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青春スクエア  作者: 久遠瑠璃子
6/6

青春スクエア ~弘瀬來の片思い~ 小学生編6

九月十七日。

ついにこの日がやって来た。

(らい)李哉(きしや)が――いや、二人のクラスの六年三組の全員が待ち望んでいた日が。

そう、今日は來と李哉が通っている学校で文化祭が行われる日だ。

來のクラスの出し物は演劇(えんげき)

開演時間は午後一時から。

それまでの間、來と李哉は校内を二人で歩き回っていた。

二人の服装は学校ではよく目にする学生服。

学校で出し物をしている人は大抵が制服姿だが、來達の場合は劇で学園ものを演じるので、当日はみんな制服を着て登校するように前々から言われていた。

なので、演劇が終わるまではこの学生服で過ごさなくてはいけない。

そんな学園祭を一番嫌がっていた來は――

誰よりも何よりも一番に学園祭をエンジョイしていた。

楽しそうに笑い、数歩後ろを歩いている李哉に声を掛ける。

「李哉! 次は二階の方に行ってみようぜ!」

学園祭をすっかり楽しんでいる來の姿を見て、來の後ろを歩いていた李哉はクスリと笑う。

それを見て先程(さきほど)まで楽しそうに笑っていた來が少し不機嫌な顔をし、李哉に聞く。

「――なんだよ、その顔は」

「だって…この間までは全然やる気も興味(きょうみ)もなかったのに、学園祭を一番エンジョイしてるから」

そう言われて急に來の顔が赤くなり、照れを隠すように強がって腕を組み、強がった口調で言う。

「そ、そんなんじゃねぇし! べ…別にワクワクしてたり楽しんだりなんかしてないんだからな! みんなが楽しそうだから、俺も楽しそうなフリをしてるだけだし!」

「はいはい、そうですね」

李哉は笑いながらそう返し、歩みを止めていた來を追い越して二階へと続く階段に足を掛ける。

そんな李哉の背中を見ながら來も自分でも不思議に思っていた。

あんなに嫌だったはずの文化祭が、今はこんなにも楽しい。

あんなに嫌だったはずの演劇が、今はこんなにも待ち遠しい。

これは全部、隣に李哉が居てくれているからだろうか。

きっと、そうに違いない。

そう思って來はまた顔に笑顔を取り戻し、階段を勢い良く()け上がっていく。

階段を上り切り、李哉と肩を並べて廊下を歩いていると――

「む、むむむ…!! YOUからツンデレを感じマーシタ!! センサーがBINBIN反応してマース!!」

耳元で(るい)の声が聞こえた。

聞こえた――というよりも、耳元で叫ばれたと(たと)えた方がいいだろう。

耳元で叫ばれ、鼓膜(こまく)(やぶ)れるかと思うほどの破壊力(はかいりょく)を持つレベルの声を聞き、一瞬死ぬかと思った。

あまりの不意打(ふいう)ちに驚き、不覚(ふかく)にも腰を抜かしてしまい、しかもその上に耳元で叫ばれたのでダメージが強過ぎ、周りの音が中々耳に届かず、聴覚(ちょうかく)が回復するのに時間が掛かった。

しばらくして周りの声や音が耳に届くようになり、來はゆっくりと振り返り、恨めしげに涙を睨み付けたが――思わず涙の服装に驚いてしまった。

髪を左右で角のように立て、真っ黒のサングラスを掛け――水色のシャツにピンクのネクタイ。更にはグレーのスーツに身を包んでいる個性的……。

いや、存在感が溢れ過ぎている服装をしていた。

そのせいで周りにいる人達の視線が涙に集中している。

「ん~~~~、YOUとてもいいセンスしてマース! 是非(ぜひ)ともミーの事務所に入って欲しいデース!」

「……誰だよお前!!?」

カタコトで(しゃべ)る涙に思わずそうツッコミを入れてしまった。

声はよく日曜日の夕方に聞く声なのでなんとなくアニメのキャラクターなのはわかるが……。

やはり涙がコスプレなどをするとモノマネのレベルを軽々(かるがる)と通り越し、本人になってしまっている。

「誰って――シャイニングに決まってマース! ここではミーがルールデース!」

「――よくわかんねぇけど……なんでそんな格好(かっこう)してんだよ…?」

あくまでアニメのキャラクターに成り切っているので來は脱力(だつりょく)しながら聞く。

そこで涙は付けていたグラサンを格好を付けて外し、いつもの涙に戻ってふざけずに答えてくれる。

「いやさ、今日はあたしの方の学校も文化祭じゃん? しかもうちのクラスはコスプレ喫茶(きっさ)なのよ。だからシャイニングのコスプレしてるってわけ」

コスプレと聞いて思い描くのはメイドやチャイナのような、(はな)やかで可愛らしいものなのだが――

そのイメージと涙の服装はかなり()け離れていた。

何を一体どうしたらそんなパンチの効き過ぎるアニメキャラクターのコスプレになるのだろうか。

「――俺の中でコスプレ喫茶って言ったらメイドやチャイナとかがいるものだと思うんだけど、実際はそうじゃないのか?」

一般論を來が口にすると、涙は人差し指を立て、左右に揺らしながら言う。

「ノンノンノンノンノン! それじゃ男子の思うつぼじゃない! だからこそのシャイニーよ! 林檎先生もよかったんだけどー、結局は男子の思うつぼだからシャイニーにしたの。もちろん他の女子達も()いキャラのコスプレよ」

