【悪魔崇拝者の男 part2】
「旦那様、もうなにを言っても無駄なのでしょうか…… こんな事をされても奥様はもう……」
街外れにポツリとある白い家。
広い野原にはその建物しかないため日当たりがよく、まるで絵本に登場するかのような住まい。外観はシンプルながら内装は非常に趣味の良いもので、手入れもしっかり行き届いている。
その玄関で話しているのは女中らしき女性であり、何やら必死に説得しようとしているようだ。初老と言っても差し支えない年齢ではあるもののその佇まいは凛としてピンと伸びた背筋からは叩き込まれた礼儀作法がうかがえる。
「君が反対するなんて久しぶりだねソフィー。 うん、小さい頃家を出ようとした時以来かな。 あのとき君は文句を言いながらも黙ってボクについてきてくれたね。 あの時は本当に助かったよ。」
女中に答えるのは色白の青年。白を基調とした上品な服装に身を包んではいるものの髪は乱れており目の虹彩がやけに暗い。何より深く刻まれたような目のクマが青年の印象をやつれたものにしてしまっている。
「今回もそうだ。 彼女と会えなくなってからのボクを君だけは最後まで支えてくれた。 どんなに望まない願いでも君はきいてくれた。 君はボクにとって最後の家族だった」
青年はまるで肉親と話すかのような穏やかな口調で女中に語る。それほどまでに長く共に過ごしてきた間柄であり、お互いのことを理解しあっているのだ。だからこそ、この会話は絶対に噛み合わない。議論は平行線で決して交わることはない。
「旦那様…… 私は今日までの30年間、あなたが生まれてから何があっても味方でいようと尽くして参りました。 ですが今回ばかりは許すわけにはいかないのです。 こんなことをしてなんの意味がありましょう。 まだ間に合います。 ですから……」
「いや、それはちがうよソフィー。 もう間に合わないんだ。 あの日彼女を失ってしまってからボクはもう手遅れなんだ。 君には本当に感謝している。 本当に今までよく働いてくれた」
青年は困ったように微笑む。
もう答えは出ているのだ。 しかし無駄だと分かってはいても説得を試みる他ないのだ。
他人というにはあまりに二人は互いを知りすぎている。
「旦那様、あなたはこのままだと地獄に落ちてしまいます。 神は乗り越えられる試練しか与えません。 ですからどうか……」
「神だと……その名を口にするなッ…………!!!!」
豹変した。青年は女性の胸ぐらを乱暴に掴むと女性の身体は宙に浮き壁に思いっきり叩きつけられる。先程の穏やかな口調からは想像もつかない激しい怒り。憤怒。目は血走りこの世のすべてを呪うかのような憎悪に満ちた表情を浮かべる。
「だ、旦那様ッ…………」
「っ…………!!」
かすれた声で女性が必死に呼びかける。青年は慌てて手を離すと自身の顔が見えないように女性に背を向けた。解放された女性は咳き込むと目に涙を浮かべる。それは息苦しさのためではなく目の前の青年が肩を震わせていたからだった。
「ソフィー。 違うんだ。 ボクにとってはこここそが地獄なんだ。 彼女のいない世界の一瞬一瞬がボクを苦しめているんだよ。 こんな世界でボクは生きていけない……」
女性は何も言えなくなった。 一番近くでみてきたからこそ、その言葉が偽りない本心だと理解してしまったのだ。 だから何も言わず立ち尽くす。 もはやかける言葉ない。
「君まで地獄に落ちる必要はない。 じきに呼んでいた馬車が来るから君は本家に戻るなり新しい生活を始めるなり好きにしてくれ。 とにかくこの街から離れるんだ」
我を忘れ動揺した青年だったが、その言葉からは相手を想う慈しみの心があった。
「馬車にはボクの財産を積んでおいたから自由に使ってくれ。 もういらないし君のことだけが心残りだったからね。 最後まで苦労をかけてごめん。 これからは君自身のために生きてくれ」
そういうと青年は薄暗い部屋の中へと消えていった。女中は馬車が到着するまでの間その場から決して動くことなく時間だけが過ぎていくのだった。