まだまだ成長するつもりか?」
「ひっ!」
グイッと顔が近づく。美しすぎて目がチカチカしてしまう。
「も、申し訳ありません……」
これ以上、ムチムチになるわけにはいかない。筋トレ時間を増やそうと心に誓うマリーティアラだった。
「時間だ。行くぞ」
「はい……」
「マリーティアラ、オレにしっかりと掴まっていろ」
「はい……。へ?」
背の高いレイモンドの顔を見上げると、同時に下を向いたレイモンドと目が合った。キラキラと輝く若草色の瞳に思わず吸い込まれそうになる。が、サッとその視線は外された。
ズキンと心の奥が軋むが、それは口にはできない。
卒業パーティーは豪華絢爛という言葉が一番合う。卒業生達は皆、美しいドレスを纏いいつもよりも少し大人びて見えた。
その中でも一際目立っていたのが、銀色の髪が艶やかなムーンディアナだった。スラリとした体格にピッタリとラインが出るマーメイドドレスに身を包んでいた。
黄緑色に淡い金地の刺繍。
そう。全てがレイモンドを表しているのだ。ファッションに疎いマリーティアラでさえ、一目で気がついた。
「皆様、とってもお綺麗ですね」
「そうか?」
色とりどりのドレスの令嬢たちにまるで興味がないといった風ではあるが、視線の先はムーンディアナを捉えているようだった。
「レイモンド殿下」
そこへ声をかけてきたのは、妖艶なドレスに大人びた化粧で女の色香を漂わすムーンディアナだ。
「ムーンディアナ嬢」
「あ、ムーンディアナ様、この度はご卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます、マリーティアラ様」
ニコリと微笑みかける姿は、同性のマリーティアラにも眩しく見えた。
「殿下はご卒業後、王宮で王太子としての執務に専念されるのですよね」
「あぁ。その予定だ」
「私も、微力ながら殿下のお手伝いをさせていただきたいと思い、お願いにきました」
「ほう……。それはそれは」
なんと。伯爵令嬢自ら自分をアピールしにきたのか。
「レイモンド殿下、私の提案いかがでしょう? 女性が王太子の側近では分不相応でしょうけど……」
「いや? そんなことはない。オレは男だからとか、女だからとか。身分が高い低いでも判断はしない。その者が持つ能力、そして人間性を重視しているつもりだ」
これから国を背負っていく未来の国王として立派な考え方だった。
「そ、それでは。あの、王太子妃に求めるのも身分ではなく?」
「そうだな。身分は関係ない」
ハッキリと大勢の前で宣言した。周囲もこのやり取りが気になりようで、耳を澄まし聞いている。
そしてチラチラとマリーティアラを値踏みするかのような視線を送るのだ。
「殿下、不敬だと存じますがお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ムーンディアナのその言葉に反応したのは少し離れた場所に控えていたソルだった。
「ムーンディアナ嬢。不敬と分かっているのであれば控えてください」
「よい。続けろ、ムーンディアナ嬢。あなたは大変賢い人だ。話を聞きたい」
ただならぬ雰囲気に、マリーティアラは居た堪れず思わずレイモンドの腕から離れようとする。
「マリー、どこへ行く?」
「あ、えっと。大事なお話のようなので私は離れた方がよいかと」
「ダメでしょう。マリーはオレの婚約者なんだから、オレから離れないこと」
「へ? は、はい……」
これは一体なんの茶番だろうか……。自分を大勢の前で辱めるつもりなのか。第一王子の魂胆が見えない。
不安でいっぱいマリーティアラは仕方なくレイモンドの腕を取り、片方の手でギュッとドレスを握り締めるのだった。
「で? ムーンディアナ嬢の話を聞かせて」
「レイモンド殿下。先ほど殿下は王太子妃に求めるのも身分ではないとおっしゃいましたよね?」
「あぁ、そうだ。なんだったら相手が平民でもオレは構わない。その女性を愛しているなら身分は正直関係ないと思っている」
驚いた。まさかあのレイモンドから愛という言葉が出てくるとは。
もう、まさにムーンディアナと結ばれるしかないではないか。これは卒業式に皆の前でマリーティアラとの婚約を破棄して、愛するムーンディアナと結ばれるという大きなイベントの舞台なのだろう。
大勢の前で晒されるのは正直辛い。しかし、今後レイモンドに虐げられながら王宮で生活をするよりはずっとマシなのだろう。
