2.ドラゴンの学校
ティフォンの挑発に乗り、ファフニールが学園に現れた。
「うむ、良く来てくれた!」
「貴様、何もあそこまで大声で怒鳴りつけなくても……」
ご機嫌のティフォンに対して、ファフニールは握り拳に力を込め怒りに耐えている。
(俺の財宝の中に、久方ぶりに新たなものが増えるかもしれない……)
ファフニールは人間の若者たちが興味を持つモノが、一体何であるのか気になって堪らない。
「うむ、お前は一応、私の親戚で苗字はドランコ。スイス出身でフランスからの留学生ということにしておいた。日本の学校は四月から始まるが、お前は四月五日の明後日から二年生として通ってもらう。何かあれば私のところか、ヤマタノオロチ……教頭の山田先生に相談すると良いだろう。生徒の中でも適当な者がいるが、少し待て」
「はあっ? 何で、俺がそんな面倒なことを……それに、ヤマタノオロチとは誰だ?」
「うむ、彼等を理解するには、彼等と共に生活するのが一番であろう? それから、ヤマタノオロチは、この国のドラゴンだ。これからは、山田教頭先生と呼ぶように」
ティフォンは熱い教育者らしく、勝手にファフニールを自分の学校の生徒にしていた。
ファフニールは更に拳に力を込め、眉間に皺を寄せる。
誰が見ても不快感を顕にしているが、ティフォンは気にも留めない。
「お前の新しい住処だが、寮の部屋を用意しておいた。喜べ、私の学園は全室個室だ! お前の制服や教科書、カバンなど必要なものはすべて用意してある」
「お、俺が人間たちと、寝起きを共にするのか……」
ファフニールの怒りが頂点に達しようとしているのを、
「女子寮もあるが、無断で立ち入りは禁止だからな。わはははははははははははははは」
気にも留めないティフォンは、人間世界でお決まりの冗談を言うと笑い出した。
「も、もうたくさんだ! 馬鹿にするな! 帰る!」
「何を怒っているのだ。そんなに気が短くては、人間世界で生活出来ないぞ。彼らは、我らと違い、賢くないのだ。それに人間の若者が興味を持つものが何か、知りたくはないのか?」
ファフニールは、すっと全身の力が抜ける。
――男子寮。
ファフニールは男子寮に入った。
(俺の部屋は、二十二号室。二階の一番奥の部屋か……何故か人間たちの視線が、俺に集まっている気がしたが……下等生物どもめ!)
ファフニールの人型は赤い瞳に長い黒髪を後ろに縛り、風変わりに見えたが長身の美形であったのだ。
女子生徒だけでなく、男子生徒からも注目を浴びていた。
ファフニールは部屋に入ると、机の上に置いてあった手引書を手に取る。
ティフォンがファフニールのために作ったものであるが、読み始めた。
(なるほど、このパソコンというものを使って、人間世界のことを調べることが出来るのだな……)
ファフニールは椅子に座り、机の上に置かれていたパソコンを触る。
初めは使い方がイマイチ理解出来なかったが、ティフォンの手引書に簡単な使い方が載っていたので、理解するのにそれ程時間は掛からなかった。
(しばらく見ない間に、人間は凄まじく便利な物を作ったな……だが、うーん……)
ファフニールはネット検索で、色々な事を調べられることが分かり感心されられる。
だが具体的に何を調べたら良いか、分からない。
現在の人間社会に対しての知識が、ほとんどないためである。
そこで、まず手引書に載っていた学校の授業という学問に使う教科書を見ることにした。
(これを一通り読めば、今の人間たちの文明・文化が分かるだろう)
ファフニールは、一心不乱に教科書を読み続けた――
――数時間経過して、扉を叩く音が聞えた。
「あのー、転校生のファフニール君? 僕は風間だけど……夕食の時間だよ。校長先生から、君のことを頼むと言われたんだけど……」
