第二十四話 静音の手紙
空には月と星、地上には人の作り出した明かりが多くなり始めた頃。鈴音達は気を失った美咲を背負い、やっと桐生家へと帰り着いた。
奥から出来た琴菜は美咲が寝てしまったものだと思ったが、沙希が事情を説明すると急いで部屋に布団を引いた。
それから診療所の先生を呼ぼうかと沙希は言いだしたが、琴菜は少し考えると様子を見る事を告げる。今までこのような事は一度も無かったのだろう。明日になっても具合が悪いようなら病院に連れて行く事にした。
それから琴菜は美咲に付いて部屋に残り、鈴音と沙希は居間に戻った。
「はぁ〜、それにしてもびっくりしたよ〜」
沙希が淹れてくれたお茶をすすった鈴音がそんな事を言いだした。先程まで慌しかったが、ようやく一息付いたからだろう。
「前もそうだけど、いきなりは勘弁して欲しい」
以前にも似たような体験をしていた二人。その時は泣きじゃくるだけで、今回のように酷くは無かった。それでも大分苦労したのは良く覚えている。
「けど大丈夫かな?」
心配そうに美咲の部屋がある方へ顔を向ける鈴音。何も出来ない事は分っているが、それでも何が出来るかを考えてしまう。
鈴音達が美咲と知り合ってから日は浅い。それでも静音が居たからこそ、鈴音と美咲の距離は一気に縮まったといえる。だからこの短期間で鈴音は美咲を妹のようにも思っていたかもしれない。それだけ美咲が自分に心を開いてくれた、少なくとも鈴音はそうだと信じているだろう。
「やっぱり静音さんが原因なのかな?」
ふと呟いた沙希の言葉に鈴音は意識を沙希に向けると問い返す。
「姉さんが原因って?」
「今回も、静音さんの話をしてたじゃない」
以前に美咲が泣きじゃくった時も静音の事を聞いたときだ。そして今回も静音の話をしていたら美咲の具合が悪くなった。そこには静音という共通点がある。
今まで美咲に遠慮して切り出せなかった静音と言うキーワード。そして始めて出てきた静音に関する具体的な情報。何かが動き出したのかもしれない。沙希はその事を肌で感じ取っているのだろう。
「そろそろ……美咲ちゃんに静音さんの事を聞きださないとじゃない?」
「だ、ダメだよ!」
立ち上がり沙希の言葉を否定する。そんな事はしてはいけない。いや、したくないのだ。だから今まで美咲には何も聞かなかった、聞けなかった。ためらいと言うより恐怖だろう。静音の事を聞いてしまえば……美咲が傷つくから。だから怖い。
そんな鈴音の心を見抜いているかのように沙希は鋭い視線を向けてくる。
「美咲ちゃんの位置付けが極めて重要なのは分ってるでしょ。村の人ってだけじゃない、居なくなった静音さんと静馬さん。その二人に一番接していたのが美咲ちゃんだから、二人に一番近いのは美咲ちゃんなのかもしれない。それは気付いてるんでしょ」
「で、でも……」
沙希の言うとおりなのは分ってる。それでも鈴音に美咲を泣かす事は出来ない。
……よく分かっているから。突然家族が居なくなる驚き、その後に来る疑問と虚無感。そして生活の一部が失われたような違和感。それがどれだけ辛いか、静音を探している鈴音には良く分かる。二人とも……大事な存在がいきなり消えてしまったのだから。
だから鈴音は美咲に問う事が出来ない。お互いにまだ見知らぬ者同士なら出来たかもしれない。けれども二人はお互いに心を開いていた。まるで……お互いに失った存在を埋めるかのように。
「やっぱりダメだよ、そんな事は出来ない」
「……はぁ、鈴音……何がそんなに怖いの?」
驚きの表情を沙希に向ける鈴音。まさかそんな事を言われるとは思っていなかったのだろう。それに沙希の言葉で鈴音も気が付いたようだ。自分が、怖がってた事に。
鈴音は座り直してお茶を喉に流し込むと落ち着いた。湯飲みを両手で持ちながらお茶の水面を見詰める。
「いつもいつも……ずるいと思うんだけど」
「何が?」
「沙希ばかり私の心を言い当ててさ、たまには沙希がギャフンって言った所を見てみたいよ」
「鈴音が分りやすいだけ、それにギャフンなんて誰も言わない」
冷静に突っ込んでくる沙希に鈴音は顔を俯けたまま少し笑う。確かに沙希がギャフンと言う所を見てみたい気もするが、それは後日に実現させるとして今は美咲についてだ。
「……私は……姉さんの事が大好きだよ。たった一人の家族だし、心の拠り所だよ。美咲ちゃんも同じだと思う。静馬さんの事が大好きで、ずっと頼りにしる。そんな人がいきなり居なくなったら、悲しいくて、どうしたら良いのか分らなくて、ただ泣く事しか出来なくて。……泣く事しか出来なかった。だから怖いんだよ……美咲ちゃんが泣いていると……」
「……自分を重ねて弱くなりそうだから」
黙って頷く鈴音。沙希の言う通りなのだろう。
鈴音と美咲の立場は酷似している。お互いに大事な肉親が居なくなり、何も出来なかった日々を送り、自分を責めたことすらも似ている。
鈴音はその事を誰にも言っていない、もちろん沙希にも。それは心のどこかで微かに思っていた疑念。静音の失踪は自分に原因があるのではないかと、だから静音は自分を捨てたのではないかと、そんな考えが時々頭を過ぎる。
沙希に言えばそんな事はないと、決まった答えが返ってくるだろう。それでも不安でしかたない。鈴音は静音に甘えるばっかりだったから、だからいつ愛想を付かされても不思議ではない。そんな思いが鈴音に重く圧し掛かる時がある。
その度に、そんな事は無いと悪い考えを振り払っている。けど、時々思い出したかのように頭に過ぎる。そんな……不安が。
だから美咲が泣いている姿を見たくない。泣いている美咲の姿は……捨てられた自分に見える。ただ泣く事しか出来なかった日々の自分を思い出させる。その度に自分が挫けそうになる。
静音が鈴音に愛想を付かして捨てたのだとしたら、探し出したら何と言えばよいのだろう。今まで見ないようにしていた真実を突きつけられるだけじゃないか、その時ははっきりと別れを告げられるのではないか、そんな予想が幾つも頭を巡る。
