異世界に召すまま
「例えばさ」
俺は手で顔を仰ぎながら、隣を歩く高木に声をかける。
「俺が異世界に転移または転生したとする」
「はっ?」
素っ気ない返事が返ってきた。ノリの悪い奴だ。こいつ異世界パティーンを知らないのか? まあいい。話を続けよう。
「よくある女神の祝福を当然いただく俺は、チートを使ってバンバン敵を倒して様々なスキルを習得したりする。敵はあれな、RPGとかに出てくる系のモンスターな。んでギルドに登録して急にSランクの依頼とかこなしちゃうわけだよ」
横目で高木の反応を確認すると、イマイチのようだ。むしろ何言ってんだこいつ。的な顔をしている。が、あえて話を続けてみる。理由は簡単。俺が日々妄想している異世界冒険譚を聞いてほしいからで、もしも高評価だった場合は文字に起こそうと思っているからだ。
「ギルドの依頼をしながら、時にはエルフの里の窮地を救い、ハイエルフと婚約させられそうになったり。時には奴隷商に売られている獣耳っ娘を助けてなつかれたり。時には魔王の手先に捕まった某国の姫を助けたりと、八面六臂どころか十六面十四臂の活躍をすることになる。気付けば周りは女の子だらけ、俗に言うハーレムという状態になってしまう」
ハーレムという言葉に高木が少しだけ反応する。そこじゃないんだよな反応して欲しいところは。ハーレムも少し重要だけど、そこじゃないんだよ。
「そして魔族との戦争に――」
「結局何が言いたいの?」
高木が真顔で問いかけてきた。あれ? もっと興味持たれると思ったけど。こいつもこの手の話は好きだったと思うのだが。
「何が言いたいのって。俺が異世界に行った時にどう生きるかの話だけど」
「それを聞かされてどうすればいいのさ? タケルはその異世界ってのに行きたいって話?」
「愚問だ。その質問一つで齢十七年間をどう生きてきたか知れるぞ。幼稚園の時から俺の英才教育を受けてきたとは思えない反応だな」
俺の言葉を、はいはい。と邪険にあつかうと高木はスタスタと前を歩き出す。幼い頃からのご近所さんは随分冷たくなったものだ。昔は俺が持っていた漫画やアニメ、ゲームに目を輝かせていたというのに。
「急がないと電車に乗り遅れると思うけど、今日は朝から小テストだし、勉強やったの?」
おかんか! そのおかん力は今発揮する場面ではない。俺の話を聞くことに使うべきだ。と心の中で訴えてみたものの、何故だか微妙に機嫌の悪い高木には届かず。気まずい雰囲気のまま歩き、駅に到着。
「もう一回聞くけど、結局何が言いたかったの?」
電車を待つ間、終始無言の俺に高木が気を使って聞いてきたので、キリッてな感じで答える。
「答えは単純だ。俺は異世界を望んでいる」
タイミングよく到着した電車が、俺の言葉をかき消きけしたのはもはや言うまい。
ーーー
「ただいま」
学校を終えて家に到着。少し手狭なリビングに向かうとスーツ姿の親父がテーブルに座っていた。
「あれ、早いね? 仕事は?」
「おかえり。仕事は早退したんだ」
あっそ。と返事を返す。親父を通り越して、冷蔵庫から麦茶を取り出し喉の渇きを潤す。
「タケル、少し話があるから座ってくれ」
真剣な親父の声に、何事? と思いつつ対面の椅子に座る。テーブル越しの親父は挙動不審気味に、わざとらしい咳払いをしたあと話に入る。
「実はな、父さん。再婚しようと思うんだ」
「へ? あ、そう」
物心ついた時から親父と二人暮らしだった。母親の顔は知らない。俺が小さい頃に離婚したそうだ。昔は色々思うところもあったが、今となってはあまり気にしていない。それに片親ってなんか悲劇感を煽ってるみたいで、俺の中二心をくすぐるから嫌いではない。
「あ、そう。って随分あっさりだな。どう思う?」
「どう思うって、別にいいんじゃない? 反対とかはしないよ、親父の好きなようにしたらいんじゃね」
「そうか。そう言ってくれると嬉しいよ」
「まあ、なんて言うか、おめでとう」
「おう。ありがとう」
