(2)翡翠の大樹
BLっぽくなってきましたが、急がず、ゆっくりいきます。
この御話では、翡翠の貴公子と金の貴公子の関係と日常が、
少しでも伝わったらなと思っています。
「好きなんだ」
夜風に遮られる事のなかった其の言葉は、翡翠の貴公子の耳に届いていた。
夜の帳は静かに瞬いている。
金の貴公子の全身が強張っていた。
言ってしまった。
とうとう言ってしまった。
ニ年以上も、ずっとずっと隠し通してきたのに・・・・自分は遂に言ってしまった!!
だが翡翠の貴公子は冷静な眼差しで金の貴公子を見下ろすと、
「だから、そう言いたいなら、本人に言えば良いだろう」
ばさりと宙に舞う。
金の貴公子は堪らなくなって黄金の翼を広げると、翡翠の貴公子の前に舞い回った。
「言ってる!! 言ってるだろっ!! 今っ!! 好きなんだよ!! 主の事が!!
愛してるんだっ!!」
金の貴公子は此れまでにないくらいに大声で叫んでいた。
全身の血が激しく流動しているのか、ぜえぜえと肩で息をする。
翡翠の貴公子は驚いた様に其の場に浮かんでいる。
そして、
「御前、酔っているのか??」
訝しげに言う。
金の貴公子は歯軋りして、何も答えずに黙り込んだ。
翡翠の貴公子は暫く静かな眼差しで金の貴公子を見遣っていたが、
「俺は、もう寝る。御前も、もう寝ろ」
そう言って、部屋の窓へと降りて行ってしまった。
金の貴公子は黄金の翼を広げて浮かんだ儘、其の場から動けなかった。
見上げた夜空は星たちが泣いている。
月は間もなく新月だ。
はぁ・・・・。
彼の溜め息だけが響く。
俺って・・・・すっごい・・・・馬鹿だ。
侵してしまったのだ。
禁句を。
これから、どうすれば良いのかだなんて、見当もつかない。
ああ・・・・もう・・・・。
「眠れねぇよ」
深蒼とした闇の中に、彼の黄金の羽根だけがぼんやりと浮かんでいた。
当然のこと乍ら、其の夜、金の貴公子は眠れなかった。
最悪な朝が窓から流れ込んで来る。
普段は心地の良い小鳥たちの囀りさえ鬱陶しく感じる。
毎日の朝の挨拶をしに、主の部屋へ・・・・行ける訳がなかった。
金の貴公子は、ずるずると寝台の上で苦悩していた。
やがて朝食の用意を知らせるメイドが現れた。
流石に食卓へ顔を出さないと云う事は出来ない。
金の貴公子は、もそもそと寝台から出て顔を洗って着替えると、一階の食堂へと下りた。
憂鬱だ・・・・。
なんて憂鬱なんだ。
とてもじゃないが、翡翠の貴公子と顔を合わせられない。
そう彼が、ぐるぐると心中で沈んでいると、なんと運の悪い事か食堂の扉の所で、
翡翠の貴公子と出くわしてしまった。
思わず狼狽する金の貴公子が、
「あ、えっとぉ・・・・おはよう」
しどろもどろに言うと、翡翠の貴公子は軽く挨拶をして、さっさと食堂へ入ってしまう。
金の貴公子も、のそのそと席に着く。
運ばれて来る食事を前に、金の貴公子は其の場から逃げ出したい気持ちだった。
翡翠の貴公子は黙々と朝食を食べている。
静まり返った食堂は、食器の音だけが不気味な程に響いていた。
最早、朝食の味など無いに等しい・・・・。
気不味い・・・・。
気不味過ぎる・・・・。
かつて、こんなに静まり返った食卓が在っただろうか・・・・??
