【悪魔崇拝者の男 part3】
何も見えない。
肌で感じる湿っぽい空気と鼻腔をなでる腐った肉のような匂い。
分かるのはそれだけだった。
身体は厳重に縄で拘束され身動きをとる事ができない。
声をあげようにも口に布のようなものがつめられておりくぐもった音しかだせない。
「ーーーーーーー!!!」
冷静になると周りからも呻き声が聞こえる。
それも一人や二人ではない。
恐怖や動揺、助けを呼ぶ声がくぐもって反響する不気味な大合唱だ。
恐怖に震えながらも記憶を辿る。
私は奴隷だ。
育ての親に口減らしに捨てられ、弟としばらく彷徨っていたが人攫いに捕まってしまった。
碌でもない親に未練などないが可愛い弟の事が心配だ。あの子は無事だろうか。愛しい弟は肉親から見ても愛嬌がある。奴隷になればすぐに汚らわしい変態に売られるに決まっている。早く助けなければ。
自分が女であることも忘れて弟のために必死に身体を揺らし少しずつ縄の拘束が緩くなることを願う。誰も来ないことを祈りながら身体を揺らし抵抗を続ける。
「お嬢さん、そんなに暴れないでおくれ。 君の番はまだ先なんだ。 無駄死にはしたくないだろう?」
ピタリと動きを止める。
誰かいる!?そう思ったのも束の間不意に目隠しを取られ視界が戻る。蝋燭にうっすらと照らされた部屋はどこかの地下室なのか日の光が一切届かない。文献や薬品が散乱する室内で1番に目を引くのが祭壇で横たわる亡骸である。女性の遺体なのか白いドレスのようなものを纏っているが暗くて朧げにしか見えない。声の主である青年はどこか焦点の定まらないうつろな瞳で私を見据えるとニコリと笑みを浮かべた。
「ちょうど話し相手が欲しかったんだ。 そんなに元気が有り余ってるんだ、いいだろう? 何回やってもこの作業は気が滅入るからね」
「………………」
青年はゆらりと拘束されている別の人間へと歩み寄る。よくみると部屋には自分のような若者が何人か縛り付けられており皆必死に逃げようと声を上げている。
「最高位の悪魔と契約を交わすためには相応の準備が必要でね。 なかなか骨が折れたよ。 特に定着してしまった自分のスキルを召喚用に変異させるのには時間がかかってしまってね」
四肢に力をいれ続けるが所詮は小娘の力。拘束が解ける筈もなく結果的に青年が自慢げに語るのをただただ眺めるしかできなかった。
「『おお、偉大なる超越者よ。 我が呼びかけに答えよ。 終わりを告げる鐘を鳴らし、汝に溶け出す紅い花を捧げる。 我に御身の光あれ』」
【捧げなさい。その鼓動を】
青年が呪文を唱え終わると同時に変化は起きる。女の声が聞こえた。この場にいない筈の何者かの声。何だ。何だ。何だ。本能が何かとても恐ろしい事が起こると警告する。
すると青年は机の上に並べられた様々な凶器の1つを無造作に取り出す。
そして躊躇なく捕われた青年の腹部にそれを突き立てる。
「〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
ゆっくりと横に腹を捌いていく。
声無き声をあげてビクリビクリと身体を痙攣させると息絶えたのかそれは動かなくなった。
異常だ。ここは地獄なのか。異様な光景はまだ続く。遺体の傷口から血が意思を持った生物のように這い出し、それが地面に魔法陣のような幾何学模様を描いていく。
「ああ、これだよ。これ」
「ッ!!」
青年がひょいと取り出したのは暗闇の中でテラテラと妖しくひかる肉片。
あまりのグロテスクな光景に私は我慢できず嘔吐する。口内を酸っぱい液体が充満すると同時に口を塞がれているので息が出来なくなる。
「おっと、窒息死されちゃ困るよ。 儀式の意味が無いじゃないか」
「ウゲェェェ……!!!」
すぐに詰め物が外され私は盛大に嘔吐物を吐き出した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり死の恐怖からは脂汗が止まらない。
「本当は麻酔とか使ってあげたいんだけれど儀式に支障が出るかもしれないからね。 大丈夫。 すぐに楽にしてあげるよ」
「…………………!!!」
息が荒い。酸欠で頭が働かない。苦しい。
命の危機を初めて感じて身体中が拒絶反応を起こす。悪夢であると信じたい。これは何か、そう悪い夢だ。目を覚ますんだ。早く。早く。早く。
【捧げなさい。その声を】
【捧げなさい。その身体を】
【捧げなさい。その知恵を】
【捧げなさい】【捧げなさい】【捧げなさい】
恐怖でガタガタと震えている間に青年は一人、また一人と殺害していく。
あるものは喉を掻っ捌かれ、あるものは四肢を切断され、あるものは頭を切り開かれていく。
あたり一面は血と脂の匂いで充満し、命が失われていくたびに刻印が地面に広がっていく。
地獄のような光景。もう日常には戻れないんだと確信する。
「どうして……どうして……こんなひどいことを……???」
「愛のためさ。 ボクは愛を彼女に証明しなければいけないんだ。 君達はそのための犠牲になるんだ」
異常者と対話など成立しないというがまさにその通りだった。
そしてふと気付けば自分以外の奴隷が皆生き絶えたことに気付く。尋常ではないほど鼓動が乱れ酸欠で身体がうまく動かせない。
【捧げなさい。その心を】
遂に順番が回ってきた。
「お願い、見逃して……! この事は絶対誰にも言わないから……! 弟がいるの……私が守ってあげないといけないの……! なんでも……望むことなんでもしてあげるから……! お願いします! 殺さないでください……!!!」
必死に命乞いをする。死ね気で媚びる。なんとしてでもこの場を切り抜けたい。例えこの身を汚したとしても生きてさえ、生きてさえいれば逃げ出すこともできるはず。
「うんうん、君は弟くんのことがそこまで大事なのか。 まだ若いのに立派じゃないか。 君達の愛は素晴らしい」
青年は私の頬に手を添える。 手には血肉がこびりつき顔を汚すが関係ない。 助かったかもしれない。 そう安堵した矢先、掴まれた手に力が入る。
「だが残念だ。 僕に色目を使おうなんて彼女が許すわけがない。 はしたない娘だ。 汚らわしい」
やはり異常者に会話は通じない。腕の力はどんどん強くなっていき頬が千切れてしまうのではないかという激痛が走る。
「さようなら」
そして最後の供物が捧げられたのだった。




