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6. 夢が死んだら人生は飛ぶことのできない悲嘆に暮れた鳥 (ラングストン・ヒューズ)

 

 労働や商品の媒介として貨幣はやり取りされる。生きていくためにはこれが必要だ。

 冒険者登録をしたのも、路銀を稼ぐためだ。冒険者の仕事は討伐や採取、調査、護衛など多岐に渡る。

 ギルド職員に自分に向いている仕事をするものだと言われて希望を尋ねられ、護衛や調査よりも討伐や採取を積極的に受けている。


「ランクが上がるにつれて、採取をする人が減るから助かります。スウォルさんが持って来てくれるのは状態も良いし、何より、間違いがない」

「植物は似た物が多いからな」

「ええ。誤食が後を絶たなくて、毎年食中毒で死ぬ人間は多いです」

 毒を持つ植物が食べられる植物と似ていることはままある。一般的にもそうなのだから、多種多様な植物の中からたった一つの正解を見出す採取の仕事は旨みがないのだろう。分かりやすく手に入りやすい植物であればその分、報酬も安い。仕事を受けても期限切れになれば報酬が得られないどころか、マイナス評価が付けられる。マイナス評価が溜まればランクが下がることもあると聞いている。


「討伐依頼の数も順調ですし、何より、ランク以上の魔獣も倒しているそうですね。買取り担当に聞いていますよ。きっと、すぐにランクを上げることができるでしょうね」

 にこやかに言われる。

 ギルド職員からうわさ話や周辺の暮らしぶりなどを聞くのは好きだが、自分のことを褒められても大して嬉しくない。

 後にパーティメンバーにそう言うと、普通は逆だろう、と言われたことがあるが、指摘されるまで気づかなかった。


「そこで、スウォルさんにぜひ受けていただきたい依頼があるんです」

「植物採取か?」

 ギルド職員が我が意を得たりと頷く。

「こちらもポピュラーな薬草などは分かるんですが、初めて聞くものもたまに依頼されるのです」

 それで、間違いを防ぐために直接依頼主に会って話を聞くようにと言われた。

「あとはあまり人に知られたくないようでして」

「知る者は少ない方がいいということか」

「そうです。受けられますか?」

「ああ」


 さりげなく別室へ誘導された。声を上げることなく潜めることもなく、自然体だったが、それでも、別室へ案内される冒険者、というのは目立つらしく、他の冒険者たちの視線を感じた。

「実はですね。この依頼は極秘扱いになっているのです。とある貴族の女性からのものでして」

「俺みたいな新人には依頼したがらないんじゃないか?」

「ですが、このギルドに登録している冒険者の中でスウォルさんほどに植物に詳しい人はいません。あとは人柄でギルドの方で受ける方を選別しました」

 さも選んでやったといわんばかりの言いぶりである。有り難がってモチベーションを上げる者もいるのだろう。


 詳細な内容は貴族から聞くようにと言われた。

「貴族本人に? 使用人ではなくて?」

「そうです。知る者は少ない方が良い」

 だからこその、極秘だという風に顎を上げて見せた。


 指定された時間に指示された場所に向かった。

 貴族の別宅はひっそりとした佇まいで、町の喧騒とは一線を画していた。

 通された部屋に現れたのは、意外にも年若い女性で、少し年下に見えた。貴族の女性の適齢期は知らないが、ニ十歳になる前には結婚しているだろうから、こんなものか。

 平均的な身長よりも少しばかり低く、太っても痩せてもいない俺の体形から比べれば随分小柄に見える。

 片手で首をへし折ることができそうな、という表現をするそうだが、きっとそんな感じなんだろうな。

 スカーフできっちりと巻かれている首は細そうだ。

 でも、なんだろう。

 知性のこもった眼差し、ならず者と同一視されがちな冒険者にも負の感情を見せない立ち居振る舞いが好ましく思えた。

 少し気分が高揚してくる。


「お待たせしました。わたくしが依頼をした者です。申し訳ございませんが、名は伏せさせてくださいませ」

「構わない。詳細はこちらで聞くように言われた」

 言いながらギルドの紹介状を手渡す。

 普段なら、使用人が受け取って確かめるのだろう。両手の指先は体の前面で軽く重ね合されたままだったが、はたと気づいて受け取る。差し伸べられる腕の優雅さが香り立つようだった。