どれも最悪の未来。本当は違うのかもしれない、けど違うという保証も無い。このまま静音を捜して良いのだろうかと分らなくなる。
今までしっかりとしていた地面が急に崩れ落ちるような、そんな不安が襲ってくるから美咲の泣いている姿だけは見たくない。
今までは漠然としていた不安だが、こうして見詰めてみると結構重い事に気付く。それでも鈴音は顔を上げると大きく息を吐いた。
「それに……これは本当に重いんだよ。私は耐えられるかもしれない。でも、まだ小さい美咲ちゃんに背負わせるのは酷だよ」
鈴音が感じている事なら美咲もいずれは感じるようになるだろう、それは重く辛いもの。まだ小学生の美咲に耐えられるかどうかは分らない。それに、鈴音もそんな物を感じるのは自分だけで充分だと思っているようだ。
美咲はまだ幼すぎる。それなのにこんな重みに耐えろというのは残酷だ。だから鈴音は自分一人だけで良いと思う。こんな重みに耐えるのは……自分一人だけで。
鈴音が重い沈黙に沈むと沙希は大きく息を吐いて口を潤した。
「それは分るけど、静音さんの失踪から一ヶ月以上が経とうとしてる。だからさ……そろそろ受け止めないといけないんじゃない。鈴音も、美咲ちゃんも。……いつまでも目を逸らしていられるわけじゃないんだから」
「それは……分ってるよ」
鈴音達が静音を探せば探すほど、美咲にとっては見たくも思い出したくも無い事実が出てくるだろう。それらはいつかは美咲の前にも出さないといけない。そうしなければ一向に静音を探し出せないのだから。
美咲が何かを知っている以上は隠している何かを暴かないといけない。それは美咲にとってとても残酷な事かもしれない。けれども、やらない訳にはいかない。全てを知ることで、静音に辿り着くのだから。
「姉さんを探し出したい気持ちは今でも変わらないよ。……でも、出来る事なら美咲ちゃんを傷つける事無く探し出したい。そうでないと……悲しすぎるよ」
「……そんな方法があるの?」
鈴音に届く無機質な沙希の声。その声が自分の胸に突き刺さるような感覚を覚える。鈴音にも分っている、けど認めたくない。そんな都合の良い方法など無いという事を。
両手を膝に付けて黙り込む鈴音に沙希は目を瞑った後に笑みを作った。
「分った。なら考えよう、なるべく美咲ちゃんを傷つけないで探し出す方法を」
「沙希〜」
顔を上げた鈴音の目が潤んでいる。このままテーブルを飛び越して沙希に抱き付きたいが、沙希の事だから絶対に避けるだろうと鈴音はその衝動を抑えた。それでも感謝の気持ちを言葉にする。
「ありがとう沙希〜、だから沙希の事は大好きだよ〜」
「なっ、何言ってるの!」
慌てて顔を逸らす沙希。その顔は真っ赤になっているのを確認すると鈴音は声を殺して笑う。それでも鈴音が笑っている事に気付いた沙希は睨んでくるが、鈴音は笑って返すだけだ。
大きく咳払いをする沙希、照れ隠しと気持ちを切り替えたようだ。今度は真剣な眼差しを向けてきた。
「けど鈴音、分ってると思うけど……これは後回しにするだけで、いつかは美咲ちゃんに突きつけないといけなくなる。その時はどんなに辛くても受け止めないと」
「……うん、分ってるよ」
この選択肢は嫌な事を全部後回しにしただけ、それで静音を見つけ出すのが遅れるかもしれない。それでも美咲を傷つけるよりかは良いだろうと鈴音は思う。
これで美咲には何も聞けなくなった。だけど先程の事をこのままにしておく気が無いのも確かだ。
「鈴音、静音さん達が失踪した時に一番近くに居たのが美咲ちゃんなのは覚えてる?」
「うん、何があったかは分らないけど、その事で自分を責めるようになったんだよね」
二人が失踪した事を一番最初に告げたのが美咲だ。それは美咲が二人から何かを聞いていたからだと思われる。
けれども美咲に直接聞く事は出来ない。そうなると……。
「何も聞いてなくても、見ていた人は居るかもしれない」
沙希の呟いた言葉に鈴音も考えを巡らす。
うん、それはあるかもしれない。美咲ちゃんが聞いた話までは知らないとしても、二人が美咲ちゃんに何かを告げた現場。その他に一人で帰る美咲ちゃんの姿や何気ない言動に何かを感じた人が居るかもしれない。この村はそんなに広くないはずだから、そういう話がすぐに出てきてもおかしくないよね。
そんな結論に達した鈴音は沙希に自分の考えを伝える。沙希も同じような事を考えていたようで数度頷いた。
そうなると地道な聞き込みになるのだが、どこから当たるか鈴音は検討が付かない。もう手当たり次第に当たるしかないと思っているようだ。
けれども沙希には真っ先に当たる節があった。
「この村で静音さんと深い関わりがあったのは村長、平坂神社神主、そして羽入家。村長と羽入家はあんな感じだから何も分らない。それから神社の神主はすでに死んでいる」
来界村連続殺人事件。神社の神主は事件の被害者だ。もうこの世に居ない以上は何も聞けない。水夏霞が何かを聞いている可能性はあるのだが、それならすでに何かを聞いていても不思議は無いだろう。なにしろ二人とも水夏霞とは何度も会っているのだから。
「う〜ん、なんか全部当たったような気がするんだけど」
沙希が上げた聞き込み先からは充分に話を聞いている。だからこれ以上は何かが出てくる可能性は低いだろう。
そんな鈴音の言葉に沙希は含み笑いをすると鈴音の顔に人差し指を突き付ける。
「甘い! 確かにその三箇所からはもう何も出てこないでしょ。けど鈴音は一番大事な所を見落としている。静音さんがこの村で一番深い関わりを作ったところを」
「……いや、そんなカッコ付けられても」
すっかり役にハマっている沙希に少し呆れながら鈴音は続きを促した。そうすると沙希は地面を指差して胸を張りながら答える。
「それはもちろん、ここ。桐生の家よ」
……えっと、それはどういう意味?