それを想像してみると涙の学校の男子達が可哀想(かわいそう)に思えて仕方がない。

きっと今頃はコスプレ喫茶を提案した男子を恨んでいる事であろう。

それではコスプレ喫茶はコスプレ喫茶でも濃いアニメキャラクターのコスプレ喫茶なのだから。

「でもアンタ達の演劇の時間はちゃんとした服で()に来るから安心して。その頃はあたしのシフトは終わって学校内を周れる時間だから。あ、そうそう――」

涙は來の耳元に顔を近付け、今度こそ本当に(ささや)いてくれた。

「今日で少しでも李哉君と距離を(ちぢ)めなさいよ。好感度アップのイベントなんだから」

それだけ言うと涙は顔を離し、グラサンをまたも格好付けて付けようとしたが――

思いっきり目に突き()さった。

グラサンの刺さった目を優しく()で、改めてグラサンを掛け直し、何事もなかったかのように先程と同じテンションで言う。

「ではでは、頑張ってくだサーイ! BUT恋愛はダメダメダメダメよ、ダメにゃにょよ」

それだけ言うと、とぉう!!と言って颯爽(さっそう)とその場から去って行った。

涙が去った後、來が呟く。

「……嵐が去った」

確かに、涙を例えるならば絶対に嵐だ。

それよりも、一体なんだったのだろうか。

距離を縮めろと言ったくせに恋愛はダメだと言い――

來は深い溜息を付き、気を取り直して李哉に聞く。

「――で、李哉。何処行く?」

「そうだね…。じゃあせっかく二階に来たんだから、輪投げとかして遊ぼうか」

「そうだな!」

輪投げやボーリング、(こま)回しなどで遊び()くし次は何をしようかと話しながら廊下を歩く。

そんな二人の後ろ姿をある人物が見ていた。

そして來と李哉に声を掛ける。

「來、李哉君」

よく聞き慣れた声が聞こえ、すぐに二人は気付いて振り返る。

振り返るとそこにいたのは――雪と李菜(りな)だった。

「お母さん、来てくれたんだ!」

「もちろんよ。一人息子の晴れ舞台なんだから。それに、お父さんと來君のお父さんから頼まれたんだから」

そう言いながら李菜は片手にあるビデオカメラで來と李哉の姿を撮影(さつえい)する。

「それにしても來、どうしてもっと早く演劇で主役するって言わなかったのよ。急に昨日言い出すからびっくりしたじゃない」

「別にいつでもいいだろ。今日の朝に言ったわけじゃないんだから」

「そういう問題じゃないの!」

來は雪の声に耳を(ふさ)ぐ。

――そう、今日の文化祭で演劇をすると伝えたのは昨晩(さくばん)だった。

夕食を食べ終え、いつもの(おだ)やかな時間の流れるその時に來が唐突(とうとつ)に告げたのだ。

すると雪も大喜(だいき)も涙も驚き、大騒ぎし始めた。

雪はテレビカメラを探し始め、押入れの物を取り出し始めた。

大喜は仕事を休んででも観に行くと言い出し、(あわただ)しくし始め――

涙は必死にロミオとジュリエットをやるのかと聞いてきた。

來はもう面倒になったので何も言わずにいると騒ぎを聞いて李哉が家に来てくれた。

そのおかげで家族は落ち着き、ビデオカメラが探しても見当たらないので李菜が撮影してくれる事になり、大喜は今朝無事に仕事場へと向かってくれた。

だが、涙の場合はずっと妄想ばかりして暴走していたが……。

とにかく昨晩は騒がしかった。

それも仕方がない。

來が演劇で主役を演じるのは幼稚園(ようちえん)の時以来なのだから。

その後、幼稚園の時の演劇をビデオに撮っていたのでそれを見たり写真を見たりなどし、更に盛り上がった。

その時も涙はずっと妄想して鼻血を流していたのだが……。

そのせいで來は寝不足だった。

それは演劇が楽しみで仕方なかったのも理由の一つなのだが。

もう一つの理由は――

來はみんなに隠れて深い溜息を付く。

理由のもう一つ、それはギリギリまでずっと劇の練習をしていたからだ。

どちらかと言えば來は本番に強い方ではなく、むしろ弱い方だ。

そのため、最後のシーンの涙は諦める事にした。

すると李菜がカメラを來と李哉に向けたまま聞く。

「今は校内を周ってるの?」

「そ、最後の練習の時間までの間は」

「その最後の時間の練習って何時からなの?」

「確か、十一時からだったよ」

「じゃあもう少しで十一時だから練習に行ったらどう?」

「え、もうそんな時間なの?」

いつもの李哉ならば腕時計をしているのだが、今日は演劇用と言う事で腕時計はしていなかった。

もしもここで雪と李菜に()わなかったら最後の練習に出る事は出来なかった。

「今は十時五十分よ」

「じゃ行こうぜ。李哉」

「うん」

「二人とも、頑張って」

李菜の声に來はカメラに向かって親指を立てて笑い、李哉は(うなず)いて答えた。

そして二人は六年三組の教室へと向かって走って行った。

――その姿を見て、雪が微笑みながら呟く。

「あの二人を見ていると、なんだか昔を思い出すわね」

「あの時は(しゅう)さんもいたけど、大抵は大喜と政哉が一緒にいたから」

「そうね……」

「あの二人も、大喜と政哉のようになるのかしら?」

「そうかもしれないわね」

そんな事を話しているなんて事、來と李哉は後にビデオを再生した時に知るのだった。




午後十二時四十分。

開演の二十分前、來達六年三組は教室での練習を終えると全員体育館の中に入った。

その時はまだ客席に人はあまりいなかったが、開演十分前になると客席は人で溢れ返っていた。

來やクラスメイト達は降りている(まく)の裏から客席を(のぞ)き、家族が来ているか確認している。

クラスメイト達はすぐに家族を見つけ、手を振ったりしている。

來もその一人なのだが、中々雪達の姿を視界に(とら)える事が出来ないでいる。

「お母さん達、いた?」

突然背後から李哉に声を掛けられ、驚いて思わず()()ってしまう。

もう少しで客席の方へ落ちてしまいそうになったが、なんとかそれは(まぬが)れた。

涙の時も今も大声は出さなかったが、今日は一体何回驚かされるのだろうと頭の(すみ)で考える。

「いや、どこにいるかわかんねぇ」

來がそう答えると、李哉は來の背後から(おお)(かぶ)さるようにして幕の裏から客席を覗く。

客席から姿を見られないようにするには仕方のない行動なのだが――

來の心臓は早鐘(はやがね)を打ち、忙しなく鼓動(こどう)(きざ)んでいる。

今日は文化祭で、演劇本番だと言うのに自分は不謹慎(ふきんしん)だと思う。

絶対に失敗は許されないというのに――

李哉が傍に居ると心臓が高鳴り、上手く言葉が出ない。

今日は、そうなってはいけない日だというのに。

「あ、いたよ。あそこに」

「えっ……ど、どこ?」

「ほら、あそこ。結構手前の方の――前から三列目の真ん中」

李哉の言われた場所に視線を向けると、確かにそこに雪達の姿があった。

丁度雪が飲み物を持って席に戻って来た様子で、それを涙が受け取る姿が見えた。

――涙の服装は先程言っていたように普段の服装になっていたので少し胸を撫で下ろす。

先程の服装で劇を観に来ていたら、きっと客席に向かってダイブをしていた事だろう。

いや、ツッコミを入れていたが、無視を決め込んでいただろう。

絶対に他人のフリをしていた事に違いないだろう。

(いやいや、そんな事はどうでもいい)

李菜の手には相変わらずビデオカメラが握られており、張り切っているのが見て取れる。

何気に先程逢った時とは少しカメラの握り方と(かま)え方が違う。

すると――

「おーい、みんなー。ちょっと集まれー」

担任の谷山の声が聞こえ、六年三組の全員が谷山の元に集まる。

不意(ふい)に時計を見るともう開演五分前だった。

クラスメイト達の顔を見てみるとみんな緊張して顔が強張(こわば)っている。

來もその一人で、時間が近付くつれて失敗を恐れ始める。

そんな生徒達を谷山は(なが)め、やがて口を開く。

「みんな、この劇は六年三組の話だ。登場人物はみんななんだ。みんなはいつも学校で過ごしているように振舞えばいいんだ。少しいつものクラスとは違うけど――失敗してもいいんだ。台詞を忘れてもいい、その時はみんなでフォローすればいいだけだ。生きているんだから誰だって失敗はある。でも……失敗を恐れるな! 失敗した方が成功よりも得られるものがたくさんある。いつものみんなでいいんだ。いつものみんなの様子を、家族のみなさんに見せてあげなさい」