親父は心底安堵したような顔をしている。そんな顔を見せられると、なんだかこそばゆいのだが、俺に母親ができるのか。多少興味の芽が顔を出すのは当然の摂理だなこれ。
「どんな人?」
素っ気なく聞いたつもりが声が上ずってしまう。
「とても真面目な人だよ。しっかりしてる」
「ふ〜ん」
「それとな、一緒に、住もうと思ってるんだが、いいか?」
「いいか? って聞かれても、ここは親父の家なんだから好きにすればいいじゃん」
「タケル、本当にありがと」
ちょ、涙ぐむなよ親父。なんか、そんな姿見たら、俺まで変な気になるだろ、やめてくれよ。
「あとな、もう一つあるんだけど、いいか?」
「何?」
「向こうさんにも子供がいてな、その子も一緒にこの家で暮らすことになるんだけど、いいか?」
俺の触手がピクンと反応した。今なんと? 再婚相手の連れ子だ、と。え? マジで? これってもしかしての展開になっちゃたりして。いや、まだ油断はできない、連れ子は男かもしれない。そうなると義妹もしくは義姉とのイチャラブ作品のような展開は無しになるわけだ。
「その子もタケルと同じ十七歳なんだ。だから一人暮らしはさせたくなくてな。本人からは承諾をもらってるから、あとはタケルが納得してくれれば、話しは丸く収まるんだけど」
「別にいいけど」
「本当か? ありがとう。もう一つお願いがあるんだけど。実は今、その子が家に来てるんだけど会ってくれないか?」
「……別にいいけど」
「よし、ちょっと呼んでくるから待っててくれ」
颯爽とリビングを出ていく親父。背中が妙に嬉しそうだ。にしても同い年か、親父の話を聞く限り、女である確率は高い。ふむ。今のところ古今東西の名作によくあるパターンの筋道は沿っているな。いつの日か帰宅した直後にシャワーを浴びにいったら湯上りの義妹、もしくは義姉に遭遇し、その完璧なまでの瑞々しい身体を見ちゃってさあ大変。なんていうラッキースケベもあるやもしれん。
いや冷静になれタケルよ。そんな美味しいシチュが早々に起きるのはアニメや漫画のみだ、現実の義妹、もしくは義姉など何を話していいか分からんだろ。というか、今から会うとか展開早くね? ここは時間をかけて義妹もしくは義姉、ってさっきから何回義妹、義姉って言ってんだよ俺。何気にテンション上がりすぎだろ俺。正直ワクワクが止まらんぞ俺。どうしよクラスの女子とかだったらどうしよ〜。もしくは学年一の美女とかだったらどうしよ〜。これが俗に言うわくわくすっぞ! ってやつだな。
「さあ、入って」
親父の声に反応し思わず立ち上がる。ちょ、ドキドキがパないんですけど。
「タケル、この子が再婚相手の子供で名前は光君だ」
親父に促されて登場した子は、ぺこりと可愛らしくお辞儀をすると、照れた様子で笑顔を向けてきた。
「――っづ」
喉の奥で声にならない声がでる。大和撫子。彼女を表すにはこの言葉以外ありえない。
大きな黒い瞳、長い黒髪、守ってあげたくなるほどの華奢な体。黄金比である顔の造形にはニキビも何も無い。まさにつるんとしたゆで卵。可愛い、服装も嫌いではない。黒系のパンクシャツに、黒地のチェックスカート。スタイルの良さが透けて見えそうだ。この子が俺の義妹もしくは義姉になるのか。これゃ楽しくなりそうだ。
「タケル? どうした固まって?」
親父の声でハッ、となる。危ない危ない。なにかがもっていかれる所だった。どうやら義妹もしくは義姉の容姿は、地球の重力に魂を縛られている俺を解放させてくれる効果があるようだ。
「あ、タケル〜お前さては光君が可愛いからって見惚れてるんだろ?」
おい〜! やめとけ親父、いきなりうちの息子、君のこと異性として興味あるみたいだよ。みたいな感じで紹介するのやめれ! この先気まずくなるだろうが。
「タケルが前付き合ってた、あの個性的な子とは段違いだろ」
「え、あ〜。まあ、って、何で知ってんだよ?」
「あのブスとはもう別れたんだろ?」