呆然とする鈴音。ここまで遠回しに言われると理解できないのだろう。そんな鈴音に沙希は指を振り、役に満喫すると説明を続ける。
「いい鈴音。静音さんはここにお世話になっていたの。だからこの村で一番心を許したのが……桐生の人達でしょ。だから静音さんの事で一番知っているのはここの人達なのよ」
「でも美咲ちゃんは」
「もう一人居るでしょ」
「……琴菜さん」
満足そうに頷く沙希。そんな沙希に鈴音は疑問を投げかける。
「けど、琴菜さんにはもういろいろと聞いたよ」
静音がここにお世話になったと聞いて、一番最初にいろいろと問いかけたのが琴菜だ。だから今更聞いても何かが出てくるとは思えない。
けれども沙希は以前と今の違いを説明する。
「一番最初に琴菜さんに質問した時は何も知らなかった。けど今は違う、私達はいろいろな情報を持っている。その事を琴菜さんに確認していけば新しい何かが出てくるかもしれない」
「……なるほど」
「それにここに寝泊りしてたからこそ気付いた事もあるかもしれない。そういう事は前に聞かなかったでしょ。それに美咲ちゃんの事も詳しく聞く必要がある。美咲ちゃんに聞けない以上は美咲ちゃんに一番近い人に聞くのが良いでしょ。城を攻めるなら、まず堀からよ」
「そうだね」
美咲に聞けないからには美咲に一番近い人間に聞く。確かにそれが一番良いのかもしれない。
美咲程の収穫は無くとも美咲が気付かない所に気付いているのかもしれない。それなら美咲とは別の情報が出てくるはずだ。
鈴音と沙希はお互いに目を見た後に頷いた。
それからしばらく暇な時を過ごした二人。特にやる事も無く、琴菜が戻ってくるのを待っているだけだった。そして琴菜が戻ってきたのは夕飯時だった。
さすがにそんな時に込み入った話をするのには気が引けた二人は、そのまま琴菜を手伝い夕食の支度をした。
それから琴菜は美咲に夕食を届けるついでに少し付いてると言ったので、二人は先に風呂に入りさっぱりとする。
そんな感じで時間は流れて行き、琴菜と落ち着いて話せるようになったのは時計が遅い時刻を示してからだ。
「美咲ちゃんはどうでした?」
今までも心配だったのだろう。鈴音はまず美咲の様子から話を切り出した。
「それがどうも、まだ食欲が無いみたいで。夕飯にはほとんど手を付けなかったわ」
「……そうですか」
気を失う程の何かがあったのだから、早々普段どおりとは行かないのだろう。
それから沙希は神社で起こった出来事を全て説明。そこに美咲が体調を崩した原因があるからだ。それを突き止めるためにも、そして美咲が隠している事を探し出すためにも琴菜に全て話した上で、何かしらの情報を引き出した方が早いだろう。
けれども琴菜は首を傾げる。
「そうでしたか……こう言っては申し訳ないのですが、美咲は静音さんに負い目を感じているようですね」
美咲が体調を崩したのは静音の話をしていた時だ。だから琴菜はそんな風に感じたのだろう。
「確かにそうかもしれません。けど美咲ちゃんの異変は異常だと思いませんか?」
「というと」
「今回、美咲ちゃんが体調を崩したのは精神的な物だと思います」
頷く琴菜。どうやら琴菜も同じ事を思っていたようだ。
「けど、美咲ちゃんがそこまでの負い目を感じるような事は無いと思います。ただ気に病むだけなら……ここまでの事にはならないと思います」
つまり美咲がただ気にしているだけなら、静音の話を聞いただけで気を失うほどの体調を崩さないし、手が付けられない程泣きじゃくったりはしない。
「そこには何か、美咲ちゃんだけしか知らない秘密があると思うんですよ。それも静音さんに負い目を感じるよう何か。だから美咲ちゃんは静音さんの話が出ただけで異常な反応を示す。それは誰にも打ち明けられない、静音さんに対する謝罪や後悔だと思います」
誰にも話せない美咲だけの後悔がある。それは静音に対する謝罪なのかもしれない。けれども静音は居ない。かと言って誰かに話すわけには行かない。だから美咲はそれを自分の中に仕舞い込んでいるのかもしれない。
……やっぱり美咲ちゃんも背負ってるんだ。まだ小さいのに、その重さに耐えてるんだ。どうすれば良いのかな? どうすれば美咲ちゃんの重さを代わって上げられるんだろう。
そんな事を思う鈴音。想像するだけで痛すぎるのだろう。小さな美咲がそんな事に思い悩む日々を送っている事が。
それはとても辛い日々。けど忘れる事も逃げる事も出来ない。ただ後悔だけが残る日々なのかもしれない。
そんな日々を美咲が送っていたと知るだけで鈴音の胸は締め付けられるような苦しみが込み上げてきた。
琴菜は左頬に手を当てている。どうやら考えているようだ。そして考えがまとまったのだろう、琴菜が口を開いた。
「確かに……それは有るかもしれません。たぶん美咲は……二人の失踪について重要な事を知っているのかもしれません」
「やっぱり」
自分の考えが的を射てる事に少しだけ興奮する沙希。だからと言って事態が進展するわけではない。
「けど……私も何度か聞こうとしたんですけど、美咲は何も話してくれないんです。その度に泣きながら謝るようになって。それで私も聞かないようにしてたんです」
「……辛い事なんでしょうね」
そんな言葉を呟く鈴音。沙希と琴菜が鈴音に目を向けるが鈴音は俯いたままだ。
二人の境遇が似てるからこそ、分る痛みなのだろう。
少しの時間だけ静寂が訪れ、誰も言葉を発しなくなる。沙希は目の前にあるお茶を音を立ててすすると話を続ける。
「鈴音も……美咲ちゃんも私達には分らない、そんな枷をはめているのかもしれません。だから、もうそろそろ二人を縛ってる枷を外したいんです。そのためには真実を、静音さんに辿り着かないといけないと思います。それが二人を解放する……ただ一つの手段だと思います」