「「「はい!!」」」

谷山の言葉は、深く心に響いた。

この人は本当に教師なんだと思える、力強い言葉――

気が付くと、先程まで心の中にあった失敗への恐怖や不安がなくなっていた。

それはみんなも同じのようで、自然と笑顔が浮かんでいた。

その姿を見た谷山は満足そうに微笑んで手を叩き、みんなに言う。

「さぁ、みんな! もうすぐ始まるから全員持ち場に行って」

谷山の元に集まっていたクラスメイト達はすぐに自分の持ち場へと移動する。

そんな中、李哉が來に声を掛ける。

「頑張ろう、來」

「ああ」

楽しそうに、嬉しそうに笑って來は幕の降りている舞台の上に立つ。

舞台の上には教室でみんながいつも使っている机が並べられており、客席から見ると廊下からの視点になり、教室の風景が丸見えになっている。

窓側の方には演劇の練習の中、みんなで遅くまで残って描いた窓の絵が一面に掛けられている。

――そう、この舞台の上は六年三組の教室となっていた。

そして來は窓際の一番後ろの席に座る。

そこは劇用の特別な來の席。

いつもの教室の風景ならば、來の席の右隣は李哉の席がある。

しかし、それでは客席から來の行動が李哉と被って見えないので、特別に李哉の席は客席側の前の方へ移動させられ、他の列よりも來の席だけが一人分多くなっていた。

そのおかげで來の行動は客席からはよく見えるようになっている。

そんな特別な席から來は舞台の上の六年三組の教室を眺める。

クラスメイト達は各々(おのおの)普段の教室とは少し違う舞台の上でいつも通りに過ごしている。

友達と話しているクラスメイトや、自分の席で本を読んでいるクラスメイト。

教卓の近くで新聞紙を丸めてチャンバラをしているクラスメイト達。

――それは、本当に普段の教室の風景だ。

來は舞台裏にいる李哉を少し見つめ、目が合うと李哉は優しく頷いてくれる。

その時。

『これより、六年三組による演劇。青春の涙を公演します』

客席から歓声(かんせい)が聞こえ、ブザーが体育館内に響くと共に幕が上がっていく。

幕が上がり始めたのを確認すると來はみんなで描いた窓と空の絵を見つめる。

みんなの文化祭への想いの()もった窓の絵を。

幕が完全に上がり、舞台が始まる。

舞台の上でクラスメイトのみんなは普段の休みの風景を見せる。

そこで來は一人だけ浮いている。

來の周りには誰一人として居ない。

――その姿はまるで、数週間前の來の姿。

しかし、それとはどこかが違う。

『俺は――いつも教室で一人。その理由は、クラスで浮いてるから』

事前(じぜん)に撮っていた來の声がスピーカーから流れる。

この台詞(せりふ)は、文化祭本番の三日前に撮ったものだった。

谷山には何回も何十回もリテイクさせられ、滑舌(かつぜつ)が悪い、イントネーションが違う、などと指摘(してき)され、投げ出したくなった時もあったが、なんとか乗り越えて一番良いものが今流れている。

