青春スクエア ~弘瀬來の片思い~ 小学生編2
真夏の日差しを浴びながら弘瀬來は李哉の伯父の家へ向かう車の中で爆睡していた。
そんな來の無防備な寝顔を見て涙が來の鼻を摘んだり、頬を引っ張って悪戯をする。
「こら涙、虐めないの」
「だって、この憎たらしい顔見てたら虐めたくならない? いつもはあんな野獣みたいな気配の欠片もないじゃん」
「來、昨日僕と一緒に寝たんだけど中々寝られなかったみたいだから寝かせてあげて。特に昨日はよく頑張ってたからね」
「ん……」
すると窓側を向いていた來が反対側の李哉の方に寝返りをうち、李哉の左腕を抱くような形になった。
「キャアーーーー!!!!」
「うるさいわよ! 涙!!」
涙は悶えながら必死にケータイのカメラを來に向けて連写する。
そんな涙の姿を見て李哉は青ざめていたが、來を無理矢理引き離すわけにもいかず、そのまま寝かせる事にした。
「あ~、もうあたし……将来はBL系の仕事しようかな~。BLはいくら見てても飽きない!!」
そう叫ぶ涙にもう誰も話しかけない。
唯一ツッコミを入れてくれる來が眠っているため、涙を止める事が出来る者は今この場にいない。
李哉は小さく溜息を付き、窓の外を見上げる。
夏の清々しい青空と入道雲を眺める。
流れていく雲を目で追いながらしばらく見つめていると、不意に手を握られた。
「――來?」
少し驚いて來の方を見てみるとまだ來は眠っていた。李哉の左手を右手で握りながら――
「來…」
少し前まではなんでも李哉に頼ってくれていたのに、最近はまったく頼らなくなり、李哉は少し寂しさを感じていた。
しかし、こんなに無防備な來を見るのは何年かぶりで――李哉は優しく來の手を握り返す。
そして小さく微笑み、そのまま李哉も眠たくなって眠ってしまう――
しばらくして、李哉の父親――仲原政哉がみんなに言い出す。
「さぁ~て、もうすぐ着くぞ」
その声に眠っていた來が目を覚まし、飛び起きて車のシートにしがみ付く。
「早く海! 海行きたい!!」
そのせいで握っていた手を反射的に放し、手を握っていた事にさえ気付かなかった。
それと同時に少し眠っていた李哉も目を覚まし、握っていた手を少し見つめ、すぐにいつものように來に言う。
「來、そんなに急がなくても海は逃げないよ」
「だって俺さ! 既に海パン穿いてるんだぜ!?」
「準備良いね……」
「泳ぐ気マンマン!!」
「――の前に、先に秀兄の家に行くからね」
「えーー!!?」
「これからお世話になるんだからあいさつしないといけないでしょう」
「もう着いたからあいさつしたらすぐに海に行っていいよ」
政哉がそう言うと同時に車は平屋建ての大きな一軒家に着いた。
「はい、着いたよ」
來は誰よりも早く車のドアを開け放ち、これからしばらく世話になる地へと降り立った。
車から降りてみると辺りは潮の香りに満ちていた。
家の反対側にはもう海が広がっており、波の音も聞こえて来る。
「おおぉ!! すげーなここ!!」
來に続いてみんな車から降りてきて、荷物を家に運ぼうとする政哉が李哉と來に言う。
「先に秀兄にあいさつしてから海に行っておいで」
「じゃあ行こうか」
「ああ!」
來は李哉の後ろに着いて行き、李哉が玄関のガラガラ戸を開けて家の中に声を掛ける。
「伯父さーん! 今来たよー!」
すると数秒もしないうちに奥からやってきた人物は――
李哉の父親だった。
「えっ、あれ!?」
來は驚きながら後ろを振り向き、玄関の外で荷物を運んでいる李哉の父と目の前にいる李哉の父親を見比べる。
確かに李哉の父親が二人いた。
「來、この人が伯父さんの秀伯父さん。お父さんとは一卵性の双子だからそっくりなんだよ」
