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第二十五話 玉虫物語(前編)

 朝の起床、鈴音は珍しく沙希が起きるのと同時に起きた。それから着替える事無く部屋を出て行き、琴菜がいる台所へと足を運んだ。

 ずっと美咲の事を心配していたのだろう。それに昨日の事もある。琴菜にしっかりとお礼を言うつもりだったようだ。

 けれども鈴音は美咲の事だけを聞いて部屋に戻ってきた。琴菜があまりにも普通だったから何も言えなかった。言ってしまえばまた苦しめる事になる。そう感じ取ったからこそ鈴音はいつもと変わらない態度を取った。

「それで美咲ちゃんはどうだって?」

 すっかり着替えを済ました沙希が聞いてくる。鈴音は何も言わないで出て行ったのだが、沙希には何をしに行ったのか察しが付いていたようだ。

「うん、大丈夫みたいだけど……元気が無いって」

「まあ、それはしかたないんじゃない」

 元気なく頷く鈴音。美咲の変調が精神的な物だと分っているだけにどうしようもない。

 もし自分が深い関わりが無ければ励ます事も気を紛らわせる事も出来ただろう。けれども鈴音が静音の妹である以上は、自分が声を掛ければ苦しめるのではないか。そんな不安を拭いきれない。

 力なくうな垂れれる鈴音に沙希は着替えを投げ付けた。

「今はさ、なるべく接しない方が良いと思うよ。無理に近づこうとするとお互いに傷つけるだけだと思うから」

「……うん、そうだね」

 のそのそと着替え始める鈴音。沙希もそれ以上は美咲の話はしなかった。

 焦ってはいけない、まだその時じゃないんだから。沙希はそう感じるのと同時に昨日の事を反省している。

 静音に辿り着く一番の近道は美咲や琴菜の重荷を引っ張り出す事だ。けどそれは同時に二人を深く傷つける事になる。それは静音も望んでないだろうし、鈴音もそこまでしてやろうとはしないだろう。

 焦っていた。だから二人への配慮が欠けていたのだと、沙希は今までよりも一層に周りに注意を払うようになっていた。



 鈴音が着替えを終え、いつもと同じように琴菜が作ってくれた朝食を頂き。部屋に戻ってきた二人。桐生家にお世話になるようになってからというもの、いつもはいろいろと忙しかった。けど今日は特にこれといった予定を立ててなかったので、すっかり暇を持て余す事になってしまった。

「……沙希」

「なに?」

 仰向けに寝転がり沙希を見上げる。何かしらの本を読んでいるようだが、鈴音は本に興味が無さそうだ。だから詰まらなそうに次の言葉を口にする。

「……暇!」

「そーかそーか、それは大変だ」

「う〜」

 適当に流されたので膨れながら唸る鈴音を沙希は無視し続ける。この村に着てからの数日は忙しすぎる程だ。だから沙希も今日だけはゆっくりしたいのだろう。

 ゆっくりする余裕があれば考えもまとまり、今まで気付かなかった事も気付くかもしれない。気分を切り替える事で次の何をすべきかを見出そうとしている。

 そんな沙希とは打って変わって鈴音は何も考えず、ただ転がりながら唸るだけだ。

「ねえ、沙希〜」

 よっぽど暇なのだろう。先程の会話から一分も経ってないのに、再び沙希に話しかける。

「どうした?」

「これからどうすれば良いと思う?」

「寝れば」

「さっき起きたばかりだよ!」

 どうやら沙希は完全に動く気は無いようだ。いつもなら何かしらのヒントをくれる沙希なのだが、こうも動く気が無いと鈴音はどうして良いのか迷うようだ。

 自分でも何かしようと考えてみるが、特にこれと言って思い浮かばない。沙希にちょっかいを掛けようともしたが、一蹴されて終わってしまった。

 結局は転がって拗ねるしかやる事が無かった。

 それでも少しの間転がり続けた鈴音は沙希が読んでいる本を見て思い出した。

 あっ、そういえば昨日水夏霞さんから買った本。暇だし、あれでも読も〜。

 そんな結論に達した鈴音は部屋の片隅に置いてあった汚れた本を持ち出す。汚れが落としきれていないので持つだけでもザラつきを感じる。普通に持って読んだら指が汚れそうだからテーブルの上に置いて開いた。

 それにしても結構ページ数がありそうだね〜、今日中に読み終わるのかな?