『でも、それだけじゃない』

來の台詞を合図にみんなが演技を始める。

教卓(きょうたく)の方でチャンバラをしていたクラスメイトが來の傍まで来て、新聞紙が來の頭に当たる。

それは偶然(ぐうぜん)の事ではなく、明らかに行為的だった。

「『ごめーん、当たっちゃったー』」

全く罪悪感(ざいあくかん)を感じられない声が体育館に響く。

そしてそれを始めとし、クラスメイトの一人が持っていた丸めた紙くずを來に向けて投げ付ける。

だが、そんな事をされても來は全く動じない。

するとクラスメイト達はみんな冷たい視線で來を見つめる。

その視線は、まるで(きたな)い物でも見るような――(さげす)む目。

「『なぁ、どうして弘瀬(ひろせ)ってこのクラスにいるんだ?』」

「『てか、いたんだ。存在感ないから気付かなかった』」

女子がそう言うと女子達が一斉(いっせい)にクスクスと笑い出す。

「『学校なんか、来なくていいのに』」

「『ここにお前の居場所なんてないんだよ』」

言葉の刃物(はもの)が來に()(そそ)ぐ。

それでも來は気にも()めない。

それ所か、全く相手にもしていない。

――こんな事を気にしていたら学校にはいられない。

すると、舞台裏にいた李哉が舞台の上に現れる。

李哉が舞台の上に現れた瞬間、みんなの視線が李哉の方へ向き、みんなは(まと)っていた空気と態度(たいど)を一瞬で変えて李哉の元へと行く。

それはいつもの教室でも同じ光景。

李哉の机は客席側の前から三番目の席。

來の席とはかなり離れていた。

みんなが李哉の元へ行くと、來の周辺に人の姿は全くない。

來はそんな事を気にせず、みんなで描いた窓の絵を見上げる。

その時、舞台裏にいた谷山がいつものジャージ姿で教科書を片手に舞台の上に現れる。

谷山は舞台に現れると同時にクラスのみんなに声を掛ける。

「『国語の授業を始めるぞー。教科書出せー』」

谷山の登場と台詞に合わせてクラスメイト達が自分の席に着き、机の中から教科書を取り出す。

來も教科書を出そうと机の中に手を入れる。

だが――

机の中には国語の教科書が入っていない。

來は(ひざ)の上に持って来た教科書を取り出して国語の教科書を探すが、見当たらない。

それは客席からも見て取れた。

誰が教科書を來の机の中から奪ったのかもわかっている。

――クラスメイトのみんなだ。

「『弘瀬、教科書はどうした?』」

谷山の声が体育館内に響く。

谷山の台詞を聞くと、クラスメイト達が一斉に來の方を振り向いて見つめる。

その視線は冷たく、とても(するど)い。

そんなクラスメイトの視線が來に突き刺さる。

『みんなの視線はこう語ってた。自分達が(いじ)めてる事を担任に言うな、って。だから俺はこう言うしかない』

「『――忘れました』」

來は立ち上がって無表情でそう言う。

來の言葉を聞くと谷山は深い溜息を付き、(あき)れたように言い出す。

「『またか……。今日で一体何回目だと思ってるんだ。次はないと思えよ』」

來は何も言わずそのまま椅子に座る。

担任の見えない所で笑っているクラスメイトもいたが、來はそれに気付いていて何も言わない。

言っても無駄だからだ。

いや、言った方が後で痛い目に()うからだ。

『どうして虐められるようになったかはわからない。気が付いたらこんな事が始まってた』

來の台詞がスピーカーから流れた瞬間、幕が降り始める。

舞台が終わったわけじゃない。

これは――場面変更の時だ。

まず劇での問題はこの場面変更の時だった。

照明を落とし、机を運ぶとなると來の台詞が流れている間に移動させるのは実際にやってみて不可能だった。

舞台の上にある机は、実際にクラスで使っているみんなの席で、机の中には教科書が全ての机に入っている。

更に、机の両脇(りょうわき)にはランドセルや手提(てさ)げ袋が掛けられているため、結構の重さがある。

クラスの全員や、手伝い役の教師が協力してくれても――

大抵のクラスメイト達は照明を落とした中で(つまづ)き、机を倒してしまう者がいた。

そうでない場合は普段の掃除をする時と同じように机を持ち上げず、ギギギギ…、と耳障(みみざわ)りな音を立てて机を移動させる者もいた。

なので結局は教師達が机を運ぶ事になったのだが――

照明を落すと舞台の上は暗く、やはり教師でも机を倒したりしてしまった。

という事で、照明を付けたまま移動させてみると時間内に運ぶ事が出来たので、幕を降ろして場面変更をする事となったのだ。

『こんなレベルなら我慢出来る。教科書がなくなってたり、上履(うわば)きがなくなってたり、体操服がなかったり、見付かった時は墨汁(ぼくじゅう)を掛けられてたり……。そんな事はいくらでも耐えられた。俺はクラスメイト達のするレベルが低いって思ってたから。でも、俺が全く反応しないから面白がってるのか、つまらないからか、最近は虐めがだんだんとエスカレートしていくようになってきた……』

來の台詞が終わるまでの間に谷山や教師達が音を立てずに机や椅子を移動させ、台詞が終わるまでに全て移動させ、クラスメイト達が全員次の持ち場に付き、李哉はまたも舞台裏に移動している。

