18. 人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすること (パウロ・コエーリョ)
コウは俺が楽しいことを見つけるのが上手く、生を豊かにしているという。
その時、初めて、あいつのためでなく、自身のためにもなっているのだと知った。
そうか、あいつだけでなく俺も楽しいのか。
それでよいのか。
言及されて、すんなり受け止められる。
コウが討伐依頼を受けたいと言った。
スパイスを買う金銭を得たいのだという。こういうのは目的があった方が楽しいのだというのに確かにと頷いた。
最近、コウの安全を気遣うのも慣れて来た。
とにかく、コウが例の国のいざこざに巻き込まれないようにしよう。ちょっとした攻撃のとばっちりでもくたばりそうだ。
先日、俺をつけまわしていたやつらを締めあげた際、国王の人を人とも思わない様子が透けて見えた。権力を持つとそうなるのだろう。他者に対して支配する気分になる。それは貴族も同じで、彼らにとっては宮廷での勢力争いの方が人命よりも重要だ。いや、立場がどうあれ、見ず知らずの者に慈悲を持たないものだ。
この町へ来たのは不思議な気配を感じて興味を覚えたからだ。
コウの誕生日祝いの際、その人物も参加していた。
既知を得てちょうど良いとばかりに会うことにした。
彼もまた俺に、というよりも俺の剣に関心を持っていたそうだ。
酒場にやって来たジェラルドに得物を見せてほしいと言ったら、案外すんなり了承された。
「そっちの剣を見せてくれるのならな」
「なるほど。相当な目利きなんだな」
言いながら、剣帯から外した剣を鞘から抜いてテーブルの上に乗せた。
覗き込みながらも、不用意に手を触れないのは流石だ。
「やっぱりな。妙に気になると思っていたんだ。それ、相当な業物だろう? 俺のツヴィックナーグルに引けを取らないなんて、初めて見たぜ」
ジェラルドが首を左右に振りながら矯めつ眇めつする。
俺は俺で神々が鍛えた剣というのに興味があった。
剣を受け取って意識を凝らす。
あいつと似た気配がするかと思いきや、そうでもない。あの圧倒されるけれど温かい感じは微塵もしない。
「な、何だ、これ?」
戸惑って上がった声に我に返る。剣に向き合い深く沈み込んでいた意識が急激に浮上する。
ウェイスェンフェルトに触れたらしく、柄を握る手が震えていた。冗談みたいに腕が波打っている。
「早く手を離した方が良い。そいつは使う者を選ぶんだ」
やせ我慢したり反発したりせず、素直に手を離した。軽い音をたてて床に転がった剣を素早く拾い上げ、鞘に納める。
剣の鈍く光る身に目をくぎ付けにされていたジェラルドがほっと息を吐く。
俺の力に耐え得るすさまじい強度を誇る剣で重宝していたが、他人に貸さない方が賢明だな。
「あんたを探しているやつがいる」
途端に視線が鋭くなる。
「この剣のせいで俺とあんたを取り違えたらしく、付けまわされていたが、人違いだと言って追い払った」
「その程度じゃ諦めないだろうな」
「誰なのか心当たりはあるのか?」
「ああ、王だろう? 勇者に魔王を討伐させた国の、な」
言ってジェラルドはにやりと笑った。
コウの誕生日祝いの際、愛の狩人だと言いながら複数の女性を口説いていた風情は微塵もなかった。
この国の貴族にも手を回したと話したら、とんだとばっちりだったなと笑った。ジェラルドを責める気はない。彼もそれが分かったのだろう。淡々と続けた。
「そろそろ潮時かな。この町を出るか」
「あんたの腕ならどこでだってやっていけるさ」
「ああ。でも、どこにも根を下ろせない」
ぽつりと漏らした声音に心情が滲んでいた。
「冒険者ってのはそういうものだろう」
「そうだな! 良し、飲もうぜ!」
