第12話
翌日、本格的に嵐がきて店の外はすごい雨が降っている。閑散とした店内でエレシアは窓の外を眺めながら昨日のことを考えていた。
身分を偽っていたことを軽蔑されたと思っていたのに、グレンは変わらずに優しかった。冷酷そうに見える黒い瞳は近くからのぞき込むといつもエレシアを安心させてくれた。思わず顔が赤くなってしまい、紛らわそうと雨が強く降っている窓の外を見る。
斜め向かいのレストランも今日は行列どころかお客さんが入っていく気配もない。
——そうだわ!こんな機会もないし、向かいのレストランに偵察に行ってみましょう。
予想どおり広いレストランの店内には一人の来客もない。自動調理ができるという魔道具をアピールするように、客席から厨房がよく見えるようになっている。
目立たないように一番奥の席に座り料理が届くのを待っていると、背の高い男性とお店の支配人らしき人が言い争っているのが見える。
ベルントは焦っていた。瘴気を染み込ませたあの布がなくなれば浄化作用が正常に働き、南領の交易が正常化してしまう。北領領のオクラウス伯爵に知られてしまえば文字通り自分の首が飛びかねない。
昨日すれ違った女が持って行ったに違いないが、いまだに見つかっていない。加えてこの雨だ。
オクラウス伯爵の耳に入る前になんとかせねば、とふと店内を見渡すとエレシアと目が合った。支配人と何か言葉を交わした後、ベルントは穏やかな笑顔をたたえてまっすぐエレシアのところに向かってくる。
「雨の中、お越しいただきありがとうございます。店内は寒くないですか?」
「はい。問題ありません」
「向かいの食堂で相談役をされているそうですね。是非とも私たちのところでも相談に乗っていただけないでしょうか。お時間取らせませんので奥へどうぞ」
丁重に断ろうとするが是非にと勧められる。穏やかな佇まいなのは貴族だからかもしれない。強固に断ることもできず素直に従うことにする。
奥へ通され男性の正面に座ると、ふとどこかで見たことがあるような気がした。人の好さそうな笑みを向けられ、昨日教会でぶつかった男性だと思い当たる。
まさかあの布とは関係ないと思いつつ、警戒心と後悔がこみ上げる。
「申し訳ありません、そろそろお店に戻らなくてはいけませんので失礼いたします」
エレシアが早々に辞去しようとすると、ベルントは一切口を付けられなかった紅茶をじっと見て、「出口までお送りしましょう」と立ち上がる。
その瞬間、背後から羽交い絞めにされ口に布をあてがわれる。必死で抵抗するが力では抵抗できない。甘い香りが体中に巡っていき、次第にエレシアの意識が遠のいていくなかでベルントが言う。
「出されたお茶は飲むのが礼儀ですよ」
エレシアは目を覚ましたものの、頭がどんよりしている。暗闇から無数の手が伸びてエレシアの意識を引きずり込もうとしているようだ。
「お気づきになりましたか?」
そう声をかけられ、まとわりつく手を振り払い意識を集中させる。上質なベッドに横たえられ、横にはベルントが立っている。
「ここはどこですか? これは誘拐ですよ」
「誘拐だなんて物騒ですね。私はただ急にあなたが倒れたので、看病しようと自宅へお連れしたまでですよ。そんなことより、昨日変わったことはありませんでしたか? 例えば教会でとか」
しらを切ろうとしたが、完全に表情に出てしまった。
「あぁ、疲れていて思い出せないようですね。少し時間をあげましょう。もし思い出せないようであれば、思い出せる薬を出して差し上げます。実はうちは製薬と販売を専門にしてましてね。例えば、医術用の麻酔薬を高濃度にした薬だとか、あとは意識を混濁させて自白を促す薬とか」
そう言って、サイドテーブルの上に青い瓶をコトリと置く。
「それから人を死に至らしめる薬とか」
赤い瓶をコトリと置く。そして、にっこり笑い、
「ゆっくり思い出してくださいね。隣に侍女を控えさせていますので何かあれば声をかけてください」
そう言って部屋を出ていく。部屋に一人残されエレシアは青ざめた顔で考える。このままではフィリスやトーニにも危害が及ぶかもしれない。もしかしたらデサージュ王国にも……。
サイドテーブルに近づき赤い瓶を手に取る。
ドタッ
何かが倒れる大きな音を聞きつけて侍女たちが慌てて部屋に入ってくる。
「!!!」
声にならない悲鳴をあげて、逃げるように部屋を飛び出していく。
部屋の中ではエレシアが倒れていた。
メイドに呼ばれ部屋にやってきたベルントも思わず目を見開く。床に横たわるエレシアは青白く血色を失い、皮膚には紫色の斑点が浮かび上がっていた。すぐそばには毒が入っていた空き瓶が落ちている。
少し脅してやれば簡単に吐くと思っていたのに、まさかこんなことになるとは。毒の影響で変色した死体はますます窮地に追いやられる予感がした。
「あぁ、これはまずいですね。別の方法で布のありかを探さなくてはいけない」
変わらず穏やかにそういって、怯える使用人に指示する。
「ひとまず、雨が降っている間に人目を避けてどこかで死体を処分してきなさい。この雨なら人に見つかる危険もないでしょう。それから雨が止んだら向かいの食堂の店主に……名前は何ていったか……さりげなく探りを入れて、あぁ、家族がいれば同じように確認するんですよ」