ティフォンが先程、今年度ファフニールとクラスメイトになる予定の『風間正純』(かざままさずみ)に、しばらく面倒を見て欲しいと頼んでいたのだ。
(!? 何やら、外が騒がしいな。遮音フィールドでも展開するか……)
ファフニールは同級生の食事の誘いを耳障りと感じ、音を遮断する結界を張った。
(さて、続きでも読むか……)
ファフニールは静かになった状態に満足すると、黙々と教科書を読み続ける。
――二十四時間程経過した。
ティフォンはファフニールの様子を見に来たが、
「おい、ファフニール! 何をしている……はっ!?」
昨日ファフニールの面倒をお願いした風間から何度部屋の扉を叩き、呼び掛けても返事がないと言われたからだ。
半分切れ掛かっていたティフォンであったが、部屋に張ってあった結界に気づき。
「ファフニール! 何をやっているのだ――!」
周辺は地震が起こったかの様に揺れ、隣に立っていた風間は気絶した。
ティフォンの顔が一瞬ドラゴンに変わり、怒鳴り声を上げたのだ。
結界はティフォンの発した声で破壊された。
「騒がしいな……一体何のようだ? 俺は忙しいのだが……」
「お前はもっと空気を読め! ドラゴンだからというオチはなしだぞ! 机の上の手引書は見たか? いや、お前の性格だ……絶対に見ている筈だ! 人間社会は規律・規則・時間を守るのがセオリーなんだ! お前のために、わざわざ風間に面倒を見てもらおうとしていたのに、結界を張って引き篭もると何事だ!」
部屋の扉を開け、涼しい表情で迷惑気な視線を送るファフニールに、ティフォンの説教は容赦なく浴びせられた。
ファフニールはドラゴンにしては我慢強く、冷静な性格であろう。
何せ、山奥の洞窟の中で一人も現れなかった人間の勇者を、数千年待ち続けたくらいである。
それでもプライドは、他のドラゴンと同様に高い。
「そんなことは分かっている! ここは学ぶ所なのだろう! 俺は学んでいたのだ! 勉強の邪魔だから結界を張ったのだ! 決して、引き篭もりではない! その言葉は二度と使うな! 何だか、イライラしてくるのだ……はっ!? 俺のために? 俺の面倒?」
ファフニールは、冷静なドラゴンである。
切れた後でも、すぐに事実を客観的に受け止めることが出来る。
「うむ、そこで気絶している風間は、忍者という嘗ての国の諜報員の子孫らしい。この学園で、我らのことに気づいた唯一の人間だ。人間の中では能力も高いことだし、お前のことを任せることにした」
「何だと……人間如きが、我らの正体に気づいたのか? 殺すべきではないのか?」
ファフニールは、地面に転がっている若者に冷たい視線を送る。
「うむ、私も気づかれた時は、一瞬悩んだ……だが、誰にも話すつもりはないと言ったし、嘘ではないようだ……。私も一人くらい、我らのことを知っている人間がいた方が、便利だと思ったからな」
「確かに都合が良いこともあるだろう。だが、何かしらの見返りを要求したのだろう?」
「うむ、我らのことを知りたいと言った。」
「はあっ? 何だ、その条件は……怪しくないか? 我らのことを知って、何かしらの企てがあるのではないか?」
ティフォンのあまりにあっさりした返答にファフニールは驚いた。
ティフォンは人間と関わり過ぎて、どうかしてしまったのではないかと疑ったのだ。
「うむ、お前らしい考えだな。だが、違うようだぞ。この風間の一族は、嘗て神獣を召還する程の一族であったらしい。今は没落して使えないようだがな……。我らを利用して力を取り戻したいのかと疑ったが、何度心の中を覗いても違った。単に好奇心が理由らしい。実に馬鹿げているが、我らを前にしても、全く動揺しないのも合点が行く」
「はあーっ? 何だ、その理由は? 何の対価もないに等しいではないか……」
