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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蒲公英

作者: 所 滝高

春先になると黄色い花を咲かせ、やがてアフロヘアのような綿帽子に白い冠毛の種子が何処へ飛ばされるとも知らず、風に吹かれふわふわと赴くままに様々な土地へと着地する。

例え建物とアスファルトの間に出来た僅かな隙間だろうが。

春先になると、何故こんな所に根を生やし黄色い花を咲かせる事が出来たのだろうか。

そんな事を思うことがある。

数十センチ離れた所には花壇があると言うのに。

言葉を話す事が出来るのなら、そう蒲公英に問い質したくなることも屡々。

一つの蒲公英から、無数の綿帽子が風に吹かれ見知らぬ土地に辿り着き根を生やす。

そしてまた、その蒲公英が見知らぬ土地に移り住むように根を生やす無限の環状。

蒲公英に限った事ではない。この世に生を受けた者は死ぬまで、既に義務付けられたかのように人生が決定していて苦楽も決して偶然ではない。皆、宿命付けられた線路を辿っているに過ぎない。

各駅停車もあれば特急電車もある。遅かれ早かれやがてみな終点に辿り着く事が摂理。

降車したかった駅に停まらない特急電車に乗車してしまったミスをしたのも、急いでいたので特急電車に乗車したが人身事故で大幅に遅延してしまったのも、オリンピックで金メダルを獲り英雄になったのも、世間を騒がす事件を起こして死刑囚になったのも、代わり映えのしない平凡と言われる人生を送り大往生したのも、それら全てが偶然ではなく決定事項となっている宿命で出来ている。




篤志が小学校三年生の時、スナックで働く未婚の母親が男を作り篤志を残してアパートから忽然と消えた。

幼い篤志に暴力をふるう事もなければ食事を作る事もなかった。殺風景なアパートの台所には、かろうじてコンビニの袋に無数に放り込まれたカップ麺が置かれ、なぜか無くなる頃にはまた新しくカップ麺が補充されていた。

そして、毎日テーブルの上には無造作に百円玉が一枚が置かれているだけだった。

育児放棄と言うと虐待や食事を与えない場合が多いが、育児放棄とまでもいかない変な所に律儀な母親だった。

朧気な記憶が残る小学校三年生の頃、母親の寝姿を確認する事は出来たが、学校が終わり帰宅する頃にはいつも母親はアパートには居なかった。

学校が休みの日に篤志が家に居る時は、百円玉だけでなく財布をひっくり返して小銭をテーブルの上に音を立ててぶちまけると、篤志に何を言うでもなく、目線を合わせるでもなく、母親はすぐにアパートを出て行き外で車が走り去る音だけが聞こえた。

毎日の百円も積み重なると幼い篤志には大金だった。時々、仲良くなった近所に住む一つ年下の男の子と遊べば、スナック菓子やチョコレートを一つづつ購入してあげて二人で食べた。そのせいか、不思議と母親が家にいない寂しさと心細さはなかった。


いつものように学校から帰宅したらテーブルの上にあるはずの百円玉が置かれていなかった。その違和感に幼い篤志は気にもとめていなかった。

まだ母親が帰宅していない程度にしか思っておらず、いつも一人でいた篤志からしてみれば、母親が帰ってきていない違和感はなかった。

小学校の登校時間を過ぎてもアパートの前で一人遊ぶ篤志を発見したのは大家だった。

土曜日の昼過ぎに母親が出かけ、翌日曜日には家に帰ってこず一人だったと言う。

母親が一日家にいない日は必然的に休みの日だと思い込んでいた為、アパート前で遊んでいたのは月曜日の午前中だった。丸二日母親はアパートに戻っていなかった事になる。

その間篤志はと言うと、お腹が空くと電気式のポットでカップ麺にお湯を注ぎ込み三分と待たずに固い部分が残った麺のまま食べた。

いつも置かれていた百円玉も幼い篤志が使い切る訳もなく、手つかずの百円玉は空いたカップ麺の器の中に入れていた。あり余っていたお金でいつものように近くのコンビニでお菓子を買い、篤志本人は丸二日家に母親が居なくても、空腹や寂しさを凌いでいた感覚はなく、寧ろ篤志にとっては日常とさほど変わらなかった。


すぐさま、母親の携帯に電話を入れた大家だったが、とっくに解約されていた母親の携帯電話に繋がる事はなかった。

ほどなく、パトカーが篤志のアパートの前に停まり二人の警官がアパートにやって来た。大家とともに軽い事情聴取を受けたが、見知らぬ二人の大人に囲まれ黙り込み、痩せ細った姿を見た警官は篤志を保護した。

その数日後、母親が働く飲食店が立ち並ぶ繁華街近くの狭い裏路地で母親は遺体で発見された。腕には無数の小さな刺し痕があった為に解剖した結果。母親の体内から薬物の反応が見られた。

その翌日、殺害の疑いがあるとして交際していた男性を任意同行。その男性からも薬物陽性反応とともに、母親の殺害も認める供述を仄めかしていた。

母親の殺害も、その交際していた男性と二人で薬物を使用している時の些細な揉め事が切っ掛けだった。

薬物使用で怒りの制御が効かなくなっていた男性は首を絞め殺害。数日後、薬物使用と殺害による混乱状態が落ち着いた所で男は自供した。


この話しを聞かされたのも、篤志が高校を卒業し東京での就職が決定して児童養護施設から旅立つ前日の夜だった。

まだ幼い篤志に母親の死を告げるのも憚れた。思春期の篤志に本当の事を告げるのも刺激が強すぎる話しでもあった。

そのことを考慮して、児童養護施設の職員なりに気づかい、篤志が東京へと旅立つ前日を見計らっての真実の告白だった。

入寮当時から、まだ母親が生きている望みがあるかのように行方不明だと聞かされてはいたが、薄らと蘇る母親の素行からして、薄々嘘である事はいつ頃からかは分からないが自ずと想像は出来ていた。

篤志自身も、児童養護施設にいる子供達は食事もろくに与えられず、殴る蹴るの虐待以外にも、親子間でありながら性的虐待を受けて育った子もいる事は理解していた。皆、何かしらの辛い思いを抱えて入寮してくる事は中学に上がる頃には感じていた。

児童養護施設から旅立っても、幼い頃に受けた親からの暴力や、食事が出来なかった幼い頃のしこりや心的外傷が頭の片隅に残り、ある瞬間にふわっと脳裏に蘇り大人になっても拭えない人も少なくない。

そう言った意味では、母親から虐待も受けず食事にも困らなかった篤志としては、父親も知らずたった一人の親であった母親が亡くなった以外は脳裏に残るようなしこりや心的外傷はなく、寧ろ恵まれていた方なのかも知れないとさえ思っていた。


新幹線で東京駅に降り立った篤志は、面接で一度訪れていたとは言え、聳え立つビル群の屋上辺りは、雲がかかっているのではないかと思えるくらい見上げる高さだった。人混みに加え高層ビルが立ち並ぶ間を擦り抜ける電車は、もはや遊園地のアトラクション感覚でしかなかった。

猥雑な雑居ビルが建ち並ぶ新宿駅を通り過ぎ高いビルが減り始めると、住宅地が建ち並ぶ中を走り抜け緑の木々も見え始めた。やがて、都心の喧騒からも外れた。

降車した工場の最寄り駅前には、パチンコ店や24時間営業の飲食店、学習塾や不動産会社などが入った雑居ビルも建ち並んではいるが、区画整理が進み綺麗に舗装された道路を抜け数分も歩けば住宅街と小さな商店、小さな川も流れる緑も多い土地だった。

駅から工場までの道のりも、工場に近づくにつれ篤志が育った児童養護施設近辺となんら変わらぬ緑も多い風景だった。

何より工場の寮には児童養護施設出身者や地方出身者も多く、初めての東京、初めて働く仕事。色々な不安要素を取り除く上では最適とも言えた。


この工場の鈴木工場長が児童養護施設出身者である事は、会社の面接を受ける前から情報として聞かされていた。寧ろ、それを知って面接を受けた節もある。

若い頃は、仕事の早さに加え病気や怪我もなく、単純作業になりがちな仕事ではあったが、集中を切らさずミスがないリーダーシップがある優秀な人だった。大卒者が工場長になる事はあっても高卒者で工場長となったのは初めての事だった。

噂の範囲内ではあったが、この鈴木工場長就任後には必ず児童養護施設出身者の採用が行われているようだった。

噂の範囲内と言うのも、実際は児童養護施設出身者であることは伏せている人間の方が多い。どの人が児童養護施設出身者なのかは工場内の作業員には分からない事の方が多かった。

本人が特に隠す事でもないと話す人も居れば、抵抗がある人は話さない人も居た。

児童養護施設出身者だからと言って特別差別される訳でもない。人間、お喋りも居れば無口な人間も居る。児童養護施設出身者だからと言う特筆すべき特徴はカミングアウトしなければ知られる事はないのだ。

ただ、幼い頃に児童養護施設へ入寮した理由は様々。中には話したくもないし、思い出したくもない人間も居るので話さない人間の方が多い。特に、この鈴木工場長就任後はタブーとまでは行かないまでも、暗黙のルールとして話題にする者も少ないようだった。