 どうやら鈴音は今日中に読み終える気だ。つまり今日は一日中この本を読む気らしい。まあ沙希が動かないのと特に目的が見つからないので鈴音も諦めたのだろう。

 とりあえず読み始める鈴音。最初の方はいろいろな資料が載っているらしく、そこは適当に読み飛ばす事にした。資料を事細かく読んでも詰まらないのだろう。この本の意義をのっけから否定した鈴音であった。

 そうしてしばらくページ数を重ねると資料とは違った文章が出てきた。

 これは……物語かな? 玉虫様の物語なら面白そうだよね〜。

 そう思った鈴音はそこからはちゃんと読む事にした。



 かの人は言う。時代の節目には世は乱れ、悪鬼羅刹あっきらせつ跋扈ばっこすると。この村もそんな時代の流れに逆らうことは叶わず、この乱れに押し流されていく。

 落ち武者や野武士などが村に来るたびに食料と女を奪わる。それでも村の衆は団結して食料と女を隠し、徒党を組んで村に迫る悪鬼羅刹と戦った。そのおかげでなんとか生き残る事が出来た。

 けれども神など居ない事を示すかのように村に追い討ちを掛ける。

 それが飢饉である。米はほとんど取れず、蓄えていた食糧も減るばかりだ。その上、飢饉はこの村だけは無い。世の中全てがそうなっており、京では食料の奪い合いが日常で行われている。

 それでも村の者達は力を合わせて生き残った。来年には米が取れる、そう信じて。だからこそ犠牲を出さずにその年を生き残ることが出来た。

 ほんのささやかな希望が村人達を救ったと言えるだろう。けれども、その希望は簡単に費えるものだった。

 翌年、梅雨だというのに雨は一向に降る気配を見せない。雨が降らなければ稲は育たないし田は枯れてしまう。そうなれば今年もまた昨年と同じ、いや、それ以上の地獄を見る事になる。

 それだけはどうしても避けたいのだが、天の成す事は人にはどうする事も出来ない。ただただ祈るばかりだ。

 けれどもどんなに祈っても一向に雨が降る気配は無い。このまま今年も飢饉になれば生き残れないだろう。そんな不安が村人達の間に充満する。そして、その不満はやがて形となって現れ始める。

 奪い合いが始まってしまった。近隣の村同士で襲い合い、奪い合い、犠牲を出していく。こんな事を続ければ共倒れになるのは時間の問題だ。だから早急に何かしらの手を打たなくてはいけなくなった。

 そこで来界村の村長は近隣の村々の長に招集を掛けて、事態の進展を図るべく話し合いの場を設けた。

 各村の者達はそれが罠ではないかと警戒したが、村の長たるものとして同じような事を考えていたのだろう。ここは来界村の長を信じようと村人を説得。無事に話し合いの場は開かれた。

 そこで各村の状況をそれぞれ告げた長達は愕然とする。自分達が思ってたよりも蓄えが無かったからだ。このままでは冬を待たずして共倒れになるのは目に見えている。

 村長達はそれから何日も話し合いを続けた。過激な村長は徒党を組んで遠くの村を襲おうとも言い出した。けれども、近隣の村々がこのような状態だから、襲ったところで食料が手に入るかは疑問だった。

 襲いに行った先に食料がありません、そんな事になれば徒労も良い所だ。

 更に数日も話し合いは続いた。だけど無駄に日数を重ねるだけで一向に良い案は出てこない。そんな時だった。来界村の長がこんな事を言い出した。

「この村には平坂と呼ばれる、洞窟の奥に下へと続く坂があります。その先は神様の国があると言われております。ですから、そこに若い娘を捧げて雨を請うてはいかがでございましょう」

