愛人は却下のようです
帰宅するとすぐに、稽古のための軽装に着替える。
パトリシアに認めてもらえたことで、俄然やる気が出てきた。
筋肉痛もなくなったし、今ならマーウィンにも食らいつける気がする。
元気いっぱいに修練場に足を運ぶと、そこにはマーウィンの他にもう一人の姿があった。
「ああ、セアラ。ちょうど良かった。今日は見習いが来ているから、体が平気なら少し手合わせするといい」
「はい、お兄様」
「俺はちょっと例のアレを取って来るから、待っていて」
修練場から出て行く兄を見送り、ちらりと視線を向けると、同じ年頃の少年が頭を下げる。
黒髪に緑の瞳の少年は、騎士見習いというよりも貴族の子息という落ち着いた雰囲気だ。
「ランディー・マレットです。学園では同学年になります」
「マレット伯爵家の方でしたか」
ランディーの名前は記憶にないが、騎士見習いということも加味すると、恐らく跡継ぎではないのだろう。
ギルバートも公爵家の跡継ぎでなかったなら……至らないセアラが婚約者のままでも、我慢していただろうか。
「『深紅の薔薇』と呼ばれるセアラ様に再びお会いできて、光栄です」
ぼうっと考えごとをしているセアラの手を取ると、ランディーはその手の甲に振れるか触れないかの口づけを落とした。
「――え?」
かろうじて手を振り払うのは抑えたが、声は止められなかった。
伯爵令息としてのただの挨拶だとわかってはいるのだが、騎士見習いと紹介されたので想定外である。
「あ、あの。ここではただの騎士見習いの見習いのようなものですので、そんなに丁寧な挨拶は結構です」
「『深紅の薔薇』と呼ばれる子爵令嬢としてだけでなく、あなたの剣の腕にも敬意を抱いていますので」
「剣の腕……?」
そう言えば、さきほどランディーは『再びお会いできて』と言っていた。
セアラの記憶では彼に会ったことはないはずだが、どういうことだろう。
いつの間にか戻って木剣の用意をしていたマーウィンに視線を向けると、少し気まずそうに眉を下げた。
「ランディーは、学園入学前の……あの時、ここにいた見習いだよ」
セアラは自分でも顔色がさっと変わるのがわかった。
――あの時。
ギルバートの剣を一撃で弾いた時。
確かに、修練場には他に見習いの姿があった。
ギルバートのことが衝撃が大きすぎてすっかり頭から抜けていたが、家族とギルバート以外にもアレを見た人がいるのだ。
「……そう、ですか」
「私はあの時のセアラ様の動きを見て、衝撃を受けました。こんなに美しい御令嬢が、あれほど見事に剣を振るうとは思いもしませんでしたので」
「それは……どうも、ありがとうございます」
悪気はないのだろうが、それは褒め言葉ではない。
美しい御令嬢は、剣を取らない。
まして、婚約者の剣を一撃で弾いたりはしないのだ。
「婚約者のノーマン公爵令息が羨ましいですね。……そういえば、最近学園で一緒にいないと噂を聞きますが」
それどころかセアラが婚約破棄されるという噂すらあるが、何も本人に言う必要はないだろう。
だが見る限り嫌味を言っている様子もないので、そのあたりの機微に鈍いのかもしれない。
騎士を目指す男性にはこの手のタイプが多いので、怒るというよりは呆れてしまう。
「そうですね。今はギルバート様の理想の花嫁を探しているところです」
「は?」
「ちょうどいいので、聞かせてください。男性としては、妻の他に愛人を持つというのはどうなのでしょうか?」
「ええ?」
一応、デリックにギルバートの意向を確認してもらうよう頼んではみたが、どうなるかはわからない。
他の男性の意見を聞いておいて損はないだろう。
「そ、そうですね。少なくとも私は、大切な人がいるのに裏切るようなことはしたくありません」
「そうですか」
では、ギルバートもそうだろうか。
となると、花嫁候補をひとりに絞る必要がありそうだ。
「ありがとうございます。参考になります」
「いえ、あの、セアラ様。理想の花嫁を探すというのは、自分以外ということですよね? あなたはそれでいいのですか?」
慌てて心配そうに尋ねる様子が面白くて、セアラは口元を綻ばせる。
「嫌がられているものを続けても不毛ですから。どうせなら、幸せになってほしいじゃありませんか。……さあ。それでは、手合わせをお願いしますね」
木剣を手にして微笑むと、ランディーは複雑そうな表情でゆっくりとうなずいた。
「聞いたよ? 聞いたよ? 命がけで聞いた俺を、褒めてほしいよね」
いつものように王族専用区画の一室に呼び出されたセアラは、早々にデリックにため息をつかれた。
今日はパトリシアの姿がないが、何か用事があるらしい。
「ギルは愛人を持つ気なんて、これっぽっちもないってさ。――聞くまでもないよね! 俺、気疲れしただけだよね!」
確かにデリックは怒っているというよりも、疲れていると言った方がいい様子だ。
「ありがとうございます、デリック様。でも、せっかくならアイリーンさんとマージョリー様のどちらが好みか、聞いてくださっても良かったのですが」
「そういうのはね、自分で聞いてくれる?」
嫌いな婚約者からでは角が立つからお願いしたのだが、確かにデリックひとりにすべてをお願いするのは失礼か。
だが愛人を考えていないのならば、花嫁候補はひとりということ。
これがハッキリしただけでも、ありがたい。
セアラの調査した限り、ギルバートが接する回数はアイリーンとマージョリーが他よりも多い。
嫌ならばセアラと同様によそよそしくなるのだろうから、あの二人に好意はなくとも嫌いではないはずだ。
「……となれば、必要なのはステップアップ。より親密になれるように、お膳立てが必要ですね」
「聞いてる? セアラが自分で話をするんだよ?」
「はい、デリック様。自ら二人と話して、ギル様との親密度を上げられるようにお手伝いしていきたいと思います!」
「……うん。聞いていないよね」
ため息と共に紅茶を飲むデリックを横目に、セアラはラブラブステップアップ大作戦の構想を頭の中で練るのだった。
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