1st Tendencies 生きることは善いことだ 『1日目』
このお話はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。
また、死に関する事柄を扱います。苦手な方はご拝読を推奨いたしかねますことをご理解ください。
2020年11月
1日目
8:25
季節が移る。地獄のような猛暑は秋風とともに過ぎ去っていく。緑は黄色へ、紅へと移り行く。
「あぁ、いいなぁ。世界は美しい。」そう呟く男がいた。そう、私である。
自宅から徒歩二分。そこには自然豊かで美しい公園がある。私は朝起きて、そこで考え事をしながら歩くのが日課だった。
誰と関わるわけでもなく、ただ自然を感じていた。池にいる鴨の戯れ、木と風の奏でる旋律、そしてそんなものを嘲笑うかのように遠くから微かに聞こえてくる自動車のエンジン音。全てが合わさることで現代的な自然なんだと私は思っている。
そもそも公園も人工的なものである。本当の自然を感じたいなら山に行くべきだ。人の手がほとんど入っていない山や川を眺め、感じるのが一番自然を感じられるであろう。しかし、そのつもりはない。
結局、私はこの世界に生かされていることを再認識して周りを見渡す。気づけば自然からは縁遠い景色に移り変わっていく。そうして現実へと戻っていくのが私の日課である。
現実に戻ると朝食が用意してあった。「ご飯出来てるよ。」という声がした。母の声だ。
「ありがとう。いただきます。」と言い、食卓を囲う。今思えばこれが幸せなのだと思う。しかし、この頃から私は狂い始めていた。そのため、私には教授できるはずの幸せを噛み締めることができなかった。
歯車が狂い出す。一つ狂うと二つ、三つと連鎖的に狂い、最終的には機能を停止する。この頃の私は歯車が狂い始めたことなど気づかずにいる。もっと早く気づけば違う人生だったかもしれないのに。
9:03
私はシャワーを浴びている。少し熱めのお湯が肌を刺激する。風呂場はアイディアの宝庫だ。考え事をするのにこれ以上向いている場所は散歩中の公園を除けばそうないだろう。
私は最近考えていた。「人はなぜ死ぬのか?」と。答えの出ない問いを自分に投げかける。当然、答えは出ない。
なぜ生きるのか。なぜ死ぬのか。なんのために生きるのか。私は暇さえあればそれを追求していた。
普通の人はそんなことを考えないだろう。しかし、私は考え続けている。
どうやら私は人とは違う特性を持っているらしい。それを自覚したのは大学四回生の時だ。それは二年前の出来事。
私はレポートが書けないし、テストもできない。友達といえる友達もほとんどいないし、アルバイトでは仕事もできない。そんな人間であった。四回生なのに二十単位も残していたため、普通に大学に通っていた。
その頃は就職活動真っ只中。エントリーすらろくにできず、受けた企業は全て落選。周りは内定が決まっている時期に私は一つも内定がなかった。
周囲の人たちが平然とできるものが私にはできない。その事実に焦燥感を覚え始めた。
当時流行っていた「発達障害」のウェブ診断を軽い気持ちで受診したときに、点と点が線になった気持ちになった。そう、九割近くの内容に当てはまったのだから。
病院に診断に行くと、注意欠陥・多動性障害を患っており、自閉症スペクトラムの傾向もあると診断された。いわゆる「ADHD」と「ASD」である。
話が大きく逸れてしまったが、要するに私は普通ではないらしい。
私はよく「生きていればいいことがあるよ」と言われる。主に母に。
言いたいことはわかるが、詭弁だと私は考える。
仮に「生きていればいいことがある」として戦争孤児はどうなる?生きていてもあるのは地獄だけだ。
「生きていてもいいことがあるとは限らない」。それが私の持論である。
現に私は今不幸である。周りと比較され、使えないと烙印を押される人生である。
では何の為に生きるのか?
いいことがあるのを期待して、何も得られずに死んでいくのか?
使えないなりの何かを残すべきなのか?
色々な思考が降り注ぎ、私を通って流れていく。まるで今浴びているお湯のようだ。そんなことを考えていた。
刹那、大きな音がして思考が凍った。「ドンドンッ!」と音が風呂場に鳴り響く。
「いつまでシャワーは入ってるねん!早よでんかい!」と怒りのこもった母の怒鳴り声が聞こえた。
スマホを見ると現在時刻は9:36分らしい。三十分以上もシャワーを浴びていたことになる。そりゃ怒られる。
「ごめん!今出るよ!」と謝り、母が脱衣所から出たのを確認して風呂場を出た。
風呂場は最高のアイディアの宝庫だが、同時に最高の出費場でもあるなと思い、体を拭く。
考えはまだまとまらない。だが、歯車は狂い始めている。
12:15
昼食をとり、昼寝をしていた。十五分の昼寝が三時間分の睡眠に匹敵するらしい。これは軍やアスリートも利用しており、パワーナップと呼ばれている。
だが、何も考えないことは私には苦痛だった。何も考えない十五分は私にとっては一時間にすら感じる。
私の脳は常に情報でいっぱいである。考えないことはある意味死を意味する。それくらい脳には情報が混雑している。
昼寝で考えないようにしていても、ふと湧き出てくる思考は出てくる。
そうして目を瞑っているだけで考え続ける男が誕生するのだ。
そんな男は考える。
なんのために生きるのか。
なぜ人間には格差があるのか
人は格差があるから死にたいと感じる人が生まれるのではないか?
しかし、格差がない人間は今度はなぜ格差はないと訴えるだろう。
つまり、現状に満足できるか出来ないかが全てなのだろうか?
