28.予兆
「こんなに味わい深く、刺激的なものは初めて食べる」
コウが目標にしていたかれーは、実に美味かった。
一人、この町に取り残されて、生きるために努力し、その中で目的を持って楽しもうとする姿勢が好ましいと思っていた。逆に言えば、ただ生きるだけでなく、目的を持っていた方が良いというくらいの認識で、かれー自体が素晴らしいものかどうかは二の次のように思っていた。
ところが、驚くほど美味い。
流石は複数の香辛料をふんだんに使っているだけある。
だが、どれほど贅を凝らしても、それぞれがちぐはぐであればそれぞれの特性を活かせずにぼんやりしたもので終わってしまうだろう。
コウは調合についても慎重だった。
市場だけでなく、薬屋や町を飛び出して余所者を嫌う獣人の村にまで行って手に入れた香辛料を過不足なく用いて作った。それだけの価値がある味わい、香りだった。
「あいつにも話してやりたいな」
「あいつって?」
「以前話したコウと似ているやつだ」
「ああ、呑気でねぼすけの」
よく覚えているな。
「あいつに世界の色々なことを話してやりたくて、面白いものを見聞きしようと旅をしているんだ」
「じゃあさ、前も言っていたように、スウォルも作り方を覚えて、その人にカレーを作ってやれよ。美味しかったんだろう? きっとその人もスウォルが美味しいと思ったものには興味があるよ」
そうだ。
話すだけではなく、世界ではこんな刺激的で深い味わいの食べ物があるんだって教えてやればよい。味覚と嗅覚でも教えてやればよい。
コウは俺の荒唐無稽な話をすんなり受け入れた。
多分そうだろうと予想はしていたが、コウはおよそ信じられないことでもあっさり信じる。
騙されやすいというのではないが、他の者よりもよほど想像力があるというか、許容量が大きい。
多分時々言っているイセカイダカラナというのだろう。
意味は全く分からないが、コウはそれで大体のことを納得してしまえるらしい。
やはり、騙されやすいか?
俺が乗り気になったのを見て、コウがワレリーに他にも香辛料を手に入れたいと交渉を始める。相当、コウを気に入っている大商人は笑って了承した。
しかし、それだけでは済まない。
かれーをある者に食べさせたいという。
「どういう人なんですか?」
「遠い国からお出でになった方で、その国の将軍です」
途端に、例の国のことが思い浮かぶ。
家族のように親しくしていた娼婦が魔獣と化し、心的負担が掛かっていたコウは念願のかれーを作り、郷愁を覚えた。
それ以上の負担を掛けるのは酷というものだ。
俺はコウと共に宿に戻り、早々と潜り込んだ隣のベッドから寝息が聞こえてくるのを待って、部屋を抜けだした。
再びワレリーの店へ舞い戻る。
驚かれたものの、コウの相棒として快く迎え入れてくれる。
宵の口ではあるが、魔獣が出た町中は人通りが少なく、店も早じまいするところが多かった。
「遅くに済まない。先ほど出た話題が気になって眠れなくてな」
「というと、将軍のことでしょうか?」
「その国の王は以前もこちらへ人を送り込んでいる」
知っているだろう、と見やれば、大商人は頷いた。
他国の王が使いを出すなどという珍事の情報を掴んでいない筈はなかった。
「スウォルさんはよくご存じですね」
表面上はにこやかさを保ちつつ、推し量っているのが分かる。
「俺にこの町の貴族から指名依頼が来てな。討伐した獲物を渡す際に会った貴族から聞いた」
実際は、その国の使者が貴族に圧力を掛けて俺に接触しようとした。そこへ欲をかいた貴族がついでに他者に自慢できる魔獣を狩って来させたのだ。貴族は魔獣の死体に抱き着く羽目になって人事不省で伏せることになったから、他国の使者を相手にするどころではなくなったがな。
「なるほど。ベテランの冒険者のスウォルさんならばこそですな」
「こう頻繁に他国の有力者がこの町へやって来るなんてな。軍事的主要都市でもあるまいに」
「何かを探しているとおっしゃっていました」