「急だな親父! 急にエッジ効かせたコメントするのやめろよ。あの子はいい子だったんだよ、まあ見た目は確かに個性的だったけど、いい子だったんだよ! 次ブスって言ったらぶっ飛ばすからな!」
「タケル」
「何だよ!」
「お前童貞だろ?」
「今それ関係ある? ねえ今それ関係あるの? ないよね! 今は新しい家族を紹介でこれからよろしくね。みたいな空気になるんじゃないの?」
「図星か。どうやら前の彼女さんとはせいぜい手を繋ぐくらいで終わったみたいだな。タケルはてっきり千穂ちゃんと付き合うと思ってたけど、あんな可愛い幼馴染ほっといてなんでブスと付き合ってたんだ?」
千穂という名前を聞いた途端に体温が高くなるのを感じ、決まり事のように手で顔を仰ぐ。自分でも分かってるけどさ。十七歳はどうにも素直になれない年頃なんだよ。だから別に好きでもない子に告白されたら流れでオッケーしちゃうんだよ。元カノと会う度に千穂の顔が頭から離れないから、これはいけないと思って、ちゃんと別れは俺から言ったし。向こうも納得してくれた。付き合った期間は一週間だったけど、今ではいい思い出だよ。
「いや、その、千穂とはそういう関係じゃねえから、ただの友達だし。それにあいつはモテるから、って待てクソ親父。てめぇまたブスって言ったな、はい殴ります。今から親父を殴ります!」
チョけだす親父に我慢ができず、詰め寄って胸ぐらを掴む。拳の重みとブスと呼ばれたブスの気持ちを知れ!
「落ち着いて童貞、何ならあたしが相手してあげようか?」
「うるせえな! 誰だよ今大事なっ――え?」
親父に向けていた拳が止まる。ついでに時間も止まる。そして時は動き出す。止まった理由は聞きなれない、綺麗なバリトンボイスがリビングを包んだからだ。
えっと、ちょっと待って、ちょっと待って。今この空間には俺と親父と大和撫子しかいないわけだ、親父の声は高めのハスキー系なので親父の声では無い。となると大和撫子が言った事になるのだが、明らかに今の声は。
……男の声なんだが? 大和撫子が微笑む顔はアイドル顔負けの魅力があるのだが、もしかしてだけど。
「え? 男?」
「え? 男だけど、それが?」
悪戯成功とでも言いたげな顔が魅力的なのだが、えっ? 男!? ヤバい急にゲロ吐きたくなってきた。
「顔は好みじゃないけど平均点はクリアしてるから、まあ筆下ろしなら引き受けるけど、どうする?」
唇をなめながら別に私はいいけど。というよくあるエロ漫画的な台詞が妙に板についている。見た目と台詞は百点だが、性別と声でマイナス七万点だ。人の純潔を奪うのもやぶさかではないみたいな口ぶり。こいつヤバイ奴だ。ヤバイ女装男子だ。
「それとなタケル、もう一つ報告があってだな」
「いや親父! それよりもこいつ男なのかよ! 見た目完全な女じゃねえか。可愛い義妹もしくは義姉ができると思ってた俺のドキドキどうすんだよ!」
「父さん、隠し子がいてな」
「なんて日だ!」
本当になんて日だ! 再婚の報告、再婚相手の連れ子が実は女装男子で、とどめに隠し子のカミングアウトってどうなってんだ今日は、誰か助けてくれ。
「その子もこの家で暮らすことになったから、今いるから会ってくれ」
「展開が早すぎる! ちょっともう何なんだよ。まだこの光だっけ? こいつの存在だって飲み込めてないのにさ、なんだよ隠し子って」
「飲み込めないなら、かわりにごっくんしよっか?」
「うるせぇよ女装野郎! いい声で下ネタ言うな!」
「お〜い。こっちにきてくれ」
「俺えの配慮は無いんか!」
リビングに近づく足音。俺は固唾を呑んで見守る。ごくりとなる喉は緊張と渇望の為、今度こそ、今度こそ義妹もしくは義姉が来るのではないか。という淡い希望をもった俺を一体誰が責められようか。
しなやかな足取りでリビングに現れた隠し子は、軽く頭を下げると、自己紹介を始めた。
「初めまして。沙織と言います」
見た限りだとかなり落ち着いた雰囲気だ。というか落ち着き過ぎている。というか、え?