重くのしかかってくる空気に、金の貴公子は押し潰されそうだった。
だが其れも、やがて終わりを迎えた。
食事を済ませた翡翠の貴公子が、席を立って食堂を出て行ったのだ。
漸く身動きが取れる様になった金の貴公子は深く溜め息をつくと、
「御馳走様」
自分も席を立つ。
それから自分の部屋に篭って窓辺に蹲る。
最悪・・・・。
最悪だ・・・・。
金の貴公子は過去に無い程に後悔していた。
言わなきゃ良かった・・・・。
幾ら胸が苦しいからと云っても、一時的な衝動で、あんな事・・・・言うんじゃなかった。
もしかしたら自分は・・・・取り返しのつかない事をしてしまったのかも知れない。
黙ってさえいれば、穏やかに時は流れたかも知れないのに・・・・
一時的な幼い衝動で・・・・自分で・・・・自分自身で・・・・与えられるべき幸福の時を、
壊してしまったのかも知れない・・・・。
そう思うと、金の貴公子は堪らなく自己嫌悪に陥って仕方なかった。
すると執事と翡翠の貴公子の声が微かに耳を突いた。
そろそろと金の貴公子が部屋を出て吹き抜けになっている一階を見下ろすと、
玄関で翡翠の貴公子と執事が話している。
翡翠の貴公子は軍服を着ている。
何処かへ出掛けるのだろう。
一瞬、二階の廊下に立つ金の貴公子の存在に気付いた翡翠の貴公子が見上げたが、
直ぐに眼を逸らしてしまった。
そして其の儘、執事に見送られて館を出て行く。
其の背中の・・・・なんと冷ややかな事か。
絶望する様に、金の貴公子は其の場にしゃがみ込んだ。
ああ・・・・駄目だ・・・・。
終わりだ・・・・。
完全に嫌われてしまった・・・・。
俺は・・・・どうしようもない馬鹿だ・・・・。
其の日、翡翠の貴公子は、夜遅くに戻った。
よって金の貴公子は、一人静かな夕食を摂らざるを得なかった。
時々、翡翠の貴公子が早くに戻った時は、
それはそれで気不味い空気の流れた食卓を囲まねばならなかった。
翡翠の貴公子と館の廊下で擦れ違う事はしばしば在ったが、彼は軽く一瞥すると、
会話をする事なく通り過ぎて行ってしまう。
そんな日が既に八日も続いていた。
「完全に・・・・避けられている」
金の貴公子は絶望していた。
あの夜に告白して以来、翡翠の貴公子と真面に会話すらしていなかった。
と云うか、思いきり避けられている。
よくよく考えてみれば、翡翠の貴公子は夏風の貴婦人を好いているのだ。
それなのに、いきなり同じ館に棲む相手に愛の告白をされて、更に其れが同性ならば、
避けられて当然ではないか・・・・。
「俺って・・・・凄い馬鹿だ」
金の貴公子は自分の感情に戸惑っていた。
何百年と生きてきて、数えきれない程の数の女を愛してきて、
幾等だって綺麗な愛の言葉を並べてこられたのに・・・・何故か・・・・翡翠の貴公子の前では、
其れが出来ない。
翡翠の貴公子を前にした時、何かを言い繕う事が出来なくなる。
まるで我が儘し放題の子供の様になってしまう・・・・。
もう駄目だ・・・・。
自分は自らの手で、穏やかな未来を壊してしまったのだ・・・・。
もう・・・・此処には居られない。
降り注ぐ太陽は、金の貴公子の加護にあたる。
彼は其の太陽を真っ直ぐに見上げると、翡翠の館を出た。
其の日、翡翠の貴公子は久し振りに昼下がりに屋敷へ戻って来た。
こんな日は決まってアフタヌーンティーが用意されている。
翡翠の貴公子が私服に着替えてサロンへ向かうと、いつも居る筈のふざけた男の姿は無かった。
翡翠の貴公子が執事に訊ねると、
「先程、御部屋へ御呼びに伺ったのですが、いらっしゃいませんでした。
午前中の内に、ティータイムの事は御伝えしていたのですが・・・・」
珍しく困惑した表情で答える。
金の貴公子は何かと出歩いていたが、
翡翠の貴公子が居る時のティータイムに席を欠かした事はなかった。
だが其の男の姿が、今日は無い。
翡翠の貴公子は少し静かに考えると、
「俺が呼んで来よう」
サロンを出た。