 袖から覗いた傷に気づくも、素知らぬ顔で視線を逸らす。


「どうぞお座りください。説明いたします」

「この仕事を任せるのは俺でいいのか?」

「はい。冒険者ギルドでも素晴らしい成果を上げておられると記載されております」

 彼女は採取する植物に関して語った。

 姿かたちや大きさだけでなく、どんな環境で育つかまで詳しく説明した。


「それほど詳しいのなら、人に頼まなくても自分で採って来れそうだな」

 貴族だから護衛はつく。そうすれば、冒険者なんていう、いかにも秘密が漏れそうな者に聞かせることはないだろう。

「そうですね。どんな場所に育つか分かるので、この屋敷を出ることができたならば、自分で採取できたかもしれません」

 美しい顔が曇る。

 大仰に眉をしかめたりはしないものの、諦めが滲んだ表情になる。

 それがあいつの境遇と重なって思えて、苛立たしくなった。

「籠の中の鳥か」

 だから、言うべきではないことを言ってしまった。詮無いことだ。

「そうですね。ですが、籠の中の鳥も生きるためには美しく装い、美麗な歌声を持たなければなりません」


 俺は失言を恥じた。

 彼女は懸命に自分の道を探していた。

 事情を知らないのに余計なことを言うべきではなかった。

「いや、悪かった。失言してしまい、申し訳ない」

「ええ。許します」

 いっそ貴族的な物言いが心地良いくらいだった。

 そして、彼女が向けてくる視線がどこか柔らかくなったように思える。

 俺がした失言程度、良く浴びせられるものなのかもしれない。率直に非を認めて謝罪したことを好ましく思った風だ。


「では、採って来よう」

 立ち上がりかける俺を止める。

「あの、できましたら、土付きのままでお願いしたいのです」

 根こそぎと言うが植物一株全てを持ってこいという。

「育てるのか?」

「はい。そして、幾つかあれば嬉しく存じます」

 一株だけでなく複数となれば、スペアではなく受粉させて長期間手元に置くということだ。

 内心、眉を顰める。


 この植物を長く手元に置くのだから、秘密裏に事を運ぼうとするのも無理はない。

 恐らく、彼女の体に傷があることとなんらかの関係があるのだろう。だからこそ、俺は顔色を変えずに気づいた素振りを見せないよう振舞った。

 採取依頼された植物はとある国の貴族の女性が幼少の頃から育てることをたしなみとする風習があると聞いたことがある。だから、そんなものなのだろう。



 依頼を受けた植物を手に入れるために、自生していそうな山々を巡った。

 体力もあり、寒さ暑さに強い体質ではあるものの、流石に手間を掛けて手に入れたのだから、採取してきたものを渡す際にもう一度会えるだろうと淡く期待していた。

 冒険者ギルドで採取した植物を渡したいと話をつけてもらおうとすると、ギルド職員が受け取って届けるように指示を出されたと言われ、渡すしかなかった。


 検品を受け報酬を持ち帰る間、ギルド併設の酒場にいるよう指示を受ける。

 食事を済ませた後、酒の杯を傾けていると、ひと際賑やかに笑う声が上がった。気がつけば、窓から差す光は茜色だった。


「そりゃあ、すごいよ。何せ、あの魔王を倒したんだよ! 魔物の親玉をさ!」

「そうよねえ。ここいらの魔獣も弱くなってきたし、ようやく冒険者稼業に精が出るってものだわ」

「おや、やる気が出たねえ」

「じゃあ、お姉さん、討伐依頼も受ける?」

「ええ、やりましょう」

「やった! 勇者様々ね!」

 女性ばかりのパーティが意気盛んの様子だ。

 植物採取の依頼をしてきた貴族とは全く異なる生きる活力に満ちた風情だった。


「その勇者なんだけれどさあ、どうも、あっちの国を出て行ったらしいよ」

「えっ、どういうこと?」

「魔王を倒した英雄だったら、この先働かなくても贅沢をさせてもらえそうなもんじゃないか」

 飛び込んできた言葉に思わず聞き耳を立てた。けれど、仲間たちは勿体ないなどと言い合うだけで詳細を聞き出そうとはしない。


 勇者は角を持つ魔物の長を倒した。彼の力や彼が持つ神々が鍛えた剣というものに、以前から興味を持っていたので、詳しく聞いてみたいと思った。

「失礼だが、そちらの話が聞こえて来て、その勇者の話を俺にも聞かせてほしい」

「あらぁ」

「うるさかったかねえ」

 声を掛けると、丸テーブルを囲んでいた女性四人に一斉に値踏みされる。

「そうねえ。ええ、構わないわよ。ねえ、皆」

 及第点は貰えたようで、リーダーらしき女性が頷いた。恐らく、討伐依頼を受けると言った者だろう。


「こういう時は、エールをおごってくれるものですよ」