「親父」
「さあ、あとは新しい妻が来れば一家全員か揃うな。今日は寿司でも出前しようか? なあタケル?」
「いや、親父。隠し子の人さ、明らかに――」
「タケルは魚より肉の方がいいか?」
「いや……肉とか魚よりも説明して欲しいんだけどさ」
「何だ?」
「その人、隠し子の、沙織さん? 明らかに親父より年上に見えるんだけど」
三十代後半の親父より、明らかに年上に見える隠し子とやらは、困ったわね。みたいな感じで微笑んでいる。その眼鏡越しの笑顔がいかにもPTA会長の佇まいで、俺の混乱を加速させていく。服装もグレーのジャケットに黒のスカートってマジでPTAじゃん。
「親父、これ大掛かりなドッキリとかなの? 赤いヘルメットと看板がトレードマークのおっさんはいないみたいだけど」
「タケルは何を言ってるんだ? まあこれからは家族五人力を合わせて頑張っていこう」
「頑張れない、頑張れないよ! まだこっちの女装男子はギリギリ受け入れられるけど、隠し子の沙織さんは無理だよ、だって親父より年上でしょこの人?」
「沙織、苦労かけてすまなかった。これからは家族みんなで暮らそう」
「はい。お父さん」
「おい、やめろやめろ! 三文芝居が臭すぎるだろ。はい。お父さんじゃないから、ハグするなハグ。気持ち悪いからどっか他所でやれ!」
「私達もハグする? 続きはベッドの上でもいいけど?」
「うるせえよ! どんだけ下ネタ好きなんだよお前。バリトンボイスで誘われても何にも嬉しくないからな! どうなってんだよ今日は! 色々ありすぎだろ、こんなの嫌だよ。急に魔界に投げ込まれても困るわ。返せ! 俺の日常を返してくれ!」
心の奥の純粋な部分から本気で叫んでやった。
「………………」
あれ? 今、三人に、え? みたいな顔を向けらている。何その顔? 俺そんな変なこと言ったか、いや言ってないだろ。いつもの日常に戻してくれって叫んだのに、なんでこの三人は不思議な顔でこっちを向いてるの?
「何を言ってるんだタケル」
見かねたような顔で親父が近づいて来た。何言ってんだって、普通のこと言ったのだけど。
「お前が望んだんじゃないか」
「は?」
親父が意味の分からないことを言い出した。俺が望んだこと? 俺は一度も女装する男と、親父より年上の女性を家族に欲しいだなんて望んだ覚えは無いぞ。
「今朝言ってたろ。俺は異世界を望んでるって」
「いや、アレは、え? あれは高木に――」
――――――――――――――――――――
緊急事態発生、緊急事態発生。制空圏中域にデブリ怪獣出現。各員コンディションレッドに備え持ち場に待機せよ。繰り返す。緊急事態発生、緊急事態発生。制空圏中域にデブリ怪獣出現。各員コンディションレッドに備え持ち場に待機せよ。
家中に響いたベル音と無機質なアナウンスが俺の言葉をかき消した。
何だ? 地震か? いや違う。何だこれは? 緊急、な、何? 何でリビング全体にアナウンスが流れてるんだ? おい誰か説明してくれ。今のは何だ?