静音と静馬の失踪から鈴音と美咲の心を縛る枷。それを解き放つには全てを白日に元に晒さないといけないのかもしれない。それがどんなに残酷であっても、それを認めることで今を縛っている枷を消す事が出来るのだから。
沙希の言葉を聞いている間に琴菜は目を閉じていた。沙希の言葉を真剣に受け止めてくれた証だろう。先程の言葉には沙希の想いが詰まっている。だからこそ琴菜の心に直接訴えた。
けれどもそれは美咲に過酷な試練を与えるのと同じなのかもしれない。そんな思いが琴菜の中に生まれる。だがそれ一つで美咲が今の苦しみから解放されるなら、それはやるべきなのかもしれない。
そんな葛藤が琴菜の中に生まれる。
「琴菜さん」
鈴音が琴菜に声を掛けると静かに目を開いて鈴音を見詰める。
「私は美咲ちゃんが好きだし、辛い思いをさせずに済むならそれで良いと思います。けどそのためには姉さんに辿り着かないといけない。だからどんな事でもいいんです、どんな事でも、姉さんの事を探り寄せないと辿り着けないから」
些細な事でも良いから静音の事を教えて欲しい、鈴音はそう言いたいのだろう。それも美咲に辛い思いをさせずに、自分達だけでそれを探り出すつもりだ。
その言葉を聞いて琴菜は再び目を閉じる。もう一度訪れる静寂、今度は沙希も黙り込んでいる。
待っているのだろう、琴菜が何かを言い出す時を。
それからしばらく、琴菜は目を瞑ったままだったが、目を開けると鈴音を真っ直ぐに見詰める。
「お二人には悪いのですけど、美咲が何かを隠しているのは確実かもしれません。けど……それをお二人が探し出せば、また美咲が辛い目をみるのではないでしょうか。それならいっその事、このまま何事も無いまま静かに暮らすのが一番良いと思います」
はっきりとした拒絶。琴菜の言葉にそれが含まれていた。
美咲が負い目を感じてる事は分ってる。けれでも、それは日常で無視してれば何の問題も生じない。だから無理して掘り出す必要は無いというのだ。
確かにそうかもしれない。人間は生きていれば、何かしらの後悔や負い目を負って生きていく事になるのかもしれない。だから美咲がそれを負っているからと言って何の問題がある。ほじくり返さなければ良いだけの話だ。
「けど! 美咲ちゃんはこれからずっと、静音さんに負い目を負いながら生きていく事になるんですよ」
それは美咲の人生にとって障害になる。沙希は美咲の将来を気にして言った事だ。
「それがそんなにいけない事ですか? 忘れれば言いだけの話です」
「……」
黙り込む沙希。琴菜の言い分は悪くない。それは賢い生き方なのかもしれないから。だからと言って認められるものではない。
「ええ、忘れられれば楽になるでしょう。けど、あなたは忘れられるかもしれないけど美咲ちゃんは無理です。一時期は忘れるかもしれない、けどふとした切っ掛けで思い出すときがある、その度に後悔の念に苛まれる。そうなっても良いというのですか?」
「それも一時の事です。すぐに忘れてしまいます」
後悔という物は人生で言えば長い間続く物だ。けど思い出すのは一時だけ、その時だけ気分を害されて後悔の念が沸く。けれどもすぐに日常が忘れらさせてしまう。だから後悔という物は長い物であり一時の物だ。
「でしょうね、後悔というのはそういう物だと思います」
あっさりと肯定する沙希。けれども、まだ白旗を上げる気は無い。
「後悔が強ければ強いほど人を強くする。けど美咲ちゃんの後悔は強すぎる。今は大丈夫かもしれないけど、いつかは美咲ちゃんをダメにする。そんな強すぎる後悔を抱えたまま、これからを生きていくのは美咲ちゃんですよ」
沙希の言葉が琴菜の胸に刺さる。それは決して強く発した言葉では無いのだが、何かしらの強い説得力を持っていた。
黙り込んでしまった琴菜に沙希は追い討ちを掛ける。
「琴菜さんはもう分っているはずです、美咲ちゃんが静音さんに対して異常な反応を示しているのを。これからも見ない振りして放っておく気ですか。……確かにそんな美咲ちゃんを見るのは辛いと思います。けど! 一番辛いのは美咲ちゃんだと思います」
沙希は何かに気付いたのか、視線を上に向けた後に深呼吸した。そして先程までとはまるで違う、軽い笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「だから……そろそろ終わりにしませんか。美咲ちゃん、それに琴菜さんも充分に苦しんだ。だから、終わりにしてもいいと思うんですよ。だからお願いします、協力してください」
立ち上がって琴菜に頭を下げる沙希。鈴音も沙希に倣って頭を下げる。そんな二人に琴菜は頭を上げるように言うと、顔を俯けて静かに話し始めた。
「確かにその通りかもしれません」
琴菜は顔を上げると目の前に座っている鈴音と沙希の顔を流し見た。
「お二人が来たのは何かしらの切っ掛けなのかもしれませんね。美咲に……また辛い思いだけはさせたくは無かったのですけど」
「それは私達も同じです」
鈴音が琴菜の言葉に同意した。それだけでも気が楽になったのだろう、琴菜は鈴音の顔を見て少しだけ笑みを浮かべて見せた。
その笑顔を見て鈴音は言葉を付け加える。
「美咲ちゃんに辛い思いをさせないためにも、琴菜さんが知っている事を話して欲しいんです。どんな事でも良いんです。何か、姉さんに繋がる何かが欲しいんです」
頷く琴菜、どうやら理解してくれたようだ。だけど琴菜はすぐに顔を逸らしてしまった。そして申し訳無さそうに口を開いた。
「今まで、黙っていた事があるんですけど……それは、普通に考えれば馬鹿げた事で、だから誰にも話してない事がなくて……」
視線を交差させて同時に首を傾げる鈴音と沙希。琴菜が何を言いたいのか分らないのだろう。だから静かに琴菜の言葉を待った。
「……お二人は……祟りって信じますか?」
『……はい?』
……え〜っと、どゆこと?