 一番年下の女性が澄まして言う。

 そういうものかと、店員に貨幣を渡す。

「お、気前が良いね!」

 髪を短く切った少年然とした女性が笑う。

「勇者のことを聞きたいのかい? そうさねえ。結構な色男らしいじゃないのさ。おや、あんたも良い男だね」

 一番年かさの女性が身を乗り出して顔をまじまじと見つめてくる。


「それよりも、魔王のことを教えてくれ。死んだのは確かなんだろうな?」

「もちろんさね。勇者様ご一行が大きな犠牲を出しながらも倒しなすったのさ」

「そうさ。でもね、功績が大きければ嫉妬も大きい」

 短髪の女性がにやりと笑った。

「聞いたところによるとね、王の娘、つまりお姫様が自分に見向きもせずに勇者に夢中になったのに嫉妬した将軍が勇者を追い落としたそうだよ」

「あれ、私は姫を巡って勇者と将軍が一騎打ちをして、勇者が勝ってしまったものだから、体面が保てないと言って王様に口実を作って追い出されたって聞きましたよ」

 最年少の女性が届いたエールに早速口をつけてから言う。

「そんなことあるもんかい!」

「どちらにせよ、色男ってことは間違いなさそうだねえ」

「力も魔力もあるんだ。きっとどこでだってやっていけるさ」

「そうさね。冒険者にでもなってごらん。すぐにランクを上げて報酬をたんまり貰っているよ」

 口々に言い合う女性たちは、話しながらもエールを減らすという器用なことをやってのけた。


「勇者は聖剣を持つんだろう?」

「そうそう。神々が鍛えた剣!」

「あれだね。きっと、魔獣や魔王に大打撃を与えるんだろうね」

 彼女たちの話に相槌を打ちつつ、これ以上は情報を得られないかなと席を立つ頃合いを見計らう。


「おお? このテーブルはハーレムじゃないか!」

「羨ましいねえ。俺たちも混ぜてくれよ」

 重い足音がして冒険者たちがやって来た。


「ちっ、鬱陶しいのが来たよ」

「何度も姉さんに振られているのに、懲りないわ」

 途端に女性たちは顔をしかめたり呆れたりする。

 あけっぴろげで少しも取り繕おうとしない女性たちに、彼女との違いを感じる。


「女に囲まれていいご身分だねえ」

「ちょっと顔がいいからってでかい態度を取っているんじゃねえぞ」

「これみよがしに女をはべらせやがって!」

 女性たちのうちの一人にこなをかけつつ、色よい返事を貰えていないせいか、八つ当たりされる。


「ちょっと、お止しよ!」

 制止するものの、俺を気遣ってではなく、単につき纏われて辟易しているのだろう。

 しかし、意中の女性が他に肩入れしたのが気に入らなくて更に絡んできた。

「その顔で魔物にも取り入って冒険者をやっているのか?」

「角があるものは無差別に襲ってくる。そこに容姿の良し悪しが入り込む余地はない」

 顔を近づけてくるので無視するのも憚られて答える。


「ふざけてんのか? そんなこと、知ってらあ!」

「俺たちゃあ、冒険者稼業が長いんだぞ!」

「そうか」

「そうだ! ……って、ランクを聞けよ」

「聞いてどうするんだ?」

「聞いて驚け! 俺たちはな、Eランクなんだよ! じき、Dランクにのし上がる!」

「そうだ! そうなったらベテラン。いや、今もそうなんだが、実名ともに、だ!」

「それを言うなら名実ともに、だな」

「そうそう、それそ……じゃなくて! おかしなやつだな。調子が狂う」

「俺にはお前たちの言うことが面白いがな」

「何だとォ⁈」

 何故怒るのか皆目見当がつかない。

「およしよ。あいつら、馬鹿だけど、力はあるんだよ。茶化すもんじゃないよ」

 なるほど。揶揄ったと思われたのか。


「そうだよ、お兄さんが何ランクか分からないけれど、適う相手じゃないよ」

 声を潜めての忠告は、相手にも聞こえたようだ。

「そうだ。お前は何ランクなんだ?」

 途端に粘着質な笑いを浮かべて尋ねる。

「ああ、俺もEランクだ」

「なっ!」

「ええっ⁈」

「きゃあ、すごーい!」

「だって、あんた、ほんのちょっと前に冒険者になったんじゃなかったっけ?」

「待て待て! 弾みでEランクに上がれたのと、俺たちのようなEランクのベテランとを一緒にするな」

 それはEランクになって大分経つ、そこからランクアップすることができないということではないのか。

 しかし、発言した本人は気づいていない。

「そうだぞ。Dランクに近いんだ!」

 何を根拠に。


「お前みたいな一匹狼はよくよく気をつけるんだな。近接戦担当は町から出た途端、どかんと魔法を食らうこともあるかもなあ。逆に、魔法使いなら、町中で路地に引っ張り込まれて拳をたんまりちょうだいすることも考えられる」