工場の寮に入寮して数ヶ月が過ぎ、何回目かの給料日も過ぎた頃だった。

『コンコン』と、篤志の部屋の戸を叩く音がした。開けると、仕事以外にも色々と世話をしてくれる五年先輩の向井さんだった。

いつものように篤志の部屋を訪れてきた向井さんだが、仲良くなったのも最初に部屋を訪れた時だった。


『篤志くんてさ、児童養護施設出身でしょ』


唐突な言葉に篤志は戸惑った表情で固まってしまった。しかし、その後の言葉が仲良くなる切っ掛けとなった。


『俺も児童養護施設出身なんだよね。なんて言うか、児童養護施設出身者が何となく分かっちゃうんだよな。違ってたらごめんね』


人の良さそうな顔立ちと、仕事を丁寧に教えてくれる優しさ。篤志には兄弟はいなかったが、兄が居たらこんな感じなのかと、信頼出来る先輩だった向井さんとはそれから仲良くなった。


向井さんの優しさからか、休みの日でもあまり出かける事がない篤志を見かね、日曜日に会社から最も近い都内最大の競馬場へと遊びに行く運びとなった。

日曜日。競馬場に着くと綺麗に生え揃う緑の芝生に競馬場の大きさ、何より人の多さにも圧倒された。とは言え、まだ19歳になったばかりの篤志に馬券を購入する事は出来ないので、好きな馬を三頭選ぶよう競馬新聞にボールペンを持った向井さんが聞いてきた。

競馬をやったことがない篤志でも、三頭を選べと言う事は速くゴールする馬を三頭当てなければいけない事くらいは理解出来ていた。

何頭もの馬がゆったりと歩くパドック。手すりに寄りかかりながら齧りつくように凝視する向井さんは、いつもの優しさ溢れる表情とは違い険しい表情で馬を眺めていた。


『篤志くん、決まった?』


篤志を見ずパドックの方を向いたまま聞いてきた。

篤志なりに吟味するように選んでみた。

目線が合うと左右に首を揺らして『ヒヒーン』と鳴いた馬。

白と黒が混ざった毛色で馬とは思えない美しい顔立ちの落ち着き払った馬。

少し鼻息が荒く落ち着きはないが筋肉隆々の元気そうな馬。

血統や適正距離など、事前に色々な要素を総合して競馬をする人からすれば何の根拠もない選び方だった。

馬券を購入した向井さんは、間近でレースを観ようと緑の芝生が生え揃うターフ近くに篤志と横並びで陣取った。

風が吹くとマイナスイオンが降り注ぎ込んできそうな真緑のターフ。まだ午前中だというのに無精髭で酒臭い人も居る。柵を境に環境が一変する競馬場。

気にするでもなく、風に吹かれ遠くを見るように向井さんは競馬新聞片手にターフを眺めていた。

レースが始まると、まわりの熱気も徐々に沸き上がって来るのが分かった。馬の蹄が真緑のターフを叩く音が近づくにつれ、耳を劈く怒声とともに歓喜の叫びも沸き起こった。そして、ゴールと同時に近くで何枚かの馬券が舞い上がっていた。

暫くしてその歓声もおさまり、何千人もの人の話し声が交ざり合い雑音と化す中、隣にいた向井さんが掲示板に数字が浮かび上がると歓喜の叫び声をあげ飛び上がった。

向井さんが購入した馬券は外れていたようだが、篤志が選んだ番号三つが一、二、三着に入っているようだった。


『篤志くんが選んだ三頭が全部三着以内に入って万馬券だよ』


向井さんは、高揚で興奮を隠しきれない顔を篤志に向けた。篤志が選んだ番号を数百円づつ何点か購入していた為、一見ただの紙切れにしか見えないが、一瞬にして篤志の一ヶ月分の給料を超える金額の馬券に変身していた。

まさにビギナーズラックだった。

その後のレースを立て続けに外しはしたが、最終レースでまたも篤志が選んだ番号が万馬券となり、今度は篤志の給料数ヶ月分の金額に化けていた。

パドックにいた鼻息の荒いあの馬のように、そわそわと高揚感を隠せない向井さんは、人目がなくなると徐に財布を取り出し一万円札数枚を無造作に掴み篤志に手渡した。

幼い頃からお金に無頓着だった篤志にしてみれば、休みの日の使い方を知らない篤志を連れだし、一緒に競馬場へ連れて行って貰っただけなのに数万円を手渡され戸惑った。


翌月、向井さんに埼玉の競艇場に連れて行かれた。再び万舟券を的中させた篤志は、その翌月には埼玉のオートレース場でも万車券を的中させた。

気を良くした向井さんは、再び競馬場へと篤志を誘った。しかし、篤志が選んだ番号は1レースも的中させる事はなかった。諦めきれず翌週も向井さんは篤志を誘って競馬場へ行った。

的中させる事は的中させるが、配当の低い馬券ばかりだった。賭け額が少ない賭け方をする向井さんは、高配当が来ない限り大きく勝つことはなかった。

競馬、競艇、オートレース。向井さんは全て最初の賭け事にはビギナーズラックが効く篤志を見て、今度はパチンコに誘ってみた。

すると、向井さんの目論みは当たった。入店して30分と経たず、最初に当たった当たりから止まらず閉店1時間前までその当たりが続いた。

篤志は、再び一ヶ月分の給料に価するお金を一日で手にしてしまった。無欲ではなく無頓着な篤志は、その凄さとその金額をいまいち理解出来ていなかった。

負けてしまった向井さんに折半でお金を渡そうとしたが、篤志くんには信じられないくらい勝たせて貰っているし、誘ったのは自分だからと頑なに『受け取れない』と言われ、帰りの道すがらにあるファミレスで仕方なく半ば強引に食事を奢った。


向井さんが、電車に乗ってある所に行くからついて来るようにと言われ付き添った。

またギャンブルなのだろうか。

降り立った場所にはギャンブルをするような場所もなく、猥雑な建物と上品さが漂う建物とが混在する駅前の風景だった。

一、二分歩くと、透明なアクリル板の奥に中年女性が座る受付のような場所で向井さんは脚を止めた。透明なアクリル板の上下左右には一千万円や一億円の文字が躍っていた。

向井さんは、競馬の馬券を購入する時のようなマークシート数枚を徐に手に取ると篤志に手渡した。


『篤志くんさ、このマークシートの好きな数字の部分を塗り潰してみて』


やはり、またギャンブルなのか。

そう思いながらも、向井さんが言う通りにマークシートを塗り潰してみた。一枚塗り潰し終わると、あと四枚ほど同じように好きな数字を塗りつぶすよう促された。


『このマークシート、五枚で千円だけど大丈夫?俺は十枚購入してみるけど』


最初は訳も分からずだったが、これが宝くじの一種である事を途中で理解した。それで、透明なアクリル板の上下左右の壁に一千万円や一億円と言った文字が躍っていたのか。

アクリル板の奥の中年女性にマークシートを渡すと『千円になります』と言われ、千円札を隙間から手渡した。すると、数字が書かれた五枚の紙を返してきた。


『馬券みたいだけど、この五枚の紙は大事に財布に保管しておいてね。来週には当選番号の発表があるから』


向井さんにそう言われ大事に財布へ締まった。大事にと言われても、相変わらず向井さんに誘われなければ外出もしない篤志は、財布を落とす事がない限り間違いなく宝くじも落とす事はなかった。


財布に宝くじを入れていた事さえ忘れていた翌週。向井さんが篤志の部屋にやってきた。スマホを持ってやってきた向井さんは、宝くじ当選の有無を調べるからと言ってきた。

そこで漸く先週購入した五枚の紙切れを財布に入れていた事を思い出した。そして、向井さんが床に並べた十枚の横に財布から取り出した五枚の紙切れを並べていった。

向井さんは、数字を読み上げるから読み上げた順番通りの数字の紙があるか確認していくように言ってきた。目尻がつり上がり必要以上に緊張しているのが伺えた。

向井さんは一つ目の数字からゆっくりと読み上げていた。読み終えてから、まず向井さんが購入した十枚を確認した。そして、当て嵌まる数字がないことを確認すると篤志の紙切れ五枚も確認した。


『向井さん、もう一度ゆっくりと数字を読み上げて貰えますか』


篤志に言われ、身体をビクンと萎縮させた向井さんは、目を見開き、より引き攣った表情で篤志の顔を見てからゆっくりスマホに視線を戻して数字を読み上げた。


『あっ、やっぱり。僕のに一枚ありましたよ』


篤志がそう言うと、篤志が手に持つ紙切れを無理矢理奪い取り、スマホの当選番号の数字とを照らし合わすように何度も何度も左右に顔を動かしながら、この事象が夢でない事を願うかのように確認していた。