ファフニールはティフォンの話を聞き、立て続けに二度も驚かせられた。
そして、今まで冷たい視線で見下ろしていた人間に、少しだけ興味を持った。
――始業式。
今年の冬は寒かったせいか、春を感じさせる桜の開花は遅い。
校内の到る所に植えられた桜は、七分咲きといったところか。
開いた花びらの他に、所々に膨らんだつぼみが薄いピンク色を覗かせ、可愛らしく存在感を現している。
まるで新しい学園の仲間を歓迎するかのように。
二年八組の朝のホームルームで転校生が紹介された。
その転校生が教室に入った瞬間から、教室の中が静まり返り、息を呑む雰囲気に変わる。
長身に赤い瞳、整った顔立ちは、特徴的な人気モデルやタレントのものとは違っていた。
人形の様な顔立ちは、全く隙が覗えない程整っている。
容姿端麗、眉目秀麗と言った言葉がこれほど当て嵌まる者は、他にいないだろうと誰もが感じた。
また、この転校生の表情が全く変わりなく無表情であることから、より幻想的で知的な印象を感じさせる。
ストレートの長い黒髪を紐で後ろに縛った姿は、十六歳にしてはあまりに落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
紺色の学ランは、綺麗に首元まで締められている。
その転校生の視線の先は、どこまでも遠くを見ている様に感じられた。
留学生が多いので、転校生は珍しくなかったが。
転校生の挨拶に、理事長兼校長のティフォンが付き添っていた。
身長二メートル二十センチという巨大なティフォンが隣に並び、本来長身の転校生が小さく感じられる。
「うむ、本年度の新しいクラスが決まったばかりだが、君たちに新しい仲間を紹介する。本日付けで転校してきたファフニール君だ。私が付き添ってきて、君たちも気になっている様だな……彼は、私の親戚で出身はスイス、フランスからの留学生だ。本来は大学に通える程度の成績を収めているのだが……田舎の出身で、同世代の友人がいないことから、語学研修も兼ねて留学することになった。みんなよろしく頼むぞ。ほら、お前も挨拶しろ……」
ティフォンはどう見ても格闘家としか思えない風貌であったが、学校の先生らしく転校生の紹介を行った。
その様子を隣で感じていたファフニールは、素直に気持ち悪いと感じてしまう。
「……はあっ!? 何故、俺がこんな下等生物共に……」
「あっ!? まだ、日本語は慣れていないようだな……」
『パァァァァァァァァァァァァ――ン!』
ティフォンは、ファフニールの言葉を遮る様に頭を引っ叩いた。
辺り一面に凄まじい衝撃波が起こる。
窓ガラスが割れるかと思われたが、何とか無事である。
「き、貴様、いきなり何をする!」
ファフニールはティフォンを睨みつけ、一触即発の空気が漂う。
「あーっ……先生、ちょっとトイレに行かせて下さい」
一人の生徒の発言で、注目はそちらに傾く。
ファフニールが気づかぬ内に、風間が座席から教室の扉まで移動し声を上げたのだ。
「あ、あいつ、いつの間に移動したんだ……」
ファフニールは、ティフォンに対する怒りも忘れて小さな声で呟き、風間を見つめた。
「……あいつ、影薄いよな……」
「……あんなヤツいたか?」
クラスのあちこちから、風間に対する陰口が聞えてくる。
「ファフニール、感謝しとけよ……それから、お前の口からも何か言ってくれ!」
ティフォンは、ファフニールにしか聞えない様に一言発した後、再び自己紹介の催促をした。
ファフニールは、自分に動きを悟らせなかった風間が気になったが、仕方なく何か話すことにする。
「ああ……」
一言、声を出したファフニールに一斉に視線が集まる。
僅かな時間、教室は静寂に包まれた。
みんな次の一言に集中して、息を呑み見守っている。
「俺の席はどこだ?」
『はあーっ?』