 要するに、襲ってくるのは魔獣とは限らないということだ。

「ひっひっひ、色男が台無しだあ」

 随分、外見を気にするんだな。

「冒険者ランクと強さとは一致しないだろう?」

「馬鹿言え。弱っちいやつがランクを上げられるかよ」

「そうそう。逆にランクを上げられるんなら、それだけ強いってことだ」

「あら、じゃあ、短期間でこんなにランクを上げられたお兄さんは強いってことかしら」

「パーティも組まずに短期間でランクを上げられるなんて!」

「ちっ、大方、そのツラでギルドか金持ちに取り入ったんだろうさ」

 言いつつも、同じランクだと聞いて腰が引けた風になっていた男たちは行ってしまった。

 俺もすぐに席を立った。

 女性たちに引き留められるも、ギルド職員に呼ばれたのを盾にした。


 貴族の女性は以前会った際に提示した金額よりに大分色を付けてくれた。

「状態も申し分なく、先方も喜ばれていました。いやあ、スウォルさんの仕事ぶりは実に素晴らしい。きっと、すぐにDランク昇格間違いなしですね!」

 ギルド職員の浮かれた声を聞いた他の冒険者から不躾な視線を浴びた。


 数日後、路地で命を狙われた。

 先だって、冒険者ギルド併設の酒場で絡んできたEランクの冒険者たちだ。前を遮られたと思いきや、後ろからもやって来た。わざわざつけて来ていたのには気づいていた。手っ取り早く、なんの目的かを問いただそうとした。


 武器を振りかざして襲い掛かって来たのを返り討ちにして反撃すると、あっさり口を割った。金を貰って依頼されたのだという。

「へっへっへ。恨まれているなあ、お前」

「ふうん。で、誰にだ?」

「お貴族さまだってよ」

 彼らの口から飛び出したのは彼女の名前だった。

「っ‼」

 衝撃のあまり、手加減を間違えて、ひどく痛めつけてしまう。だらりと伸びた腕に掴んだ襟元の先、怯えた顔が見上げてくる。

「ぎゃあ!」

「痛えぇぇっ!」

「や、やめてくれ!」

「助けてくれえ!」


 醜悪だな。

 そう思った。

 あいつが楽しみに様子を聞きたがったこの世界は、こんなにも醜いのか。

 でも、だからって旅を止める気にはならなかった。

 だって、あいつはそんな醜さでさえ、きっと詳しく聞きたがるだろう。


 放り出すと野太い悲鳴を上げて地面に転がった。

 もはや視界に入らない。

 痛い痛いと呻く中で、気概のあるやつが短剣を投げつけて来た。背中を向けるのを狙ったのだろうが、手に取るようにわかる。

 首を軽く動かし、顔をスライドして避ける。硬い音をたてて壁に当たった短剣が地面に落ちるまでに拾い、それをそのまま投げ返してやると、濁った声が上がる。今度は完全に戦意喪失したようだ。


 あてどなく町中をうろつく。

 やつらは彼女に頼まれたと言った。

 毒性を持つ植物を育てるというのは外聞を憚る。醜聞を厭うての口封じか。

 けれど、すぐに狙えば、犯人は自分だと言うようなものだ。

 一般的に、貴族に狙われたらどうするか。反対勢力に情報、弱みを売り込み、その見返りに自分の安全を確保しようとする。

 聡明な彼女がそれを分からない筈がない。



 夜を待ち、館に忍び込んだ。彼女の姿を探す。

 主寝室に一人寝する気配があった。

 声を掛け、目覚める気配を読み取ると、寝室を出て隣の部屋で待機する。

 ほどなくして寝間着の上にガウンを羽織った彼女が出て来た。

 突然現れた俺を見ても動じない。

 流石は生まれながらにしての貴族だ。


「俺にあんたがすることを止めてほしいのか?」

 会えない筈だな。片頬をひどく腫らしている。

 哀れだ。

 受ける印象はどこか透明で頼りなげなのに、強い。


 その顔を真っすぐ見ながら言う。

「俺は冒険者に襲われた」

 彼女ははっと息を飲む。

「この通り、無事だ。やつらはあんたに頼まれたと言った」

 今度は顔色を変えた。先程よりも顕著な反応だった。

 聡明なひとだ。


「襲わせたのはあんたの旦那だな」


 それが彼女にも分かったのだろう。

 貴族に狙われたらどうするか。反対勢力に情報や弱みを売り、自分の安全を確保しようとするだろう。見返りとしてそれを要求するもよし、そうしなくとも、反対勢力に潰されれば襲われることもなくなる。旦那は妻が俺を襲わせたと偽装し、俺が自分のところにやってくるように仕向け、妻の弱みを握ろうとしたのだ。