翡翠の貴公子は一旦、自分の部屋へ戻ると、バルコニーから人気が居ない事を確認して、
背の翡翠の翼を広げて空へと舞い上がった。
そして雲間を擦り抜け目的の地点まで飛ぶと、下降する。
下には翡翠の館の裏に在る大きな森が広がっていた。
翡翠の貴公子は其の森の中に降り立つと、其の中でも最も大きな大樹の下へと歩いた。
そして其の樹の根元まで来て、翡翠の貴公子は見上げると、
「何をしている??」
静かに問うた。
大樹の上では木漏れ日を浴び乍ら、黄金の髪の男が寝そべっていた。
金の貴公子は起き上がると、
「俺、出て行くよ」
笑った。
だが翡翠の貴公子は真っ直ぐな翡翠の瞳で見上げてくる。
そして、
「何故だ??」
と問う。
金の貴公子は苦笑した。
「だって、やっぱ・・・・御互い気不味いじゃん。避けられてるのも辛いし・・・・」
其の言葉に翡翠の貴公子は目を丸くする。
「避ける?? 俺が??」
「避けてるじゃん。ずっと屋敷に帰って来ないし・・・・」
「今月は会談が多いと言った筈だと思うが」
「食事の時も何も喋ってくれないし・・・・」
「普段から、そんなに喋っていた記憶はないが・・・・」
「殆ど目も合わせてくれないし・・・・合っても直ぐ目を逸らすし」
「いつもそんなに、目を合わせている記憶はないが・・・・」
悉く翡翠の貴公子に切り返されて、金の貴公子は戸惑った。
「いや・・・・だから、何となく・・・・そんな気が・・・・」
「俺は別に、御前の事を避けていたつもりはない」
翡翠の貴公子にきっぱりと言われて、金の貴公子は返す言葉を失った。
そう言われると・・・・何だか、そんな気がしてくる。
朝晩の挨拶だって、自分が好きで勝手に行っていたのだ。
屋敷内で擦れ違っても、翡翠の貴公子は基本的に無言で通り過ぎて行く人だ。
よくよく考えてみれば、食事中もいつも自分がべらべらと喋り、
翡翠の貴公子は其れに耳を傾け乍ら時々答えるだけだった。
あああああ・・・・!!
俺は何を言ってるんだ!!
何だか訳が判らなくなって、金の貴公子は頭を抱えた。
翡翠の貴公子は暫くそんな金の貴公子を見上げていたが、溜め息をつくと、大樹に舞い上がり、
金の貴公子の反対側の枝に腰を掛けた。
沈黙。
暖かな木漏れ日だけが二人の異種の上に降り注いでくる。
此の光は金の貴公子を加護する為に在る。
そして此の大樹は、隣の翡翠の貴公子を加護する為に風にそよぐ。
静かな午後の刻。
此の儘、此の森の中だけ時が止まってしまえば良いのに・・・・。
金の貴公子が、そう切に願っていると・・・・。
珍しい事に沈黙を破ったのは、翡翠の貴公子だった。
「・・・・御前の気持ちには応えられない」
・・・・済まない。
と謝る。
「だが・・・・」
翡翠の瞳が真っ直ぐに金の貴公子を見てきた。
「本当に大切な友人だと・・・・そう思っている。それでは・・・・駄目だろうか??」
真っ直ぐな偽りの無い言葉。
ああ・・・・と、金の貴公子は俯いた・・・・。
其の言葉が、どれほど残酷か・・・・。
けれど・・・・。
其の美しい翡翠の眼差しで言われたら・・・・やはり・・・・
それでも構わないと思ってしまう・・・・。
時に、どれ程の激しい衝動に駆られ様とも・・・・やっぱり・・・・
此の翡翠の人の傍に居たい・・・・。
黙り込む金の貴公子に、翡翠の貴公子は更に言った。
「御前には屋敷に居て欲しいと思っている」
静かな翡翠の人の言葉。
金の貴公子は二年前の事を思い出していた。
屋敷のメイドを殺してしまった、あの時も・・・・自分は此処に居た。
同族から冷たい眼差しを向けられ、去る事を決心した自分に、
「戻って来い」と迎えに来てくれたのは・・・・やはり此の翡翠の貴公子だった・・・・。
翡翠の貴公子は最後まで・・・・自分を責めなかった。
あの時からだ・・・・。
自分が此の人に、ついていこうと思ったのは。
そして其の心は気が付くと、激しい愛情に変わっていた・・・・。
何故、気付かなかったのだろう??