「家族団欒を邪魔する者は馬に蹴られて何とやらだ! 各員持ち場に付け! 早急に対処するぞ!」
ちょ、親父? 急にどうした。頭おかしくなったのか?
「了解!」
親父の指示に声高らかに反応する女装男子とPTA。何がどうなってるんだ? 誰か教えてくれ?
「ゼウスモード発動はいけるか?」
俺の疑問を置いてきぼりにし、また親父が声高らかに叫んだ。何だゼウスモードって?
「ゼウスモード展開の仮定確認。同調率五十九・三○七%。通常よりも低いですがいけます」
親父の問いに隠し子のPTAが眼鏡に手を添えながら答えた。眼鏡からは青い粒子が飛び出し、密集している。粒子はテレビで話題の立体光学映像に姿を変え、グラフやら数字が並ぶ青い画面が、PTAの前にずらりと並び始めていた。
「タケルがいることで同調率が低いか、だがここで引いては我々人類に退路は無い! ゼウスモード発動せよ!」
「了解、ゼウスモード発動します」
――――――声門認証確認。局長、副局長の両波長であることが証明されました。これよりゼウスモードを展開します――――――
また、アナウンスが聞こえた。どこから? ねえどこから? 俺の疑問はまたも置いてきぼりになる。一瞬にして白い光がリビング内で爆ぜたからだ。眩しいと思った瞬間に光は消え。リビングは姿を変えていた。
「……何じゃこりゃ」
俺と同じ状況になって、同じような声を出さない奴はいないだろう。だってそうだって。目の前の光景が一生見るか見ないかのバカげたものに変わるんだから。
手狭だったリビングは縦にも横にも広い空間に変わっていた。
目の前には超弩級のモニター画面、映画館なんかのスクリーンよりも大きそうだ。モニターを挟むように左右には近未来感が漂う大きなPCチェア。テーブルにはガラス張りのキーボード、周囲にはひし形やら、円錐形、宙に浮く逆三角形などの、見たことのない電子機器が青色光を放出している。
リズミカルにキーボードを叩く女装男子とPTA。二人の前には青色光の立体光学映像がよく分からない文字や数字に図式、グラフで何事かを表記し、その画面は一秒毎に更新されていく。
軽快なブラインドタッチに答えるように、ひし形、円錐形、宙に浮く逆三角形の電子機器達が反応しだす。仕事だ仕事だ。と喜ぶようにモーター音をフル回転させると赤、青、緑の原色の光が機器から飛び出し、この空間に色を加えていく。
照らされた周囲に目をやると、鉛色の壁が輝く。原色の光を受けた壁からはピコピコという紋切り型の電子音に乗せ、二足歩行のアンドロイドが続々と壁からせり出るように現れる。
全身銀色のアンドロイド達。どこぞの宇宙戦争に登場する金色のボケ担当を彷彿とさせる。
戯けた足取りで壁に向かって振り返ると胸辺りにキーボードが現れる。
壁から突き出たキーボードに指を乗せると人ならざる早さでキーを叩き出す。あの無機質なアナウンスがもう一度流れ、システリアル電蝕起動、パージ分子邂逅、アルコバレーノ数値均一化、マテリア多次元同調、等々の全く理解不明の単語を、宇宙船を連想させるこの場に流れだす。
というか待て、何だこの状況? これがゼウスモードなの? 何なの、何がどうなってるの? えっと、あの……本当に何がどうなってるの?