 万策尽きた村長達にはもう神頼みしか残されていなかった。それで雨が降らなくても一時的に村人の不満を解消する事が出来る。そういう結論に至ってもおかしくは無い。

 その提案に異議を唱える者は誰もおらず、満場一致で平坂に人身御供を送る事が決定した。

 だがそうなると誰を送るかが重要になってくる。下手な人選をしてしまうと雨が降らなかった時に不満が一気に爆発してしまう。出来るだけ村人達から不満が出ないような人選をしなくてはいけない。

 話し合いは更に数日続き。白羽の矢が立ったのが、来界村の外れに居を構えている玉虫という娘だった。

 この玉虫。数年前の流行り病で両親を亡くしており、血縁と呼べるものは誰もいない。玉虫の事を知ってはいても深く関わりを持つ者は居ないだろうと、そういう結論に至ったようだ。

 人身御供が決まったからには事を急がないといけない。この手の事を行うのは一日でも早いほうが良い。遅くなればなるほど村人の不満は高まっていく。

 村長達は腕っ節の強い者達を選び、玉虫の身柄を確保すべく送り出した。犠牲になれと言われて素直になるとは思えない。抵抗されても抑え付けられるようにと、長達は強い者を選んだのだ。

 使者達が玉虫の家に着いたのは昼過ぎだった。夜になられては逃げられるから、まだ日が高いうちに抑えるように言い付けられていた。

 実際に玉虫の家に入るのは二人。残りは家を囲むように身を隠し、逃げ出そうとすれば捕らえるつもりだ。

 使者の二人が家の戸を叩く。中から返事が聞こえるとすぐに戸は開いた。思わず息を呑む使者の二人。出てきた玉虫の姿は美しく、しばらくは見惚れてしまうほどだ。

 これほどの娘がこんな所に一人で住んでいるとは誰も思わなかったらしい。使者は咳払いをして気を取り直すと、長達の議会で決まった事を告げた。

 驚きの表情を隠しきれない玉虫。それはそうだろう、いきなり人身御供になれと言われれば誰だってそうなる。

 悲しみで顔を曇らせる玉虫に使者は思わず同情しそうになるが、自分達が追い詰められている事には変わりない。ここは鬼にならなくてはと玉虫を連れて行こうとするが、玉虫はその手を振り払い、使者に告げる。

「神へと捧げ物になれと言われるなら承知します。このままではこの村だけではない、近隣の村々も滅んでしまうのは私にも分ります。ですが、どうか最後の時までこの家に留まる事をお許し下さい。ここは……両親と過ごしたたった一つの拠り所なのですから」

 人身御供となる事は承知する。その代わりに何処にも行く気は無いというのだ。

 使者は玉虫を説得するが、頑として玉虫の意見が代わることは無かった。

 拒否するのなら取り押さえる事が出来るのだが、こうも神妙に出られるとどうして良いものか使者達も困ってしまった。

 しかたなく使者の一人が長達に報告へと向かい。残りは家の周りを見張る事になった。

 報告を聞いた長達は村々から人を呼び寄せ、昼夜問わずに玉虫の家を見張る事にした。逃げ出そうとしても抑えれば良いだけだと考えたようだ。それと同時に村の女達は儀式に必要な物を作り、玉虫に届ける。