突飛押しの無い言葉がいきなり出てきた事に呆けてしまう鈴音。隣で沙希も言葉の意味を考えるが混乱しているようだ。そんな二人を見て琴菜はやっぱりという顔をした後に溜息を付いて言葉を続ける。
「やはりそうなりますよね、私も未だに良く分かってないのですから。それに……私も、あの手紙が無かったら、そのような事は思わなかったでしょうし」
「手紙?」
首を傾げる鈴音。そんな鈴音を見て琴菜は申し訳無さそうに切り出した。
「……実は、静音さんの手紙があるんです」
『ええっ!』
再び声を揃えて驚く鈴音と沙希。何かしらが出てくる事を期待していたが、実際に出てくると思いっきり驚くようだ。
「え、えっと、姉さんの、手紙って」
しどろもどろになりながら聞き返す。琴菜は鈴音を真っ直ぐに見据えるとはっきりと告げた。
「鈴音さんに出すはずだった手紙です」
姉さんが……私に?
それから琴菜は手紙がなぜここにあるのかを詳細に話してくれた。
手紙を書いたのは失踪する直前だったらしい。なにかトラブルがあったらしく、鈴音に帰るのが遅れるというものだ。それに静馬の事も書いてあったらしく。その手紙で静音はこの村での事を鈴音に伝えようともしていたようだ。
琴菜は美咲が二人の失踪を告げたあの日。美咲を寝かしつけた後に二人を探しに出た。けれども二人を見つけ出す事が出来ず、もしや家に帰ってるのではと静音の部屋を覗いてみた。
そこでテーブルに置かれていたのが、その手紙だ。どうやら書き終わった直後らしく、手紙は封筒の横に置かれていた。
悪いとは思ったが念のために読んでみると、そこには静音らしからぬ事が書いてあった。はじめは冗談かと思ったが、後々の出来事を考えると冗談では無いと思えてきた。
「それが祟りですか」
頷く琴菜。手紙に書かれていた『祟り』という言葉、何で静音がそのような事を書いたのかは誰にも分らない。それでも静音の手紙に書かれているのだから、何かしらの要因があったのだろう。
けれども静音の手紙だ。それなりの悪ふざけをしてもおかしくはない。琴菜も最初はそう思っていたのだが、その考えはすぐに崩れ去った。なぜなら……美咲に異変を感じるようになったからだ。
美咲が美咲でないような、何か得体の知れない者が放っている恐怖を感じた。まるで喉元に刃物を突きつけられているような緊張感。美咲の傍に居るだけで、そんな恐怖と緊張が襲ってきた。
そんな時に思い出したのが、静音の手紙に書かれていた『祟り』という言葉。静音と静馬が消え、美咲には何かが憑りついているような違和感。琴菜は次第にこれは何かしらの祟りではないかと、美咲の傍に居る何かが祟っているのではと、そう思うようになってきた。
日に日に恐怖が増して行き、家に居るのに居場所が無いような違和感が強くなってくる。だから琴菜は全て忘れようと静音の手紙を隠し、誰にも何も言わなかったようだ。
それから琴菜は密かに祈祷を始めた。とは言っても琴菜はそのような事には詳しくない。ただ神社でそれっぽい物を見つけて、やり始めただけだ。
けれども効果はあったらしい。ある日、美咲から感じていた恐怖と違和感は無くなり、いつもの日常が戻ってきた。そこに静馬は居ないが、平穏に暮らせるならそれで良いと割り切ったようだ。
それだけ美咲から感じていた恐怖が強かったのだろう。
琴菜が全て話し終えると静寂が訪れた。鈴音も沙希も何と言えば良いのか分らないのだろう。そんな静寂に身を任せていると琴菜が静かに立ち上がり、部屋を出て行った。
沙希は後を追うか迷ったが、部屋に残る事にした。どうせ今日を含めて後三日は一緒の家に居るのだし、焦って追う事も無いと思ったようだ。それに心配だったのだろう、鈴音が戸惑っているのではないかと。
あのような話を聞かされた後だ、鈴音が混乱していても不思議は無い。現に混乱しているようだ。時折、変な言葉を口に出している。
そんな鈴音を放っては置けないのだろう。とりあえず落ち着くように沙希はすっかり冷たくなったお茶を喉に流した。
それから少し経つと琴菜が戻ってきた。二つ折りになった紙を沙希に手渡すと「今日はもう休みます」それだけを言い残して部屋を出ようとした。
沙希は琴菜にお礼を述べるが琴菜からは返事が無い。たぶん、この手紙は琴菜にとってはあまり思い出したくないものだろう。だから今まで黙っていたし、これからも更に詳しくは語ってくれないだろう。
けれども静音の手紙があるだけで充分だ。鈴音はこれ以上、この家の人達に迷惑を掛けたくないだろう。なら琴菜の事もこれ以上は何もしないで放っておくのが良いのかもしれない。
沙希はそんな結論に達すると混乱している鈴音を引っ叩いて部屋に戻る。明日からは何も聞かなかった事にして、今までどおりでいようと決めながら。
ハーイ、マイラブシスター、スズネー。
ガンッと良い音をさせてテーブルに頭をぶつける鈴音。その手には先程受け取った静音の手紙があった。
「なにやってるの」
呆れた顔で突っ込んでくる沙希に鈴音は手紙を見せた。
「……あ〜、うん、静音さんらしいから、その手紙は確かに静音さんが書いたものだね」
目を泳がせながら、そんな事を言う沙希。まあ、こんな文章にしっかりとした意見を求めるのが無理というものだろう。
鈴音は気を取り直すと続きに目をやる。
突然の手紙でびっくりしてるでしょ。電話でも良かったんだけどね。せっかくだから手紙にしてみました。こんな機会でも無いと手紙なんて書かないと思うのよね。