「司令ブラスターワンとの通信が繋がりました。モニターに映します」
バリトンボイスを響かせて女装男子がこっちを向いてきた。いや、俺じゃない後ろだ。背後には床から伸びるように突き出た椅子。どこの世界から持ってきた。と突っ込みを入れたくなるような前衛的な椅子に、親父が座っていた。親父って司令なんだ。などと現実逃避する俺を誰も責められないだろう。
「ブラスターワン! デブリ怪獣の出現だ、早急に駆逐せよ!」
椅子から立ち上がり、マント翻しながらそれっぽいポーズをする親父。ん? マント? 待て、さっきまでスーツ姿のはずだったのに、何で白い軍服っぽいの着てマント靡かせてんだ。
よくよく見ると女装男子もPTAも同じ様に白の軍服着てるよ。変わったリビングと相まって、さながら宇宙船木馬のように見えてしまう。もしやと思って自分の姿を確認するが、俺は制服のままだった……まあいいけど。
「こちらブラスターワン。至急デブリ怪獣駆逐に向かっ、タッ――! し、失礼しました。局長ブラスターワン発信の許可を」
眼前にある巨大モニターには、白いフルフェイスに白いライダーススーツを着た人物が映っている。背後や横にはここと同じように見たこともない機器の壁が並んでいる。
モニター真ん中にいる人の顔をフルフェイスが覆っており、バイザーも黒く判断できないが、声の感じから確実に女だろう。タッ! っていう声が可愛かったのは俺の胸に留めておこう。というか今の声って――
「ブラスターワン発進せよ!」
「了解。ブラスターワン、行きます!」
キリッとした感じで親父が声をだすと、パイロットもキリッとした掛け声でブラスターワンとやらを起動させた、っていうか何回ブラスターワンって言ってんだこいつら。
「外部映像に切り替えましす」
女装男子がそう告げるとモニターの映像が変わった。
「……嘘だろ?」
俺の溢れた言葉は誰も拾わない、親父は何事かを指示し、二人がそれを手早くキータッチで叩き込み、プログラム防壁の展開やら、偽装弾幕の牽制など、またまたよく分からない単語が飛び交っていた。
が、今の俺には三人の会話などどうでもいい。何故なら目の前のモニターに目が離せなくなっているからだ。
宇宙が広がっていた。巨大モニターには余すところ無く黒が塗られ、所々には子供がいたずらのように巻いた星々が、不規則に光源が明滅している。深い黒と淡い白銀の光に俺の目が奪い取られた。
画面の隅、モニター越しでは分からないが、かなり大きいと思われる、巷で噂のブラスターワンだと思われる物体が姿を現した。
白と金色を基調とした、戦車のような分厚い装甲が人型の全身を固めている。宇宙において足はいる派いらない派に分かれているが、ブラスターワンにはしっかりとした足がある。無骨なシルエットは一昔前の漫画やアニメに出てきそうな形状。右手には巨大重火器、左手には巨大シールドが握られている。
いや、これどう見ても燃え上がれを意識してるでしょ! と突っ込みたい気持ちを我慢するのはなかなか大変だ。
「タケル!」
空気になっていた俺にようやく親父が声をかけた。ゆっくりと振り向く。
「しっかりとこの戦を目に焼き付けておけ」
力強い親父の声に俺はどう答えようか迷ったが、とりあえずは。
「りょ、了解」と返しておいた。敬礼付きで。
「ブラスターワン、右腕装甲にデブリ怪獣の攻撃を受け損傷! パイロットの右腕にも軽度の怪我を確認。まだ行けますかブラスターワン?」
「いけます! やらせてください! 私が止めないと。デブリ怪獣なんかに地球を侵略させません! 右腕ぐらいどうってことありません!」
モニター越しに会話をする女装男子とパイロット。頑張りすぎるパイロットの声が何だか切なくなる。
どうやらブラスターワンは苦戦しているらしい。モニターを見ると、気持ち悪い色をした巨大イカやら巨大クラゲみたいなものと戦っている。巨大イカの触手攻撃をシールドで受け流し、大質量の重火器が火を吹く。危なげながらに戦う姿に唇を噛む。
頑張れブラスターワン。負けるなブラスターワン。
ーーー
