9.外へ
初めての外だ。
この門を潜れば魔獣が出て来るフィールドが広がっているんだな。
町にはそうそう近寄って来ないらしいけど、ないこともないだろう。
正式にクラウスのパーティメンバーになったのではなく、試しにパーティに入れてもらって、ついていけそうなら、ということで手を打ってもらった。
「随分、慎重だな」
そういうマグヌスはもう良い年なんだから、落ち着いた方が良いと思うよ。
実は、言葉を覚えて冒険者ギルドで雑用を請け負っていた時にも他の冒険者に一緒にパーティを組むかと声を掛けられたことはあった。
でも、まだ踏ん切りがつかなかった。
正直に、自分は大したことができないと話した。別に良いよ、と言われたが、しり込みした。初対面の人間だ。こっちは戦闘慣れしていないのだから、いつ背中を狙われるとも限らない。
少しは警戒心というものを持つようになったのだよ。
力が全ての世界だ。力は時に財力で買える。だとしたら、力か金か権力かを持つ人間に服従するしかない。
向こうの世界もオラオラ系がいた。暴力団体もいた。でも、抑止力があった。こちらの世界では、あっても、一部の者しかその恩恵は受けられない。自分の身は自分で守るしかない。
だからこそ、冒険者になるのかな。手っ取り早く力と富を得ようとする。職人のように毎日コツコツと地道な作業や汚い仕事、しんどいことをするのが嫌で、もしくはできない人間たちだからな。
そりゃあ、恋愛観も変わっているよな。
クラウスたちなら人柄も分かっている。
彼らの話を聞くうちに、何でもやってみないと分からないな、とも思うようになった。
ふつうはレベルが違い過ぎるとパーティを組まない。
ベテランの域に達しつつある彼らの足手まといになる。
でもさ、一度は外に出てみたかったんだ。
今までこんなに一ところにずっといたことなんてなかった。
それに、この世界をもっとよく見ておきたいんだ。
だから、今回は指導を受けがてらってところだな。恋愛指南を受けたお礼だってさ。
手持ちの金では革鎧なんかは買えなかったから、クラウスたちの持ち物でもう使わなくなったのを金を払って借りた。レンタルだな。
中には露出度の高い格好をする冒険者もいて、男どもの視線を釘付けにしている女性もいる。
異世界にもいたよ、見えそうで見えないたゆんたゆん!
気になるのは防御力だ。
いや、本当だよ。うん。防御力が気になる。……胸のサイズはAから始まるんだよな。冒険者ランクとは逆で。あ、いや、何でもない。
答えは戦闘ではしっかり着込むそうで、あれはファッションなんだってさ。
金掛かってんなあ。
「早いな」
「俺たちが遅かったのか?」
待った? 今来たとこ、ってやり取りは出来れば可愛い女の子とやりたいものである。
「おー、冒険者っぽい!」
振り向いた俺はついそう言っちゃった。
「わはは、そうだろう」
文句を言わずに笑って流すクラウスは短槍を持っている。
マグヌスは背中に大きな斧を背負っている。考えてみれば、じいさんが一番魔獣に近寄って戦うんだな。
すごいよな。
ヘルマンは自分の腹と同じくらい膨らんだ背負い袋を背負っている。行く前から荷物が大きいな。
リーナスは白っぽい革鎧を着こんでいた。
「リーナスの鎧は白いんだな」
「ああ。前に狩った魔獣をなめしてもらったんだ」
「ついたあだ名が純白の弓術士だ」
すでに息を乱しているヘルマンが汗をぬぐいながら言う。
「返り血受けないからだと思っていた」
「あっはは、遠距離攻撃だからな!」
本人が笑って手を叩く。
純白ってほどでもないが、綺麗な鎧だ。目立ったらまずいんじゃないのか?