それで用件なんだけどね。お姉ちゃん、帰るのが遅くなるの。ちょっと立て込んでてね。予定通りに帰れないの。ごめんね〜。
けどね、これが終わったら落ち着くから鈴音の傍に居られるようになるよ。それに紹介したい人もいるしね。鈴音驚くよ〜。それぐらいの重大発表が待ってるから、覚悟しておいてね。
あっ、そうそう、なんで帰るのが遅くなったというとね……。
……姉さん、手紙で愚痴るのはやめようよ。
最初はまともな書き出しだったのだが、数行過ぎたあたりで愚痴に変わって行き、一枚目の最後まで愚痴が続いているようだ。
というか姉さん、私はそこまで寂しがり屋じゃないし、紹介すると言ってるんだから重大発表ではないと思うよ。
まあ、それだけ書いてあれば大体の察しは付くのだろう。それが鈴音であったとしても。
しかたなく愚痴の部分もちゃんと読んだ鈴音は一枚目を沙希に渡して二枚目に視線を走らせる。
そんな事があってね、帰るのが遅くなるの。でも大丈夫、ちゃんとあの人は呪っておくからね〜。
それでね鈴音。私がこの村に行き来するようになって数ヶ月が経ったんだけど、どうやら面白い事が分りそうなの。今回の事とはまったく関係無いんだけどね、村の事をいろいろと調べてたらそれが浮かび上がってきたの。
鈴音は祟りって信じる? 祟りには二種類あると思うの。禁忌を犯した人間を裁くための祟りと人の想いが作り出す祟り。前者は私達にはどうしようもないけど、後者は私達にも関わる事が出来る。
いきなりこんな事を言われても分らないよね。ごめんね〜。
順を追って話すとね、村の人達を理解するには村の事を知る必要があったから来界村の郷土や歴史を調べてた事は知ってるでしょ。その歴史を紐解いているうちに面白い事が分ってきたの。
この村は何回も厄災が襲いかかってる、かなり昔からね。たぶん、他の村と呼ばれるところも似たような物だと思うんだけど、この村は違うのよね。
歴史が長いなら、その中で消えていく事実もあるでしょ。けど、この来界村にはそれが無いのよ。まるで誰かが長い間それを記録し続けているように、村にまつわる厄災が残り続けてる。
神社や村長さんの家でいろいろとやってたら気付いたんだけどね。
そこでお姉ちゃんは一つの仮説を立ててみました。この村を襲っている厄災は誰かの手によるもの。それら全てが別々に見えてても根源は繋がってる。まるで誰かの意思で起きた厄災、これはまさしく祟りと言えると思うの。
どうどう? 面白い? つまらないって言ったら鼻を摘んで思いっきり引っ張るからね〜。でもなかなか的を射てると思うのよ。この村には表に出ない、強大な力が祟りとは気付かせずに厄災を降り掛けてる。村の歴史を調べてたら、そう思うようになってきたの。
凄い? 凄いでしょ。さあ、思う存分お姉ちゃんを敬いなさい。そしてまた、お姉ちゃんと一緒の部屋にするって言いなさい。遠慮なんていらないの。分った?
……何を分れと? それに姉さん、そういう事を書くから前の部分が台無しになってるよ。
とりあえず、その事は後で強制実行するとして。鈴音も興味が沸いたら村においで、皆歓迎してくれるはずだよ。
一緒にそうした謎を解くのも面白いでしょ。大丈夫、危険な事なんて無いから。それに村の厄災もここ五十年は起きてないから、もう終わった事だと思うのよ。
それに鈴音をギャフンと言わせたいし。お姉ちゃんが帰れないから鈴音が来れば良いと思わない。思うよね、というか思いなさい、お姉ちゃん命令だからね。
それに鈴音だってお姉ちゃんが居ないと寂しいよね、お姉ちゃんはすっごく寂しいから、今度の土日はこっちに来る事。もちろん沙希も一緒にね〜。久しぶりに三人で一緒に寝よ〜。
だからこの手紙を読んだらすぐに電話を頂戴ね。連絡をよこさなかったら……凄い事をするわよ。
じゃあここの連絡先を書いておくから連絡してね。じゃあね〜。
追伸。
鈴音の温もりが恋しいの。
二枚目の手紙を読み終わると一枚目と同様に沙希に渡した。そして沙希が二枚目を読み終わったところで感想を聞いてみる。
「うん、まあ……静音さんの手紙だ」
あ〜、うん、そういう感想しか出てこないのはしょうがないよね〜。
どうやら鈴音も同じ事を思っていたようだ。
「姉さんは厳しい時は厳しいけど、甘えてくる時は思いっきり甘えてくるからね〜」
「そういえば……鈴音が甘えてくれないから自分が甘える事にしたって聞いてような気がする」
……姉さん、私だっていつまでも子供じゃないよ。
呆れたように溜息を付いた鈴音は二枚の手紙をまとめて封に戻した。
「それで沙希はどう思った?」
「祟り?」
頷く鈴音。琴菜の言葉と静音の手紙から出てきたキーワードが祟りという言葉だ。琴菜はそれを真剣に受け止めたから、この手紙を誰にも見せずに仕舞いこんで全てを忘れようとした。
けれども文面からはそこまで重要な事だとは思えないも確かなようだ。
「静音さんのお遊びでしょ。それほど重要な事には思えないし、静音さんも軽い謎解きのような気分だったと思うよ」
「……だよね」
けれども先程の琴菜は明らかに変だった。本当に思い出したくないように拒否し続けていたのだろう。だけど実際に静音の手紙を読んでみると、そこまで拒否し続ける理由が分らない。
琴菜さんは本当にこの手紙で祟りを信じたのかな?