「な……なるほど…」
「君が來君かい?」
「あ、はい」
「李哉君から話を聞いているよ。盆にこっちへ来た時はいつも李哉君、君の話をしてくれるんだ。だからずっと逢いたかったよ」
(李哉が、俺の事を――)
「伯父さん、やめてよ…恥ずかしいな…」
少し照れた様子で李哉はそう言い、顔を伏せる。
「話は後でしよう。先に海で遊んでおいで」
「ありがとう伯父さん。ほら來、行くよ!」
「あ、ああ」
李哉と來はそのまま玄関から出て海へ向かって歩き出す。
來は少し驚いていたが、嬉しかった。
盆の季節はお互いの両親の実家へ行ってしまうのでその期間は毎年逢えない。
來は盆の季節にいつも李哉の話題を毎日出していた。
それは早く李哉に逢いたかったから――
そんな事を李哉も自分と同じように思っていてくれた――それがとても嬉しかった。
胸の奥深くに封じ込めた想いがまた呼び起こされる。
李哉が好き、愛しい――
(って、ダメだろ俺!! 俺は自分で決めた事も守れないのかよ!?)
そんな事を考えながら歩いていると來の前を歩いていた李哉が言い出した。
「いや、だってさ――盆以外毎日ずっと一緒にいるんだよ? 一日でも離れていると心配ぐらいするよ」
そう言う李哉の顔は赤く染まっていた。
――期待、なんて言葉を通り越して信じてしまいそうになる。
李哉も本当は自分の事が好きなんじゃないのかと。
本当は意識して、自分をからかうために無自覚な事を言っているんじゃないのかと。
でもそれは自分の自惚れだって事はわかっている。
(でもそんな顔されたら――誰だって誤解するだろーが)
來は右手を李哉へと伸ばし、李哉の頭を荒く撫でて言う。
「なんだよ、俺がいないとそんなに寂しいのかよ?」
來がそういえばきっと、李哉は笑いながらこう言うだろう。
〝そんなことないよ〟と――
だが、今回は違っていた。
「――そうだよ」
「――――」
思わず歩みを止めてしまい、そのまま李哉の顔を見つめる。
予想していた答えと違い、來は一瞬戸惑った。
それ以前に李哉が自分と逢えない事を寂しく思っていてくれた事が、嬉しい。
來は気持ちが――抑えている想いが溢れて来そうになり、自分の中に渦巻いている感情を追い払うために咄嗟に李哉の頭を軽く叩いて言う。
「おら、さっさと海行くぞ」
李哉を追い抜いて來は李哉の前を歩きながら右手で口元を隠しながら思う。
(バカ野郎……あんな顔してあんな事言うなよな…)
――閉じ込めた想いが、また動き出すだろーが……――
來と李哉は海の家にやってきて一つ一つの個室で海パンに着替える。
來の場合、既に服の下に海パンを穿いていたので服を脱ぐだけなのだが――
「おーい李哉。まだかよ~」
「待って、今全身に日焼け止めクリーム塗ってるから」
「日焼け止めクリームぅ?」
「これ塗らないとすごい日焼けするから來も塗りなよ。今年は日差しが強いみたいだから」
「誰がそんなもの塗るか! 俺は日焼けなんかしねぇよ!」
「この世界で日に当たっても日焼けしない人を探す方が難しいよ…」
李哉の呆れるような声が聞こえ、來は早く出てくるように催促する。
「いいから早く来いよ!」
「今塗っとかないと絶対後で痛い目みるよ」
「去年も一昨年もその前の年も酷い日焼けなんかしなかったんだから大丈夫だって!」
「でも一応――」
「いいって言ってんだろ!? 早く行くぞ!」
「……後でどうなっても知らないからね」
「別にいいですよ~だ」
「まったく…。でもあともう少し待って」
「なんでだよ? まだ塗り終わんないのか?」
「そうじゃなくて、準備体操」
「は? なんでそんな事するわけ?」