気を取り直して言う。空元気も元気のうち、か。
たまにはいいかと付き合ううち、ジェラルドが周囲の女性に声を掛け、俺にもしなだれかかろうとするのをのらくら避ける。それを見たジェラルドが目を丸くする。
「お前、不能なのか? いや、もしかして、異性が恋愛対象じゃないのか?」
「いや、単に一族の者としか結婚しないだけだ」
いろいろと面倒だし、相手に負担が掛かるからだ。
「お国に決まった人間がいるんだな。しかし、遠く離れているのなら、少しくらい羽を伸ばしたって良いだろう?」
「なるほど。あんたはそういう考えだから、あちこちに声を掛けて回っているのか」
「まあなあ。元いた国ではイメージってものがあったからな。箍が外れて浮かれちまっているのさ!」
ジェラルドは美女や美少女を侍らせながら陽気に言う。コウが見聞きしたら目をむいて羨ましがりそうだ。
その考えは間違いではなかったらしく、後日この乱痴気騒ぎを聞きつけたコウが地団太を踏んだ。
「スウォル、ジェラルドと大勢の美女や美少女と派手に戯れていたんだって? 男前め! たゆんたゆんにまみれていたなんて! う、羨ましくなんか、ないんだからねっ」
実に悔しそうだった。
その道はそれほど細くもないものの、工房ではなく住居が立ち並んでいた。人通りもありそうなものだが、その時は人影はなかった。
ちょうどそういったタイミングだったのだろう。
しかし、やつはその絶好の一瞬を逃さなかった。
機会を逸さないのは一流に取って当然のことだ。
真後ろから飛んできたナイフを体をずらして避ける。歩みを止めるほどのものではないが、投げてきた相手は捕まえておこうと考えた。殺気を放たずに人に向かって武器を投げつけられるのだから、相当に訓練を積んでいるか、他とは異質なのだろう。
ナイフは牽制で、投げた相手はすぐに移動しており、するすると忍び寄って来る。俺は急激に方向転換して相手の側面に回り込んで足を掬った。相手はすぐに足を引っ込めようとしたが体勢を崩す。即座に反応したのは大したものだが、更に追撃して足を出してやれば、無様に背中から倒れ込んだ。
「誰に言われてきたんだ?」
「どうして依頼されたと思うんだ?」
尋ねると質問が返って来た。
機を窺うつもりなのか。
痩せた男は身長が高くまるで朽ち木だ。服装はよく見かける冒険者風だが、あちこちに武器を仕込んでいると知れた。
座り込んでいたのが、俺の顔色を窺いながらゆっくりと立ち上がる。
俺が剣を抜くどころか柄に手を掛けていないことやその他の隠し武器を持っていないことを冷静に観察している。足の重心や体の筋肉の緊張度合いも測られている。
結構な手練れだな。
投げて来たナイフも解体用のそれよりも小さい。けれど、切れ味は鋭い。
「俺が前のやつらを追い返したら、あんたのようなのを寄越したか。人違いだと言ったんだがな」
得物の銘まで見せてやったのに、疑り深い。
「とんでもなく強いとでも聞いて、震えあがったんじゃないか? 脅威は排除する。そうやって来たんだろうさ」
他人事のように言うが、馬鹿にした感が滲んでいる。
「俺は強者と殺り合えたらそれで良い」
言いながら爬虫類めいた笑いを浮かべながら唇を舐める。そんな風にして恐怖を植え付けいたぶってきたのだろう。ふと一族を思い出す。迫力はあちらに軍配が上がる。
「腕は確かだが、全体的にはまだまだだな」
暗殺者は沈黙の中に襲ってくるから怖いのであって、依頼主の情報を僅かなりとも漏らし、あまつさえ自分の感情を見せるとなったら別だ。単なる人間で、とすればいずこかに隙があり、与しやすいと取られる。恐怖が行動を阻害するのだ。冷静に対応されれば勝率が下がる。