『向井さん、それ当たってましたよね?』


『あ、当たってたよ』


『いくらだったんですか?』


『・・・・・六億・・・円』


『・・・・えっ?・・・ろ、六億?』


いくらなんでも無理だろうと思っていた。少額の当選からではなく、高額の当選番号から読み上げたのも半ば冗談のつもりだった。

もしかしたらと、篤志のビギナーズラックを試すべく宝くじを買わせてみたが、本当に当たるとは思ってもいなかった。


『う、嘘だろ。篤志くんのビギナーズラックを試すために冗談で買わせたのに』


『ビギナーズラック?』


聞き慣れない言葉だった。

ギャンブルにはつきもので、初めてギャンブルをした時に勝つ人が多かったりするのだと言う。

初めてギャンブルをする時の有卦が良かったりするのか、それとも生まれ持った第六感が強く働く時が偶々初めてギャンブルをした時なのか。

向井さんにも、当然篤志にも分かるはずがなかった。


『ビギナーズラックって、どういうことですか?』


『これまで、篤志くんに色々なギャンブルに付き合って貰って気づいたんだけど、必ず初めてのギャンブルで大勝ちするんだよ』


そう言われ改めて思い浮かべてみると、初めて競馬場に連れて行かれた時も自分自身で馬券を購入していなかったので気付かなかったが、帰りに興奮した表情の向井さんに一万円札数枚を手渡された記憶が蘇る。競艇場、オートレース場。帰り道に向井さんの興奮した表情が記憶の奥底から再び沸々と蘇って来た。

パチンコ屋では、自分自身で大当たりを実感し一ヶ月分の給与に価する金額を手にしたが、無頓着過ぎるが故、当たり前とは思わないまでも一日で手にする金額にしては大きすぎると言う感覚が欠如していた上に、強烈な心理的衝撃として捉えていなかった。

もう一度あの感覚を味わいたいと言う依存者に湧き起こる気持ちは微塵もなかった。

その証拠に、休みの日になっても向井さんに誘われなければ寮で過ごすことが多く、依存者がギャンブルから抜け出す為に強い克己心と言う気持ちを掲げるが、その心配すら皆無だった。


翌月、篤志と向井さんは有給休暇を使い銀行へと向かった。二人揃っての有給休暇に難色を示した鈴木工場長だったが、明確な理由を述べると、いつも緊張感を漂わせた雰囲気の工場長が、片方の眉を吊り上げ驚きの表情を見せながらも納得してくれた。

銀行に行くと銀行員が宝くじの当選を確認後、銀行の応接室のような所へ通してくれた。

高額当選者になると、一度は札束とその札束が積み重なった所を見てみたいと望む方が多い為に『どうされますか?』と聞かれた。

向井さんと向き合った後に篤志は『お願いします』と言うと、暫くして六億円の札束が篤志と向井さんが座るソファーの前のテーブルの上に置かれた。

そして、高額当選者には必ず読む事が義務付けられている注意事項が書かれた紙が手渡された。


『高額当選者が仕事を辞めてしまう上に、中にはせっかく手にした大金をあっという間に散財される方もいらっしゃるのでよくお読みになって下さい』


その銀行員は何度も高額当選者の対応を任されているのか、感情を押し殺すでもなく、あくまでも事務的に説明をした。

すると、向井さんがあることに気が付いた。


『この宝くじの当選金六億円は非課税になるんですか?』


『非課税にはなるのですが、それはご本人様がそのお金を所有する場合に限ります』


『と言うと』


『分かりやすく申しますと、善意であっても他人に分け与えたり、例え親族であってもお金を分け与えてしまうと税金が発生してしまいます。その場合には、高額な税金が支払える分の金額を手元に残しておくべきかと』


有給休暇を二人揃って鈴木工場長に申し出た後、お金に無頓着な篤志は六億円もの大金を持ち、銀行に預けても後々の使い道が分からないと悩んでいた。

児童養護施設を出て何とか就職出来た思いはあるが、19歳になったばかりの篤志にそれ以上の将来のビジョンはまだなかった。

ならばと、二人で六億円の使い道を模索した。

真っ先に使い道の一つとして二人ともに一致したのが児童養護施設への寄付だった。

篤志や向井さんが育った児童養護施設以外にも全国には数百もの児童養護施設が点在する。その全ての児童養護施設へ行き渡る寄付は真っ先に一致していた。

それ以外にも困っている人達への支援金として募集を募る事も決めていた。

表情を変えず端的で明解な銀行員の説明に、二人の構想が進む気配を感じ、ソファーに座りながら確信を得たように二人ともに頷いた。


一つ目は、児童養護施設入所者への自立支援を扱う財団法人に面談するために出向き、二人が児童養護施設出身者である事と、高額な寄付金が決して怪しげなお金でない事を面談で説明して話しを纏めた。

二つ目は、銀行員の説明で聞かされていた税金。六億円の内、大まかな構想と金額を銀行員に話すと、六億円と言う金額を持ち合わせた事はないし、税金を支払う額もあくまで推測の域と付け加えた上で説明してくれた。

六億円を手にして税金で借金を作るのも変な話し、間違いなく手元に残すべき金額もこれだけあれば。と、推測とは言え金額を計算し電卓を二人の方へと向けた。

感情が読めない銀行員だったが、仕事外とも思える質問にも表情を変えず応えてくれたお陰で心配事は解消された。

最後の三つ目、世の中で困っている人達は児童養護施設の子供やその出身者だけではない。

努力もせず、働きもせず、楽したい。そう言った怠惰の類で借金をしてお金に困っている人達ではなく、本当に支援金を出すべきと思える人達にお金を配りたかった。

篤志と向井さんは一纏めに団体への寄付と言う形よりも、二人で本当にお金に困っている人達に会い、どう困っているのかを面談した上で決定したいと思っていた。

具体的な理由に必要な金額。本人または本人達の実用性。その人やその人達への投資と言う意味合いではなく、未来に繋げる事が出来る明確なビジョンを持った人に手渡したい思いがあった。

しかし、二人の配りたい理由は明確だが、その配りたい人達を探し出す事に苦労するとは想いもしなかった。


篤志は、お金に困っている人達を募る手っ取り早い手段としてTwitterを開設した。

寮には各部屋Wi-Fiが完備されていたので、最初の給料で既にパソコンも購入していた。休日に外出しない理由もそこにあったのかも知れない。

アイコンには、証拠となる当選した時の紙切れの写真と銀行の応接室で撮った札束の山にした。

募集要項として、篤志のアカウントをフォローして募集要項の拡散リツイートをした人、実名でTwitterを開設をしている人、お金に困っている理由と明確な金額、身分証明書所持者、面談に来て貰う事になってもこちらがお金を配りたい理由にそぐわない方にはお渡し出来ない。

要は冷やかしや怠惰の類でお金を必要とする人達を省く目的での募集要項だった。だが、篤志の意に反して明らかに実名ではないと分かるアカウントや冷やかしのコメントだらけとなった。

その前に、篤志のアカウント自体がアイコンを含め怪し過ぎたのか、無償でお金を配る都合の良い話しをTwitterで募ること自体が信用性に欠たのかも知れない。

フォロワー数もリツイート数も一定の数で伸び悩み、タマゴマークのアイコンばかりとなり、その全てが意に反したアカウントのものばかりとなった。

この方法では限界を感じた篤志は、お金に困っている人達を募る方法を模索した。

次第に色々なTwitterアカウントをぼんやりと眺め見ていた。そこで、有名人になればなるほどアカウントのフォロワー数もリツイート数も多いことが分かった。

篤志自身が有名になることも考えたがそう容易い事ではない。簡単に有名人になれるのなら、お金に困っている人達を探すだけの事でこんなに苦労はしていないかと思う。

ふと、ある有名人のリツイートを見ると、CDやDVDや書籍、それらを購入してツイートしたファンが有名人にリツイートされた事で異様なリツイート数となっていた。

ただ、お金に困っている人達にお金を配ると言う意図で、見知らぬ一般人のアカウントをリツイートしてくれる都合の良い有名人など居るはずがない。その有名人にメリットもなければ、下手したらデメリットでしかない場合もある。

そこで、篤志の思考が停止してしまった。

向井さんに相談すると、向井さんも篤志のアカウントを見て苦戦している事に気づいて模索していた。そこで、ある事に気付いていた。


『公表している児童養護施設出身の有名人て、結構いるんじゃないかな』


その言葉を聞いたと同時に篤志は児童養護施設出身の有名人で検索した。

すると、噂される有名人は何人かはいた。篤志は迷わず事務所に電話をかけたが、有名人に話しをさせて貰う前に電話口で断られる場合が殆どだった。

企業の宣伝目的の為に、有名人に使用効果をTwitterでツイートする事により企業側としては宣伝効果が抜群だったし、有名人側もツイートするだけでギャラが発生するとあって両者にもメリットがあった。しかし、お金に困っている人達を募る為の呼びかけツイート依頼と聞いた時点で、そんな怪しげな依頼では悪戯だと思われ電話を切られるのは当然だった。

篤志自身も芸能事務所側の立場なら相手にはしていないだろうと思った。


最終手段として直談判を考えていた。直談判と聞いて向井さんがくるりと篤志の方を向き、まさかと言う表情である有名人の名を挙げた。篤志が思っていた有名人と向井さんが挙げた名が見事に一致していた。

児童養護施設出身者ではないが、SNSで度々社会問題や世間の矛盾を鋭く切り裂く賛否両論な発言をして炎上しているお笑い芸人だった。

先入観や人の意見に流されないアイデンティティを持ち合わせろ。と言った、一人では飛びつけず、皆が飛びつくと一斉に群がる日本人の悪い習慣を切り裂くワードセンスなどがウケているお笑い芸人シルエットの影山だった。