俺の言わんとするところを察して、ワレリーは情報を小出しにした。実際は探すことを手伝わされているのだろう。俺の問いに答えないのも具合が悪いが、知っていることを全て明かす謂れもないというところか。
例の国の王からしてみれば、送り込んだ兵士がほうほうの態で帰って来て要領を得ない返事しかせず、ならばとAランク暗殺者を雇えば戻って来ない。
しびれを切らして今回は将軍を送り込んだのだろう。
「実はかの将軍は辛い物が苦手らしいのです」
「ほう」
なのに、コウにかれーを作らせて振舞おうとする。
実に端的な嫌がらせだ。
「横柄なのか」
「お客様の我儘にお付き合いするのも商売のうちなんですがね」
それにしたって、ワレリーは他国とも手広く取引する人物だ。ぞんざいに扱われては面白くないだろう。
「あんたは中々に諧謔を知る人間なんだな」
「だからこそ、コウさんのような人間と気が合うのですよ」
にやりと笑う。
ワレリーは件の国とも取引があり、そこから伝手を辿って将軍は頼って来たのだという。その割に横柄な態度で、相手は国だからと丁寧に相手をしていたが、辟易してきていたところ、意趣返しにコウの作るかれーを食べさせようと考えついたのだという。
「あれほど多種多様な香辛料を用いた、高価かつ体に良い食べ物です。私のもてなしの意志を汲み取って、味わってもらわなければ」
将軍は複雑な味わいで、国王ですら食べたことがないという料理を食べさせてくれるとあって、のこのこやってきた。
俺は料理を作るコウに同行した。
ワレリーの言う通り、将軍は高飛車な言動をした。
料理を作るコウは会う必要もあるまいと厨房から出てこない。俺はかれーを煮込むコウの傍から一時離れ、密かに将軍の様子を窺った。
こんな遠方の地にまで送り込まれたことに腹を立てていることを隠しもしない。だからこそ、ワレリーは国王ですら食べたことがない料理、と煽ったのだ。
振舞われた料理の得も言われぬ食欲を誘う香りに匙を取ったが、その辛さに悶絶した。でも、これは国王でさえ食べたことがない料理だ。二口三口食べて降参した。涙目になりながら水を所望している。
後に、ワレリーから聞いたが、将軍は腹を下してそのまま体調不良になり、寝付いたそうだ。ようやっと起き上がることができた後、里心ついて、しきりに国に帰りたいと漏らしているそうだ。
そこで、俺は英雄の痴情のもつれによる死を知らせてやるように伝えた。ワレリーは意味ありげな目つきをしたが、口を緘してそのまま将軍に話したようだ。
結果として、将軍は喜々として帰途についた。
「いやあ、スウォルさんにも大きな借りができてしまいましたね」
後日、ワレリーに呼び出されて結末を聞いた。
「いや……いや、そうだな。この借りは俺が不在の際、コウに返してくれたらそれでいい」
「ははあ。コウさんは確かに少し危なっかしいところがありますからな」
「ああ。慎重なんだが、どこか抜けている。それに、人を信用しすぎる」
「実に。ただ、それがコウさんの好ましいところですがね」
だから、足りないところは他の者が補ってやればいい。差し伸べられる手が多ければ多いほどいい。
不思議な気配を感じてこの町へやって来た。その気配の持ち主はこの町で英雄と呼ばれる勇者の持つ剣だった。
コウは偶然この町で会った。しかし、その気配は、読み取ることが出来なかった。
だから、流れに乗ってしばらく行動を共にしてみた。
実に興味深い人物だ。
知らぬことが多く、迂闊かと思えば賢者の言葉を口にする。臆病だと揶揄されるほど慎重かと思えば大胆な行動をする。言動が読めない。
自分の物差しで測らず、他者を慮ろうとする。事実を歪めず、なるべく正確に見ようとする。
獣人のような自分と大きく異なる者に物おじしない。
俺がコウを面白がり観察するのと同じく、関心を持たれていることに気づかなかった。
油断していた。
一族以外に自分を受け入れられるかもしれない存在に出会ったことに浮かれていた。