机や椅子は教卓の方へ全て移動させられ、來達は(ほうき)塵取(ちりと)りを手にし、舞台の上は掃除時間の風景へと変わっていた。

來の台詞が終わるとすぐに幕が上がっていく。

幕が上がるとクラスメイト達は普段のように掃除を始める。

真面目に掃除をするクラスメイトや、遊んでいるクラスメイトや様々だ。

それを指摘する谷山も、また舞台裏へ行っては次の場面の指示や用意をしている。

舞台の上では普段通りにクラスメイト達は過ごす。

しかし、それは女子の一言によって変わってしまう。

「『あ~あ、掃除なんてめんどくさいな。どうして私が床を拭かないといけないの?』」

それに続いてクラスメイト達が口を開いていく。

「『確かにめんどくさいよなー』」

「『でもしないと怒られるしな……』」

「『そうだ! おい、弘瀬。お前が全部掃除しろよ』」

「『え――』」

「『それ、さんせーい!』」

「『じゃあ頼むぜ、弘瀬』」

「『――人に任せないで、自分でしろよ』」

先程までは会話だけが変わっていたが、今回はクラスメイト達の雰囲気と教室の空気が完全に変わってしまう。

先程の教室の場面の時よりも更に冷たい視線を、クラスメイト達は來へと向ける。

來はただ何も言わず、静かにその視線を受けながらクラスメイト達を睨み上げる。

すると、学級委員の男子が來の前に出て来る。

学級委員がこのクラスでの虐めのリーダーをしている様子で、來を蔑む目で見下す。

冷たい視線を向けながら冷たく言い放つ。

「『お前に拒否権(きょひけん)なんかないんだよ。いいから言われた通りにしろ』」

「『――お前達、自分が何やってんのかわかってるのか? これ、虐めだぞ? こんな事して何が――』」

「『これはゲームだよ』」

女子が楽しそうに笑い、來の声を(さえぎ)る。

クラスメイト達がその女子の方を見ると、女子は楽しそうに顔に笑みを浮かべて言い出す。

「『これはゲームなんだよ。君がどこまで耐えられるのか試すゲーム。私達の虐めから逃げたら君の負け。――これはそういうゲームなんだ』」

「『……もしも俺が転校したり、学校を休むようになったら…どうするんだ?』」

「『また新しいターゲットを見つけるよ。まぁ、その時にはこのゲームに飽きて違うゲームをしてるかもしれないけど。そうだね、今度は――担任、とか?』」

「『お前達っ……』」

「『掃除、断ったらゲームのレベル――また上がるからね?』」

女子がそう言うとクラスメイト達は笑い出す。

そしてクラスメイト達はそれぞれ手にしていた箒や塵取りを來の前に投げ捨てる。

「『ほら、掃除……しろよ』」

「『…………嫌だ』」

來が嫌だと断った瞬間、前に出ていた学級委員が來を右手で突き飛ばす。

來は床に尻餅(しりもち)を付き、手にしていた箒が床に落ちて音を立てる。

それでも來は学級委員を睨み上げる。

「『お前……最近ムカつくよな…。おいみんな、ちょっとこいつを痛め付けてやろうぜ』」

学級委員が台詞を口にした瞬間、一瞬だけ客席の方から女性の悲鳴が上がった。

いや、奇声と言った方がいいだろう。

――奇声を上げる者は、この体育館内には一人しかいない。

それが誰なのか、舞台の上にいる來と舞台裏にいる李哉は瞬時にわかった。

それは100%――いや、1000%涙だ。

一瞬だけという事は、多分雪か李菜のどちらかがもしくは二人が涙の口を(おさ)えて止めてくれたのだろう。

そのおかげで誰も気には留めなかったが――

來は一瞬演技をする事を忘れて涙を怒鳴ろうかとしたが、それは全く気に留めなかったクラスメイト達が演技を続けたおかげで免れる事が出来た。

男子五人ほどが來を囲むようにして立つ。

そして、來に向かって()りを入れる。

「『っ!!』」

來は蹴られて痛がる。

それを観ていた客席の人達はどよめき、リアルに驚いているのがわかる。

しかし、実際には蹴っていなかった。

練習をしていた時に來が――『寸前で止めててくれよ。止めないとキレるぞ』と言ったので、クラスメイト達は蹴るフリをしていた。

みんな、足を來の寸前で止める。

だがそれは客席からは本当に蹴っているように見えていた。

これは、谷山の作戦だった。

谷山からはかなり痛がれと言われたので來はその通りにする。

なのでかなりリアリティのある劇となっていた。

そこに――

「『何してるんだ!?』」

李哉が舞台裏から声を張り上げて台詞を言う。

そして舞台裏から走って勢い良く舞台の上に現れる。

舞台の上に現れた李哉は來を守るようにして來の前に立ちはだかる。

來の前に立つと李哉は(するど)くクラスメイト達を睨み上げる。

李哉の鋭い視線を受けながら、先程まで(しゃべ)っていた女子とは違う女子が答えた。

「『何って――ゲームだよ』」

「『僕にはゲームじゃなくて、虐めているようにしか見えなかったけど?』」

すると更に違う女子が李哉に言う。

「『仲原(なかもと)君、そこを退()いて。じゃないと――仲原君もこのゲームのターゲットにするよ?』」

「『こんなの――絶対におかしいよ! 大切なクラスメイトを虐めて何が楽しいんだよ?』」

クラスメイト達は來に向けるような冷たい視線ではなく、普段と態度を変えずに会話をしていたが――

李哉の言葉を聞き、クラスメイト全員が突然態度を変えた。

來に向ける冷たい視線を李哉に向け、冷たく李哉に言い放つ。

「『じゃあ仲原君もターゲットだね』」

「『明日が楽しみだな』」

それだけ言うと、クラスメイト達は自分のランドセルを手にすると來と李哉を残して舞台裏へと行ってしまう。

舞台の上には來と李哉だけになる。

他に誰もいない事を確認すると李哉は警戒(けいかい)を解く。

そして來と向き合うと優しく微笑み、來に右手を差し出す。

來はいつものように李哉の顔を見上げる。

李哉は普段と何も変わらず、優しく聞いてくる。

「『大丈夫? 怪我(けが)とかしてない?』」

李哉があまりにもいつも通りなので、思わずいつものように大丈夫と答えたくなる。

だが、それをぐっと堪えて台詞を言う。

「『どうして……?』」

「『僕、困ってる人がいると助けたくなるんだ。……でもごめん。今までみんなが弘瀬君を虐めてるって知らなかったから助けられなくて……。みんな、僕や先生がいる時はあんな事しないから……』」

そう言いながらも、李哉はまだ手を差し伸べてくれている。

もしも、自分がこの〝弘瀬來〟だったら――どうするだろうか。

きっと、ここで李哉の事を好きになるだろう。

そしてこの優しく差し出してくれている手を受け取って、自分はこう言うだろう。

「『ありがとう』」

すると李哉はきっと――

今のように優しい微笑みを向けてくれるのだろう。

李哉ならきっと、そうするだろう。

來が思わず、今舞台の上で演技をしているという事を忘れてしまうくらいいつも通りに。

このまま――李哉を抱き締めて、胸の内に()めている想いを伝えてしまいたい。

このまま、良い雰囲気に()いしれて居たい。

「李哉――」

『――俺を助けてくれたのはクラスで人気者の仲原李哉だった』

自分の声が結構な音量で流れて思わず驚く。

そのおかげで我に返る事が出来た。

(あ……危ねぇ……。おい、集中しろよ! 本番中に何考えてんだ、俺!?)

自分自身にツッコミを入れて同時に気合も入れる。

そしてまたも幕が降り、教師達が音を立てずに机や椅子を移動させる。

來と李哉はすぐさま投げられた箒や塵取り、雑巾を拾い上げて片付ける。

その間にも來の台詞が流れる。

『このクラスになって今、初めてクラスメイトに声を掛けられた。仲原の周りにはいつもクラスメイト達がいて、俺とは住む世界の違う人間だと思ってた。今までは――。でも俺を(かば)ってくれた時にはそれは違うってわかった。仲原も、俺と同じ場所に立ってくれた。みんなから俺と同じように虐められるって言われても仲原は逃げなかった。――自分から、虐められる事を選んだ。そんな仲原の差し出してくれた手が――俺は嬉しかった』

場面変更は來の台詞の終わる少し前に終わった。

幕の降りた舞台の風景は、またも普通の教室になっていた。

綺麗(きれい)に机が並べられており、來は自分の机の前に立っている。

その机の上には來のランドセルがある。

全ての準備が整った時、舞台の上には來しかいない。

來の台詞が終わると、幕が上がっていく。

幕が完全に上がり切ると來は演技を始める。

机の上に置いていたランドセルを机の横に掛ける。

そこに、舞台裏にいたランドセルを背負った李哉が教室の扉を開ける効果音――SEと共に舞台の上に現れる。

「『おはよう、弘瀬君。いつもこんなに早く学校に来てるの?』」

「『――なるべく被害(ひがい)が出ないように』」

「『やっぱりそうだよね。早く学校に来れば特に問題なくなるからね』」

「『まだ、何もされてないのか?』」

「『うん。今の所はね。でも何かされたらすぐに先生に言うよ。弘瀬君も何かされたら僕に言って。僕が守ってあげるから』」

李哉の台詞を聞き、不本意(ふほんい)にも心臓が高鳴る。

劇の台詞だとはわかっているが、そう言われるとやはり嬉しい。

一瞬演技を忘れていると――

教室の扉を開けるSEが聞こえ、そこで我に返る。

SEと同時にクラスメイトの男子が一人、舞台裏から舞台の上に現れた。

來と李哉の姿を見るとすぐに目を()らし、自分の席へと足早に行き、完全に二人から目を(そむ)ける。

『あのクラスメイト、中川は虐めてくるタイプじゃなかった。どっちかって言うと俺が虐められているのを見て見ぬふりしているタイプだった』

「『ねぇ弘瀬君。中川君も虐めてくるの?』」

「『いや、どっちかって言うと見て見ぬふりするタイプ』」

客席に十分と聞こえる声で來と李哉は話すが、話の設定上ではクラスメイトの中川君には聞こえていない。

その証拠に李哉は來の方に近寄って言い、中川君は自分の席で本を読んでいる。

すると來の話を聞いた李哉は中川君の机へと行き、本を読んでいる中川君に聞く。

「『中川君。君は――虐めをするような人じゃないって、僕は思ってる』」

李哉がそう言うが、中川君は本から視線を逸らそうとはしない。

「『――誰かに(おど)されてるの? もしかして、和田君?』」

『和田は、昨日俺を突き飛ばした学級委員。和田が虐めのリーダーをしてる』

中川君は來の台詞がスピーカーから流れると反応し、ようやく李哉の顔を見て答えてくれる。

「『だって……! 弘瀬君と仲原君を無視したり冷たい視線を向けないと――』」

「『今度はお前を虐めてやる、そう言われたの?』」

中川君の言葉を遮って李哉は聞く。

しばしの沈黙(ちんもく)の後、中川君は静かに頷く。

李哉は浅い溜息を付き、今度は優しく聞く。

「『他に中川君と同じように脅されてる人はどれくらいいるの?』」

「『それを言ったら――』」

「『大丈夫。僕がこのクラスから虐めを無くしてあげるから。だから――教えてくれる?』」

「『――クラスのほとんどがそうだよ』」

「『…そう。ありがとう、中川君。後は僕に任せて。今まで通りに無視してくれていいから。僕達と話してたりしたら中川君まで虐められるからね』」

それだけ言うと李哉は來の元に戻ってくる。

そして少し考え込むようにして李哉は腕を組み、來に聞く。

「『弘瀬君、いつもこの時間に来るなら次は誰が来る?』」

「『確か和田と杉田と中村だったと思う』」

『この三人は、クラスでの虐めの中心的な存在だ』

それを聞いて李哉は深い溜息を付いて呟く。

「『――こうなったら、一掃(いっそう)するしかないかな…』」

「『一掃って……仲原、何をする気だよ?』」

その時、教室の扉を開けるSEと共に先程言った三人が楽しそうに会話をしながら舞台の上に現れる。

三人は來と李哉を見ると急に顔から笑みを無くし、二人に冷たい眼差しを向ける。

そして杉田が一言。

「『あー、朝から目に悪いモンが目に入った。頼むから俺の前から消えてくれねー?』」

「『つーか仲原さ、お前こんなに早く学校に来る必要ないだろ? とりあえず下駄箱(げたばこ)行ってみたらどうだ? お前の靴、邪魔(じゃま)だったから捨てといてやったから。感謝しろよ?』」