そんな狭い個室の中でするよりも、外でした方が伸び伸びと出来るのに……、等と思いながら來は聞く。
「しないと足攣るからだよ。実際、足攣って溺れて死んだ人っていっぱいいるんだよ。來もしときなよ」
「誰がそんな事するか! 俺は学校のプールで準備体操しなくても溺れたことないぞ」
「それは來があんまり泳がないからでしょ。ねぇ來、たまには僕の言う事も聞いた方がいいと思うよ」
少し呆れながらそう言い、李哉が個室から出てきた。
「別に大丈夫だからいいんだよ」
李哉は少し溜息を付いて話を変える。
「着替えとかは同じコインロッカーに入れておくからね」
「OK」
「じゃあ行こう」
「おう」
來と李哉はコインロッカーで着替えを入れ、李哉は千円ほどの百円玉をファスナーの付いている海パンのポケットに入れて海へ行く。
海水浴場へ行くと、そこは既に人で溢れ返っていた。
「今日は海開きだから人がいっぱいいるねー」
「そーだな」
砂浜までやって来て李哉が口を開く。
「さて、來――」
來はすぐに海の中に入り、浅い所でまるでクラゲのようにぷかぷかと浮かんでいる。
「今年こそは泳げるようになろうか」
「う、うるせぇ!!」
來は恥ずかしさで顔を赤く染め、顔の熱を下げるために海の中に顔を浸す。
そう――來はまったくと言っていいほど泳げないのだ。
毎年毎年海水浴は別名、泳ぎの特訓でもある行事だ。
そんな來に李哉は手を差し伸べて言う。
「少し深い所に行こう。その方が泳ぎの練習をするにはいいし、浅い所だと他の人の迷惑になるから」
そう言われて來は李哉の手を取るしかなく、李哉の思うがままに練習をする事になった。
「じゃあ來、バタ足やってみて。手、持っててあげるから」
「お、おう…」
「ピーンと全身伸ばしてみて。両手は伸ばして頭の上で手を重ねて手先は船のように尖らせる。顔は息が出来るように少し上げて」
來は李哉に言われた通り身体を伸ばし、顔を少し上げてバタ足をする。
「そうそう、上手い上手い」
ここまではいつも通り。問題はここからだ。
「じゃあ手を放すよ」
李哉が手を放した瞬間、來の身体は若干くの字になり――
ぶくぶくと沈んでいく……。
…………。
…………………。
ゴボゴボッと水中から空気が浮き上がって来てすぐに來が海水から顔を出す。
「ぶはっ! おい李哉! おめっ……俺を殺す気か!?」
そんな來を無視して李哉は不思議そうに呟く。
「――どうして來はいつもあそこで沈んじゃうかな…? どうして身体を曲げるの? 水、大丈夫でしょ?」
「初めて自転車に乗る時と同じなんだよ!! 手を放されると不安になるんだよ!」
「じゃあもう一度。いい? 今度は手を放してもまっすぐ、バタ足はやめない」
「わかったよ」
來はもう一度先程と同じようにバタ足をする。
「大体人間って言うのはね、水に浮くようになってるんだから溺れる事はないんだよ。身体を丸くしなければ沈む事もないんだから。それにこの練習、もう六年間ずっとやってるのにどうして來は――」
その時、李哉は話をしながらまるで自転車に初めて乗れる時と同じように放すと言わずに手を放した。
すると――
身体をまっすぐに伸ばし、バタ足をしているというのに來の身体は海へと沈んでいく……。
……………………。
………………………………。
またもゴボゴボと水中から空気が浮き上がって来て、続いて來がゆっくりと浮き上がって来た。
そして顔を水中に浸けたまま呟く。
「ぼがが……ぼが……」
やはりそんな來を無視して李哉は深く考え込むように呟く。
「うーん、なんで沈んじゃうのかな……。 後で涙さんやお父さん達が来るからその時に浮き輪を使ってみよう」