影山は変わった芸人だった。

Twitterに後輩芸人と飲んでいる所をツイート。当然、場所が特定されお店から出る頃にはファン数人が出待ち状態になることも稀ではなかった。

ファンも、地方営業がなく都内に居るであろう日には決まった数軒の内の何処かで飲んでいる事も知られていた。

住んでいるマンションもネットで検索すればすぐに特定出来た。影山ファンの中には暗黙のルールがあり、影山のマンション前での出入り待ちは近隣住人やマンション住人に迷惑がかかり禁止されていた。

ルールを破る行儀の悪いファンが居ると、誰に頼まれた訳でもなく追っ払ってくれる人達が居て、近隣住人にも愛される存在でありファンとの距離感も近い有名人でもあった。


篤志と向井さんは影山のマンションでは迷惑がかかると思い、影山がよく現れる事で知られるお店を調べお店の前で待った。いとも簡単に店名が検索に出て来たことに篤志も驚いた。

一、二時間待ったが、お店に来る気配を感じられず、痺れをきらし屯しているファンらしき人達に、このお店に影山が本当に来店するのかを確かめる為に話しかけた。

このお店は確かに影山がよく来店するお店で間違いなかった。今日の来店の有無は不明だったが、レギュラー番組出演後には必ず訪れる情報を得た。

曜日や時間帯までそのファンは事細かに知っていて、逆に出入り待ちをしているのにそんな事も知らないの?と言う表情だった。


翌週、ファンに聞いた曜日と時間帯を頼りにお店の前で待った。すると、本当に後輩芸人を引き連れ影山が現れた。

影山がファンに気づき立ち停まると、劇場ライブ後でもないのにファンが行儀良く一列に並び、影山自身も気兼ねなくプレゼントを貰ったり、影山のグッズにサインをしたりしていた。最後に篤志と向井さんが気圧されていると影山の方から話しかけてきた。


『君たち、サインが欲しいんじゃないの。ペン持ってきてないの、誰かサインペン持ってない』


影山がファンにサインペンを持っていないか聞いている所を遮るように、篤志が『違うんです』と言うと怪訝そうな顔になった。


『サインじゃないの。じゃあ、何?』


篤志が話しを手短に切り出した。六億円が当たり、自分達が児童養護施設出身者で児童養護施設への寄付をした事。そして、困っている人達にお金を配りたい旨を告げた。

影山は疑う事もなく聞いてきた。


『それで、俺に何して欲しいの?』


篤志と向井さんなりにTwitterでお金に困っている人達を探しているが、冷やかし以外本当に困っている人達に辿り着けない。

そこで、影山に自分達のツイートをリツイートや引用リツイートで宣伝して貰いたいことを伝えた。


『俺なんかのTwitterで良いの、君たちのTwitterアカウントは?』


篤志がスマホでTwitterアカウントを開き影山に見せた。すぐさま影山は篤志のアカウントをフォローした後にリツイート。


『二人の若者の野望』


影山は、そう引用リツイートでツイートした。

すると、瞬く間にフォロワー数が数百数千と驚く速さで増えた。それと同時にリツイート数もそれに伴うスピードで増加した。


お笑い芸人のギャラの相場が分からず、篤志はとりあえず銀行で50万円ほどおろしていた。


『あの、影山さんのギャラはどうしたらいいですか?』


『ギャラ?リツイートしたくらいでそんなものいらないよ。リツイートしてお金が貰えるなら、いま住んでる安マンショじゃなくて恵比寿にタワーマンション買ってるよ。それに、事務所を通さないでお金貰ったら闇営業みたいじゃん』


本心ともとれるが冗談にも近い言い回しで答えた。恐縮して硬くなっている真面目で心義ある若者二人を気づかっての冗談めいた返答も、緊張の余り届いていない事を察し影山の方から笑顔で二人に握手を求めた。

そして『今日は飲むぞー』と言って、何事もなく、よくあるファン対応の後のようにお店の中へと消えていくと、その後を追うようにファン数人もお店の中へと入っていった。


シルエット影山がリツイートした事で、翌日には一万人ものフォロワー数となり、続々と希望金額や理由を書いた応募コメントが届いていた。

しかし、篤志のアカウントをフォローしていなかったり、タマゴマークのアイコン、明らかなハンドルネームでの応募、お金が貰えるだけを聞きつけ『お金下さい』とだけ書かれたコメントなどが多かった。

TwitterなどのSNSによくある読解力の相違が招いているものが多く、こちら側の意図や旨が伝わっていない人が大半を占めていた。

一万人ほどのフォロワーの内で応募コメントをしてきているのは三分の一程度。それ以外は興味本位で成り行きを見届けようと言う人達ばかりのようだった。

募集要項にも書いた意図や旨が伝わっていると思われる人になると、そのまた三分の一を大きく下回る数百人程度だった。

影山がリツイートしてから数日後、ネットニュースの記者から篤志に取材アポイントがあり軽く取材を受けた記事がネットニュースに掲載された。

記事の文中、篤志のアカウントを差し込んでくれたおかげでジワジワと二万人近くまでフォロワー数が膨れ上がった。

翌週、今度は朝のワイドショーから取材が入り、顔出しNGだがそれでも良ければと取材を受けた。

十分くらいの放送時間だった。話しぶりから、篤志と向井さんが思う意図や旨を理解した上で、学者か大学教授と言った風のコメンテーターの一人が最後に発言した。


『フォロワー数が一万人いて、この二人の意図や旨を本当に理解して応募しているのが数百人程度ですか。Twitter民の読解力のなさや、意味を取り違えた主観ツイートで多くの悲しい事件が起きているというのに・・・』


と、論点がズレ始めた所で司会者が篤志のTwitterについての話題を切り上げた。

十分近く放送された篤志と向井さんの話題。その直後から、お昼にスマホでTwitterアカウントを確認すると四万人近いフォロワー数となっていた。

仕事が終わり、再びTwitterを見るとシルエット影山からダイレクトメッセージが届いていた。


『君らのTwitter随分話題になってるんだね。俺の所にも取材が来てギャラが入るからサンキュー。因みに、有望な俺の後輩も応募してるから頼むよ』


とメッセージが届いていた。

テレビの影響力でフォロワー数も増加したが、増加した割合に対しての意図や旨を理解している人達はネットニュースの時よりも少ないようにも感じた。

影響力があるとされるテレビだが、最後に発言した俯瞰で状況を見れないあの学者か大学教授と言った風のコメンテーターの論点のズレが、逆に意図や旨の重要な部分と理解しなければいけない部分を打ち消すように、最後の最後の発言で削がれてしまった気もした。

とは言え、順調とまでは行かないまでも意図や旨に沿った応募コメントも来ていた。

噂が噂を呼び、テレビを観ていなかった人達が視聴者のツイートを見て話題に食いつき、ジワジワとフォロワー数を伸ばした。

月の半ばを過ぎ、篤志と向井さんは今月末で募集を打ち切ることにした。


篤志は、今月末での募集を打ち切る事をツイートした。そこから二週間ほどの時間が経過しても、フォロワー数も意図や旨に沿ったコメント数もさほど変わらなかった。

おそらく、フォロワー数の増加も事の成り行きを見届けようとするフォロワー数であって、SNS上で突然本名を晒しても選ばれる可能性がなければリスクがある人も多かった為かと思われた。

篤志と向井さんが選択している間に募集が来ないようTwitterアカウントには鍵をかけた。今月末までの日付以降も募集してくる人達を防ぐ目的もあった。フォロワー数はともかく、最終的に意図や旨に沿ったコメントは千人近く集まった。

シルエット影山のみをフォローしていた篤志のアカウントも、募集要項に当て嵌まる千人近い人達を一気に篤志のアカウントが順番にフォローしていった。

フォローされた事で、中には当選したのかと勘違いした人達数人が『やったー、ありがとうございます』と言った相違のコメントをして来たので、すぐに『これは当選者へのフォローではありません』とツイートするはめになった。


篤志のアカウントをフォロー、Twitterアカウントが実名、お金に困っている理由と明確な金額、身分証明書所持者、こちら側がお金を配りたい理由にそぐわなければお渡し出来ない。

募集要項でツイートした以外にも篤志と向井さんが選択する為の基準は沢山あった。

SNSでの実名もリスクがあることを途中から気付いたが、それでも募集をしてきた人達であること。

お金に困っている理由と明確な金額を見て、気になるTwitterアカウントには遡ってみて、裕福さが伺えた場合には省くようにしていた。

Twitterアカウントを実名としながら、身分証明書と別人ならば面談には来ないだろうと踏んでいた。仮に面談に来たとして、如何なる言い訳や理由でもその時点で帰って貰う事にしていた。

