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25. 大部分の人たちが行く道は楽だが、僕たちの道は苦しい。——でも、行こうじゃないか。 (ヘルマン・ヘッセ)

 

 スウォルは大抵の毒は効かない。らしい。

 獣人の村から帰って来る時、長命種だって言ってた。初めて聞く言葉で意味を質問すると、寿命が長いんだって。

 こ、これは本当に異世界主人公チート?

 ごくり。

「な、なあ、まさか、特別な技能とか持っているとか?」

「何故だ?」

 普段通りの答えだ。殺気とかも感じない。足も止めずに俺に視線を寄越しただけだ。

「あ、ごめん。変なことを聞いた。忘れて」

 踏み込み過ぎたな。プライバシー侵害なんて、デリカシーがないよな!

 なんか、研究材料とか怖いことをさらっと言っていたけれど、権力者が不老長寿を求めてってやつかな。魔法はあるけれど、科学の水準はそう高くないから、変なこととかもやっちゃうんだよ。昔の民間療法とかもおかしいのがいっぱいあったらしいしな。血を抜いたら健康になるとかさ。思うに、昔の貴族がしょっちゅう貧血を起こして倒れていたのはそのせいじゃねえの?

 なんか、切ないよな。

 自分の一族がちょっと他と違うからって無理に連れて行かれて色々やられるって。非人道的っていうの? 平気でやりそう。向こうの世界と違って人権っていう認識も薄いしさ。


「スウォルはさ、人生を楽しんでいるだろう? だから、賢者だよ」

 それでも、スウォルは人生を楽しもうとしている。すごいよ。それだけの力もあったのかもしれないけれど、でも、他の人たちから変な目で見られるのって辛いよ。

「へえ? 俺が賢者?」

 スウォルは俺を賢者だって言うけれど、本人の方がよほどそうだよ。

「うん。やっぱりさ、一度しかない人生、楽しんだ者勝ちだろう? 詰まらない、上手くいかないって言っていたってなんにもなりゃあしないよ。だからさ、思う存分に楽しんでいるスウォルは、賢者なんだと思うな」

 だから冒険者になってあちこち旅しているって言っていたしな。スウォルほどの実力があってこそののほほんとした理由だな。

「最高の称賛だな」

 ぽつりと言う。

 短い言葉だったけれど、スウォルに俺の言葉がじわじわとしみ込んでいくのが分かる。

「本当にすごいと思う」

 そんな人と知り合えて、俺って幸運だな。



 ワレリーさんに獣人の村の土産を渡したら驚いて話を聞きたがった。

 教えてもらった店に初めて行ったんだけれど、大きいなとは思った。

 でも、案内して貰って入った内部はもっと大きかった。店員もいっぱいいた。店長のワレリーさんが案内したからか、皆驚いていた。後からスウォルに言ったら、ワレリーさんのような人間が突然行って会ってくれること自体が珍しいんだって。でも、早く渡したかったんだよ。そしたらさ、獣人の村のことを聞きたいって言うからさ。忙しいのに、ごめんね?

 入った部屋はこぢんまりしていたから逆にほっとした。


 お茶を淹れてもらって、その美味しさに涙が出そうになった。そういえば、お茶なんて随分飲んでないなあ。お茶は紅茶っぽいやつだった。俺が感動したのが分かったらしくて、違うお茶も淹れてくれた。高いんだろうけれどさ、もう飲む機会もないかもしれないと思って遠慮なく飲ませてもらった。