門の外に出る時には身分証を見せる必要はない。
クラウスたちの後に続いて壁の外へ出た。
なんてことはない地続きだ。
でも、目の前の広がりが違う。
前方の左右は見渡す限りの草原だ。
ところどころ濃く草が生え、背の低い木が立っている。
踏み固められた門の周辺半円状からずっと緑に染まっている。遠くの緑が霞んで空と境界線をぼんやり交わらせている。
街道って人が踏んでできるんだな。どこまでもゆるゆると伸びて行っている。
雲間から降りて来た光はさあ、と広がる。緑野を覆っていた黒いカーテンを見る間に押しやって行く。世界は輪郭を輝かせてその姿を見せる。
思わず笑いながら駆け出してみたくなるような光景だった。
なんて鮮やか。
なんて解放感。
空も大地も広く長くどこまでも続いている。
この世界でなんでもできるような気がした。
同時に、何ひとつできなくてぽつんと取り残された気がした。
何より、清々しい空気だ。
町の中は籠っていたんだな。色んな匂いが混じっていたし。
思わず何度も深呼吸した。
「おい、行くぞ」
「あ、うん」
「そう言えば、コウは冒険者になってから外に出るのは初めてだっけか」
特に警戒する様子もなくパーティは歩いた。
マグヌスは斧を背負ったままだ。
流石に馬鹿話をして笑い声を上げることはない。酒も入っていないしな。
「盾職とかいないの?」
「盾? 持っているぞ」
「ううん、そうじゃなくてさ。盾専門でこう魔獣を引き付ける役をするんだ」
ものすごく笑われた。そりゃあもう、腹を抱えて涙を浮かべている。
「馬鹿だなあ。そんなことをしたら、すぐに死んじまうだろう。第一、そんな役、誰がやりたがるんだよ。痛いし怖いだけじゃないか」
あ、そっか。
ゲームだったらHPが少なくなってもゼロになる前に回復すればいい。でも、現実には痛いんだ。痛みは動きを鈍らせる。傷から血が流れ続ければ失血死に繋がる。それを防ぐための痛みだ。すぐにどうにかしろっていうシグナルだな。体もどんどんだるくなるだろう。
何より、痛いのは誰だって嫌だ。
俺だって、痛いのが嫌だからずっと町にこもっていたんだ。
魔法を真剣に覚えたのだって、遠くから攻撃できるからだ。
「盾も重要だが、俺は武器を新調したいね」
「武器は戦闘ごとに手入れするのか?」
「流石にそこまではできないよ。町に戻って来た時に研ぎに出すくらいだ」
「これが馬鹿にならないんだ。伝説の剣とまでいかないが、手入れしなくても良い武器はないかねえ」
「伝説の剣?」
ほうほう!
そういうのもあるんですね。聞かせていただきましょう!
「神々が鍛えた剣ツヴィックナーグル、ドヴォラクの角から削り出した剣ツェプター、そして、使い手を狂わせる剣ウェイスェンフェルトだ」
いいねえ、いいねえ!
これぞ、異世界って感じだね!
「確か、ツヴィックナーグルは勇者が持っているんだよな」
「勇者! いるんだ!」
思わず言ってしまった。
「あん? なんだあ? お前、まさか、勇者を知らないって言うのか?」
驚いて見つめられ、必死に言葉を探す。
「ああ、言い間違えた。勇者が持っているってすごそうな剣だなって思ってさ」
「そりゃあそうさ。何せ、魔王を倒した剣だからな」
「聞いたところによると、雷を呼ぶことができるそうだぜ」
魔王。いるんだな! あ、でも、もう倒されたのか。じゃあ、少しは安全になったんだな、ここは。
知っていて当然のようだ。
危ない危ない。
こういうところでボロが出る。
他の世界からやって来たって言って、どれだけ信じてもらえることか。何か不利なことになりかねないように、一般人の振りをしておいた方が無難だろう。
それにしても、雷を呼ぶってのはなんだろう。メルから教わった魔法にはそんなものはなかった。話の内容からも、それがすごいことのようだ。
あ、聞き流していたけれど、ドヴォラクってのは角があるということは魔獣か。伝説の剣になったくらいだから、強い魔獣なんだろうな。
「勇者ってさ、姫と恋に落ちたものの、その姫がどこかの王族と婚約が決まっていて、悲恋をはかなんで出奔したそうだぜ」
人間、そういう話好きだよな。お姫様と英雄の恋愛模様。
「コウも興味ある?」
「いや、特に」
そんなことを話していると、いつの間にか沼地に近づいていたらしい。
地面がぬめっているなと思った途端、靴底が滑り、体勢を大きく崩して手をついたらそこには岩があって、掌が擦り剝けた。泥に手を突かなかっただけましかな。