 女達の話では特に反抗は見られず、大人しくしているようだ。

 それでも長達は玉虫の見張りを一層強めた。逃げる算段をしているのではと疑念を拭いきれないのだろう。

 そんな感じで日々は過ぎて行き。何事も無く儀式の日を迎えるのだった。



「ねえ、沙希」

 物語の途中なのだが鈴音は沙希に話しかけた。沙希も本から目を離す事無く、言葉だけを返してきた。そんな沙希に鈴音は質問を投げ掛ける。

「沙希が生贄になれって言われたらどうする?」

「鈴音を身代わりにする」

「さりげなく酷い事を言わないで!」

 沙希の答えに再び拗ねた鈴音は、それ以上の言葉を発せずに本に目を戻した。



 神が現れるのは必ず夜だと言う。それは神が不浄を嫌うからと言われている。

 昼は人が闊歩し、行動する事で様々な穢れを生んでいる。昼は人の時間帯だからだ。

 けれども夜になると人は家へと帰り、静寂が訪れて穢れは月の光により浄化される。夜が深ければ深けるほど、月の光で地上は清らかになって行く。

 だから清浄を好む神は地上が清らかになる夜に姿を現すと言われている。

 夜というのはそれ程神聖なものなのだ。だからこそ、神に通じる儀式は必ず夜に行われる。

 空には数え切れない程の星と丸い月が輝いている。地上には松明の明かりが列を成していた。

 その列は玉虫の家から平坂の洞窟まで続いている。村人達が見守る中を玉虫が歩いていく手筈になっているようだ。

 長達は家の前に集まっている。玉虫の準備が終わるのを待って、共に平坂まで行くようだ。もちろん、家の周りに隠れているように潜んでいる男達への指示へも怠る事は無かった。

 ここで何かがあっては長達の威厳にも関わってくる。だからこそ恙無つつがなく物事を進行していかなければいけない。何かがあっては決していけないのだ。

 だからこそ長達は自ら出向いて指示を出しているのだろう。

 そんな長達の心配が形になる事は無かった。準備を終えた玉虫は神妙過ぎるほど素直に家から出てきたからだ。

「では参ろうか」

 来界村の長がそう言うと白装束を身に付けている玉虫は黙って頷いた。

 玉虫を中心とした列が松明の明かりに沿って歩いていく。長達は固まる事無く、均等に列へと加わった。何があってもすぐに指示が出せるようにしているのだろう。

 そんな長達の緊張が伝わったのか、列を見送る村人達は一言も発する事無く。ただ黙って玉虫を見送っている。

 小さな静寂の音に列の足音が混じり、厳粛な空気が漂う中を玉虫を送る列は進んでいく。

 村人達の中には複雑な顔をしている者も居る。村の為に犠牲が必要だと分っていても、心の痛みまでは消す事は出来ないだろう。

 安堵する者、複雑な心境な者、警戒する者。それらがの者達が混じり合い、玉虫を見送っていく。まるで灯篭流しのように。

 玉虫の列が洞窟に着くとご祈祷が行われた。人身御供は立派な神事だ。だからこそ作法通りにご祈祷が行われ、それから儀式に移る。

 洞窟の傍には玉虫と長老達、それから選ばれた数十人の村人が静かにご祈祷が終わるのを待っている。

 当時は神社が出来る前なので、洞窟前は整備されておらずに草木を刈り取っただけの場所だ。そのため、村人全てがこの場所に集まる事は出来ない、他の者達は少し離れた場所で事の成り行きを見守っている。

 ご祈祷を行っている神職者も他の村から来てもらったので、来界村の者ではない。だからと言って特に困る事はなく、至って普通にご祈祷は続けられた。

 神職者の声が一旦途切れると振り向き、村長達にご祈祷が終わった事を告げる。とうとう玉虫が人身御供になる時が来た。

 玉虫は静かに歩き出すと洞窟の前で立ち止まる。さすがに躊躇ちゅうちょしているのだろう。村長達は後ろを振り返ると一人の若者が進み出た。

 その若者は誠実そうな顔立ちをしており、腰には太刀をいている。若者は村長達は幾つか言葉を交わすと玉虫の横に並び出る。

「神所までは私が同行します」

 どうやらこの者が玉虫を最後まで見送るようだ。本当ならもう数人付けたいところだが、神事には変わりないため大人数を付けることは出来ない。神聖な場所に大人数で行く事は許されない。

