【暗殺者の女 part15】
「『あなた』『下がって』『危ないわ』」
「あ、ああ。 君がそう言うなら……」
男は動揺する。アレはなんだ。目の前にいる筈の暗殺者からはまるで気配というものを感じない。冒険者として磨いてきた勘の鋭さには自信がある。殺意を向けられればある程度攻撃が読める。だからこそ先刻は致命傷を避ける事が出来た。
その上で男は問う。アレはなんだ、と。
死神と怪物が睨み合う。ゆっくりと怨敵へ向かって歩む。足音はしない。静寂。異様なまでの緊張感。達人同士が互いの間合いを読み合うように限界まで近づいていく。そして─────
「『ふふっ』」
最初に動いたのは怪物だった。産まれて初めて敵と呼ぶに値する存在にこの身の底から歓喜している。堪え切れない笑いを漏らしながら死神に向かって全力の打撃を振るう。
「……………!!」
直後、死神の躰が霞のように消えた。盛大に空振る怪物は前のめりに体勢を崩す。そして空間を転移したように背後に回り込んだ死神の刃が襲う。
【この物体を破壊する事は出来ません】
無慈悲な自動音声が響く。攻撃は確実に怪物の首を捉えた。だがダメージは一切ない。どれだけ攻撃力を上げようともこの世界の理に縛られる限り有効打は存在しない。殺せない怪物をどう殺すかという矛盾した問い。
「『無駄よ』」
怪物の反撃。複数の触手を使った連続攻撃。纏っていたウエディングドレスが破けていくのを気にせずに不可視の鈍器を振り回す。その威力はどれもが一撃必殺。今度は手心無しの全力の攻撃。
「はあああああああああ!!!!!!」
憤怒の叫びを上げ、死神は必殺の攻撃の悉くを躱す。打撃が触れる度に実体が無いかのように黒い霧となる。肉体の限界を超えた速度で怪物に迫り再び魔力の刃を放つ。怪物はそれを腕を交差させて受け止める。
【この物体を破壊する事は出来ません】
「『確かに』『凄いわ』『でも』『いつまで』『もつかしら?』」
「くっ…………!」
戦況はほぼ互角。数多のスキルを連続稼働させる事により、暗殺者は怪物と同等のレベルまで食らいついていた。しかし、それでは怪物を倒せない。
事実死神の如き力を行使する代償として脳が焼き切れるような激痛に襲われる。常人であれば痛みに自我が耐え切れないだろう。彼女は尋常でない精神力で一種の覚醒状態を維持し続けている。それは一重に少年への想いからだった。悲しみを強さに変えように。彼女はすべての顕能を惜しみなく使う。
(君に会えた証をすべての記憶に刻みつけたい)
短刀【死の君主】を強く握りしめる。暗闇を纏いながら閃光の速さで怪物を斬りつける。怪物はそれを軽く弾く。しかし死神は着地と同時に再び斬りかかりそれを目にも止まらない速さで繰り返す。暗闇の中、鈍く光る橙色の刃がまるで跳弾のように怪物を襲い続ける。
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
怪物が被弾する度に音声が再生される。疾走する暗闇の刃が上限無しに加速していく。そしてそれは壊れたレコードのような不快な音を奏で始める。
(痛みさえ忘れるほどに強く。この願いが私を走らせる)
行く手を阻む迷いも痛みも絶望もすべてを振り切るように。死神は残光が煌めくほどに加速する。脳を流れる痛みの信号が大きくなっていく。全身を苛む激痛。鼻血まで出てきた。流れる涙も止まらない。酷い有様だ。だが止まらない。どれだけみっともなくても彼の為に走り続ける。短刀が乱れ飛ぶ。猛毒が撒き散らされる。魔力の武器が襲う。腐敗。呪い。雷撃。破壊。闇。あらゆる殺意が怪物を捉え続ける。
「……いけないっ! 駄目だ、マリア!! そいつは……! そいつの目的は………!!」
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
【この物体を破壊する事は出来ません】
当然、ダメージは通らない。花嫁衣装が多少破れてはいるが外見上その程度の変化しかない。だが男は気付いた。気付いてしまった。彼女がその場から動けない事に。愛しの彼女に攻撃は効かない。だがもしも、相手の目的がそれ以外だったとしたら?
もしも暗殺者が夜明けまでこの状態を維持出来るとしたら?儀式は途中で中断してしまった。彼女の完全現界の期限は今宵まで。加勢しようにも敵の攻撃が激しすぎて近付く事さえ出来ない。そもそも召喚者の自分にはもう闘うスキルは残されていない。完全敗北。
「そんな…! そんな馬鹿な……!!! 僕はまた君を守れないのか……!!! マリア……! 僕の愛しいマリア………!」
男は哀願するように未だ闘い続ける最愛の女性に手を伸ばす。二人の夢の姿、マリアの花嫁衣装。その白絹の衣が切り刻まれていくのが目にうつる。
「マリアは僕のすべてなんだ…… 彼女の大事さに比べたら他など目に入らない……! 私のどこがおかしい…? 狂っているのはお前たちだ…! 何故諦められる…! 何故納得できる…! 何故お前達は前に進めるんだ……!」
膝から崩れ落ちた男が必死に訴える。最愛の者を失ったすべての者達へ問う。手段があるならもう一度会いたいと願う筈。それが自然な感情。どんな禁忌に手を穢そうとその輝きに手を伸ばす筈。
それさえも狂気と呼ぶのかと問う。
その問いに死神が答える事はない。
時が無慈悲に過ぎていく。