何か別な理由で祟りを信じた。いや、祟りが起こっているのではないかと錯覚した。沙希はそんな考えで行き着いたようだ。
「琴菜さんが祟りを信じたのは静音さんが失踪したかなり後だと思う。美咲ちゃんに違和感を感じるって言うのもすぐには気付かずに、後になって思い返したらそうだった。そんな類の物じゃないかな」
……えっと、つまり……どゆこと?
首を傾げる鈴音。そんな鈴音を見て沙希は額を人差し指でこね回しながら言葉を選ぶ。
「つまり、琴菜さんも美咲ちゃんと同じだって事。静音さんと静馬さんの失踪した原因は自分に在るんじゃないかと思ってる。考えてみれば琴菜さんも美咲ちゃんと同様に二人に近かったんだもんね」
いきなり消えられて戸惑っているのは美咲だけではなく琴菜も同じだという事だろう。場合によっては子供の美咲よりは事情を深く知っていたはずだから、その点を上げれば美咲よりもショックだったのかもしれない。
沙希が言うには琴菜も美咲と同様にその事を悔やんでいる。美咲は幼いが故にその事をどう受け止めて良いのか分らず、ただ泣きじゃくったり体調に異変を来たしたりするのだろう。
まだ子供だから心がどのように処理して良いのか分らない故の変調のようだ。
琴菜も同じようにショックを受けているのだが、それを全て受け止めるには重過ぎる。だから『祟りの所為で二人が居なくなった』そう思い込んでも不思議は無い。
実際にそう思った方が楽なのかもしれない。少なくとも自分を責め続けるよりかは楽だろう。
自分の罪悪感を祟りに置き換えた。そうする事で心を軽くして受け止めやすくしたのだろう。だから美咲に感じた違和感や家に居場所が無いという感覚。最初は罪悪感から来ていた物だけど、それを祟りの所為にする事で罪悪感を消して祟りの所為にしてしまった。
それが沙希の考えだ。
「つまり、琴菜さんは祟りを信じる事で自分は悪くないと考え直した。そういう事?」
「そう、そして祟りを信じたからこそ、今までその事を誰かに言ったり相談も出来なかった。妄想を信じる事での現実逃避、言葉にするならそんなところかな」
う〜ん、別に琴菜さんも悪くは無いと思うんだけど。やっぱり……皆思うことは同じなのかな。
美咲はただ泣きじゃくるだけ、琴菜は祟りを信じ込み、そして鈴音は探し出そうとしている。
三人とも同じようなショックを受け、別々の対処で事態を受け止めようとしている。どれが正しくてどれが間違ってるとは言えない。こんな事に正しい受け止め方など無いのだろう。
だから自分で処理するしかない。自分の心に圧し掛かった重荷を自分の心で。
鈴音は疲れたように溜息を付く。そんな事を考えるだけで憂鬱になるのだろう。もう一度お風呂にでも入ってさっぱりとしようかなと思った時だ。鈴音はいきなり押し倒されて頭を思いっきり畳にぶつける。
「う〜、痛いよ沙希〜」
文句を言いながら起き上がろうとするが沙希が馬乗りになっているために身動きが取れない。それに頭が痛いのだろう、鈴音は涙目になってる。
「静音さんの手紙を読んで思ったんだけど、私が泊まりに行くと三人で一緒に寝たよね」
「その前に、この体勢の意味を教えて欲しいんだけど」
「だから思うのよ」
う〜、沙希が無視する〜。
こうなっては沙希の話が終わるまで何を言っても無駄だろうと素直に話を聞く。
「静音さんは鈴音との時間を大事にしてたし、少しでも一緒にいる時間が欲しかったんじゃないかな。だから部屋も一緒にするとか言ってたんだと思うよ。たぶん一緒に寝たかったんだよ」
静音の手紙にはそのような一文があった。沙希はそこから静音の真意を汲み取ったようだが、鈴音には鈴音の言い分がある。
鈴音は思いっきり溜息を付いてから部屋を別にした理由を述べる。
「一緒に寝ると姉さんは必ず変な事するから、だから部屋を別にしたんだよ」
「別に少しぐらいいいじゃない、姉妹なんだし」
まあ、確かに二人っきりの家族だ。少しぐらいの事は軽く流してもいいだろう。
けれども鈴音は「ふっ」と乾いた笑いを浮かべる。
「私もさ、少しぐらいならやり返して遊んだりしてたよ。けどさ、いつも私が先に寝るから姉さんは歯止めが利かなくなるんだよね」
「一体何があったの」
「……朝起きたら……全部脱がされてた。しかも隣で同じく裸の姉さんが……」
「……」
言葉を失う沙希。それ以上は聞いてはいけないような気がするのだろう。
「姉さんに何をしたと聞いても答えてくれないし、毎朝起きると裸にされてるんだよ。だから部屋を別にして寝るようになったんだよ」
「……あ〜、うん、静音さんだし、何もしてないはずだよ……たぶん」
はっきりと言い切れない沙希。どうやら何かしらの心当たりがあるみたいだ。
「けどさ、それでも姉さんは時々侵入してくるんだよね。その度に朝起きると裸だったり半裸だったり。そして隣にはいつも全裸の姉さんが」
「……さすが静音さん」
なにがさすがなのだろう。というか、もう沙希も苦笑いになってる。
もう一度溜息を付く鈴音。鈴音も静音の気持ちが分からないワケではない。ただ静音の悪戯が度を越していただけだ。
それだけの事だから鈴音は本気で怒らないし、ただの笑い話だけになっている。他にも静音に甘えるのに抵抗が出てきたというのもあっただろう。たったそれだけの事だ。
だから静音と鈴音の間では大した問題になってない。たちの悪い静音の冗談、鈴音の話を聞いて沙希はようやくその事に気付いたようだ。
「てっきり静音さんが寂しがってるのかと思った」
「それもあるだろうけど、私で遊びたいって言うのが一番だと思うよ」
「あ〜、それは良く分かる」
……沙希、分っちゃうんだ。
どうやら沙希にだけは遊ばれて無いと思っていたのは鈴音だけのようだ。実際には沙希と静音でかなり鈴音で遊んでいたのだが、全て静音の陰謀だと思っていたらしい。
……どこまでも遊ばれる鈴音であった。
「ところで」
いい加減にこの体勢に疲れてきたのだろう。鈴音が「降りて」と頼むと沙希は思い出したように手を叩いた。
「そうそう、さっきの手紙で思ったことがあるの」
えっと、また無視?