 だから村長達は一番誠実で腕の立つ者を選んだのだろう。それがこの若者だ。

 玉虫が頷くと若者はゆっくりと歩き始め、その後を玉虫が付いていき洞窟内へと進んでいった。

 玉虫が洞窟内へと消えた事で一息付く村長達。これで一つ肩の荷が下りたというものだ。

 洞窟の出入り口を固めて若者が戻るのを待つ村長達。そんな村長達とは裏腹に玉虫は静かに洞窟内を進んでいくのだった。



「ねえ沙希」

 先程話しかけてから、そんなに時間が経っていないのに再び話しかける鈴音。どうやら近くに人が居ると集中し続ける事が出来ないのだろう。

 一方の沙希は先程と同じように本から目を離す事無く返事だけを返した。

『……』

 そして黙り込む二人。どうやら話があったから話しかけたのでは無いようだ。鈴音のクセなのだろう、集中している時に誰かに話しかけるのは。

 そんな鈴音のクセを知り尽くしている沙希は何事も無かったように再び本に集中する。話しかけた鈴音も本の続きを読み続けるのだった。



 洞窟内には明かりが一つも無く、若者が持つ松明だけが唯一の光源だ。その明かりを頼りに二人は洞窟の坂をゆっくりと下りて行く。

 平坂の洞窟は少し進むとすぐに下り坂になっており、まるで死者の国に繋がっているのではないかと思うぐらい下り坂は長く続く。

 坂の傾斜が緩い為に足を滑らせて一気に落ちるという事は無いが、この長さは少々堪えるようだ。

 途中で休憩を入れて先に進む二人。更に歩き進めると開けた場所に出た。

 そこにはかなり広い。後ろ以外の壁と天井は遥か遠くに見える。そして目の前には対岸の見えない川が流れている。流れが緩やかなのか、そんなに川のせせらぎは聞こえてこない。

洞窟内にこれ程の場所があるからこそ、ここに神が居ると考えられたのだろう。そしてまた、死者の国に繋がっていると。それほど神秘的な場所だ。

 川原を少しだけ歩くと小さな社が建てられていた。人の身の丈も無い、本当に小さな社だ。

 その社まで進むと若者は玉虫に告げた。

「目の前の川に身を沈めてください。後は山の神様が導いてくれるはずです」

 川に身を投げろという事だ。雨乞いの儀式としてはありきたりの方法だ。

 玉虫は頷くと「分りました」とだけ答えて川に向かって歩き始める。玉虫の後姿を見送る若者。最初は複雑な顔で見送ってたが、突然唇を噛み締めると玉虫に向かって叫んだ。

「あなたは何故従うのですか! 抗う事も逃げる事もせず、何故素直に従い続けるのですか!」

 誠実すぎるが故に聞かないままではいられないのだろう。若者は知りたかった、玉虫が自分以上に誠実なのを。

 男なら何かの為に命をとして働く事もあるだろう。若者もそういう生き方をしたいと思っている。だから若者の目に映っている玉虫の姿は理想であり、歯痒いものだった。

 玉虫は足を止めて振り返ると若者の元へ歩み寄ってきた。そして若者に笑みを向けると静かに口を開く。

「ここで私が逃げても次の者が選ばれて同じ事をするでしょう。なら逃げるという事に意味は有りません。誰かが行わなければならない事なら、私が行うのが楽なのです」

「楽?」

 聞き返す若者。これから死んでいくのに楽も苦も無いと思っている。だから死にに行くのに楽も苦も無いと若者は言いたいのだ。

 それを聞いた玉虫は首を横に振った。

「それは違います。これからを生きていく人達、そうあなたも。皆、私の死を背負っていかねばなりません。その事が心の片隅にでも重く圧し掛かるでしょう。それに比べたら、ここで死にに行く方が楽だとは思いませんか? いえ、分らなくても結構です」

 玉虫は若者に同意を求めなかった。話しても分らない、そう思ったのだろう。

 それに玉虫に身寄りが無いのも玉虫を死地に向かわせる要因となっている。一人で辛い時代を生き延びられるほど強くはなれない、玉虫は自分をそう感じ取っていた。

 だからこそ、ここまで素直に長老達に従ってきた。

 玉虫は少しの間だけ顔を伏せる。それから若者の顔に目を向けると「行きます」とだけ告げて背を向けた。

 歩き出そうとする玉虫の背に若者は再び声を掛けた。今度は何かを聞くためではない、何を言っても玉虫の意思は変わらないと分っているからだ。先程の言葉から若者は玉虫の意志と悲しいほどの現実を見たから。