「『え――』」

そう言って中村が笑い出す。

李哉は咄嗟(とっさ)に教室から飛び出そうとしたので來が李哉の腕を掴んで止める。

驚きながら李哉が來の顔を見てくる。

「『弘瀬君!?』」

「『俺が探してくる。こいつら、仲原が行った後に机や教科書に何かするぞ』」

「『でも――』」

「『仲原は強いから大丈夫だろ? ここは俺に任せてくれ』」

それだけ言い残すと來は走って舞台裏へと行ってしまう。

舞台裏に来た來は少し息を整えながら自分のいなくなった舞台を見つめる。

舞台の上に残された李哉は和田を見て聞く。

「『和田君は、どうして虐めなんてするの?』」

「『お前らがムカつくしウザイから。最近お前も調子に乗ってたよな? 正義(せいぎ)ぶってさ……』」

「『正義ぶったつもりはないけど…。こんな事して、何が楽しいの?』」

「『ただ日常に飽きたんだよ。退屈(たくつ)な毎日を楽しむためのゲーム。人生は、楽しく生きなきゃ。そうだろ?』」

「『だからって――こんなゲームはおかしいよ。もっと他にみんなが本当に楽しめるゲームを探しなよ』」

「『――うるさいよ、お前』」

和田が冷たい目で李哉を睨んだ時、丁度登校時間になり、クラスメイト達が続々と教室に入り始めた。

それを見て和田はにやりと笑い、クラスメイト達に言う。

「『――みんな、今から仲原に好きな事していいぞ』」

和田がそう言うと、クラスメイト達が李哉を一斉に(かこ)む。

その瞬間、またもや涙の短い奇声が聞こえたが今度こそ完全に來も李哉も無視する。

クラスメイトに囲まれても変わらず李哉は静かに和田を睨み上げる。

その時、教室の扉が開くSEが体育館内に響き、谷山が舞台の上に現れる。

和田は小さく舌打ちをし、クラスメイト達はみんな李哉の元から離れていく。

そしてすぐに來が重い足取りで舞台裏から舞台の上に現れる。

來は李哉の元に行き、元気なく言う。

「『仲原、その……仲原の靴――焼却炉(しょうきゃくろ)に入ってて、もう燃えてた……』」

李哉はそれを聞いて驚き、そして鋭い視線で和田を睨み上げる。

「『悪い……。だから帰る時は俺の靴を――』」

李哉は來に向き直り、いつものように優しく言ってくれる。

「『いや、大丈夫。上履きで帰るから』」

李哉がそう言うとチャイムのSEがスピーカーから流れ、クラスメイト達は自分の席に座る。

その間に來の台詞がスピーカーから流れる。

『――それから俺と仲原は一緒にいるようになった。最初は先生に言おうとしたけど、クラスメイト達はそれを許さなかった。いつも担任とクラスメイトの誰かが話していて、他の先生の時もそうだった。でも、一人じゃ乗り越えられない事も仲原と一緒なら乗り越えられた。そう……例えどんな事でも……』

一度照明が落ち、数秒の間に大半のクラスメイト達は舞台の裏へと移動し、残された数名のクラスメイト達はそれぞれの持ち場に着く。

そして照明が付く。

來は李哉の席で楽しそうに李哉と会話する。

李哉も自分の席に座り、來と笑いながら話をしている。

「『そういえば、次の授業ってなんだっけ?』」

「『確か――算数じゃなかったか?』」

クラスメイト達が続々(ぞくぞく)と舞台の上に現れる中、李哉は次の授業の準備をしようと机の中に手を伸ばす。

それをクラスメイト達は笑いながら見ている。

「『うわっ!?』」

李哉が驚いて手を引き――机の中を確かめる。

「『どうした? 仲原』」

李哉は恐る恐る机の中からある物を取り出す。

それは――びしょ濡れの教科書やノートだった。

客席からもそれは確認出来た。

李哉がそれに気付くと、クラスメイトのみんなが笑い出す。

しかし、半数が嫌々笑っているのがわかる。

それを見て李哉は完全に濡れている教科書やノートをハンカチやティッシュで拭いていく。

「『……大丈夫か? 仲原……』」

「『ん? 何が? 僕は大丈夫だよ。こんな事をする人が悪いんだから』」

そして谷山が舞台裏から舞台の上に現れてみんなに声を掛ける。

「『おらー授業始めるぞー』」

谷山に(うなが)されて、クラスメイト達は自分の席に着く。

李哉はそれでもずっとティッシュやハンカチで教科書やノートを拭っていた。

『その日、仲原は濡れた教科書を使った。俺の場合はこの間教科書がなくなったからあれから何も持って来てないからいいとして、今みたいな事はされた事がなかった。いつもは教科書に落書きしたりするか破るか隠すくらいだったのに……』