「俺にあんたがすることを止めてほしいのか?」

 採取依頼を受けた植物は酒と一緒に摂取すれば死ぬ。

 少し調べただけで、女性の夫が酒乱だという情報を得ることができた。

 頭の良い彼女は旦那の企みを知っていて、止めなかった。俺がやつの口車に乗せられて、露見することによって、自分が夫を殺してしまうのを止めて欲しいと思ったのか。


「危険を冒してまで忍んで来られて、そんな風に尋ねて下さるとは思いませんでした」

 彼女は問いには応えずにそう言った。


 手を伸ばして壊れ物を扱うように彼女の首からスカーフを取り去った。夜でもしていた首を隠すそれを外してしまえば、下からくっきりとした指の跡が姿を見せる。急所に手を近づけても身じろぎもしなかった彼女は、そっと首を撫でるとひくりと肩を震わせた。


「自由がままならない者を知っていてね。俺はそいつの代わりに世界を見て回ることにしたんだ。次に会う時に色々話してやりたいからさ」

「その様なことをして下さる方がいるなんて、その方は幸せですね。だから、不自由な私を憐れんで下さったのですか」

 凛としたなまなざしに仄甘いものが混じる。白い花弁から漂う上品な香りにも似ていた。

「どうかな。でも、あいつには楽しいことを沢山話してやりたい」

 彼女の視線に絡めとられそうになる。

 あんたも、自由になってほしい。

 そう言う前に、視線が逸らされた。


「わたくしはこの家を守らねばなりません」

 だから、都合の良い背景を持つ夫は必要なのだという。

「幼い時からそのために教育されてきました。美しい装いや美味しい食事を与えられたのはその任を全うするためです」

 だから、暴力や暴言、浮気にも耐えて来たのだろう。

「その任を途中で放り出さないために、あの植物を使ってしまうことを止めてほしかったのかもしれません」


 人は立場やしがらみがある。一人で生きて行けず、集団生活をするのであれば、必ず発生する。

 故郷の村でもそうだった。


「俺がこの鳥籠を壊してやろうか?」

 顔を近づけて囁いてやれば、強く目をつぶり、何かを耐える風情を見せる。

 自分で言ってみて、それも良いかもしれないと思った。

 この美しく聡明で哀しい小鳥を自由にしてやる。

「いいえ。これまで享受してきた恩恵に報いなければならないのです」

「……そうか」

 小鳥は自ら籠に残ることを決めた。

 館を出てから、スカーフを持ってきてしまったことに気づいた。

 そして、それは返せないままになった。


 その後、貴族の醜聞を聞いた。

 次々に愛人を孕ませたが、ことごとく子は流れた。素行の悪さゆえの因果応報ではないかと噂された。

 その話を聞いた時、口の中が苦くなった。

 俺が採取してきた植物はとある国の貴族の女性のたしなみとして幼少の頃から育て方を教えられる代物だ。


 その植物の莢は普通に食すと月経を起こす効果があると信じられていた。そして、酒とともに食すと死に至る毒素を作り出す。雪に閉ざされた国では酒を飲むか、女を囲うかくらいしか、貴族には楽しみがなかった。伝統に縛られた一年の大半を灰色に塗りつぶされて暮らす国。この植物の原産国だ。

 そこで貴族の女性たちはその植物を育て、酒におぼれて暴れる亭主に、もうどうしようもないところにまで追い詰められた時にそれを酒に混ぜて食べさせる。

 そうすると、次の日の朝には寝台の上で冷たくなっている。


 また、亭主があまりにも女に手を出しすぎて、孕ませてしまった時にも、その植物は役に立つ。愛人に食べさせて、月経を引き起こすのだ。

 彼女は旦那の愛人にそれらを食べさせたのだろう。


 自ら籠に残ることを決めた小鳥はもはやいない。

 角を持つ魔獣が共食いし合っているだけだ。角を持つ魔獣は好戦的で他者を傷つける。

 薄桃色の可憐な花弁をつけるその植物の毒に狂わされた貴族の末路だった。



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