來は必死に犬掻きで浅い所まで行き、李哉に提案する。
「じゃあ姉貴達が来るまでサンドアートしねぇ?」
「…來、絶対に海に来たら泳ぐよりも砂を弄ってるよね。しないっていうか、毎年來だけがやってるよね?」
李哉の言葉を軽くスルーして言う。
「作って欲しい物があるならなんでも言ってくれ。作ってやるから」
「じゃあスカイツリー」
「了解!」
來は元気良く返事して海から上がり、サンドアートを作り始めた。
最初は李哉の半裸を直視出来なくてサンドアート作り始めたのだが、五年海で作っていたら今となるとなんでも作れるようになっていた。
「ねぇ、來」
「ん?」
「どうしてサンドアートは出来て裁縫とか料理は出来ないの?」
「人間得意不得意があるだろ? それと同じだよ」
「サンドアートも來の苦手な手先を使うものだと僕は思うけど…」
「來ー、李哉くーん」
その時、來の母――弘瀬雪の声が聞こえ、李哉が雪の方を見る。
「あ、來のお母さんだ」
來は雪の方を一度も見ずに砂でスカイツリー制作を続けていた。
「あなた達、浮き輪も持たないで行っちゃったから持って来てあげたわよ。ほら、泳いで来なさい」
「それが――來がサンドアートを始めたのでしばらく無理そうです」
「そう……」
來の母は呆れたようにそう呟く。
「でも來、日焼け止めは塗ったの? 今年の日差しは強いみたいだから塗っておきなさいよ」
「んなの塗らなくてもいいんだよ、俺は」
「あらそう、でもせめて帽子だけは被りなさい。前みたいに熱中症になるわよ」
「へーきだって言ってん――」
屁理屈ばかり言う來の頭に李哉が雪からもらった麦わら帽子を被せた。
「文句は言わない」
來は少しその麦わら帽子を握り、李哉を見つめたが、すぐにサンドアート制作に戻った。
一時間後、砂浜に砂で出来たスカイツリーが佇んでいた。
そのスカイツリーの前に來がシャベルを片手に満足そうな顔で出来たサンドアートを見つめる。
出来の良さに周りの人達は皆來の作り上げたサンドアートを眺めている。
「どうだ、俺はやったぞ!」
「これはまた……出来栄えが良いね」
「どやっ!?」
「何気にどや顔してんじゃないわよ。バカが」
「うるせぇな、姉――」
「キャアーーー!!! あそこの二人めっちゃ可愛い!! あれどっちが受けでどっちが攻め!? あぁ、気になるぅ~!!」
「――――」
望遠鏡で少し遠くにいる高校生男子二人を見て涙は叫ぶ。
それを見た來は呆れて文句を言おうとする気力を失い、母にこれだけは言った。
「母さん、姉貴やめさせねぇと絶対逮捕されるぞ……」
「涙、もうやめなさい!」
母は頭を軽く叩いて涙の手から望遠鏡を奪い取る。
「あっ! 何するのお母さん!!」
「望遠鏡で見るのだけはやめなさい。周りの視線が痛いから」
「人の視線なんか気にしてたら腐女子なんかやってられないわ!!」
涙が大きな声で雪に反論するのを聞いてサンドアートを見ていた人達が涙達の方を見つめる。
「――李哉、海に行こうぜ」
「そ、そうだね…」
大勢の痛い視線から逃げるようにして來と李哉は海の中へと入って行った。李哉は浮き輪を持って。
來は砂浜から海へと走り、深い所に飛び込もうと走るのだが――水中では上手く走れず、無様に顔面から倒れ込むようにして海に入る事になった。
そんな來の行動は完全に無視して李哉は浮き輪を來に差し出しながら言う。
「今度は浮き輪があるから大丈夫だと思うよ」
來もまるで何事もなかったかのように起き上がり、普段通りに元気良く振舞う。
「よぉ~し!」
しかし、來を見ていた人は皆笑っていたのだが……。
そんな事は気にせず來は浮き輪を付けて海を漂う。