だとすれば、幸せの定義が必要になってくる。
私の思う幸せは「当たり前のことを当たり前にできること」である。
生命活動、コミュニケーション能力、仕事など、生きていく必要なものに不備がないこと。これが幸せである。
私から見れば、健常者というだけで十分幸せである。なぜなら当たり前は健常者視点で定められているのだから。
私は前途したもののうち、生命活動以外は十分にこなせない。これを幸と捉えるか不幸と捉えるかで人生の質が変わるのだろう。
生命活動もままならない人は存在する。そういった人に比べれば自分はまだ幸せなんだと思えるかどうか。
つまり、幸せは他人と比較することで享受されるのではないか?と私はひらめいた。思考はまだ止まらない。
であれば、格差のない社会では人はおそらく幸せを理解できない。幸せの動機を失うのだ。人が孤独を恐れるのは幸せの享受を失うのが怖いのかもしれない。マウンティングが存在するのがその証明なのではないだろうか。
しかし、人は・・・思考はここで途切れてしまう。部屋中にアップテンポなメロディが鳴り響く。アラームである。
「やっと十五分か」と起き上がりながら呟いた。現在時刻は12:30。目を擦りながら男はさらに呟く。「世界一長い十五分を毎日味わうのも不幸かもな」と。
考えはまだまとまらない。
20:16
夕食を終え、お風呂の時間だ。私はお風呂が好きだ。疲れが取れる気がするから。熱い風呂は苦手だが、三十九度くらいのぬるま湯は非常に心地よい。
朝の一件により、「シャワー短めにしーや!」と母よりお叱りをいただいた。なので考え事はせずに身体を洗うのに集中し、終わったらすぐにぬるま湯に浸かった。
「怒った母さんは世界で2番目に怖いよ・・・」と呟く。
2番目なの?と思う方もいるだろう。じゃあ1番は何かって?それは死だ。
私がこんなに考え事をするようになった理由は「なぜ死ななければならないのか?」と思ったからである。
別に、余命宣告されているわけでも、年老いているわけでもない。まだ24歳なのだ。若いといっていい。ティーン世代からしたらオッサンだろうが、人間社会の相場からしたら十分若い。若い・・・はずだ。
話を戻そう。私は死にたくないのだ。誰しもが持っているであろう感情だと思う。
そして、死は平等に訪れる。時期は不平等だが、イベントは必ず平等に訪れる。
それなのに人は皆、死というイベントから目を逸らして生きている。なぜか?問題から目を背けるなと散々いっている人間だが、人間の九割はこの問題から目を背けている。
答えは明白だ。現状解決する方法がないからである。
人は必ず死ぬ。それは平等に与えられている。いや、押し付けられている現実だ。
回避はできない。だから皆目を背けるしかないのだ。
しかし、回避できないからこそ考えるべきだと私は思う。回避できないからと無視していては後悔するのは目にみえている。
ただ、私も解決法は見つけられないとは思っている。脳を培養液の中に入れて生かす以外に何も思いつかない。そもそもあれは生きているのか?意識が継続しているなら生きているとは言えるだろう。地球が滅ぶまでは生きていられるかもしれない。また話が逸れていく。
「んー、まとまらないなぁ」と呟く。私は半ば諦めていた。そして、この問題を追求していくたびに『死にたくない』という不安が徐々に膨らんでいく。でも、思考を止めれば後悔するかもしれない。そんな負のスパイラルに陥っていた。
そこから派生して、『生きることの意味』を問うようになった。解決できない問題から逃げたというのもあるが、人間は死ぬときは生きていた時のことを自己評価するという。
では、そもそも何のために生きるのか?それを追求したくなったのだ。
といっても、これがまた難解で、多様な解釈の仕方ができてしまう。なので、私が結論を出しても、それは私の戯言みたいなものだ。それでも私は考える。
刹那、昼間と同じ音がして思考が止まる。ビクッとして、反射的に音の発生源に目を向ける。
「生きとるか?」と母は問う。
スマホを見ると時刻は21:01。一時間近く浸かっていたらしい。
「死んでるよ」とボケてみる。
「アホ言ってないで早よでなさい」と笑いながらツッコまれ、扉を閉められた。
「優しい母は世界で2番目に素敵かもな」と微笑みながら呟いた。
1番目は生きていることかなと考えながら風呂場を後にした。
考えはまとまらない。だが、着実に死にたくないという歯車が狂い出す。
22:42
そろそろ就寝時間である。歯を磨き、母に「おやすみ」と告げて部屋に戻る。
「今日は眠れるといいなぁ」と呟く。私は寝つきが悪いのだ。
私は転職サイトを眺め、応募し、あとは娯楽といったなかなか不摂生な生活をしている。それが原因かもしれない。
一ヶ月ほど前に職業訓練校を修了後からこんな感じなので、原因は明白だと思う。
メールやSNSのチェックをしてからベッドに横たわった。時刻は22:47。
明日はいい日になるだろうと信じ、深呼吸しながら目を閉じる。
思考はまだ止まらない。今日は二度も母親に驚かされたななどと考えながら眠りにつこうとする。
眠る時だけは無理やり思考を止める。何も考えないように努める。漏れた思考も即遮断する。そんなやりとりを繰り返す。
・・・もう一時間くらいそんなことをした気がする。一度目を開け、時計を確認する。時刻は23:03。あれから20分もたっていない。
「ですよね」と呟きながら、もう一度眠りにつく。この日は同じやりとりを三度くらい行い、ようやく眠ったのであった。
考えはまとまらない。
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