とにかく、本人もしくは本人達の実用性。お金を貰った後の明確なビジョンが見えている人達を中心に絞られてきた。

日本代表でありながら遠征費や宿泊費が出ないアスリートから、毎回全て自腹である理由からその費用が欲しいと言った人も居た。

逆に、映画を観てタクシードライバーに憧れ、免許を取得するために教習所へ通う資金が欲しいと言った人は外された。

篤志と向井さんそれぞれが応募者のTwitterを見て回って『この人』と思った人には面談の候補十数人の中に入れた。


Twitterアカウントに鍵をかけ一ヶ月ほどが経った。事の成り行きを見届けようとしていた人達も、篤志のTwitterの更新がなく進展が見えないと徐々にフォロワー数も減少していった。

篤志が千人近くフォローしたものの、一ヶ月近く音沙汰がないことに不信感を抱いた人達も居たようだった。篤志と向井さんが応募者を覗き終わろうかという頃にはフォローを外している応募者も数十人ほどが居た。

一ヶ月以上かかり千人近い応募者の中から三人の候補者が選ばれた。三人は単純に篤志と向井さんが一致した三人だった。

篤志と向井さんが渡せる支援金と三人が明確に希望した金額を計算し足りてはいるが、面談でお金を渡す人としてそぐわない人である可能性もあった。

しかし、一ヶ月以上静寂した篤志のTwitterに三名が決定したことをツイートした。

実名でTwitterアカウントを持っているとは言え、お金を配る予定の三人の実名を載せるのは避け、当選者三人にダイレクトメッセージで当選を告げた事も添えてツイートした。

支援金を渡す三人には、ダイレクトメッセージで当選した事を自らのTwitterでツイートしない約束や、面談日時と場所、自身の口座番号を持参するようにと送った。

当選をツイートすることによりTwitter民の反感を買う可能性と危険性を本人達もよく理解しているようだった。ダイレクトメッセージを送った後の三人の返答を見てもそれは理解出来た。


面談は、新宿のカラオケボックスを指定して行われた。適当な場所が見つからなかったのが最大の理由だが、喫茶店よりも人目につかず話しを回りに聞かれる事もなかったからだ。


一人目は、飲食店の開業資金を貯める為に車によるお弁当の移動販売をしている23歳の張さんと言う男性だった。まずは、身分証明書として運転免許証を確認すると、Twitterと実名とが一致している事にひと安心した。

張と言う名について聞くと、父親が中国人で母親が日本人だった。張さん自体は日本生まれの日本育ちで、父親の出身地である中国語が日常会話程度で喋れるくらい。ほぼ日本語しか喋れないようだった。実際、話していても中国人独特の訛りはなかった。

Twitterを遡って見たときに中華料理の料理人であったと思われる写真が添付されていたので、それについても聞いてみた。

料理人の服を着ている何人かで撮られた写真を見ても、かなり大きな中華料理店に見えた事を聞くと、向井さんでも知る高級ホテルに店を構える高級中華料理店だった。


『そこまで遡って私のTwitterを見てくれていたんですか。なら話しますが、父親はそのお店の総料理長をしています』


向井さんは篤志の方に一瞬だけ顔を向けるとすぐに張さんの方へ向き直した。

オフィス街のお昼時を狙って車の移動販売をしていた。ネット上では本格的な中華料理が食べれると評判も上々だった。なのに、車によるお弁当の移動販売をしている事に疑問を抱いていた。

普段の素行や性格的な部分で難があるのかとも思っていたが、Twitterを見る限りでは写真に写る張さんも、ツイートしている文面も、いま面談で話している張さんも厭な人には思えなかった。


『お爺さんには会った事はなかったんですが中国でも有名な中華料理の料理人だったみたいです。父親も若くして才能を受け継いだみたいで、二十代で現在のお店の総料理長としてスカウトで日本に来日したみたいです』


『なら何故、張さんは車による移動販売をしているんですか』


張さんは余計な事まで喋ってしまったと言う表情になった。軽く息を吸い込みながら口をへの字にしてから喋り始めた。


『お店では、父親の下のナンバー2まで上り詰めましたが、回りにも若くしてナンバー2に上り詰めたことで僻みや陰口を言う人も多かった。父親も厳しい人ですし、自分の実力である事を証明したくて独立を考え辞めました』


『開業資金が貯まるまで他のお店や他の仕事で働く選択肢はなかったんですか』


『あのぉ、お店を辞めて開業するまでの話しを説明しなければお金は受け取れないんですか』


張さんの返答で漸く余計な事まで聞いている事に気づいた。向井さんは『ハッと』我に返った。


『いえ、そんな事はありません。気を悪くしたのならごめんなさい』


『いや、怒っている訳ではないんです。中華料理以外にも、中華料理の型に嵌まらない中華料理を創作したい気持ちもあって、早く自分の実力を証明したくて』


『そうですか。分かりました』


向井さんは篤志の方を向き頷くと、篤志も問題ないと言った表情で頷き返した。そして、面談者三人にお願いする予定の話しを張さんに話して面談は終了した。

後日、張さんの銀行口座に希望金額を振り込む事を約束すると、薄らと目を潤ませ篤志と向井さんに握手を求めカラオケボックスから出て行った。

ドアが締まると二人ともにため息をついた。


『あの人、僕と四つしか変わらないんですよね』


『俺の一つ年下だよ。もう、開業さえ出来れば成功したも同然なんだろうな』


『でも、こんな簡単にお金を手にして人生が変わってしまっても大丈夫なんですかね』


『俺達だって児童養護施設出身だけど、就職出来て不自由なく過ごせてるんだからそう変わらないよ。俺なんか、毎日両親に殴る蹴るの虐待を受けていた時に比べたら今は天国だよ』


そう言えば、向井さんが児童養護施設出身であることをすっかり忘れていた。でも、その理由については暗黙の了解で聞く事はしていなかった。

篤志は余計な事を言ってしまったと言う顔で塞ぎ込んでしまった。それを察した向井さんは、次の面談者まで時間があったので『カラオケでも歌うか』と歌い始め、篤志にも無理矢理マイクを持たせ歌わせた。


三人と面談する為に、午後一時、三時、五時と2時間置きに面談時間の間隔を開けていたが、最初の張さんで三十分とかからず面談が終わってしまった事で、二人でカラオケを歌っても時間を持て余してしまった。

カラオケボックスには最初から六時間程度この部屋を使用する事と、ここを訪ねて来る人達が来る事を知らせていた。


午後二時半を過ぎた頃だった。カラオケボックスの店員からインターホンで『お連れ様来ましたが』との連絡があり、この部屋へ来て貰うよう頼んだ。


『こんちわ』


髪は短髪で爽やかさもあり、篤志と向井さんとも年齢が変わらない和久井さんと言う男性が入ってきた。

『そちら側のソファーに座って下さい』。向井さんがそう言うと、軽く会釈をして向かい側のソファーに座った。


『えっ、もっと年齢が上の人かと思ってたんですけど若い人なんすね』


『僕は19歳です』


『俺は24です』


と、名前や身分については明かせないが、自己紹介がてらで年齢を言うと更に驚いた表情になった。


『23なんで、ほぼ一緒っすね』


やや、喋り方に癖があるだけで漂う雰囲気は爽やかだった。一応、敬語も使っていて礼儀正しさも伝わってきた。

それもそのはず、彼はプロライセンスを取ったばかりのプロボクサーだった。

カード状のプロライセンスと運転免許証を持参して篤志と向井さんの前に手渡した。


『和久井、亮さん』


『プロボクサーって、プロだからお金が貰えるんじゃないんですか』


早速、篤志が素朴な疑問を投げかけてみた。それを聞き残念そうな顔を浮かべ和久井さんは話し始めた。


『今度、プロデビュー戦があるんですけど6ラウンド戦っても手元に十万も貰えないんすよ。一ヶ月に何試合も出来れば別なんすけどね。そうもいかないスポーツですから』


確かに篤志と向井さんでも、試合をした次の日にまた試合を出来るほど生半可なスポーツでないことくらいは理解出来ていた。しかし、23歳でプロデビュー戦と聞いて、年齢的に早いのか遅いのかの判断がつかなかった。


『23歳でデビュー戦て早い方なんですか、それとも遅い方なんですか』


『大学までアマチュアでボクシングをしてて、一旦ボクシングを辞めて就職したんですけど、またやりたくなってボクシングジム通いを始めたんでプロとしては遅すぎる方っすね』


『確か、プロボクサーだけでは食べていけないので三年分の生活費と書かれていたんですが、なぜ三年なんですか』


『俺が世界チャンピオンになるまでの期間です』


和久井さんの冗談ともとれる発言に思わず篤志と向井さんは驚いた表情で向き合った。


『日本チャンピオンでも一試合百万もファイトマネーを貰えない選手もざら。試合も年に三試合戦えるかってくらい。難しいっすねプロボクサーだけでの生活は』


『でも、本当に三年で世界チャンピオンになれるんですか』


そう聞くと、待ってましたと言わんばかりの自身に満ちた表情となった。

和久井さんはアマチュア時代に高校と大学で日本一を経験していた。高校時代には、メディアへの露出も多く篤志や向井さんでも名前くらいは知っていて、日本の至宝とまで呼ばれている世界チャンピオンの田辺に一勝二敗だった。


『世界チャンピオンの田辺は知ってます?世界チャンピオンの田辺とは同い年で、高校一年の時に勝ったっきり、二年、三年では勝てなかった。でも、大学時代は日本一になってます』