その姿を見て李哉が來に注意する。
「ストップ來。浮き輪を付けたからって何もしないでいると波に流される――」
だが、既に來は波に流されて深い方へ行ってしまっていた。
來はただ何もせず波に身を任せていた。
「…絶対に來、泳ぐ気なんかないよね…」
來のそんな姿を見て李哉は溜息を付いて泳いで來の元へ行く。
來は流された事に気付かず、海を気まぐれに漂っていると――誰かに勢い良く浮き輪を掴まれた。
「うぉっ!?」
驚いて掴まれた方を見てみると、そこにはここまで泳いできた李哉の姿があった。
「な、なんだよ……李哉かよ。驚かせるなよ」
「こっちの方が驚いたよ! 気が付いたら來が流されて深い所に行ってたから!」
「え、流されてた?」
「來…まさか流されてた事に気付いてなかったの…?」
「それは――」
「もう…。じゃあ、浮き輪から出て。浮き輪を持ってさっき言ったようにしてみて」
「はい……」
來は李哉の言う通りにするしか選択肢はないようで、渋々浮き輪から出て先程と同じ事をする。
「こうか…?」
すると――
今度は沈む事無く先に進んでいく。
「そうそう! その調子! 來、進んでるよ!」
「マジでか!?」
「ここで嘘付いて何の得があるの? じゃあこのまま黒いブイまで行ってみよう」
「ああ!」
來は自分が浮き輪を使ってでも泳げる事に気付き、喜びを感じながら泳ぎ続けた。
しばらく來と李哉は泳ぎに夢中になっており、気が付くとビーチからかなり離れた所にいた。
(うわ、俺……自分でここまで泳いできたのか)
「けっこう遠くまで来たね」
李哉が濡れた前髪を掻き上げながら言う。
李哉の何気ない仕草にドキドキしながら答える。
「ああ…」
「泳ぐのって、楽しいでしょ?」
そう言って李哉は笑みをこちらへ向ける。
まるで太陽のように眩しい李哉の顔を直視出来ずに視線をそらす。
「ここまで来たんだから、境の網の所まで行ってみようか」
「そうだな」
再び泳ぎ出し、泳ぎに自信が付いてきた來は少し考える。
(もしかして、このまま手を放しても泳げるんじゃないのか?)
そう思い、來は浮き輪から手を放してみる。
すると――
今度は沈まずに泳げた。
(おおっ!!? 泳げるじゃないか俺!!)
浮き輪の紐を手に取り、そのまま泳ぎ出したその時――
突然足に激痛が走り、右足の太股の筋肉が固まり、足を攣ってしまった。
(ヤバッ……!)
あまりの痛みに手にしていた紐を手放してしまう。
(しまっ……)
泳ごうとしても足だけではなく、手も動かなくなり、声を出そうにも水の中では声にならない。
來の身体は海へと沈んでいき、空気を求めて逆に水を飲んでしまう。
(李…哉……)
海の中で來は李哉へと手を伸ばすが――李哉には届かず、來の意識が遠のいていく――
目が覚めた時、來の目の前に心配そうな顔をした李哉の顔があった。
「李……哉…?」
「來! 大丈夫!?」
「來!?」
少し起き上がってみるとそこはパラソルの下だった。
そこには李哉に雪、來の父――弘瀬大喜、涙、李哉の母親の仲原李菜が心配そうに來を見ていた。
「俺――」
「…來の――來の馬鹿ぁ!!」
普段は怒鳴らない李哉の怒号が聞こえて來は驚く。
「うわっ!?」
「だから泳ぐ前に言ったんだ!! なのに屁理屈ばっかり言ってしないからこんな事になるんだよ!! 來の馬鹿!! この大馬鹿野郎!! この――」
そこまで言って李哉はポロポロと涙を流して泣き出した。
「ちょっ……李哉!?」
「心配、したんだから…。泳げないくせに…無理して泳ごうとして…」
「李哉……」
「ほんとに、馬鹿なんだから…」
李哉は泣きながら優しく來を抱き締めてきた。