分かりやすい挑発にわざと乗ったのか、自負を傷つけられては勝算がなくとも向かって行く性質なのか、殴りかかって来た。
予備動作がない動きだ。
繰り出して来た拳を掌でいなし、向かって来る勢いを殺さず滑らせ肘を掴んで曲げて肩の付け根を打つ。右の掌で手首を打ち、左の掌を相手の肘に当て、そこを支点に打った手首の裏側へ右の掌を滑らせ、軽く力をこめて外側に押しやる。
食いしばった歯からうめき声が漏れる。
掌で喉を掴み、体を持ち上げる。暗殺者はもがきながら、両腕両脚を滅茶苦茶に振るう。
「何度も言うが、俺は勇者じゃない。俺の剣は単なる魔剣で、神々が鍛えた剣ではない」
魔剣であることを強調して手を放してやると、腰をかがめながらも倒れ込まず、俺の腰に手を伸ばし、剣の柄を握った。咄嗟に目についた剣を手に取っただけだろう。
しかし、ウェイスェンフェルトである。
使い過ぎると精神を破壊されるが、元から破綻した精神の持ち主ならどうなるのか。興味があったから阻害しなかった。
終結がいち早く訪れるようだ。
目つきがあやしくなり、涎を垂らしながら妖剣に導かれるまま剣を振るう。
もはや、誰が敵で倒すべき相手かなどの考えはない。思考を奪われる。仮にその場に味方がいたとしても、敵味方関係なく襲い掛かるだろう。自我を失うので、認識ができなくなるのだ。
「なるほどな」
腕を取って向こう側へ押しやり、眼前に飛び出て来た首筋に逆の手で手刀を叩き込んだ。
呆気なく失神した。
後ろ手に縛り、人通りがない路地へ引きずって移動する。
あの場所ではいつ人が来るか分からない。俺が通る道で人気が途切れた瞬間を狙ったのだろう。そういった見極めは一流だ。
足でつついて起こすと、驚愕に目を見開く。
「こういう時は、瞼を開けてはいけないな。目覚めたことを教えることになる」
俺には通用しない適当なことを言えば、途端に面白くなさそうな顔つきになる。最近、事あるごとにコウにアドバイスしていたから、つい口をつく。
「ふん。Aランクの暗殺者に助言か? ……お前、何者なんだ?」
暗殺者にもランクがあるんだな。誰が決めているんだ?
「仕事は失敗したんだ。どうせ雇い主の下へは帰れないだろう?」
水を向けてやると抵抗なく口を開いた。
魔王を倒し、自分の地位を脅かしかねない勇者一行を、国王は無力化しようとした。それで単純な戦士を骨抜きにし、頭の良い魔法使いを事故に見せかけて殺した。
「ところが、勇者は国王ご自慢の娘二人に見向きもしないでどこへ行くとも告げずに姿を消したんだ」
国王は勇者を恐れること非常なものがあったという。
「それで、狙われたら生きてはいないとまことしやかに囁かれる暗殺者に依頼した。自分の思う通りにならないのならば死んでしまえということさ」
縛られたまま肩を竦める。器用なものだ。
自分のことを高く評価しているが、特段なんとも思わなかった。力量を見極めるのも実力のうちだ。俺も自分のことに言及する際、大言壮語を吐くと受け取られる。その点、コウはすんなり受け止めてくれる。俺の力など推し量っているまいに。
「まあ、いい。お前が国王の下へ帰らないというのならばな」
「俺を解放するのか?」
「このまま放置、だな」
自分で縄抜けくらいできるだろうと言って踵を返すと、覚えていろ、というよくある遠吠えが聞こえる。
Aランク暗殺者とやらが帰ってこなかったのだから、化け物だとでも思って怯えて縮こまってくれればいいんだが。
なんにせよ、やつらは勇者の所在を掴んでいない。ただ、この先どうなるかは分からない。誰だって常に狙われたら、いつかは隙を生じ、破滅を迎えるものだろう。
「とすると、同時に複数の女を相手にするのも、むべなるかな、か?」
その時その時を全力で楽しんでいる。次の瞬間に死と直面するかもしれないのだ。