穿った見方をすれば、世界チャンピオンの田辺がいなかった事で大学時代には日本一になれたようだった。

確かに、和久井さんのTwitterを遡って見ると表彰台に立つ姿と表彰状を持つ姿が写っていた。


『田辺が高校を卒業してプロ三年目で世界チャンピオンになってますから、俺も三年目で絶対に世界チャンピオンになってやりますよ』


自信満々の漲る表情を見ていてもそうだが、事前にネット検索で調べた和久井亮の名を見ても、スポーツサイトには“高校時代の田辺に唯一黒星をつけた男のプロデビュー戦が決定”と、何社ものスポーツサイトが記事にしていた。

篤志も向井さんも、思っている以上に凄い選手なのかも知れないことは、やや大雑把に感じる第一印象と、話しを作っている風にも感じてしまう喋り上戸な和久井さんの話し方を省けば、スポーツサイトでは知りえない本人が話す内容からもその凄さは伺えた。


『うちのジム、資金力がある大手ジムでもないし、スカウトで入った訳でもないから色々面倒見てくれる訳じゃないんですよ。将来の世界チャンピオンにする待遇じゃないっすよね』


呑気に話す和久井さんだが、大学卒業後に就職した会社も大手食品会社だった。世界チャンピオンになるために一年で仕事を辞めてのプロボクサー転向。それ相応の不動心と強心臓でなければ出来ない決断だった。

張さんの時と同じように篤志と向井さんは全く問題ないと言った風に二人とも軽く頷いた。

そして、面談者三人にお願いする予定の話しをして面談は終了した。


『絶対に世界チャンピオンになるんで、俺の名前を忘れないようにね』


去り際、ドアノブに手をかけながらそう言うとカラオケボックスのドアを開け和久井さんは出て行った。


あえて同年代の人を選択していた訳ではなかったが、同年代が仕事を辞めてまで新しい挑戦に立ち向かう姿を見て、児童養護施設出身者だからと自分自身を悲観してはいないが、可能性がないように思い込み縮こまっているだけではないかと心の片隅では感じていた。和久井さんが部屋から出て行った後は暫く二人とも黙り込んでしまった。


『篤志くんは何か飲む?』


『じゃあ、ジュースで』


『俺はアイスコーヒーにしようかな』


二人とも喉がからからだった。空気を変えるべく、インターホンで向井さんが飲み物を頼み店員が運んでくると、悲壮感漂う二人の表情を見て店員が怪訝そうな顔をしていた。向井さんは気にするでもなく、店員が部屋から出る頃にはアイスコーヒーを一気に飲み干した。

和久井さんが三十分前倒しで到着して、そこから一時間近く話していたが、それでも時間は午後三時半を過ぎた辺りだった。

一時間半も時間を持て余すことになるが、元々の面談時間の配分も一時間前後をめどに話し、次の面談者が早めに来たとしてもかち合わない余裕を持った時間配分にしていた。一時間は待つことを想定していたとは言え、話すのも待つのも、これだけ疲労を要するものなのかと思いもしなかった。

篤志はソファーに仰向けで寝そべり目を瞑った。向井さんはロダンの考える人の像のような形で下を向きながら目を抑え黙り込んだ。


インターホンから店員が連絡してきたのは午後四時半を過ぎた頃だった。篤志がインターホンを取り部屋まで来るようにお願いした。

部屋に到着し中に入るなり『あっ、こんにちは』と挨拶してきたのは、国立大学としては日本最高学府に位置する大学の一年生になったばかりの桐山さんだった。

大学一年生であったはずだが、老けているようにも見えたので篤志は早速年齢とともに身分証明書の提示をお願いした。


『19歳です』


『えっ、本当に同い年?』


至って冷静に19歳とは思えない野暮ったい風貌で、お金を配る相手である篤志が同い年であることに少し驚いた風な表情を見せた。その表情のまま写真付きの学生証と保険証も差し出してきた。


『国立の名門大学に在籍中みたいですが』


『首席で合格しました。卒業後にはアメリカの大学に入学して、ある研究のためにアメリカの研究所に入りたいと思ってます』


『ある研究?』


向井さんは、質問するにしても桐山さんが理解出来る説明をしてくれるとも思えなかったし無謀にも思えたが研究に関しての質問をしてみた。

最高学府のトップでその知能を遺憾なく発揮するには日本では駄目なのだろうか。そんな事を思いながら、その正解が篤志にも向井さんにも分からなかった。

分かりやすく言えば、いま流行の掃除機や人型ロボットに搭載されている人工知能の研究をしたいと言う事だった。


『まだ先の話しですが、人工知能を使った義足を作りたいと思っています』


『人工知能の義足?』


父親は桐山さんが中学生の頃に交通事故に合い左足を切断、左膝下辺りまでしかなく働くことが出来なかった。母親は正社員で仕事をしているが、学費で負担をかけたくなく公立高校に入学していたようだった。

それでも進学校の部類に入る高校に入学した桐山さんは、父親の足を人工知能の義足で歩けるようにしてやりたくて猛勉強で国立大学に入学していた。


『簡単に言うと、普通の義足では明らかに義足と分かる歩き方になってしまいます。でも、僕が目指す人工知能の義足は、違和感なく足にフィットする上に歩けば歩くほど歩行を安定させる。人工知能が歩く人の歩き方を学習する機能です』


分かりやすく説明してくれてはいたが、本当にそんな物が研究した所で開発出来るものなのだろうか。

凡人には分かり得ない確固たる自信は天才にしか分かり得ない。


『四足歩行の動物型ロボットが、倒れても自力で立ち上がって四足歩行動物そのままの動きで動き回っているのをテレビで観たことがありますが、そう言うことですか』


向井さんは、自分の中にある精一杯の情報を振り絞り聞いてみた。桐山さんは一瞬片方の眉を上げたが気にせず話しを続けた。


『歩く人が足を上げた角度によって人工知能がパターンを常時学習し、踝辺りの関節も曲げる角度を計算し勝手に動きます。足の裏で地面を確り捉え、身体のバランスが崩れないように歩行出来ることが理想的かと思っています。今は、理想を語っているだけですが』


従来の義足だと、足の裏が地面に着地する瞬間にバランスを崩さないように気を使って踏みしめていたが、その気にして踏みしめなければいけない部分を人工知能が学習してくれることにより省け、ストレスなくスムーズに歩行出来ると言う事のようだった。

想像することは勝手に出来るが、そこから実際に作り上げることになると凡人には計り知れない。

脳が全身に指令を出して自身の身体を動かしているが、将来的には脳の指令が何らかの方法で直接義足に伝達され、自由自在に歩行出来る時代がもしかしたら来るのかも知れない。

それに加え、スポーツに於ける健常者と障害者の区分けがなくなる可能性も十分に考えられそうだった。

桐山さん自身も、現時点では理想を語っているだけだと言ってはいるが、勉強や研究をすれば将来的には可能だとも思える口ぶりだった。


『金額に関しては、国立大学の卒業までの学費にアメリカの大学へ行って卒業するまでの学費でしたね。今回、面談に来て貰った中で一番の高額ですが、みな同じ金額を配っている訳でありませんから金額に関しては問題ありませんので』


『そうですか、ありがとうございます』


お金を貰える事を知り緊張が解けたのか桐山さんは笑顔を見せた。野暮ったい風貌ではあるが、笑うと漸く二十代くらいの若者に見えてきた。

そして、例の如く面談者三人にお願いする予定の話しをして面談は終わった。



-十五年後-



休日には車でドライブをするのが楽しみだった。

ある日、長い直線道を走行中に居眠り運転のトラックが後方から追突。壁にぶつかり車の後方が押し潰され大破した状態で停車した。命に別状はなかったが左足の膝下辺りを切断する重傷を負っていた。

あれから一ヶ月以上が経ち、切断箇所は塞りリハビリに励んでいた篤志は病室でぼんやりとテレビで情報番組を観ていた。

テレビ画面には、二週間前の地震で被災した被災地での炊き出しをするあの張一男と和久井亮の姿が映し出されていた。

今や、張一男は中華料理の手法を使い独創的な料理を生み出し続け、日本最高峰の権威日本飲食店アワードを三年連続受賞。

現在は、東京・世田谷の他にも国内数店舗。海外ではニューヨーク、ロンドンにも店を構える世田谷張飯亭のオーナーとなっていた。

実業家として情報番組のコメンテーターに登場すると、真面目な顔でダジャレを言うスタイルを最初は司会者が摘み取ってくれなかったが、次第に後から込み上げてくる笑いが浸透し、視聴者からの評判も上がり、文化人枠として情報番組に出演していたが、好感度タレントとしてもバラエティ番組に出演していた。

近年、炊き出しをする張さんは、八年前の東北、三年前の九州と、被災地での炊き出しを行う映像が今や当たり前にようになっていた。

篤志は、被災地に立つ張一男と和久井亮の姿が映る映像をぼんやりと眺めていた。

すると、世田谷張飯亭にも足繁く通い、親交もあると言う学者か大学教授と言った風のコメンテーターが『張さんには内緒にするように言われていたんですが』と話し始めた。


『張さんて、海外にもお店を展開しているし、テレビにもたくさん出演していて、派手な生活をしているイメージじゃないですか。でも、あの人テレビのギャラの全てを被災地支援や児童養護施設へ寄付してるんですよ。だから、炊き出しは全て自腹。まあ、お店は繁盛してますから問題ないんでしょうがね』