「!」
赤くなっているのを誰にも見られたくなかったのだが、今はそうも言っていられなかった。
抱き締められている事に最初は動揺していたが、抱き締めている李哉の肩が――身体が震えている事に気付き、李哉が本当に心配してくれていたのだとわかる。
來は李哉を抱き締め返して言う。
「心配かけてごめんな、李哉……」
「ほんとに…來の馬鹿…」
「ごめんな……、李哉…ほんと、ごめん…」
しばらく李哉と抱き合っていると政哉の声が聞こえてきた。
「來君、本当に大丈夫なんだね?」
一瞬、自分が置かれた状況を忘れてしまっていた來は我に返り、李哉から身体を離し動揺を隠して普段通りに答える。
「大丈夫です」
「でも、今日はもう海で遊ぶのはやめた方がいいよ。また溺れちゃっても困るし」
「まだ泳ぐなんて言ったら殴るよ…?」
李哉は涙目で拳を見せ付けてくるのだが、全く説得力がない所か、逆に抱き締めてあげたくなるような健気さがあった。
抱き締めたくなる衝動を抑え込み、來は頷きながら李哉に訴える。
「もう泳がないから、な。頼むからもう泣かないでくれ」
「じゃあ二人とも、着替えておいで。着替えたら先に秀兄さんの家に戻ってていいよ」
「わかりました」
來と李哉は海の家に行き、シャワーを浴びて海水を流していた。
來はシャワーを頭から浴びながら自分の失態に頭を抱えた。
(あぁあ~~俺の馬鹿~~!!! 何やってんだよ! なんで手を離したんだよ!? でも李哉の泣き顔が見れたし、抱き締められたからラッキー☆ じゃなくて! 李哉に心配かけてどうすんだよ!?)
水を浴びながら來は項垂れる。
李哉があのように怒鳴ったり泣いたりした姿を見たのは初めての事だった。
まだ幼かった頃、李哉は転んで膝を擦り剥いても泣く事はなかった。
感動する映画を見たって涙が頬を伝う事はなかった。
だから李哉が泣いてくれた事が嬉しかった。
それが自分のために心配して泣いてくれたのなら尚更だ。
「李哉……」
「來? 大丈夫? もう十分以上シャワー浴びてるけど…」
不意に聞こえた李哉の声に我に返り、來は答える。
「今出る」
ずっと流していたシャワーを止め、濡れた身体をタオルで拭いてシャツを着る。
その時、背中に痛みが走った。
「ッ…」
痛みはそれだけでは納まらず、ずっと続いている。
(なんだ? この痛み……)
気のせいではない事は確かだ。
確実に痛みを感じる。それはヒリヒリとする痛み。
(まぁ、別に平気だろ)
來はそう思い、服をまとって李哉の元へ行った。
李哉と來と涙は秀の家に先に帰り、トランプで遊ぶ事にした。
夕方になり、李哉と神経衰弱をして連敗していた來は涙の嫌な視線を感じ、涙の方を見る。
涙は廊下と居間の境目におり、來と視線が合うと手招きをする。
そんな涙の顔は腐女子モードのものだった。
(どーせ、さっき李哉に抱き締められた事を言われるんだろーな……。さっきは大人しかったから)
「悪い、李哉。ちょっと姉貴が呼んでるから」
「うん、わかった」
一時神経衰弱を中止し、來は涙の元へ行き聞く。
「何だよ、姉貴……」
「ふふふふふ……。アンタにとっていい話があるんだけど――」
「なんだよ」
「今からアンタに見せる物には五百――いや、千円の価値のあるものよ」
涙は得意げにそう言い、にやついている。
「は? 俺から金取る気か?」
「そうよ」
涙は平然とそう言い放った。
「ふざけんなよ。誰がやるか」
「そう? これを見てもまだそんな事を言ってられるかしら?」
そう言って涙は自分のケータイの写真を來に見せ付ける。
「何を見せられたって俺は――――なっ!?」