パーティメンバーには大笑いされた。
これが現実だ。
初めての戦闘相手は蛙だった。
五十センチくらいありそうな犬みたいなやつ。体がぬめぬめしていて黒っぽかったり茶色な地味なやつ。枯れ葉が溜まっているところにじっとしていられると全く分からない。
「あれは擬態が上手いやつな」
「派手な色のやつがいなくて良かった」
「派手な色のやつもいるのか? 目立ってすぐに分かりそうだけれど」
「ああ、そういうやつは大抵毒持ちなんだよ」
「んで、毒液を飛ばしてくる」
「うげぇぇぇ」
ヘルマンとリーナスと小声で話しつつ、目はしっかり蛙に固定している。その視界にクラウスとマグヌスが入って来る。ある程度近づいたら攻撃する手はずだ。
「コウ、初めてだろう? 初撃は譲るよ」
「え? 良いの? あ、でも外すかもしれないし」
「魔法を外すってよほどだぞ。威力がなくて気が付かれるかもしれないがな。そうなっても俺とリーナスでどうとでもしてやるよ」
なんとも頼もしいことで。
クラウスのパーティを選んで間違いなかったと思いつつ、ありがたく初めの攻撃をさせてもらった。
俺はまだHランクだ。見習いだ。
覚えた魔法は水と土。
どちらも蛙には効き目が薄そうだから、短縮せずに全部呪文を唱えて火力を上げよう。
コギャル語を人前で使い続けた俺だ。
むず痒い呪文もなんてことない。
「おお、水の生命の流れよ。時に奔流となり、時に優しくたゆたう。その力を用いて、我が眼前の敵に向かいて矢のごとく駆け、刺せよ!」
ちゃんと最低ランクだと申告している。ヘルマンが片眉を上げる。
調子に乗って短縮魔法で威力を出せなかったり、緊張しすぎて呪文を間違えることもなく、俺の目の前で魔力が結晶化し、水が矢の形を作り水滴を散らしながら一直線に飛んでいく。
狙うは蛙の目の辺り。動物の急所のひとつだ。
濁った悲鳴を長く響かせ、蛙が垂直に跳ね上がった。その目には消える寸前の水の矢が見えた。
「よし!」
狙い通り。
結構、命中率高いんじゃないか?
「なかなかやるじゃないか」
リーナスが俺の肩を叩く。
そのまま一歩前に出たので、逆に俺が下がる。
作戦を練った時に指示された通り、背後を警戒しつつ、ちらちら戦況を窺う。
落ちて来た蛙にヘルマンの魔法が飛ぶ。
「刻め、火の刃!」
うお!
火の魔法だ。
やっぱ、一番威力がありそうだよな。
しかも、刃。
Eランクでも全員が使えるのではないやつだ。
蛙がずたずたに切り裂かれる。ちょっと焦げた臭いがするくらいで、体全部が燃えるのでもないみたいだ。
違う落ち葉だまりから同種の蛙が何匹か飛び出て来た。体が泥をかぶっているだけでなく、同じ色をしているので、膨れ上がって見える。
そこへリーナスの矢が飛ぶ。こちらは木に鉄の鏃がついたもので、一本一本に金がかかっているので、出来れば回収したいのだそうだ。
うん、そうだよね。消耗品にしては高いし、使う頻度も高い。
クラウスとマグヌスが武器を振りかざして飛び掛かる。
あっという間に四匹倒された。
後は三匹だ。
あ、マグヌスが泥に足を取られて体勢を崩した。すぐには姿勢は戻らない。相手に地の利があるんだ。
ヘルマンが一匹に火の刃を食らわせる。一発で事足りた。相性が良いこともあるが、結構な火力があるな。
クラウスは残る一匹の相手ですぐには助けられない。
リーナスが背中の矢筒からどんどん矢を取って放つ。
文字通り、矢継ぎ早、だ。
一本二本外すが、気にせず撃つ。
魔獣を完全にその場に縫い付けている。
その間に体勢を整えたマグヌスが戦斧で一刀両断にする。すごい力だ。たぶん、武器の重みを利用した勢いでもって、硬そうな魔獣の皮膚の中でも弱い部分を見極めているんだろうな。
いや、すごい。すごいよ、このパーティ。
七匹の魔獣をいとも簡単に倒した。
「さあ、解体だ。足場が悪いから、気をつけろよ」
「初手はコウの魔法だったか。あれは狙って撃ったのか?」
「うん。二人が譲ってくれたからさ」
「リーナスの矢のように正確だったな」
「あれだけしっかり狙えるなら大したものだ」
クラウスの言葉に当のリーナスが乗っかって褒めてくれ、ちょっと、いや、大分嬉しい。
弓矢は援護射撃だけれど、リーナスは完全にその場に縫い留めていた。足止めしつつ、虎視眈々と仕留めるのを狙っていた。
ヘルマンだって、ものすごい火力だ。
それも、魔獣を引き付ける接近戦役がいてこそだ。初撃の後、気づかれて近づかれたら詰むからな。