カラスの鳴き声が響く、俺にはアホーと鳴いているように聞こえる。アホーは地球にでも向けとけカラスよ。
夕陽が沈む時間帯、ベタではあるが、ジョギング中の人や、犬の散歩をする人が宇宙怪獣の存在など知らず、楽しそうに各々の時間を過ごしている。
「まあ……ある意味異世界だったけれども」
独り言にしては大きめの声が口から出る。宇宙怪獣デブリとの戦闘に勝利した親父達。いや、司令達。
戦闘終了と同時にゼウスモードとやらは解除されたようで、一瞬でリビングに戻り、いつもの日常が戻った。局長、副局長、通信師の三人に一人にして欲しいと告げ家を出た。行くあてもなく近所の川辺に一人座り込む。
「タケル? どうしたのボ〜っとして」
「ん? なんだ千穂か」
「え! タケルが私を名前で呼んだ……いつもみたいに高木って呼ばないの?」
「いや、まあ。そうだな」
いつのまにか現れた幼馴染の高木千穂が俺の顔を覗き込んできた。
栗色のショートカットが似合う千穂は、人好きする顔を崩す。この屈託無い雰囲気が誰からも好かれ男女問わず人気。光を多く吸い込みそうな瞳が俺に向けられる。制服越しからもハッキリと分かる女性の体型に思わず薄目になったのは、男子ならば当然だろう。
「ちょと、こ、こら! ルーク!」
散歩の途中だったようで左手にリードが握られている。繋がれているルークという名の大型犬は、ご主人様のスカートに顔を突っ込み早く早く、と散歩の続きを急かしている。
女子の平均身長よりも少し小さい千穂が、でかいルークを止めるのは辛かろう。
「ルーク止めて」と言う主人の声と左手の静止を無視して、バカ犬はスカート内への侵入に全力を注いでいる。その姿をぼんやり見ていると自然と声が出た。
「千穂ってさ、好きな人いるの。」
「へ? なに急に、どうしたの?」
「どうもし、なくもないけど。まあ、色々あって。んで彼氏とかいるの? この前サッカー部のイケメン君に告白されてたじゃん。付き合ってるの?」
「つ、付き合ってないよ! 私は、その、何て言うか……」
夕陽を背にする千穂、その姿はまさに青春の一コマに感じられ、俺の若さ故の過ち、的な行動力がどんどん肥大していく。今やらずして、いつやるんだ。
「そっか、なんて言うか。頭おかしいって思われるかもしれないけどさ、抱きしめていい?」
「え? う、う……ん。いや違う、やだよ! なに、本当にどうしたの? 今日のタケルはおかしいよ。な、なんか嫌なことでも、あった?」
軽く頷いたり、ぶんぶんと首をふったり、怒ったり、試すような視線になったりで思わず笑ってしまった。何年お前の声を側で聞いてると思ってんだ。俺が間違えるはずないだろ。
「ちょ! タケル! 何してっ――」
「いいから」
両腕を千穂の背中に回す。信じられない細さに驚く。こんなに顔が近くにきたのは始めてだ。柑橘系の香水が鼻をくすぐる。その匂いは背伸びをしない千穂らしくて。また笑っちまった。
ご主人様を奪われたと思ったのか、バカ犬がうるさい。
まあ予想だけど、散歩のフリして俺の様子を見に来たんだろう? 昔から自分より他を優先させる所があるし。怪我したくせに俺の心配なんかしてんじゃねえよ。
ため息がでた。向けたのは自分自身。
こんな細い身体で今まで頑張ってきたのかと思うと、切なくなるわ。誰にも言わず、幼馴染の俺にも言わず。そう思うと悔しくなる、ムカつくから今度は俺が、お前の負担を減らしてやる。後ずっと言えなかったけど……いや、やっぱこれは言うの止めておこう。
「右腕、痛むか?」
最新の注意を払いながら、優しく千穂の右腕に手を添える。
「だ、大丈夫。大丈夫だよ。ありがとう」
千穂は照れながらも何かを諦めたような、ともすれば気丈に聞こえる声を出した。
はにかむその顔は、夕陽の光なんか目じゃないほどに綺麗で、赤々としていて、なによりも最高にチャーミングに見えた。
万が一を考えた。
あの非日常の宇宙空間なる異世界で千穂が――そう考えた時。ほんの少しだけ腕に力が入った。呟いた言葉は俺の本心だし、そうなれと純粋に思った。
「異世界なんていらねぇわ」
腕の中の千穂は、ん。と相槌をうったあと、額を俺にあずけた。