またも照明が消え、その間にクラスメイト達や谷山は舞台裏へと移動する。

李哉は濡れた教科書やノートをまた机の中に入れ、次の場面の持ち場へと移動する。

來は一度舞台裏へ行き、そこである物を受け取り、舞台の上に戻ってそれを李哉に渡す。

すると照明が付き、その色はオレンジ色。

オレンジ色のスポットライトに舞台が照らされると――教室の風景は夕方へと変わる。

放課後の教室の風景(ふうけい)の中、そこには來と李哉しかいない。

「『ありがとう。こんな遅くまで探すのを手伝ってくれて…』」

「『別にいいって言ってるだろ? それよりも良かったな。ただ隠されただけで』」

「『うん』」

李哉の手の中にあるのは、先程來が李哉に渡した物。

それは体操服だった。

「『俺の時なんか、見つけた時に墨汁掛けられてたからな』」

「『え、そうなの…?』」

「『そうなんだよ。使えねぇからすぐに捨てた』」

「『お母さんに怒られなかったの?』」

「『んー、まだ捨てたって知らないみたいだから平気なんじゃねぇの?』」

李哉は手にしていた体操服を手提げ袋に入れ、來はランドセルを手にして言う。

「『じゃあもう帰ろうぜ』」

「『そうだね』」

來は先に舞台裏へ行こうとした時、背後から李哉の声が聞こえる。

「『――僕達って、もう友達だよね?』」

声を掛けられ、來は足を止めて振り返る。

そして少し笑って李哉に聞く。

「『なんだよ、急に』」

「『一応、確認で』」

「『そんなの――仲原が俺を助けてくれた時から、だろ?』」

來がそう答えると、李哉は嬉しそうに笑う。

その笑顔を見て思わず來の胸が高鳴る。

「『じゃあ今度から名前で呼び合おう。ね、來』」

ドクン――

心臓の音が、耳元で聞こえたように感じる。

ドクン、ドクン、と心臓が高鳴る。

――たった、たったの数十分名前で呼ばれなかっただけなのに……。

どうしようもなく嬉しい。

やっぱり李哉には、名字ではなくて名前で呼んで欲しい。

「『――そうだな。李哉』」

いつの間にか、台詞を言って微笑んでいた。

――何も変わらない。

舞台の上でも、來と李哉は変わらない。

一つだけ違うのは――二人が虐められているという事だった。

李哉を愛しいと想う感情に(ひた)っていたいが、今は舞台の上なのでそうもいかない。

照明が落ち、そこで來は我に返る。

照明が落ちると李哉はすぐに舞台裏の谷山の元へ音を立てずに走って行く。

そして來は足元に置いてある紙袋からある物を取り出し、それを李哉の机の上に置いて紙袋を手に谷山と李哉の元へと行く。

李哉が次の場面の準備を終えるとクラスメイト達が全員舞台の上に上がる。

照明が付くと舞台の上にいるクラスメイト達はみんな楽しそうに話し出す。

そこに、舞台裏から來と李哉が現れる。

李哉も來と楽しそうに話していたが――自分の机の上を見て表情を無くした。

「『李哉?』」

李哉の視線の先を見てみると――

李哉の机の上には――死ね、消えろ、うざい、もう学校に来るななどと書かれた李哉の教科書やノートが破られた物が置いてあった。

それを見て李哉は言葉を失っていた。

「『――誰だよ!? こんな事した奴は!?』」

『自分でも何を言ってるんだって思った。こんな事をされるのはわかってたし、誰がしたのかもわかってた。でも……こんな顔してる李哉を見たら――そう言わずにはいられなかった』

「『そんなの、俺に決まってるだろ? 最近の仲原の反応は面白いからな』」

和田が楽しそうにそう言いながら、ボールを手の中で(もてあそ)び、時にはボールを宙へ投げる。

そんな和田を見て、來は拳を強く握り締め、思い切って言う。

「『お前ら――苦しんでる人を見てなんで笑ってられるんだよ!? こんなの、おかしいって思わないのか!?』」

來の言葉に、虐めを見て見ぬふりしていたクラスメイト達が全員來から目を逸らす。

和田は手にしていたボールを宙へ投げ、重力が働いて落下してきたボールを受け取り、冷たい目で來を見つめ――

受け取ったボールを來へと向けて投げた。

「『來! 危ない!!』」

李哉の叫び声が聞こえ――李哉が來の前に出て來を庇う。

ボールは李哉の右目の少し上に当たり――李哉は(うつむ)く。

そして右手でボールの当たった場所を抑えた時。

(ひたい)から血が流れ出た。

それを見ていた客席はどよめく。

みんな李哉の血を見て驚いた。

と、言ってもこの血はただの絵の具なのだが……。

先程李哉が谷山の元へ行った時に付けてもらっていたのだ。

黒い袋に絵の具が入っており、前髪に付けていても客席からは見えないようになっていた。

その袋を右手に(しの)ばせていた(はり)で破っただけの事。

「『李哉――』」

「『僕なら大丈夫。あとは…僕に任せて』」

そう言うと、李哉は和田を睨み上げて言い出す。

「『…人を傷付けて、そんなに楽しい? こんな事をしても何も得られない。こんな事をして…本当に楽しいの? そんなはずないよね? こんな馬鹿げてる事――もうやめよう。虐めなんてしても何も生まれない。本当はみんなもそう思ってるんだよね!?』」

李哉の声は体育館だけではなく――体育館内にいる全員の心にも響いた。

しばらくの間体育館は静寂(せいじゃく)に包まれ、やがて体育館に声が響く。

「『もう、やめよう…和田君』」

「『そうだよ、仲原君の言う通りだよ。こんな事……やめよう』」

「『ちょっと、やり過ぎだよ』」

「『俺達が間違ってたんだよ』」

今まで見て見ぬふりをしていたクラスメイト達が李哉の言葉に同意してくれた。

それも和田、杉田、中村の三人以外は全員が――

だけど……。

「『……うるさい、うるさい! うるさい!! それでも俺は――』」

その時、今回はSEの音がなくそのまま谷山が舞台の上に現れて言う。

「『ほら、席につけー。授業始め――』」

しかし、すぐにいつもと様子が違う事に気付いた。

李哉の机の上と、李哉が血を流している事に気付き、驚いて李哉に聞く。

「『仲原、どうしたんだその怪我は!? 一体何があったんだ!?』」

谷山の声を聞いて和田達が目を逸らす。

來やクラスメイト達が先程までの出来事を説明しようと口を開いた時――

「『なんでもないです。ただボールが当たっただけです。保健室に行ってきます』」

そして李哉は和田達を見つめる。

『――李哉の目はこう語ってた。〝もう、やめようよ〟と……』

李哉は一人で舞台裏へと行こうとしたが、よろめいたので來が李哉を支え、そのまま舞台裏へと移動する。

舞台裏へ入るとすぐに李哉は机を移動する担当の先生に絵の具を拭ってもらう。

その間に舞台の方では……。

「『和田――こんな事をしたのは、お前なのか?』」

谷山が李哉の机の上を指差して聞く。

李哉がなんでもないと言っても、机の上には証拠(しょうこ)があるのだから結局は意味がなかった。

谷山に聞かれても和田達は何も答えない。

その姿を見て谷山は深い溜息を付く。

すると――

「『先生……和田君達を()めないであげてください。仲原君、和田君を庇ったんです……。このクラスから虐めを無くそうと……身体を張ってくれたんです。仲原君は――多分最初から和田君を許していたんだと思うんです。だから……責めないであげてください』」

クラスメイトの女子がそう言うと谷山は和田を見て聞く。

「『和田……仲原が本当に許すって言ったら――もう虐めなんかしないか? 和田がしないって言ったら、なかった事にしよう。どうだ……?』」

「『もう……しません……』」

和田は小さくそう答えた。

『それから俺達のクラスからは虐めが無くなった。クラスのみんなはあの日以来仲良くなって、六年三組には(きずな)が生まれた。でも――冬休み前の事。それは急にやって来た』