口の軽い俯瞰で状況を読み取れない学者か大学教授と言った風のコメンテーターのひと言で、あの時の約束が守られていることを篤志は知った。

そして、張さんの隣にいた和久井さんも又、バラエティ番組での共演を切っ掛けに親交を深め一緒に被災地支援を行っていた。


和久井さんはあの時から三年後。宣言通りに世界チャンピオンとなっていた。

一階級上の階級で世界チャンピオンとなっていた田辺との夢の一戦で勝利した和久井さんは世界二階級制覇。高校時代から通算して田辺とは二勝二敗の五分になった事から再戦を受けた。再戦にも返り討ちで勝利した和久井さんは海外に目を向けた。

海外のビッグネームとの試合を立て続けに勝利した和久井さんは、海外プロモーターと複数の試合契約を結んだ。

海外での世界三階級制覇を達成したが、23歳とデビューが遅かったせいか、晩年は年齢による衰えからか、打ち合う好試合が多かったものの敗戦する時はノックアウト負けが殆どだった。

一試合で億を超える額も稼ぎ出していた和久井さんだったが、世界チャンピオンになって以降はその一割を必ず被災地支援や児童養護施設などの寄付に充てていた。

引退後はジム経営の他にテレビでの解説をしていた。テレビでの解説ではボクサーの心の中を見透かしたように話し、恰も本人の言葉を代弁しているように的を射た解説だった。

時折見せる恍けた発言も、晩年の打たれすぎから来たものだと自虐的に話すところがうけ、バラエティ番組にも多く出演していた。

実際、打たれすぎたらあそこまで上手く話すことは出来ないので、それもボクシング同様に計算し尽くされた戦略なのかも知れない。

病室で観ている篤志も、結婚し家族とリビングで観ている向井さんも、篤志と向井さんにしか知り得ない二人の繋がりではあったが、あの時のカラオケボックスで二人は出会っていない為、張一男と和久井亮は偶然と偶然が結びつけたと仲で間違いなかった。

しかし、あの時の面談者三人にお願いしていた事が守られていなかったとしたら、二人は出会っていなかったかも知れない事を考えると、何か宿命を感じずにはいられなかった。


篤志は、車椅子以外にも義足を使い歩く練習をしていた。

手摺りに手を添えながら歩いていくうちに、最初は歩くのも困難だった右脚も次第に筋肉がつき楽になっていた。

そんな時だった。リハビリを行う病院から篤志に、義足を制作している会社から新型の義足を試す以来が来ていた。義足を装着して歩く練習をして貰いその感想を聞きたいとの事だった。

『なぜ私に?』と言う思いはあったが、理由についてはリハビリセンターに問い合わせれば義足を使っている人達が居ると思っての事だと思う。そうとしかリハビリセンターの人間も答えなかった。

送られてきた義足をさっそく脚に嵌めると、装着する部分と脚とが確り固定される感覚が良かった。

最初は通常の義足と同じように、左脚を踏み出すたびに右脚に重心がかかる歩き方をしていた。

次第に左脚の踝付近の関節が左脚を踏み出した瞬間につま先部分が上向きに曲がり、従来の義足に比べて右脚に重心をかけて歩かなくとも前方へ歩行しやすいことに気付いた。

今度は、目線を下にして左脚を踏み出してみると、義足のつま先部分が左脚を踏み出した瞬間に上向きになり、足の裏が地面に着地する時に踵から先に地面に付き、つま先部分でまた地面を蹴り上げるように関節部分が曲がっているくれている事が分かった。

スムーズに歩行出来ている事で、次第に左脚に義足を装置している事を忘れさせた。


義足で歩く練習をし始めて数日。いつものように歩行の練習をしていると、篤志の歩く様子を眺める男性がいた。目が合うとその男性は篤志に近づいてきた。


『どうですか。歩き具合は?』


そう尋ねられ、義足の会社の人間であることは察しがついた。篤志は素直に思ったままを答えた。


『付け心地も良いし、左脚を前へ踏み出した瞬間に踝付近の関節が自在に可動することにより、足の裏が地面を捉える瞬間も気にせずスムーズに歩きやすいです』


『この義足には人工知能が搭載されているので、歩けば歩くほど人工知能が装着している本人の歩き方を学習して歩きやすくなるはずですので、そう言って頂けると嬉しいです』


ここで、ふと篤志は既視感のような感覚に襲われていた。篤志の表情が変わってきた所で男性が名刺を渡してきた。


『東京人工知能研究所 桐山公太郎です』


篤志は、すぐに既視感でも何でもないことに気づき桐山さんに目線を合わせた。


『お久しぶりです。覚えてらっしゃいますか』


『勿論です。でも、私がここに居ることをなぜ桐山さんがご存じなんですか』


覚えているも何も、私と同い年にも関わらず老け顔だった桐山さんは漸く年相応の顔になっただけの事だった。

桐山さんは昨年、アメリカから日本に帰国。日本でも研究所に所属して研究を継続させていた。


『どうですか。私が言った通りに人工知能の義足が出来たでしょ』


『その前に、なぜ私がここにいることをご存じなんですかと聞いているのです』


桐山さんは、面談時に篤志と向井さんに言われていた事を何一つ実行出来ていなかった事を悔やんでいた。

アメリカでも行動出来ていたかとは思うが、日本に帰ってきても同じだった。その事を謝りたい旨とお金の返納を考えていた。

十五年前のTwitterを手がかりに興信所を使い篤志と向井さんを探して貰っていた。そして、あることを知ってしまった。それが、篤志の現状。

そこで、父親に使って貰おうと思っていた人工知能搭載の義足。試作段階だが完成させる事が出来たので試しに使って貰っていたのだ。


『私が間違った事をしているのも、失礼な事をしているのも分かっています。でも、せめて貴方方に恩返しをしたかった。それだけなんです』


篤志はゆっくりと息を吸い、目を瞑り天を仰ぐようにしてから息を吐き、視線をゆっくり落とすと桐山さんの目線に合わせた。


『十五年前、私達は言いましたよね。このお金は貴方への投資ではないし、恩返しも要りません。恩返ししたい気持ちになったら、私達にではなく、困っている人達に向けて恩返しを行って下さいと面談で言ったはずです。それは、桐山さんだけではなく他のお二方にも言いました』


篤志は、桐山さんの父親の事を思い出していた。

しかし、何十年も車椅子だけの生活をしていたのと、年齢的にリハビリをしても義足とは反対側の脚の筋肉が戻るのに時間がかかる為、人工知能搭載義足で歩く事を諦めていたようだった。

ならばと、篤志の現状を知った上での提供だった。

桐山さんは腕を組みながら少しのあいだ下を向いていた。そして、何かを思いついたかのように顔を上げた。


『今日はこれで失礼します。次に来るときはご協力して頂く事があるかも知れませんが構いませんか?』


篤志は、桐山さんの目を見て頷いた。何か考えがあるのかと察したからだった。

桐山さんは軽く会釈をしてその場から立ち去った。


一週間後、リハビリセンターにテレビ局から人工知能を搭載した義足の取材申し入れがあった。

リハビリセンター側は、歩くシーンを撮影すること自体は問題ないが、人工知能搭載の義足を使用している人へのインタビューと撮影は本人に聞いてみないと分からないと返答していた。

明日、またかけ直すとテレビ局側が言ってきたので、篤志の了解を確認しにリハビリセンターの人間が聞きに来ていた。

すぐに、桐山さんである事は察しがついた。テレビの撮影と聞いて桐山さんが何をしようと言うのかは全く検討がつかなかったものの、篤志はテレビの撮影を了解した。


翌週、桐山さんとともに大きなカメラ機材を持った撮影隊がリハビリセンターにやって来た。

ディレクターらしき人間と歩くシーンについて打ち合わせをすると、さっそく撮影は始まった。

最初は従来の義足で歩き、その後に人工知能搭載の義足で歩いた。

久しぶりに従来の義足で歩いてみたが、右脚に重心をかけ身体を左右に揺らしながら歩いてしまっている上に、初めの一歩目で軽く躓きバランスを崩してしまっていた。

次に、人工知能搭載の義足で歩いたら、こちらに慣れているせいか一歩目からスムーズに歩く事が出来た。

思わず撮影隊からも感嘆の声が挙がった。それぐらいスムーズに歩けていたからだった。

カメラマンはディレクターの指示に従い、特に人工知能搭載の義足で注目すべき踝付近の関節の可動域を撮影していた。

その後、篤志のみのインタビューと桐山さんとのインタビューが撮影され終了した。

桐山さんが撮影終了後に篤志に近づき番組名と放送日時、桐山さん自身も人工知能搭載の義足についてスタジオで説明する為に出演する事も告げ、絶対に観るよう念を押された。

テレビに映る事が初めての篤志としては、桐山さんに念を押されなくとも観る事は間違いなかった。


翌週、桐山さんに念を押され情報番組を観たが、学者か大学教授と言った風のよく見るコメンテーターが出演していた。この男が桐山さんと親交があることから、十分ほどの枠でこのコーナーが放送されることになったのだと、先週の別れ際に桐山さんに聞かされていた。