「さっきのと味も香りも全然違う! 種類によってこんなに違ってくるものなんですね」

「そうです、そうです」

 やっぱり、反応があると嬉しいものだよな。ワレリーさんは三杯目のお茶も淹れてくれた。


 その三杯目がお土産の獣人の村から買ってきたお茶だった。どうせなら、一緒に味わいましょうって。太っ腹だなあ。

「ほう、これはまた珍しい味わいですな」

「『緑茶』っぽいなあ」

「りょくちゃ?」

「あ、いえ、その、故郷のお茶に似ているなあって。あ、俺はそんなに飲む機会はなかったんですが」

 ティーバッグどころか、ペットボトルでも緑茶は選択することが少なかったな。

「茶は高価なもので、いわば嗜好品。それを飲まれたことがあるのだから、コウさんはよほど大事にされていたのですね」

 あ、そうだった。うう、発言に気をつけなきゃなあ。

 ワレリーさんは初めて飲むお茶の方に気を取られていてくれたから、深くは突っ込まれなかった。


 ものすごく喜んでくれて、近々荷が到着するから、この町の市場で見ない香辛料があったら少し取り置きしてくれるって。

「あ、じゃあ、これは手付けということで」

 獣人の村で手に入れた香辛料も少し渡しておいた。

「おや、これも取り扱っていたんですね」

「流石はワレリーさん! 知っていたんですね」

 すごいな。やっぱり色々知っているんだな。

 本心から感心したが、後からまたスウォルに海千山千の商人の心を掴んだとかなんとか言われた。コレクター気質が合うだけなんだけどな。おべっかじゃないと言ったら、それががワレリーさんにも伝わるからこそ、キョウキンを開くんだって。意味は思っていることをストレートに話してくれるってことなんだそうだ。ああ、商人とかって腹の探り合いをしそうだもんな。


 店を出てそんなことを話していたら、建物の端でやり取りしている人たちが見えた。ワレリーさんの店は大きいから入り口から離れていた。正面に立ってもそこまで大きくは見えないんだけれど、実際はすごいんだよな。

「大丈夫です、ちゃんと金はできますから。上物を手に入れることができそうなんですよ」

 言いながら、片方の男がいやらしく笑いながら両手を胸の下に当てた。掌は上に向けて、指先を曲げている。

 あれは。

 たゆんたゆんのポーズ!

 上物って、たゆんたゆんのことか⁈

「売れば相当な額になります」

「うちはそういうこととは関わり合いになりません」

 もう片方の人がものすごく迷惑そうで、それこそ唾を吐きそうなくらいの表情で言うと、店の中に入って行った。ワレリーさんのとこの店員だったのか。

「ちっ、お高く留まりやがって!」

 うわあ、悪役のセリフ!

「なあ、あれってさ、奴隷とかそういうの?」

「それか、娼婦だな。どちらにせよ、人身売買だ」

 時代劇とかでも借金のカタに売られる娘さんとかあったものな。あれかな。帯の端を掴まれてくるくるってほどかれるのかな。こっちの服装は着物じゃないか。



 男が言っていた通り、たゆんたゆんは美人だった。

 討伐依頼を片付けがてら、魔法の練習をした翌日、休息も必要だとスウォルに言われたから、その日は町を探検することにした。まだ行っていない地区もあるから、そちらへ行ってみた。一人にすると何をしでかすか分からないと思ったのか、スウォルも付いて来た。

 いや、うん、また変態に遭ったら怖いもんね。

 うっかり普通に対応しちゃって懐かれても困るし。それに気づかないであっちの世界に馴染んじゃうともっと困るし。スウォルには冷静な突っ込みを期待したい。


 狭い路地の二階三階にロープが渡され、洗濯物が干されている。地面には座り込む子供たちがいた。地面も子供もゴミまみれで汚れている。薄暗いから同化して見えて、誰かいると分かった時、一瞬ぎょっとした。

 そんな路地を作る建物の扉から出て来た男に見おぼえがあった。

「あれ? あの男って、ワレリーさんの店の前で見たやつだよな」

「そうだな」

 スウォルが言うなら見間違いじゃない。


「おらっ、来い! じたばたするんじゃねえ!」

 正しく、たった今、俺が前に考えたことが起こっていた。時代劇みたいに、連れ去られようとしていた。

 長い髪を結んでいたのがほどけかけていて、可哀相なのが増している。

「助けるのか?」

「ううん」

 本当はそうしたい。

 でもさ、たぶん、こういうのってここではあちこちで起きていることなんだ。俺には全部助けることはできないよ。目の前で起こることだって、無理だよ。だってさ、これから先、何回見かけるんだ? その都度助けられるのか? 割って入っても、借金とやらがあったとして、俺が払えるとは思えない。それに、今見ているものが全てじゃないんだ。男の方にも言い分や事情があって、もしかすると、そうするだけの根拠があるのかもしれない。

 そう言うと、スウォルは無言で俺の頭を撫でた。

 え、ちょっと、それはどういう意味?

