20.己の生きたいように生きた
ダンジョンで討伐した魔獣は、連れ立った者のうち、一人を助けてやろうと持ち掛け、争いを起こし、それを見物するのが好きだったのだろう。悪趣味なことだ。
角があって知能を持つとこうなるのか。
そんな風に考えるのか。
正直な感想としては、変わっている、だ。
そんなに他者を争わせて、楽しいか?
まあ、それぞれなのだろう。
堕神を祀る者たちもいた。供物を捧げるといって他者の命を奪った。その神がどう思うかはまた別だ。
村にいては知らないことを見知ることができた。
それだけで、旅に出て良かったと思う。
ジェラルドと彼に食って掛かる男を、町中で見かけた。
男が喚くので、恋人だった女に振られ、彼女はジェラルドの取り巻きの一人になったのだという事情が耳に飛び込んでくる。
英雄と呼ばれる男の醜聞ともつかぬ艶聞に、足を止めて見物する町民がちらほらいて、俺とコウもそのうちの二人だった。
「ああ、彼女のことか。それは彼女の自由だろう?」
ジェラルドの方はそれがどうしたと言わんばかりだ。対する男はむきになって言い募る。
「でも、お前は彼女だけを愛しているのではないじゃないか」
身長は高く首も四肢も胴体も全て発達した筋肉に覆われているジェラルドに、相当な剣幕で詰め寄れるのだから、頭に血が上っているのだろう。
「確かにそうだ。しかし、それはお前と何の関係もない」
「何で、お前みたいなやつなんかに! 彼女だけを愛しているわけじゃないのに! こんなに不誠実なやつなのに!」
「そりゃあ、強くて英雄と呼ばれていて、顔も気前もいいからじゃないか?」
平然と言い放ったジェラルドに、コウがうわあ、と小さく声を上げた。呆れているにも感心しているにも見える。
どうあがいてもジェラルドに敵わない。あれこれ言ったが、英雄は些末なことだとてんで取り合わない。
「覚えていろよ!」
憤慨して行ってしまった男になんの感慨も抱いていないらしきジェラルドは、俺たちを見つけて片手を上げて近づいてきた。恐らく、男とやり取りをしている間に気づいていたのだろう。
「なあ、まずいんじゃないか?」
コウがおずおずと言う。
「なにが? 俺は間違ったことを言っていないだろう?」
「そうなんだけれどさ。なんか、目つきが悪いって言うか。ええと、その、あまり良い行動をするやつじゃないっぽいからさ」
「コウは心配性だな。俺に惚れちまったか?」
コウが気を使いながら言葉を探す風を見せる。それが分かったのだろう。ジェラルドは朗らかに笑いながら揶揄った。
「馬鹿言うな! 俺はたゆんたゆんが好きなんだ!」
あからさまな話題の逸らし方をまともに受け取ったコウが憤慨して行ってしまう。
「コウはいいやつだな。俺が英雄だろうと力があろうと、心配してくれる」
「しかも、余計なことを言う、というためらいがある」
「お人よしだな!」
ジェラルドは大笑いしたが、コウは案外繊細だ。人の機微に敏くあろうとする。できているかどうかはさておき。
「人を慮ることができる人間だ」
言うと、ジェラルドは真顔になった。
「そういう人間は貴重だ。相手の気持ちや立場を考えて話す人間はなおさらだ。良い友人を持ったな」
「ああ、全くだ」
ジェラルドは命を賭してなしたことを評価されたものの、結果として疎まれた。身にしみて感じるところだろう。
別の日、冒険者ギルドで依頼完了の報告をしていると、ひと際高い嬌声が上がった。隣に併設された酒場で、ジェラルドと取り巻きの女性たちが賑やかにやっている。
「くっそ、英雄め、たゆんたゆんをあんなに取り揃えやがって!」
悔しそうに言った後、俺を見やって鼻を鳴らして踵を返した。
何故だ。
あれか。以前、ジェラルドと互いの得物を見せ合った後、女性たちに囲まれたことか。
「今度、ジェラルドに巻き込まれた時はコウも呼ぶから」
「俺が加わってもたゆんたゆんは見向きもしてくれねえよ!」
思うに、女性の個性よりも体の一部特徴だけに固執するからじゃないのか。もちろん、余計なことは言わないでおく。