俯瞰で読み取れないこの男に、なぜこれほどまでの人脈があるのだろうか。もしかしたら、テレビでのあの厭な言い回しは演技なのだろうか。そうでなければ、これだけ長くテレビに出演しているのも不自然でもあった。

司会者が、横並びに座るコメンテーターを順番に紹介して篤志は驚いた。学者か大学教授と言った風の男の隣には張一男。更に隣には和久井亮の姿もあった。

VTRでの人工知能搭載義足の踝付近の可動域の説明や、装着している人が歩けば歩くほど人工知能が学習してスムーズに歩行出来る仕組みを桐山さんは熱弁していた。そして、最後に篤志と桐山さんのインタビュー映像も流された。


『来年には、この人工知能搭載義足を販売する事が可能になってくるかと思います。そして、この売り上げの一部を被災地支援や児童養護施設の寄付に充てたいと思っています』


篤志は、桐山さんが絶対に観るよう念を押したのもこう言うことだったのかとほっとした。

更に桐山さんは話し続けていた。


『十五年前、希望する金額と理由を書けばそのお金が頂けるって、応募を募っていたTwitterが話題にはなったのを皆さん覚えていませんか?』


コメンテーターにカメラが向けられると話しの成り行きがまだ読み取れず、張一男も和久井亮も桐山さんの話しに表情を変えず黙って聞いていた。


『三名が選ばれたみたいなんですが、私はその中の一人に選ばれていたんです。東京に住み始めたばかりだったんですが、北関東の田舎者には新宿歌舞伎町は怖いイメージがあってカラオケボックスへ行くのも戸惑いました』


再び、張一男と和久井亮にカメラが向けられると、明らかに先程とは違い頭の上にクエスチョンマークがゆらゆらと浮かんでいるのが見えていた。


『カラオケボックスには、私と年が変わらない二人の男性が居て、色々と話した後、後日本当に銀行口座に希望した金額が振り込まれていたんです。あの時に学費が貰えてなかったらと考えると、この人工知能の研究も、この義足も、現時点で出来上がっていなかったかと思います』


桐山さんの話しの成り行きを見守っていた張一男だったが、何か確信めいた表情で口を開いた。


『もしかして、そのカラオケボックスって靖国通り沿いのですか』


思いもしない予想外の質問に、桐山さんが驚いた表情で張一男の方を向いた。

『えっ?』。黙って聞いていた和久井亮も思わず声を出して驚いていた。漸く和久井亮も確信を持てたようだった。


『もしかして、桐山さんも張さんもあの時に希望のお金を貰えた三人の内の二人ですか』


桐山さんも張さんも驚きを隠せない表情で目を見開き見合っていた。更に追い打ちをかけるように和久井亮も話し出した。


『あの時の三人の内の二人がこのスタジオに居る事に驚いたんだけど、三人の内のもう一人は俺みたいですね』


『お前が?なんで俺に言わないんだよ』


張一男は、被災地支援を一緒にする仲なのに黙っていたことに腹をたて隣にいた和久井の肩を軽く小突いた。


『だって、あの時の三人が誰かなんて、あのカラオケボックスでお金を配ったあの二人の男性にしか分からない事じゃないか』


『確かに』と言った顔をした張一男に賛同するかのように桐山さんも頷いていた。

十五年前の時点ではすれ違うように顔も名前も知らない三人だったが十五年の時を経て繋がった。

画面上でのこの事象を観ていた篤志は、これもあの事が守られた事で引き寄せた偶然にも思えるが、宿命であることも拭えなかった。


『確か、うろ覚えですがこの番組でも取り上げた記憶はあります。あの三名がこのお三方と言う事なんですか。いやぁ、驚きましたね。じゃあ、一旦CM』


司会者の合図でCMに入った。三人は井戸端会議をするおばさんのように、三角型のトライアングルを作り話し始めた。

そして、VTRに出演していた義足の男性があの時お金を配った二人の内の一人だと知り、目が飛び出しそうなくらい張一男は驚いていた。

そして、桐山さんは二人と連絡先を交換してまた会う事を約束していた。


あの放送から一、二週間が経った頃だった。病院内に看護師と来客何人かの歓声が挙がっていた。

何事かと身体を起こした篤志の前に、桐山広太郎、張一男、和久井亮の三人の姿があった。

本来、張一男は飲食店オーナー、和久井亮に関してはボクシングジム会長に解説者の肩書きだが、バラエティ番組での活躍で知名度がある為、一般人からしてみれば立派な芸能人だった。

そう言えば。と、三人が来る事を連絡して貰っていたのに篤志は忘れていた。

張が手土産を持ってきて挨拶をすると、倣うように和久井も挨拶をしてきた。


『こいつ、病院に見舞いに来るのに手ぶらって考えらんないですよね』


『現役時代、打たれ過ぎたんだからしょうがないだろ』


『また、その自虐ネタかよ』


情報番組やバラエティ番組でやりとりされる掛け合いそのままを、病室の中でも二人は漫才コンビにように繰り広げていた。

篤志も思わず『ぷっ』と噴き出すと、和久井は恐縮したように小さく頭を下げた。

そこに、病室のドアを『コンコン』と叩き向井さんもやってきた。桐山さんに目線を合わせると軽くウインクをしてきた。そう言う事かと篤志が納得していると、向井さんは三人に向かって会釈をしたが、張一男も和久井亮も誰だか分かっていない様子だった。


『三人ともお久しぶりですね』


すると、二人同時に『えっ』と声を出して驚いていた。

偶然が偶然を引き寄せ、三人が共演した日のあの夜。篤志は事の次第を説明すると向井さんは映像で確認していた。

工場勤務の向井さんに、三人が見舞いに来るとは言え平日の昼間に誘うのも憚れた。しかし、先程のウインクで桐山さんが呼んでいたことが分かった。


『酷いなあ、あんなに大金を貰った人の顔を忘れるなんて』


それを聞いて、張一男も和久井亮も二人同時に『えっ?』と言う声をもう一度あげた。それを見た向井さんは笑顔で二人の肩を叩きこう答えた。


『実際、宝くじで大金を当てたのは彼なんだけどね。でも、困っている人達を探してお金を配ろうと考えたのは二人の思いつきなんだよ。そうでなければ君らにお金は配られなかったんだから、俺も少しくらい偉そうにしてもいいでしょ』


話し終え向井さんが二人に向け笑顔を送ると、漸く張も和久井も緊張から解きほぐれた。

そして、五人がそれぞれ十五年分の思いを語った。

五人の話しが落ち着いた所で和久井は、先月あった東海地方での被災地支援の話しを始めた。

八年前にあった東北地方での被災で、当時まだ小学生だった子が高校を卒業して上京後、和久井のジムに入門していた。


『東北地方で被災にあった時、色々なボランティアの人々のお陰で瓦礫だらけの街も復興し立て直しました。僕が高校を卒業する頃には綺麗な街並みにも戻っていました。今度は、僕が被災地へ行って復興の手伝いをして恩返しがしたいんです』


先月の東海地方での被災で、和久井が行くことを聞きつけると付いてきていたジムの子の言葉だった。


『うちのジムにそんな事を言う子が居たんですよ。それを聞いて十五年前、私達にではなく困っている人達に恩返しをして下さい。って言う言葉が急に思い出されて染みてきたんだよね。お二人の言葉がなかったら、張さんとも仲良くなってなかっただろうし、この五人が一生繋がる事もなかっただろうしね。勿論、俺の人生がどうなってたかなんて怖くて想像出来ないよ』


『お前が被災地支援を行ってるから、その子も心を動かされて被災地支援やボランティアの心が芽生えてきたんだろ。お二人だけでなく、お前にもそう言う影響力があるんだよ』


和久井と張の話しを聞き割り込むように桐山さんが話し始めた。


『輪廻転生と言う言葉がありますが、生き物は生死を繰り返す無限の環状なんです。恩を貰った人に恩を返していたら、いつか仇で返す人も現れ憎しみが生まれます。でも、貰った恩を色々な人達にも分け与えることを繰り返していたら、恩以外にも無限に計り知れない何かが拡散するんだと思います』


桐山さんの最後の話した言葉がこの五人の人生を集約しているようにも思えた。


篤志や向井さんも、見知らぬ人達のおかげで児童養護施設で暮らし成長出来た。そして、今の暮らしが出来ているのもそのおかげだと思う。

ただ、篤志も向井さんも桐山さんが集約した言葉のような意味を意識していたのではなく、無意識の中で三人に対して困っている人達に恩を返すようにと言葉を投げかけていたようにも思う。

そのおかげで、二人の恩は色々な人達に色々な形で拡散して偶然が偶然を生んだ。

アフロヘアのような綿帽子が、白い冠毛の種子を何処へ飛ばされるとも知らず赴くままに飛び続け、着地すると逞しく根を生やし黄色い花を咲かせる蒲公英のように。

そして、それが宿命でもあるかのように。


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