 俺のポチに対する気持ちと似ているとかそんなこと言わないよね?

 あ、でも、ポチは単なるペットじゃないしな。

 だったら良いのか? ううん?



 俺は三度目に男を見かけた時、勇気を出して声を掛けた。

「ああん? ……へえ。子供みたいな見かけをしていながら、あんたも好き者だなあ」

 間近でいやらしい笑い顔を見て、うへえってなった。

 でも、教えてほしいことがあるから我慢する。

 小銭を握らせたら教えてくれた。

 俺は向こうの世界でもそういう店に行ったことがなかったから、ものすごく緊張した。心臓がばくばくして、喉から飛び出そう。

 スウォルは一緒じゃない。男に娼館の場所を聞いていた時は一緒にいたけれど、そこに行く時にはついてこなかった。

 気遣いが出来る男だな。もてる訳だよ。


 指名するのに名前、源氏名ってのかな。それすらも分からないでこうこうこういう人で、と話したせいか、たぶん、ぼったくられたと思う。

 それでも、会ってみたかったんだよな。

 きちんと髪を結って化粧をした彼女はとても綺麗だった。

 俺が彼女を売った男をとそれに引っ張って行かれたところを見たと正直に言うと、目を見開いた。その後、笑った。

 ふわりと良い香りがしそうな風に笑った。

 どうして助けてくれなかったんだ、なんて、詰る気持ちは少しもなかった。

 だからこそ、苦い気分を味わった。

 会ってみたかっただけで、何をする気もなかったとその時になってようやく気付いた。ここが娼館で、そういうことをするところで、って考えたら妙に慌ててしまって、しどろもどろになった俺を、彼女は今度は声を上げて笑った。ころころした感じ。うん、こっちもいいな。

「でしたら、私の話を聞いてください。つまらない話ですけれどね」



 昔、両親が離婚した。母は弟だけを連れて行ったわ。後から知ったけど、自分は父の連れ子で母とは血は繋がっていなかったの。

 それでね、父は私を置いて仕事に行った。暗くなるまで帰って来なくて、帰って来ない日もあったから、帰って来たらほっとした。

 そんなふっとしたことであっち側に落っこちるような毎日で、びくびくして暮らしていた。

 あっち側はね、暗くて深くて冷たいの。何度か落ちかけて、ひゅうって吹きあがって来る風の冷たいこと冷たいこと。

 だから、あっち側には行きたくなかった。一旦行ってしまうとね、もう戻ってこれないって分かっていたから。必死にしがみついた。


 料理も頑張ったわ。

 一度失敗してしまって、かまどを黒焦げにしてしまったの。

 こっぴどく怒られたわ。ひっぱたかれた頬は腫れあがった。いつもどれだけどなられていても知らん顔していた隣の家のおかみさんが、飛んできてかばってくれるくらい。そうしてくれなかったら、今私はここにはいなかったわね。


 けれど、やっぱりね、父さんは帰って来なかった。ある日、仕事に行く背中を見送った時、あ、もう会えないなって思ったの。

 本当よ? 

 でもね、分かっていても追いかけられなかったの。もう疲れちゃった。だからその場で蹲ってぐすぐす泣いていたの。もうじき成人するっていう歳だっていうのに、可笑しいわね。


 それでも、なんだかんだ雑用を受けて今まで暮らしていたの。洗濯とか子守とかいっぱいあるのよ。毎日ひもじかったわ。ずっと食べ物のことを考えているの。指が割れて血が出ても、お腹が空いて痛くなる方がつらかった。