「レイモンド殿下。ずっとお慕いしておりました。学園に入学してからずっと……」
「ムーンディアナ嬢……」
レイモンドはマリーティアラの腕を払い、ムーンディアナのすぐ前まで近づく。二人が並ぶ姿は絵画の美しい一枚に収めたくなるほどしっくりきていた。身に纏うドレスはレイモンドの色。二人を知らない誰かが見たら、婚約者同士としか思えないほど二人はお似合いなのだ。
「あなたは大変聡い人だ。周囲の信頼も厚く、全てに対して秀でている。その才能が時には羨ましくもあった」
「まぁ、レイモンド殿下。勿体無い言葉です」
「ムーンディアナ嬢……」
甘い声で名前を呼ぶ。見ているのが辛くなる。婚約破棄を望んでいたにも関わらず、いざその場面になると心の奥底がギューっと捻られるような苦しみが込み上げてきた。
レイモンドは麗しいムーンディアナに顔を寄せ、そっと耳元で何かを囁いている。周囲にはその声は聞こえなかったが、ムーンディアナの表情が一瞬変わった。
「え? それは冗談……ですよね?」
「なぜ、オレが冗談を言わないといけない?」
「そ、それは……。でも、殿下。おっしゃっている意味が分かりません」
「分からない? それは少し困ったなぁ。ソル、ムーンディアナ嬢は理解できないらしいけど、どうしたらいい?」
突如、名前を呼ばれたソルは肩をすくめながら深く息を吐き出す。
「じゃあ、せっかくなので卒業式の余興としてお披露目しちゃいますか?」
そう言うと、ソルはパチンと指を鳴らした。すると、どこからともなく空中に、ある映像が浮かび上がったではないか。
「これは?」
卒業生たちが騒めく。王族しか所持しない最新式の投影装置。
そこに映っていたのは、銀色の髪を靡かせたムーンディアナとその友人たちの姿だったのだ。
『ねぇ、今度入ってくる一年に殿下の婚約者がいるんですって。公女だかなんだか知らないけど、身分だけの政略結婚よ』
『知っているわ。前にお父様と王宮に行った時に見かけたもの。あれが未来の王太子妃? って感じでしたわ。あんなぽっちゃり、殿下がお可哀想』
クスクスと不快な笑い声が聞こえる。
景色が変わり、また別の場面になった。
『あのぽっちゃり令嬢を困らせてあげましょうよ』
『いいですわね。楽しそう。で、どうなさります? ムーンディアナ様』
『そうね……。まずは、あの子の持ち物を池に投げ入れて、あとはランチに虫を入れましょうよ! 食べるのが好きだから、きっと虫が入っていても気にせず食べ切ってしまいそうだわ』
そんな不快な映像がまだまだ続いた。
ムーンディアナは両手で耳を塞ぐ。もうこれ以上は聞きたくないし、見たくもない。耐えられない。
その場でしゃがみ込み、涙を必死に耐えるしかなかった。声をあげて泣くのは、より自分を惨めに仕立ててしまうと思ったから。
「マリーティアラ嬢!」
ソルがサッと駆け寄り、マリーティアラを抱きしめた。優しく包み込み、そっと背中をさする。
「ソル。貴様、人の婚約者になに気安く触っている。不敬でお前こそ処刑するぞ」
冷ややかな声が注がれた。
「だって、可哀想じゃないですか。マリーティアラ嬢が苦しんでいるのだから、オレが介抱するのは自然なこと」
「はぁ?」
「それより、ちゃっちゃとお終いにしちゃってください、殿下。このままじゃ、オレがマリーティアラ嬢を休憩室に連れて慰めちゃいますよ」
「チッ」
面倒くさそうに舌打ちをしたレイモンドは、向きを変え再びムーンディアナに視線を移す。怯えた表情のムーンディアナは、少し前までの威厳ある姿とは別人になっていた。
「オレがあなたに近づいたのは、全てこの日の為だったんだよ。あなたは入学前からオレの愛するマリーティアラを貶めようと画策してたね。この卒業式で全てを明るみに出してムーンディアナ嬢と、これに関わった者たちを全て断罪する」
「⁈」
静寂の後の大きな波が押し寄せる。会場内は卒業式に出席していた全員の声で騒めき始めた。
マリーティアラの中では「オレの愛するマリーティアラ」という言葉が頭の中で反芻されていた。
「レイモンド殿下! こ、これは何かの間違いです!貶められたのは私たちでございます! どうか、どうか信じてください。このような映像、記憶にございません!」
「ムーンディアナ嬢は、この映像を撮った者が君たちを陥れようと画策したと? そういう意味でいいかな?」
「は、はい殿下」
腕を組み、レイモンドがチラリとソルを見る。
「では、ムーンディアナ嬢。レイモンド殿下があなたを陥れようとしたと言っているのですね?」