ファフニールの一言に、一斉に周りから気の抜けた声が出された。
それでも、女子生徒の視線はファフニールに釘付けである。
男子生徒からは、がっかりさせられたと思う者たち。
意外と面白いヤツでは、という期待を持った者たちとで印象が分かれた。
そんな周りの様子に、ファフニールは無関心である。
何故ならドラゴンだからである。
流石にティフォンも諦めて、ファフニールに空いている席を指差した。
転校生としては、定番らしい一番後ろの席である。
――二週間後。
一年生から二年生への進級は、基本的にエスカレーター式だ。
しかし、クラス替えは、進路に合わせて行われる。
クラス内ではそろそろ新しいクラスにも慣れて、少しずつ決まったグループが出来つつあった。
一方クラス外では、入学式後の恒例となりつつある新入生のトラウマが治まりつつあった。
二週間前の入学式――
理事長兼学校長の挨拶で、講堂の壇上に上がったティフォンを見て、新入生は声をなくした。
元々厳粛な場なので静かではあるが、開いた口が閉まらない状態になったのだ。
身長二メートル二十センチ、体重百四十キロの巨体を目の当たりにすると、驚く程大きく見えた。
ただでさえ驚いている状態で、ティフォンの声を聞かされたのである。
十年余りで、全国でも屈指の文武両道の名門校にさせたティフォンは熱かった。
ただの熱血教師ではなく、本当に熱いオトコである。
ティフォンが壇上に立つと講堂の温度が上がり。
その声はマイクなしで講堂全体を震わせ、声を発する度に地震の様な振動が生じたのだ。
驚いた生徒の中には、気絶する者が何人か現れた。
だが、それ以上に、その圧倒的な存在感に心を奪われる。
ある者は畏怖、またある者は憧れと、生徒により抱いた感情は様々であった。
勿論、これだけの存在を誇るティフォンの事は、事前に知っていた者が大半である。
しかし、事前に情報で知り得たものと、実際に目の当たりにして感じ得たものは同じではない。
それでも、人間は環境への適応力が高い種族である。
毎日目の当たりにすれば次第に慣れていく。
特に今年は、例年になく、それが早いと言えるであろう――。
「お前は、何度同じことを言わせれば分かるのだ! 馬鹿なのか? 昼は飯くらい食えよ! 休み時間にトイレくらい行けよ! 移動教室以外、一日中自分の席に、置物の様に動かない人間がどこにいるんだ! ちょっとは常識くらい考えてくれよ!」
「貴様こそ、俺への態度が日に日にぞんざいになっているぞ! そもそも俺は、常識的に過ごしているぞ! 授業中も大人しくしているし、校則に記されていることは、他の誰もよりも守っている筈だ! 貴様の目は節穴ではないのか?」
ティフォンは赤いオーラを放ち、ファフニールは黒いオーラを放ち、一触即発の空気をぶつけ合う。
「ヒィイイイイイイーっ! ド、ドラゴ……」
たまたま近くにいた生徒が、その光景を目撃して悲鳴を上げた。
だが、途中まで言い掛けて言葉が出なくなる。
ティフォンとファフニールの姿が一瞬、顔だけドラゴンに見えたのだ。
勿論、ティフォンの魔力で、言葉を遮断させられたこともある。
しかし、この光景を度々複数の生徒が目撃したが、誰も話題にしなかった。
そんなカオスな状態を止めるのは、毎回教頭の山田先生である。
また、山田先生以外いないと思われていたが。
『パリーン!』
「あっ? どこかでガラスが割れる音がしたぞ!」
そんな時、時折窓ガラスが割れる出来事が起きる様になった。
「誰だー! ガラスを割ったヤツは! 今日こそ捕まえてやるからな……」
ティフォンはファフニールに目もくれず、人間とは思えない素早さで現場に急行する。
だが、今回もガラスが割れている現場には、誰もいなかった。
ファフニールは気にも留めず、自分の部屋に帰る。