そう言ったら、マグヌスが考え込んだ。
「ふうん。さっきコウが言っていた盾役というのか? それと似たようなもので、魔獣をしっかり引き付けておいて、ヘルマンやリーナスに攻撃を任せる、というのも一つの戦法かもしれんな」
「今までもそうしてきたじゃないか」
顎を撫でるマグヌスにヘルマンが返す。
「そうなんだがな」
「うん、でも、これは例えば素早い敵なんかには特に有効だと思う」
「ほう?」
「ええと、例えばさっきの蛙がすばしっこかったら、中々剣や斧が当たらないこともあるだろう?」
「確かに、そういう時もあるな」
実際にあったのだろう。クラウスだけでなく、他のパーティメンバーも苦い顔つきになる。
「そういう時、無理に攻撃を当てようとしないで、防ぐことに専念するんだよ」
「ふむふむ」
「それで、マグヌスやリーナスが隙を見て当てるんだ。これなら、矢にしろ魔法にしろ無駄にせずに済むだろう?」
「なるほど。俺たちも防御に集中したら怪我をする確率がぐんと下がるな」
「だろう? さっき言っていた盾役と攻撃役を使い分けるんだよ。きっとこのパーティなら、臨機応変な連携も取れるんじゃないかな。」
「言ってくれるじゃねえか」
「あ、じゃあ、コウも良い線行きそうだね。さっきの命中率は凄かったよ」
「ああ。味方の魔法の矢を食らうのは勘弁してほしいからな」
笑いが起きる。
クラウスたちは話しながらも解体を進めていた。
だから、俺は嬉しい筈の褒め言葉もろくに聞いていなかった。
グロい。
考えてみれば動物の解剖なんて理科の実験くらいだ。
とにかく滑る。
ぬめぬめしている。
蛙の皮が濡れているから余計にだ。
そして、体液は粘性を持っていた。
言われるままに売れる部位や食べられる肉を切り分けていく。
質の良くないナイフではなかなか切れなくて力任せにするしかない。
これ、一人で出来るのか?
教えられてやっても、すっげー時間がかかった!
上手くなるつもりだけれど、でも、冒険者で金を稼ごうとしたら付きまとうことだろう? 中には金出してギルドでやってもらうらしいけどさ。そんな金持ちにはいつなれるのかなあ。つか、ナイフがもう使えないっぽいんだけれど。
クラウスたちが討伐依頼を受けたのは沼地をもう少し行った先にいた。
「うげぇぇぇ」
「気持ちは分かるが、声は抑えろ」
一メートル以上の大きさの平べったい蛙の茶色っぽい背にびっしりと黄土色の丸いもの幾つもがついていた。
俺にも戦闘に参加させてくれようとしたが、先ほどと同じように初撃だけ撃たせてもらって、後は背後から敵が来ないか警戒することにした。解体で全く役に立たなかったことが尾を引いていた。ちょっとくらい初めての魔法が当たったからって、全てが上手くいくわけもない。そんな考えが俺を慎重にさせた。
ヘルマンとリーナスの攻撃は命中した。
背中の丸いやつはどうも卵だったらしく、割れると体液や孵る直前の何かが見えた。離れていて良かった。
と、背中の丸いもの、推定卵が引っ込んだ。蛙の背中に沈み込んでいく。背中は一面穴だらけになった。
「な、なんだ、ありゃあ」
「親が卵を摂取した?」
ヘルマンやリーナスも気味悪そうに、戸惑った声を上げる。
突然、穴から何かが飛び出した。
「このっ」
咄嗟にクラウスが槍を払う。
時間差で次々に飛び出て来たのは小さい蛙だった。
「卵が孵ったんだ!」
「どんどん出て来るぞ。気をつけろ!」
こっちの方にまで飛んでくる。
魔法と矢が走る。
「痛っ!」
慌てて手を振ると、手の甲に二、三センチくらいの蛙が乗っかっていて、たぶん、噛みつかれたんだ。
総毛立つ痛みにパニックを起こしそうになる。
なのに、頭のどこかは妙に冷静で、ちゃんと小さい角がついているんだな、とか考えていた。
乱暴に逆の手で払いのけると、肉を持って行かれる。
焼けつく痛みに怯んだ。もう片方の手で布を取り出してしっかり傷を防ぐ。
どくどくと心臓の鼓動が速くなる。
奥歯を噛みしめて堪える。
なんでなんだ。
どうしてこんな世界に来てしまったんだ。
俺はその戦闘では固まったまま、なんの役にも立たなかった。
実は水の矢は「穿て」まで練習している。結構魔力を食うが、ここぞという時には使えるようにしておきたいと考えていた。
でも、それがなんだ。
ここぞという時に全く動けなかった。
備えていても憂いばっかりじゃないか。
俺はこの日、自分の情けなさ加減に打ちのめされた。