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第10話

 グレンは屋敷の執務室でカルロから報告を受けている。


 北方領に住む学者に聞いた話によると、やはり同じ地域に魔獣が連続して発生することは歴史上にも記録がなく、さらに魔獣が発生した数日前に行われた調査によると瘴気の量はむしろ通常よりも少なかったという。それが事実ならば次第に瘴気が濃くなり発生するという魔獣発生のプロセスを覆しかねない。


 報告し終えたカルロは、出されたクッキーをつまみながら 


 「そういえばアマリ……エレシア嬢はデサージュ王国の第一王子の婚約者だったみたいだよ。王子がほかの令嬢のためにエレシア嬢との婚約を破棄したっていう噂があったけど、箝口令が敷かれてるらしくて、頑張ったけどあんまり詳しくは分からなかった」

「随分と暇を持て余しているんだな。それなら過去5年の魔獣発生時の瘴気量を調べろ。明日までだ」

「そんな無体な!」


 カルロは嘆いたが、結局その調査はせずに済んだ。その日の午後、チチェリ王国南領で再度魔獣が発生したのだ。



* * * * * *


 南領に隣接していることもあり、魔獣発生の知らせはエレシアたちの元にも届いた。南領は温暖な気候と平野に恵まれており、野菜や果物といった農産物で税収を賄っている。今回その運搬馬車が襲われたため人々は不安を募らせ外出を控えるようになった。

 さらに店で使っている食材の値段が高騰し手に入りにくくなってしまった。


 「クレープはいったん販売停止にしましょう。北方領との交易に影響はないので小麦は安定して入手できますが、フルーツが手に入らないので商品になりません。これでは売れるほどに赤字になってしまいます」

「ジャムならたくさんあるよ。ほら、前はよく余った果物をジャムにしてたから。あとコンポートもあるよ」


 食糧庫の奥を確認すると瓶詰めされたジャムやコンポートが大量に積まれていた。さらに野菜のペーストも発見した。これなら何とかなりそうだ。


 店長にいつものパンケーキを作ってもらう。ただし卵白を別にしてしっかり泡立てたあと生地に混ぜる。さらに刻んだコンポートや野菜のペーストを生地に混ぜてパンケーキを何種類か作ってもらった。

 焼き上がったパンケーキはふわふわで、口に入れるとしゅわわと溶けていく。ほんのり果物や野菜の風味が感じられていくらでも食べられそうだ。


「こんなパンケーキ初めて食べるよ。君はいろんなことを知ってるね。本当すごいよ」

「卵や牛乳も安定して手に入るのでしばらくこれでいきましょう。その、卵を割って泡立てるくらいなら私でもお手伝いできると思います……」


 泡立てるのは魔道具がしてくれるからね、とフィリスは言いかけて何とか飲み込んだ。




 客足もちらほらと戻り、新しいふわふわパンケーキは女性客の心をつかむことに成功していた。店内は以前と同様に女性ばかりになった。

 ただ、魔獣が発生して忙しいのかあれからグレンは一度も来ていなかった。


——いえ、わたしのことを軽蔑したからかもしれないわ。


 そう思うとなぜかとても辛かった。




 魔獣発生で不安を抱える人々のために、改修中だった教会が市民に解放されることになった。南領との交易停滞で内装材が手に入らず工事が中断されていたが、建て替え自体は完了していたため、礼拝が許されることになった。


 教会は祈りをささげる人で溢れていたため、エレシアは混雑を避けて毎日仕事終わりに行くことにした。


 内装が未完了といえど、礼拝堂は変わらぬ静謐さを保っていた。誰もいない空間ではより一層空気が澄んで感じられた。埃を避けるためにかけられた白い布をめくり、最前列の椅子に腰掛ける。

 正面の祭壇にも、左右にあるはずの4体の神像にも同じように布がかけられている。


——どうか、みんなの不安が消えて平穏な日常が戻りますように。




 結局、週が明けてもやはりグレンは来なかった。不安を煽るように嵐が近づいてきている。エレシアは早めに仕事を切り上げ、教会へ向かうことにした。

 教会の扉を開けると、強い風が礼拝堂に吹き込んで埃除けの布を剝いでいく。


 慌てて扉を閉め布を元に戻してから、いつも通り最前列に座り祈りを捧げる。


——グレン様が無理をなさらないようお守りください。


 顔をあげると、祭壇の左に立っている慈愛の女神像にかかっていた布がパサリと音を立てて落ち、女神像が姿を現す。布を戻そうと女神像へ近づき、そこにあるものを見てエレシアは思わず身を固くする。


 どの教会も共通して祭壇の左右に4柱神像が祀られ、慈愛の女神が手に水晶を持っている。水晶には強力な浄化魔法がかけられていて魔獣を遠ざけてくれている。


 その水晶に別の布がかけられているのだ。見た目は埃除けの布と同じだが足がすくんで動けない。エレシアは最近これと同じ感覚を味わったことがあった。


——ただの白い布なのにあの時の魔獣と同じくらい恐ろしくて仕方ない。


 それでもどうしても教会に置いておいてはいけない気がしてエレシアは自分を奮い立たせる。意味があるかは分からなかったがとても直接触れることはできず、ハンカチをかぶせてから布を剥ぎ取る。

 

 急いで女神像に埃除けの布をかけて元に戻す。気が動転して教会の扉を勢いよく開けたせいで、扉の向こうにいた男性とぶつかってしまった。


「申し訳ありません。大丈夫でしょうか」

「ええ、大丈夫です。お嬢さんこそお怪我はありませんか?」


 エレシアに怪我がないことを確認すると、人がよさそうな男性は教会の中へ入っていった。




 男性はまっすぐ女神像へ向かい埃除けの布を剥ぎ取る。そして水晶に布がかかっていないことが分かると恐怖の表情を浮かべた。慌ててさっきすれ違った女性を追いかけようと教会の扉を開けるが、強い風が吹いているだけだった。

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