まだ続くのかと鈴音は溜息を付くと黙り込む。ここは大人しくしていた方が被害は少ないと思ったのだろう。けれども沙希の口からは衝撃の犯行予告が。
「久しぶりに鈴音の胸を揉もうと」
「何で! 久しぶりって何! 前にもやったの!」
連続で突っ込む鈴音、今の所は突っ込む余裕があるらしい。一方の沙希は怪しい笑みを浮かべながら手をワキワキと動かす。
「手紙に書いてあったけど、私が泊まりに行くと一緒に寝たじゃない」
「うん、まあ、確かに」
沙希から異様なオーラを感じ取った鈴音は少し怯えた表情になる。はっきりと感じ取ったのだろう……沙希が本気である事を。
「三人で一緒に寝ると必ず鈴音が真ん中じゃない。それは何でだと思う?」
「何でって、姉さんと沙希がそうしろって言うから」
どうやら静音と沙希は通じているらしく。鈴音は強制的に場所が決定していたようだ。
「そう、私と静音さんが同じ事を言えば鈴音は反論できない。そして鈴音は必ず一番最初に寝る。それらを総合すると言える事は一つ、つまり!」
何故か鈴音の顔を指差し格好を付ける沙希。そして沙希は高らかに犯行を自供した。
「鈴音の胸は揉み放題」
「揉み放題って何! というか二人で何してるの!」
衝撃の事実に突っ込む鈴音。けれども何かのスイッチが入った沙希には遠くの遠吠えの如く、まったく耳には入らなかった。
「さ〜て、それじゃあそろそろやろうか、ねえ鈴音」
「沙希〜、目が怖いよ〜、手がHだよ〜」
鈴音は身体をくねらせて抵抗するが沙希がしっかりと抑え込んでいるために脱出は出来ない。逃げる事もままならず沙希の魔の手が鈴音へと迫る。
「大丈夫、痛くしないから」
すっかり気分が乗っている沙希。最早沙希は誰にも止められないようだ。
「そういう問題じゃ、っていきなり、やめ、あっ」
なんだかんだ言っても鈴音も乗っているのではないか? そう思わせる戯れをしながら夜は更に深けていく。
美咲が倒れてからというもの、思い出さなくても良いものを鈴音は何個も思い出している。それを顔に出した覚えは無くとも沙希にはしっかりとそれが分っていた。
鈴音の苦悩を一番近くで見ていたのは沙希だ。そんな沙希だからこそ、鈴音が感じている重荷がどれだけ辛いものか分るのだろう。少なくとも沙希は理解したつもりだ。
だから鈴音がそれを思い出してるのを察すると胸が苦しくなる。応援や励ましで一時は忘れさせる事は出来るだろう。けれども、それは一時的な処置で根本的には何も解決しない。それを自覚するたびに歯痒くなる。自分が何も出来ないのだと実感するから。
けど、何も出来ないからと何もしない沙希ではない。たとえ一時でも鈴音の心が軽くなるのならと悪戯をする。その悪戯が面白ければ面白いほど、鈴音の心は軽くなるのだから。
静音の手紙は理由と切っ掛けに過ぎない。それだけ充分だった。それで鈴音が重荷を……一時でも忘れられるなら。
そんな沙希の心を鈴音が知る事は無いだろう。それでいい、それが沙希なのだから。
─断罪の日まで……後二日─
え〜、静音は一体どういう人なんだろうと、今更に思ってみる今日この頃。
最初は凄い人だったのに、今ではすっかりシスコンに。……静音さん、ごめんなさい。
まあ、最初の段階から見た目で凄い人とは分らず、関わると凄い人って分るような人ですから、こういうのもありなのかな〜。とか思ってます。
……というか、鈴音と二人で寝ていたときにはどんな悪戯をしてたんだろう? とか本気で思ったりもします。
さてさて、今回は他にも一応触れておこうかと言える場所がありますね。それはやっぱり『祟り』ですね。
……まあ、これを重要視するかどうかはご自身でご判断下さい。真相のヒントとダミーをふんだんに盛り込むようにしてますからね〜。これはどっちかな〜。などと意地悪な事を思うと楽しかったりもします。
ではでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想をお待ちしてます。
以上、でも後者の祟りって本当にありえなくね。とか思ったりする葵夢幻でした。