めぐる
爽やかな天候の日、周りの新緑が風になびきサラサラと音を立てる。
物心がついたとき、君はまだ私よりずっと大きかった。
もういいよと言っているというのに、君はいつまでも無邪気に水で遊んでいたね。それが良かったのか悪かったのか、今じゃとんでもなく背が高くなってしまった。
遊び相手が私から同じ年頃の子供に変わってしばらくすると、よく泣きながら私のところに来たね。最初の遊び相手が私だったのが悪かったのかもしれない。
この頃には身長で追い越していた私が君を担いでやって、絶景をおすそ分けしてやるとすぐに泣き止んで、今までのような笑顔を向けてくれるのが私の楽しみだった。
朝、お日様におはようの挨拶をしてから、夕方にさようならを言うまで。
色んな生き物が生まれ出てから、死に行く時期まで。
私にとってはあっという間だったが、君にとっては些か長かったかな。
ある日、上下を黒で覆われた、えらくかしこまった服を着た君は、見たことのない可憐な女の子を連れて来た。しばらくぶりだね。
だが私は君への挨拶すらままならない。それほどにまで二人だけの世界が眼前に広がっていた。
私は高みから二人の会話に耳をすませる。他愛のない内容であるはずなのに、甘い香りがこちらにまで伝わってくるようだった。夕陽に照らされた二つの横顔は、陽の光が無くとも輝いていたと思ったのを覚えている。
今を、1秒後を、明日を心底喜んでいるように思えた。最初は冷やかし半分だったが、最後は素直な笑みが溢れたよ。
おめでとう。
だというのに、君はまたあっという間に泣きながら私のところにやって来た。
おっと失礼、これは私にとってのあっという間だった。今しばらく経ってからというのが正しかったかもしれない。
おやおや、君に抱きつかれるのも久しぶりだね。身体はずいぶんと大きくなったのに、泣きじゃくる姿はあの頃から全く変わらない。
横にあの娘が居なかったことと、君の号泣が全てを語っていた。どれ、また絶景でも見せてやろうかと思ったが、私の背と腕はとっくに君を置き去りにしていた。
昔から君は泣き疲れると、私のもとで眠ってしまうね。君の鼓動を近くで感じられる私にとっても、実は大変居心地が良い。君と二人きりの空間の中で、精一杯身体を動かして、水遊びをしていた頃を夢想するのさ。
今は悲しみが癒えるまで、ここで休むと良い。
……まったく振り回してくれる。
どうなることやらと思って見てみれば、遠くで君が例の娘と手を繋いで歩いているのが目に飛び込んできたのだ。いくら幼馴染とはいえ、心配させっ放しは感心しないな。
いっそふて寝してやろう。私らしくもないが。
しばらく知らんぷりをしていると、君はあの娘を連れてまた私の前にやって来た。やれやれ。
彼女はミサちゃんというのだね。分かったからそう何度も婚姻の宣言をしなくてもよろしい。見なさい。横の彼女が顔を真っ赤にしているじゃないか。
もう心配をかけるんじゃないよ。
それからまたしばらく姿を見せなくなって、次に出会った時には、君は前よりもずっと立派になっていてびっくりしてしまった。私はそこまで変わらないというのにね。
ミサちゃんもすっかり落ち着いてしまっているじゃないか。君たちの人生なのだから、わざわざ私に伝える必要もあるまいに。でも嬉しいよ。
おめでとう。
それからも、事あるごとに君たちは私のもとにやって来た。
ミサちゃんだけで来たこともあったね。私は話を聞くことしか出来なかったけど、話し終えてからの晴れやかな笑顔を見ると、君のお嫁さんになって良かったと思うんだ。
よろしく頼むよ。
私も可能な限りの笑顔をお返しした。
幾度か待つと、新緑の季節に君たちは新しい命を携えてやって来た。
あぁ、愛らしい。私に見せてくれてどうもありがとう。
なんだい。子を通り越して孫を見るかのような気分になってしまったじゃないか。
不意に私が小さかった頃を思い出した。こうやって包まれて、温もりのある言葉をかけられていたかな。気が付けば隣には君が居てくれた。
本当に、本当に大きくなったものだ。
私は君たちのように近くで子供を見守ってあげることが出来ないから。すくすく育って欲しいと祈ることしか出来ないから、素直に羨ましい。
だからこそ今、君たちを見守ることが出来るのが嬉しいのかもしれないね。
新しい命はすぐに大きくなる。最初から見ていた私にとっては息をつく間もなかったが、無事に娘さんとこうしてまた水遊びが出来るのは君からの贈り物だよ。
もういいよと言っているというのに、いつまでも水で遊び続ける姿は君と瓜二つだ。
このまま健やかに育ちますように。
喜怒哀楽と四季を共にして、それでも変わらないこの景色の中で木枯らしが吹く季節に、ずいぶん変わった君がやってくる。
娘さんも無事巣立ち、仕事も終わってゆっくりしているんだね。だから最近よく顔を見せてくれるわけだ。
おもむろに君は私の身体の半周にも満たない両手で私を包む。
悪くないね。お互いもういい歳だというのに。
お前はいつもすぐ隣に居てくれただって? それは私の台詞だよ。
君はいつかのように私のもとで横になる。ずうっと弱くなってしまった鼓動を、最も近くで聞いてきた私は感じ取ることが出来る。
そうか。終わりが近いのだね。
何故だろうか。こんなときは悲しい気持ちで満たされると思っていたのに、不思議と微笑ましく君を見ていられるのだ。
君と歩んできた道は、本当に楽しいものだったよ。
君はここから一歩たりとも動けない私に色んな景色を見せてくれた。
私が見せてあげられるのはここからの絶景だけだけど、君はそれ以上に彩られた色んな色を、私にプレゼントしてくれた。
ありがとうって? それも私の台詞さ。奪わないでくれたまえよ。
最後までここでゆっくりしていくと良い。初めて泣かなかったじゃないか。いい笑顔だよ。
おやすみ。お疲れ様。よく眠るんだよ。
また新緑が芽吹く。新たな命を宿しながら。