ジェラルドの取り巻きの一人が妙な目つきをしていたのに気付いたが、膨れっ面になるコウを宥めるのを優先した。
「肉を売らないで食べないか」
「今日、討伐したやつ? そういえば、あれは食べたことはないな」
興味をそそられたので、もう一押しする。
「美味いぞ」
「食う!」
ギルドの一角を借りて解体を行う。他の冒険者もいて、ギルドの解体職人が時折助言を与えている。それを見たコウは、こんなところがあるなら、初めからここに持ち込んで教わるんだったと嘆いた。相当、解体にてこずったらしい。
膨れたり喜んだり憂いたり、忙しいやつだ。
肩から腹にかけて骨に沿ってナイフを差し込み、肉を外す。
「ここが脂肪が多くて柔らかい」
「焼肉、焼肉」
説明しながら解体を見せてやるとコウが顔をほころばせる。
「背中から腹にかけての肉は赤身と脂肪のバランスが良い。歯ごたえがあるな。横隔膜は脂肪分は少ないが柔らかい」
どこの部位がどう美味いのかを教えてやると、コウの解体技術は飛躍的に上がった。これがコウが言っていた目的意識があった方が、というやつだろう。どこぞの暗殺者と違って、いちいち口を出してもうるさがることはなく、教わったことを自分の中で咀嚼して質問してくる。
「肉はものに寄るが、焼き過ぎない方が良いことが多い。焼くと縮むから、赤身と脂肪の堺にある筋に切れ目を入れると防げる」
「へえ。スウォルはグルメだな!」
「いや、今まで意識していなかった」
「へ? じゃあ、なんで知っているの?」
「構造を見たら分かるだろう?」
「いやいやいや、分かりませんけれど」
ちーとめ、とぶつぶつ言うコウを促して宿に戻り、厨房を借りる。
コウが肉につけるタレを準備する。
聞きなれない言葉を使うから尋ねていたら、終いには聞き流してと言われたので気にしないことにしている。
肉に掛けるのは塩胡椒程度で、ハーブを使うという知識があったくらいだ。
だが、コウは果実を使う。薬草採取の傍らに見つけた果物の汁に肉を漬け込んだり、絡めて焼く。市場で得たという香辛料を加えて辛くすることもある。
そんな手間を掛けた肉は味わい深く、多彩で華やかかつ、刺激的だ。
酸味があってそのままでは食べようという気にならない果実も、肉をさっぱりした味わいにしてくれる。
やはり、潤沢な物資がある場所で育ったのだろう。
コウは親を亡くして親類に同行してこの町にやって来て取り残されたと言っていた。故郷が恋しくないのだろうか。そのうち聞いてみよう。帰りたいと言えば、送って行ってやるくらいなんてことない。
「新しい永眠者が転がっているなあ」
「こいつ、こんなもの持っていやがるぜ!」
路地で転がって冷たくなっているのは酔っ払いだと思われるのだろう。
早朝、宿を出て冒険者ギルドへ向かう最中、路地から聞こえて来てコウが足を止めた。
「死者を悼まないんだなあ」
「所詮、他人だからな」
「自分たちが生きるのでかつかつ、かあ」
言いながら、死者の懐を探る様子をじっと見つめる。
自分もああなっていたかもしれないとでも思っているのだろう。いや、それは今でもそうだ。今後もつき纏う。
どんな強者だとしても、財を持っていても、誰にでも等しく死は訪れる。
コウは俺に生きることを譲った。
そんなことをされたのは初めてだった。
気心知れた者だとしても、俺の強さを知っているから、生きる選択肢を譲られたことなどない。いわんや、パーティを組んだと言えど冒険者ならば、自分が真っ先に助かろうとするだろう。パーティメンバーを庇うのとはまた別の話なのだ。
しかし、コウは「一度死んだのだから、もういつ死んでもいい」と言っていた。不可思議な考え方をする。
日を改めて尋ねたら、コウはこう返した。
「友人とは全てを知りながらも愛してくれる人である」
コウの故郷の有識者の言葉なのだそうだ。
コウが言うところの「偉い人だか頭の良い人」の名言で、それをなんとなく覚えていたのだそうだ。