照明が消え、來と李哉は急いで舞台の上に戻り、來は自分の席に座り、谷山は李哉の机の上にあった物を用意していた紙袋の中に素早(すばや)く入れる。

李哉と谷山は教卓の前に移動し、クラスメイト達は全員自分の席に座る。

そして照明が付く。

「『突然の事だが、仲原が転校する事になった。今週まではこの学校に通う。だから仲原と()えるのはあと一週間しかない』」

谷山の台詞に、クラスメイト達が驚きの声を上げる。

「『マジかよ?』」

「『李哉! なんで教えてくれなかったんだよ?』」

クラスのみんなが李哉に質問を投げ掛ける中、來はただただ驚いていた。

「『みんな、ごめんね。家の都合(つごう)で転校する事になって――』」

『――ショックだった。俺を助けてくれた李哉が……クラスから虐めを無くしてくれた李哉が――初めての友達になってくれた李哉が、転校する事が……』

來の台詞がスピーカーから流れ始めた瞬間、最後の場面変更となり、幕が降りた。

來と李哉はすぐに舞台裏へと行き、制服から私服へと急いで着替え始める。

その間に教師達が机や椅子を全て舞台裏へと移動させ、最後に教室の窓の絵を降ろして今度は住宅の(へい)の絵を掛け始める。

『一週間なんてあっという間に過ぎて、金曜日に李哉のお別れ会をした。みんなは李哉に言いたい事を言っていたけど――俺は、何も言えなかった。ありがとうとか、とか……さようならとか……それすら言えなかった。言いたい事が一杯(いっぱい)ありすぎて、何から言っていいのかわからなかった。あの日、助けてくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。クラスから虐めを無くしてくれてありがとう。一緒に居てくれて――ありがとう。李哉がいたから俺は笑えた。俺と出逢ってくれて……ありがとう。――そう言いたいのに、伝えたいのに……俺は何も言えなかった。だから俺は土曜日に李哉の家に向かった。この気持ちを全部伝えるために――』」

――――

來の台詞は終わった。

しかし、まだ準備が出来ていなかった。

まだ塀の絵の準備が出来ていない。

そのため、幕を上げる事が出来なかった。

リハーサルでは何の問題もなく時間内に出来たのだが、今回は上手くいかなかった。

なので準備をするための時間が()いてしまう。

時間を(かせ)がないと――

みんなが焦っていると、いつの間にか勝手に身体が動き、來は幕の降りた舞台の上に立ち、声を張り上げて言う。

「ずっと伝えたかった。ありがとうって気持ちを……。いつも俺の傍に居てくれて、俺を支えてくれてありがとうって。全然ダメな俺に優しくしてくれて――手を差し伸べてくれて……ありがとう。どんな時だって俺の隣に居てくれて……。本当は――行って欲しくない! ずっと俺の傍に居て欲しい! 隣に李哉が居てくれないと――俺はダメなんだ。俺は――」

來は舞台の上で、いつもより気持ちが数段(たかぶ)っている中で、その言葉を口にした。

「俺は――李哉が好きだから……。ずっと隣に居て欲しいんだ……」

來は、そう言っていた。

その時に思い付いた事を口にし、自分でも何を口走ったのか最早(もはや)思い出せない。

時間を稼ぐ事だけを考え、失敗をフォローする事に必死だった。

そして冷静になって自分が口走った事を思い返し、顔を赤くする。

――これではクラスメイトの前で、家族の前で、客席の前で盛大(せいだい)な告白のようになってしまった。

どうしようかと困惑(こんわく)していると、李哉が來の肩に手を置き、優しく言ってくれる。

「ありがとう、來」

いつの間にか絵の準備が終わっており、幕を上げてもいい状態になっていた。

それに來が気付くと李哉は優しく微笑んでくれる。

どうやら李哉は、時間を稼いでくれていたのだと思っている様子だった。

いや、実際には時間を稼いでいたのだが――

告白については役として受け取っている様子だった。

……今は、それでいい。

そう心の中で呟いて、來は舞台裏に移動する。

そして、李哉一人だけ舞台の上に残して幕が上がる。

一人、舞台の上で李哉は來のいる方の舞台裏を見つめる。

李哉は何か()り残した事があるような表情をしている。

そんな李哉に、來とは反対側の舞台にいた女の教師が台詞を言う。

「『李哉、もう行くわよ』」

「『うん…』」

來のいる舞台裏をしばらく見つめ、やがて諦めたように來に背を向ける。

反対側の舞台へと一歩足を踏み出して歩き出した時――

李哉の背中に來が声を掛ける。

「『李哉!!』」

來は走って勢い良く舞台の上へと現れる。

息を切らせ、肩で息をする來の姿を見て李哉は驚き、來の元へ来てくれる。

「『來!? どうして――』」

「『伝えたかった……から……』」

「『え…?』」

息を整え、李哉の顔をしっかりと見つめて言い出す。

「『ありがとう、李哉……。あの日、助けてくれて……友達になってくれて……虐めを無くしてくれて……一緒に居てくれて――ありがとう。李哉が居たから俺は笑えたんだ。李哉に会えなかったら俺……ずっと笑えなかったと思う。だから――出逢ってくれて……ありがとう』」

「『來…。こっちこそ、ありがとう。來が居たから、毎日が楽しかった。だから――』」

「『待て、言うな。〝さよなら〟は言うな。それじゃもう逢えないみたいじゃねぇか。だから――』」

來は少し間を取り、はっきりと言う。

「『だから――〝またな〟李哉』」

そう言って來は満面の笑みを浮かべる。

それにつられ、李哉は悲しそうに笑って言う。

「『うん…。またね…』」

それだけ言うと、李哉は舞台裏へと行ってしまう。

――スピーカーから、車のドアが閉まる音と車が走り去るSEが流れる。

來は李哉のいる舞台裏へと大きく手を振る。

――もしも、この劇のように李哉が遠くへ行ってしまうとしたら。

このように笑顔で送り出せるだろうか。

いや、きっと悲しみに()れて送り出す所か、逢いにも行かないだろう。

李哉が自分の前からいなくなる。

その悲しみに耐える事など出来ないだろう。

すると、自然に涙が頬を伝って落ちていく。

『ありがとう、ありがとう李哉。たくさんの事を教えてくれて……ありがとう。だから――また、逢おうな』

來の最後の台詞がスピーカーから流れ終えた後、劇に登場した六年三組の全員と谷山、李哉が舞台の上に出て来る。

みんなで頭を下げると幕がゆっくりと降りていく。

そんな中、最後に撮った來の台詞がスピーカーから流れる。

『この物語はフィクションです。実際の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません! ただの妄想です!!』

この台詞を聞いて、涙ただ一人が爆笑(ばくしょう)する声が耳に届く。

今度こそは体当たりでも飛び蹴りでもしようと内心來は考える。

盛大な拍手に(まぎ)れて笑い声が聞こえる中――

『これより、六年三組による青春の涙を終わります』

歓声が聞こえる中、劇は無事に終わった。

六年三組の演劇は、大成功として終わったのだった。




劇が終わり、六年三組の教室に戻るとそこには雪と李菜と涙がいた。

「あの劇、最高だったわよ!」

「涙出ちゃった」

「笑いあり、涙あり――最高ぉぉぉぉ!!!」

「つーか姉貴、うるさいんだよ! 叫ぶんじゃねぇ!!」

來は涙の背後に回り込み、耳元で叫ばれた時の怒りを込めて頭に手刀を叩き付けた。

「ぐほっ! し、しかし……あの最後の台詞――」

「さぁ李哉。邪魔者は片付けた。残りの時間、思いっ切り楽しもうぜ」

「そうだね」

來と李哉は涙を無視し、文化祭を楽しむ事にした。

――この劇は、來にとって……いや、李哉にとっても忘れられないものとなった。

そう……忘れられない思い出に――










                                              ~To be continued~

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