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終焉式世界紀行  作者: 慾
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豹の平原2

攻勢を防ぐため交差させた両腕を押さえつけるように雌豹の巨体がのしかかる。ギリギリと歯を鳴らすそれを並外れた膂力で押し返すも、すぐさま肉食動物の圧倒的な質量が努力を無へと帰す。顔に腥い豹の涎がぼたぼたと垂れ、伝う汗とともに隆起した肩の筋肉から、乾いた砂地へと吸い込まれた。


何とか交差した腕の片方を外し、転がる槍先へと伸ばす。だが最後の機運もまた指先をすり抜けるように、ほんの少し先からこちらを嘲笑してる。赤く酷使された上腕は筋を浮かばせ、獣の体重で白く変色しようとしていた。たった指一本、指一本の距離が真綿のように首を絞める。


ーー立て!立て!


耳を掠めるあるはずの無い叫び。そしてか細い子豹の悲鳴とともに身体にかかった圧力が、瞬間、消え去った。折れた槍先を掴み、無我夢中で振りかぶった。狩りの技術でも、戦いの心得でもなかった。真実、それはあらん限りの命の叫びだった。


ズブリと的確に、白刃は手練れの雌豹の眼球を裂いて、頭蓋へと達した。狩るものが狩られる宿命にあっただけだ。奇しくもこの身を罪人へと貶めたあの優美な雌と同じ致命傷を与えることとなった。


泡を吹いて痙攣する豹を余所に、アルバは大の字で地面に背中をついて倒れた。先程の雌の尻尾に噛みついた仔豹がびっこをひきながら近づき、しきりにアルバの頬を舐めた。左瞼の上には、反撃を受けた際に出来たであろう、名誉の負傷があった。


「良くやった。お前は勇敢な戦士だ。<流れる星>(テカムセ)の名を冠すべき勇敢な戦士だ」


労わるように仔豹の喉を暫く撫でてやってから、アルバは漸く立ち上がった。折れた槍先を腰紐に挟み、テカムセを背に乗せ、遠巻きに伺う豹たちを警戒しながら、再び素早く崖を登り出した。腕は痛むが、幸運にも骨は折れていなかった。そうして大きな戦士と小さな勇者は<豹の平原>を後にした。






あれからアルバとテカムセは<赤土の土地>と<豹の平原>の間を走る山脈を上へ上へと進んでいた。ここならば豊かな森と獲物がある上、古くから部族の聖地とされ、アルバたち狩人は滅多に深部まで立ち入ることはない。そして何より、彼らが<新世界>と呼ぶ、白い肌をした部族の街へとつながる唯一の玄関口であった。最も、この険しい山を越え、<新世界>へ到達することが出来た者は過去に一人もいないが。


びっこをひいていたテカムセは最初こそ弱々しくアルバにしがみつき、彼が仕留めた雌鹿の血と乳を啜るだけだったが、数日も立たないうち貪欲に肉を咀嚼することを覚え、アルバが切り分けた臓物を食みながら順調に成長した。身体つきを除いては他の種より明らかに成長著しいテカムセは、今では大地に降り立ち、自らの足でアルバに付き従った。


アルバは柔らかい雌鹿の肉だけではなく、丈夫な皮を何回かに渡って脳漿でなめしていた。夏にも関わらず、高度に反比例して下降する気温を敏感に察してのことだった。柔らく加工した毛皮を、蔦を踏んでより合わせた糸と、粗雑な石の針で縫い合わせたものに包まり、テカムセを抱えて寒さを凌ぐ夜が続いた。


アルバがこうして山頂を目指すのには理由があった。旅商人なら誰でも知るところだが、<新世界>に到達するためならこの山脈を、途中から<赤土の地平>側寄りに迂回して行けば良い。山を超えるにしろ、わざわざ最高点の火山口を目指す必要など無いのだ。


だがアルバは確信していた。あの二つ月の蝕の夜、一際大きな星の欠片が落ちたのはここの山頂だった。全ての命運には意味がある。その一欠片の星の場所に、自分が残酷な宿命を課された意味はきっとあるはずだ。アルバは来る日も、夏でありながら、薄く霜氷を纏ったこの山地を、枯れ葉を踏みしめて進んだ。

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