「俺、こっちの世界でやっていけるのかな、って心配だったんだ。でも、スウォルが色々教えてくれて、戦えるように手伝ってくれている。そうしてくれたから、命をつなげてこれたんだよ。だったら、スウォルのために使うのだったらいいかな、と思ったんだ。その、スウォルのことは友人と思っていて、できることがあればやろうと思っていたんだ」
すべてを受け止めるという意味合いとは異なってはいるが、友人とみなした俺の役に立とうとしたのだろう。
その考えを聞いて意外なほどに心が温かくなった。
けれど、それ以上にその名言に驚愕を覚えた。次に恐怖を感じた。
全てを知ってなお、友人と思えるだろうか。
俺からしてみれば、誰だって弱いが、一般的な冒険者からしてみても、コウは弱い部類に入る。だとすれば、よくよく見てやらないと、あの調子ではすぐに死んでしまうだろう。
ジェラルドには義理はない。
しかし、コウに余波が及ばないかの確認はしておこう。
追う相手の焦燥が手に取るようにわかる。
時折投げつけてくるナイフを、柄に収めたままの剣を振って投げ返す。自分が放った武器が背を襲ってくるとは思わなかったのだろう。
呼吸も足取りも乱れる。
人同士がすれ違えない狭い路地に入るのを認め、壁を駆けあがって斜め上に走り、やつの前へ出た。そのまま壁から足を離して着地する。
目の前へ現れた俺に、悲鳴を呑みこんで方向転換しようとするAランク暗殺者の髪を掴んで引き戻す。そのまま、壁に叩きつける。二度、三度。
戦意を失ったことを読み取り、離した手にはごっそり引っこ抜かれた髪がついている。
剣を抜くことなく、そんな風にされるとは思ってもみなかったのだろう。目を見開いて恐怖に歪んだ表情を浮かべている。
笑わせる。
先だっても剣を抜いていないというのに。
「勇者が死体で転がっていた。お前の仕業か」
「そ、そうだ」
説明を要求すると、震える声で話し始めた。
町中で派手にジェラルドに絡んだ男に近づいたのだという。
「恋人だった女性が英雄に目移りして振られた。自身もしょうもない男だった自覚はある。でも、何でも持っている英雄が憎かったってさ」
これは使えると思った暗殺者は、男の元恋人と同じように、多くの女性がジェラルドの餌食になっている。それを開放してやらないかと甘い毒を注いだ。そして、取り巻きの中で、不安定な精神状態である女を見つけ、「惚れ薬」を渡し、英雄を自分一人のものにできると教えてやるように指示したのだという。
甘言を持って近づいてきた者が差し出す薬とやらがまともなものであろうはずもないのに、男の行動も女のそれも止まらなかった。
両者ともに自分の卑怯さから目を逸らしたのだ。
男は恋人が自分を去る原因を作った仕返しだ、女は自分一人のものにする、という身勝手な考えから、一人の人間を死に追いやった。
敵わないのであれば自分を磨き、真正面からぶつかることをせず、自分を正当化しつつ安易な方法に飛びついた。何一つ自分は手に入れられないのに、自分のところにまで引きずり落とそうとした。
口を挟まずに聞いていたせいか、最後にはげらげら笑いながら事の顛末を語った。話し始めた時には口が回らないほどの恐ろしさを感じていたのに。
このAランク暗殺者はよほど道理に暗い。
ジェラルドは毒と知って嚥下したのだ。自分を果てのない欲望と嫉妬から解放するためにそうしたのだ。勇者が疲れ果て、毒と知りつつ飲んだという確信があった。
色を好んだ英雄も、権力という究極の媚薬の前には太刀打ちできなかったのだろう。
ふと、一族の者たちが俺が旅立つ際に懸念したことが思い出された。
Aランク暗殺者はジェラルドの死体から神々が鍛えた剣を回収していた。
「ちょうど良い。それを持って行け。そして、国王に伝えろ。勇者の死亡をな」
待ち望んだ結果だ。
本懐を遂げて飲む酒はさぞや美味いだろう。
それが、多くの者たちの流した血によって譲造されたものであっても。いや、だからこそ。