 振り返った玉虫に若者はこう告げる。

「何か、私に出来る事はありませんか? 非力な身なれば出来る事は少ないですが、あなたの旅立ちに際して出来る限りの事はしたいのです」

 同情や哀れみではない。ただ、このまま傍観者でいる事に耐えられないのだろう。

 玉虫を死地に追いやる決断をしたのは村長達だ。けど自分もそれに加担している。自分に罪が無いわけではない。それなら、全てを受け止めて背負う。若者はそう覚悟を決めたのだ。

 それ以上に玉虫に感化された部分もある。玉虫は村の為でも他人の為でも無い、自分の為に人身御供になる事を選んだ。その覚悟は見事と言えるだろう。

 自らの意思を貫いている。少なくとも若者にはそう思えた。

 それが玉虫の本心とはまったく違っていたとしても、ここではまったく関係ないのだ。

 玉虫は背を向けたまま若者に言葉を届ける。

「なら二つだけ」

 玉虫が言い出した二つの願い。その一つは自分が死んだ後の事だ。

 自分が死んだ後、感謝の心を忘れないでくれと。そのためにここに社を立てて自分を祀るようにして欲しいと若者に言った。

 心情はどうあれ、玉虫が村の為に人身御供になる事は変えがたい事実だ。だからこそ、自分を祀る事で村の人達に忘れないで欲しいのだろう。自分が犠牲になった事を。

 若者は頷くと必ず実行すると約束した。

 そして若者はもう一つの願いを問うた。

「……その剣で……私を刺し殺してください」

 思いもしなかった言葉に若者は驚きを隠せなかった。まさか自分を殺せとは、若者には玉虫の考えが分らなかった。

 困惑する若者に玉虫は静かに告げる。

「このまま死ぬ覚悟は出来ております。けれども私も人の子、やはり怖いのです。だから、あなたの手で私に引導を渡してください」

 その言葉を最後に黙り込む玉虫。若者も言葉を発する事が出来ずに静寂が訪れる。

 長い時間か短い時間か分からない程の時間が過ぎた後、若者の腰に携えてあった刀は静かに抜かれた。

 刀を水平に構える若者。玉虫も微動だにしない。二人とも動かないので物音が一切せず、再び静寂が訪れる。

 今度ははっきり短いと分る時間だ。若者は一気に動き出すと……その瞳に写った世界は時間が止まる。

 刀は玉虫を刺し貫き、血飛沫の一滴まで若者の目に映る。その瞬間から時間はゆっくりと動き出し、舞い上がった血の雫はゆっくりと落ちて行き、玉虫も崩れ落ちていく。

 その光景を最後に若者の意識も闇に落ちて行くように、目の前が真っ暗になった。



 若者の意識が表面に浮上すると自分が呆然と立っている事に気付いた。あれからどれぐらいの時間が経っているのかは分らない。ただ分る事は、自分の手には血塗られた刀が握られており、目の前には玉虫の亡骸が横たわっているという事だけだ。

 ……あぁ、終わったんだ。

 若者はそう思った。何が終わったのかは分らないが、終わった事だけは肌で感じたようだ。

 刀に付いた血を拭い去ると若者は玉虫の亡骸を抱き上げ、そのまま川の方へと歩いていく。

 川の水が腰ぐらいに達する深さの所で、ゆっくりと玉虫を川に沈めていく。水がよほど綺麗なのだろう。白装束に染み込んだ血が川の流れに沿って流れていくのがはっきりと分った。