此の人は、こう云う人なのだ。
無駄な言葉を発さない・・・・。
必要な時に・・・・本当に必要な言葉だけを与えてくれる。
避けられている筈が・・・・なかったのだ。
金の貴公子は大樹を背中越しに翡翠の貴公子を見ると、
「ああ、腹減ったな」
大きく笑った。
いつもと変わらない穏やかな日々が戻っていた。
食卓は、べらべらと喋る金の貴公子の声で響いている。
其れを静かに聞き乍ら、翡翠の貴公子は食事をする。
金の貴公子は、全てが自分の思い過ごしでしかなかった事を身に染みていた。
いつもどんな時も、此の翡翠の人の態度は変わらない。
更に金の貴公子は己の考えの足りなさを知らされる事となった。
其れは金の貴公子がアフタヌーンティーに顔を出さなかった、数日後の事。
珍しく執事が金の貴公子に話し掛けてきた。
「知っておられましたか?? 主様は館に置かれるからには、きちんと面倒をみて下さいます。
ですから、いつも、ちゃんと、貴方様の事を御気に掛けておいでですよ」
ほほほ、と笑う執事。
何を言っているのか・・・・金の貴公子は首を傾げていたが、彼が其の真意を知るのには、
そう時間は掛からなかった。
翡翠の貴公子が館に戻ると、主の肩掛けを執事が受け取る。
いつもの風景。
そして今日の事柄を執事が正確に翡翠の貴公子に伝える。
やはり、いつもの見慣れた風景だ。
けれど違った。
翡翠の貴公子は其の最後に、必ず執事に訊いていたのだ。
金の貴公子の・・・・自分の事を・・・・。
必ずだ・・・・。
ああ・・・・ずっとずっと知らなかった・・・・!!
あの人は、ちゃんと赦してくれているのだ!!
自分が此処に居る事を。
其れだけで・・・・十分だった。
嬉しかった・・・・。
此処は・・・・何百年も彷徨って生きてきた自分が、やっと赦された居場所なのだ・・・・。
僅か百年余り生きてきた翡翠の貴公子と・・・・もう七百年以上も生きてきた自分・・・・。
其の人生の間に凝縮された多くの事柄は、きっと比べ物にはならないのだろうが・・・・
愛しさは・・・・絶えない。
此の感情は・・・・きっと永遠に抱えなければならないのだろう・・・・。
時に独占したい余りに、気がおかしくなりそうになるかも知れない・・・・。
けれど・・・・。
金の貴公子は静かに耳を傾ける。
翡翠の貴公子が帰って来る。
そして今日も彼は必ず、最後に自分の事を執事に訊ねる。
其の瞬間が・・・・どれほど幸福で在るか・・・・。
金の貴公子は人知れず、ほくそ笑んだ。
この御話は、これで終了です。
金の貴公子の想いは、これからも続きますので、見守って戴けたら幸いです。
彼の過去の御話も、その内、UPします。
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