「え⁈ な、なにをおっしゃているんですか、ソル様。わ、私はこの映像が偽物だと」
「撮ったのレイモンド殿下ですよ」
「え……」
ムーンディアナの美しいはずの顔が醜く歪む。
「そ、そんな……」
「オレは愛する婚約者マリーティアラを守る為ならどんなことでもする。今回はいい見せしめになったな。処罰は追って国から下す。それまで、牢獄で暮らすといい」
「レイモンド殿下! あ、あなたは私を愛していたのでは……」
「は? なにそれ。オレがいつそんなこと言った? 愛の言葉も囁いたことなんか一度もないよね?」
力なく崩れ落ち、床にしゃがみ込むムーンディアナ。
「だって、いつも一緒にいたから……」
「見張っていただけだから。勘違いも甚だしいよ。オレのマリーに手を出したら、死罪だからね」
口角を上げ王子スマイルを見せつける。が、今は恐怖の笑みとしか言いようがない。
黙って聞いていたマリーティアラでさえ、背中にビッショリと汗が流れていた。これは一体なんなのだろう。
「さぁ、パーティーはお終いだ」
*
レイモンドの卒業後すぐにマリーティアラも王宮で生活をすることになった。学園卒業までにはあと二年あるが、今までの学園生活とは打って変わって華やかな時間に変わっていた。
卒業式でのできごと後、第一王子レイモンドがいかに婚約者でもあるマリーティアラ・フローレンス公爵令嬢を愛しているのかが判明。
当の本人も知らないところで、溺愛されていたようだった。
それが明るみに出た途端、周囲のマリーティアラに対する評価も変わったのだ。
「だったら、最初からそうしていただければ良かったのですわ! あなた様が私を嫌っていると皆が思い込んだからこんなことに!」
マリーティアラが怒るのも至極当たり前のことだった。
「そうなんだけどね。でも、内部に潜む膿を出しておきたくて。すまなかったね、マリー。これからは我慢せずに、君への愛を表現していくことにしたから」
「そ、それは……」
そんな話をしている最中も、マリーティアラの体はずっとレイモンドの膝の上に。
真実はまた別にあった。
ある貴族の一部がフローレンス公爵家を貶めようと画策していることが判明し、それが王家の耳にも届いていたことが事の発端だった。
その計画の一つが、幼い頃に婚約者となったマリーティアラを王太子から婚約破棄されるように計画を練り、自分の娘をあてがおうとしていたことだったのだ。
それを知った国王陛下、フローレンス公爵、そしてレイモンドたちによって彼ら貴族を一網打尽にすべく動き出したのだ。
相手が娘を使ってくるなら、こちらもその令嬢たちを使い逆に悪事の証拠を掴むことによって爵位剥奪に成功したのだった。
おかげで学園生活中、愛しい婚約者と楽しいキャンパスライフを送れなかったレイモンドは、時間を取り戻すかのように一気に溺愛ぶりが始まった。
それにまだついていけないマリーティアラは、ただただその愛情に戸惑うばかりの日々だったのだ。
「マリー、知っている? 君と婚約したいと父上に頼んだのはオレなんだよ」
「へ?」
初耳だ。
「幼い君が、フローレンス公爵と一緒にサーカスを見に来ていただろ? あの時、オレも父上と一緒に行っていたんだ。ドラムの音に驚いて泣き出したマリーが可愛くてね。一目惚れしちゃった」
「な……」
あれ以来、サーカスには行っていない。今でも忘れられない黒歴史だ。
「あの、レイモンド殿下……。そろそろ離していただけないでしょうか……」
まるで二人きりの世界に浸っているような錯覚をしてしまうところだが、実は周囲には大勢の王宮従者が二人を温かい眼差しで見守っている。侍女、執事、騎士とその数は常に十人以上。
レイモンドがマリーティアラを膝に乗せ、愛でている間もその視線を常に感じる。
「違う。レイって呼ぶように言っただろ?」
「う……。れ、レイ……」
かぁぁぁっと一気に顔に熱を帯びるマリーティアラ。さらに追い討ちをかけるように、愛称呼びに満足げな表情をしたレイモンドがチュッと頬に唇をくっつける。
「ひゃん!」
「マリー、可愛いね。愛しているよ。世界中の誰よりも」
レイモンドはマリーティアラの体を力いっぱい抱きしめるのだった。
「んー。この弾力サイコー。柔らかくて、ムチムチで」
「……」
複雑な気分だ。
レイモンドにより筋トレ禁止令が出ているが、こっそりと続けるマリーティアラ。が、どうやら全くバレていないようだった。それはそれで、悩ましい気持ちになるのだった。