 それはまるで全てを流し清めるような気がした。自分の罪も、玉虫の想いも全て川の流れが受け止めてくれる。若者にはそう思えた。

 若者はゆっくりと手を離すと玉虫の身体は流されながら沈んでいく。ゆっくりと、ゆっくりと。

 玉虫が見えなくなっても若者は下流を見続けた。玉虫の魂を見送るかのように。



 これで雨が降ってくれれば良いが。

 若者はそんな思いを抱きながら洞窟の中を歩いていた。これで雨が降らないと玉虫が報われない、そんな思いが若者の中に生まれていた。

 雨が降らなかった時はどうすれば良いか? その事を考えながら若者は出口に向かって歩き続ける。

 けれども若者が洞窟から出ると、そんな思いが全て吹き飛ぶような光景が広がっていた。

 降っていたからだ……大粒の雨が勢いよく。

 ここ最近では珍しいほどのどしゃ降りの雨だ。今まで降らなかった分を取り戻すかのように、一気に舞い降りてくる水の中で村人達は喜びはしゃいでいる。

 その光景を目にした若者は複雑な表情をしている。この事態は喜ぶべき事だろう。けれども、これには玉虫という犠牲の上に成り立っている。いや、もしかしたら玉虫が死ななくても雨は降ったのかもしれない。

 そう思うとなんだかやりきれない気持ちになってきた。



 雨は数日降り続けると今度は晴れ間が広まった。数日振りの太陽に村人達は元気に雨の成果を見て周る。水田には水が戻り、畑の土も充分に水を吸い込んでいる。この分なら今年は大丈夫だろう。そう誰もが思っている頃、玉虫を見送った若者は村長の家に居た。

 もちろん、玉虫が最後に言った願いを叶える為だ。それを果たさぬ限り、若者の中では雨乞いの儀式は終わりを迎えない。それが若者が行うべき最後の使命だからだ。

 その使命のため、若者は村長の家を訪れて玉虫が最後に残した願いを告げるのだが、村長からは意外な言葉が返って来た。

「確かに数日に渡った恵の雨は玉虫のおかげかもしれん。けれども、玉虫を祀るというのは筋違いではないか? 我らが感謝するのは山の神であって、玉虫ではないからな」

 つまり感謝すべきは玉虫ではなく山の神である、そう村長は言い出した。

 玉虫はあくまでも山の神に願い出る寄進料であり、わざわざ寄進した者に感謝する筋合いは無いという事だ。

 考え方はともかく道理と言えば道理だろう。雨を降らせてくれたのは山の神だと考えているのだから。

 それでも若者は村長に訴える。その山の神に身を捧げたのは玉虫だと、彼女のおかげで雨が降ったのだと。

 だがいくら訴えても村長は若者の意見を認めようとしない。村長としても山の神を蔑ろにして玉虫だけを立てる訳にはいかないのだろう。

 かと言って玉虫に感謝をしていない訳ではない。だから祀るのはやめて墓を立てて供養しようという事で手を打とうとするが、それだと若者が納得しない。

 話は平行線を辿り、その日は太陽が沈んだので若者はしかたないと、その日は諦めて帰って行った。

 その後も若者と村長の話は決してまとまる事は無く。いつまで経っても収拾は付かなかった。

 適度な雨が降り続け、このまま梅雨が終えようとしている頃になっても若者と村長は口論を続けている。

 いつになったら終わるのかと、周りの者達はいい加減にうんざりしてきた頃だ。二人の口論に決着を付けざるえない事態が村を襲った。

 それは村を滅ぼしかねない、最悪の事態だった。







 あ〜、しまった〜〜〜。……本当なら一話でまとめようとしたのですが、長くなり過ぎると感じたので二話に分けました。

 ……こういうところは相変わらずだな〜、私も。

 さてさて、そんな訳で今回は玉虫様の話です。はい、そこの方、事件と関係ないじゃんとか突っ込まないように。事件に関係ないかは……ご自身で判断してください。

 ふっふ〜、何気ない事がヒントになったりしますからね〜。でも見たまんまのダミーだったりして。さあ、これはどっちかな〜。

 そんな訳で断罪には無駄な話が無い事を明言しておきます。まあ、明らかに読者を騙そうとする作者の悪意がある事は認めますが。

 ……というか、これは本当に無駄っぽい話が多いよね。今更ながらそんな事を思ったりもしてみました。

 ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。

 以上、そろそろここに書くネタがなくなってきた、けど頑張る。とまったく頑張ってない葵夢幻でした。

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