「やっぱりさあ、俺の故郷と名前が違うってのがやりにくいよなあ。直接香辛料を見なかったら買えないってさ」
「町を出て色々見回ってみるか?」
「お、いいねえ! 香辛料を探してあちこちと!」
まだ見ぬ町に興味を持った様子だ。この町の他は獣人の村しか行ったことがないと言っていた。
とすると、コウは船に乗って街道をひた走ってこの町までやって来たのだろうか。
そんなことを話していると、ふと以前感じたことのある気配を持つ者が、町の近くをうろついているのを感じた。
どうせ、またぞろ良からぬことを企んでいるのだろう。注意を払っておくことにする。
数日後、その気配の持ち主がここらでは強い部類に属する魔獣を引き寄せていることを感知した。
眉根が寄ったのだろう、コウに突かれた。
呑気そうに笑うのに安心する。
少し前までは消沈したのを隠そうと空元気で過ごしていたからだ。他の者を恋人としたものの、恋心を抱き、心を砕いていた人間が角を得て変容したのを目の当たりにしたのだ。
そのまた数日後、ギルドに行くと職員に呼ばれた。
「スウォルさん、受けて頂きたい討伐依頼があるのですが」
話を聞く前に断ってはまずかろうと聞く体勢を取る。
その上で何かと理由をつけて断った。
「なあ、俺のことが心配なんだったら、町の中で大人しくしているよ?」
それが心配なのだ。
件の者は俺をコウから引き離すつもりなのだろう。
そして、コウが一人になったら、捕まえて人質にするか殺す。人質にした場合も、俺をいたぶってから殺すだろう。
あの暗殺者にはそんな粘着質な印象があった。
およそ、俺にいい様にあしらわれて腹が立ったから仕掛けて来たのだろう。
やつが読み違えたのは、俺が気配察知に敏いというところだ。
そんな予想外の出来事を受け、このまま引き下がるだろうか。
ないだろうな。
十中八九、他の手立てで絡んでくるだろう。
「コウ、久々にワレリーのところへ顔を出さないか? 子供が好きだという果物を買って行こう」
俺の提案に笑顔になって賛同する。
コウが子供と遊んでいるのか遊んでもらっているのかしている間に、ワレリーに事情を伏せて話す。
「良からぬことを考えている者がいてな。子供が危ないかもしれない」
「分かりました。何、引き取ったばかりでこれから色々教え込まなければ外には出せません。それに、この節、物騒ですからね。店の警戒を強化しておきましょう」
端的な説明だけで呑み込み、事情を察して手立てを考え出す。その謝礼として金銭を取り出した。
「これは警備の経費に充ててくれ」
「そんな必要はないですよ。私はね、コウさんやスウォルさんには感謝しているんです。この年になるとねえ、珍しいものに出会う機会もめっきり減りました」
長く生きたからではなく、多くを持つからなのだろうが、商人は如才なくそんな風に言う。
「でもね、あんなに香辛料をふんだんに使った珍しくも美味しい料理を食べさせてもらって、なおかつ、気に食わない輩の鼻を明かせてやることができて、爽快な気分を味わわせて貰ったんです。いやあ、実に愉快ではありませんか。さっきも言ったように、私は必要なことをするだけなんですよ。そんなことより、コウさんやスウォルさんと出会えた縁を大事にしたいですね」
俺たちの余波を受けることはなんということはないと言う。大楊で流石の大商人の貫禄だった。
「そうか。つまらない真似をしたな」
「いいえ。人間、そうやって機微を覚えていくものですよ。スウォルさんになくてコウさんにあるものですね」
冗談めかして言うが、素直に他者に劣っていることを受け入れる気持ちになれた。
「ああ。コウはああ見えて、賢者だからな」
「そりゃあ、良い。私たちは賢者様から料理を振る舞われたのですな!」
ワレリーが店主であれば、店も子供も大丈夫だ。
それでも、何とかして忍び込もうとするだろう。
しかし、固執した行動は限定され、容易に読みやすい。それが分からないのであれば、どの職業のAランクであれ、一流ではない。
やつがまだ俺たちの周囲をうろつくのであれば、追うことにした。