 ある日、父さんの知り合いだって言う人がやって来たの。父さんに言われたんだっていってここへ連れてこられたの。そうやって売られたの。

 もちろん、嘘だって分かったわ。だって、父さんのことを何一つ知らないのだもの。

 でも、もういいやって思ったの。

 どうでもいいやって。



 俺は何も言うことが出来なかった。

 それでも、彼女がまた来てねと言うから、会いに行った。

 何度目かに行った時、彼女は虐待された子供を育てることにしたと話した。

「こういうお商売をしているとね、出来ちゃうんだけれど、見つかったら必ずおろせって言われるの。母親はそれが嫌でずっと黙っていたの。お店もお客が取れなくなったら、お金がもらえないものね。ふっくらした子だから、分からなかったみたいよ。それで、おろせない時期になっていたから、産んだのよ。周りの姐さんたちはとても喜んだわ。自分たちは持てない子供ですもの。皆で協力して育てたの。でもね、落籍って知っているかしら。お大尽がお店の借金を支払ってくれて、その人に引き取られることよ。その落籍を受けることになった母親は子供が邪魔になったのね。一度は寝ている間に首を締めようとしたら、ぱっちりと目を開けて、お母さん、お母さんって言ったんだって。そうしたら殺せなくなったから、お店に置いて行ったのね。その後、まだ小さいからお店に出せないって雑用で使って大きくなるのを待っていたそうなんだけれど、使えないって言って殴られたり蹴られたりしていたの」

 壮絶な話だった。

 俺はひと言も口を挟めなかった。

 彼女が穏やかな顔ですらすらと話すのも、なんだか怖かった。

「だから、私が引き取ったのよ」

 でも、優しい人だと思った。

 彼女の身の上話は営業トークかな、ってちょっと考えていたことを反省したよ。


 それからは、その子にやってくれと何かと差し入れをした。彼女は純粋に喜んだ。

 彼女に会いに行った時は娼館に正規のお金を払っている。でも、部屋では喋っているだけだった。

 だからかな。

 彼女が子供をここへ呼んでも良いかと聞かれた。

 特に何も考えずに頷いた。

 やって来た子は痩せていてびくびくしていて、彼女の背中に隠れてそっと俺を窺っていた。


 ちょうどその時、果物を差し入れしていた。

「ほら、あんたが好きな果物でしょう? コウさんが買ってきてくれたのよ。おあがり」

 ああ、だから呼んだのかと分かった。

「これが好きなのか? 皮を剥いてやろうか?」

 俺が果物を手に取ると、釘付けになっていた視線が動く。それが面白くて、柑橘系の果物の皮を剥いてひと房千切って渡してやった。

 差し出した果物と俺とを見比べて、彼女に優しく促されておずおずと取った。

 口に入れて、きゅっと顔をすぼめる。

「ははは。酸っぱかったか。じゃあ、残りは俺が食べるよ。別のを剥いてやろうな」

 もごもご口を動かしていた子供は驚いて目を丸くした。

 ん? まだあるよ? それが驚くこと?

「まあ、良かったわね。次は甘いと良いわね」

「こればっかりは食べてみないと分からないからなあ」


 次のは甘かったようで、子供がとろけるような顔をするから、残りの房はぜんぶやった。

 彼女が優しい顔で俺たちを見ていた。

 あれ、俺も込み?

 え、あの、兄妹の微笑ましいやり取りっぽかったですかね。

 できれば、お姉さんの方と、その……お姉さんの方も俺より年下だと思うのですけれどね。


 子供が頬をもぐもぐ動かし、満足げな鼻息を漏らしながら俺を見上げて笑った。

 うを。

 なにこれ。

 ずきゅんとくる。

 うん、また持って来るね!


 今まで、俺は飢えた経験がない。

 でも、飢えるってのは理性や知性を失うことなんだな。

 莫大な借金を背負ったこともない。

 この世界へ来て右も左も分からなかった時の世話賃も多額の物ではなかったし、町の互助費で半分は負担してくれた。でもそれって、不可抗力の元に世話をされた、とみなされたからなんだな。自分や家族が作った借金は自分たちで払って行かなくてはならない。親がいなければ、自分で生活費を稼ぐしかない。

 冒険者として雑用だけでもなんとかその日を暮らしていけた。

 でも、他人の、家族の作った借金で尊厳を踏みにじられて、身体を使って生きて行かなければいけなかったひとがいる。生まれた時からマイナスの環境で、物心ついた時から暴力とどなり声の中で縮こまって生きる子供もいる。

 俺って恵まれていたんだな。



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