來は涙に見せられた写真を見て顔を真っ赤にした。
ケータイの画面に映っていた写真は――気を失っている來に李哉がキスをしている写真だった。
「な、なんだよ!? この写真!!」
「アンタが溺れた時、李哉君が泳いで岸まで運んできて、人工呼吸をしてくれたのよ。その時に撮ったの」
「マジかよ……」
來はファーストキスの相手が片思いの相手である嬉しさと恥ずかしさですごい顔が赤くなっていた。
「アンタ、李哉君の事が好きなんでしょ? すごいわかりやすいんだから。 ねぇ。アンタの恋、応援してあげようか?」
「え――」
「アンタの気持ちもわかる! 伝えたいけど伝えられない、好きだからこそ今の関係を壊したくない……。でも、アンタの恋は必ず叶う!! あたしが応援してあげる!」
涙が大きな声を出したので李哉が不思議そうにこちらに視線を投げ掛けて来たので來は涙を秀に用意された自分の部屋の前まで連れて行く。
「何すんのよ?」
「お前の声デカイんだよ」
「それで? 返事はどうなの?」
來は少し考え込み、やがて口を開く。
「――――そんな事言われても、俺はもう李哉には告んねぇって決めたから」
「はぁ!? なんで!?」
「なんでって……李哉には俺なんかよりもっと良い奴が他に腐るほどいるだろ。俺みたいに何にも出来ない奴なんかよりも、なんでも出来て李哉が楽に出来るような奴といた方がいいと思って――」
「そんな事言って、ホントはまだ諦めたくないでしょ、アンタ」
「え」
「どうして李哉君を幸せに出来るのは自分だって思わないわけ!? アンタどう考えても攻めでしょ!? 何相手から好きになってもらおうと――って、そうか! 受けが攻めに惚れるっていう設定もいいわね!! 攻めだと思ってたコが実は受けだったギャップとかかなり萌えるし!!」
「おい、姉貴……話逸らしてんじゃねぇよ……」
「って、そうじゃなくて――。アンタ、李哉君がアンタを好きになってくれるまでずっと待つつもりなの?」
「そうじゃねぇけど、なんて言うか……。俺で李哉を縛り付けたくないというか……」
「BLは相手を縛り付けてなんぼのもんでしょーがぁあ!!」
涙は突然大声を出したので來がその声に負けないように声を張り上げる。
「うるせぇよ!!」
二人が大声を出すとすぐに李哉が二人の元へやってきた。
「どうしたの!?」
「あ、いや――」
來が戸惑っていると涼しい顔で涙が答える。
「なんでもないから行ってくれる? 來と大事な話があるから」
「あ、はい……」
李哉が居間に戻るのを見送ると涙は話を続ける。
「アンタもっとがっついてもいいのよ。てか、中学生や高校生になったら嫌がおうでもがっつく事になるけどね。くれぐれも何十年近くも片思いしないようにしなさいよ。なるべく応援してあげるから」
「別にいいって言ってんだろ」
踵を返して來が李哉の待っている居間へ行こうとしたので涙が聞く。
「写真はいらないのね?」
「それはいる」
來は振り返って真面目な顔と声で答えた。
「あ、ついでにもう千円」
「は? なんでだよ?」
「これもプラスで二千円」
そう言って見せられた写真は――
朝、車の中で來が李哉の腕に抱き付いていた時の写真だった。
「なっ……!?」
「ここは大負けに負けてもう一枚プラス!!」
続けて涙が見せたのは手を繋いで來と李哉が眠っている写真だった。
「この三枚でなんと二千円!! 今なら送料無料!」
「わかった。俺のケータイに今すぐ送ってくれ。金は俺の財布の中にあるから」
「毎度あり~」
來はすぐにケータイに涙からもらった李哉の写真をロックを掛けてあるデータフォルダの中に入れた。
「ではではごゆっくり~」
涙はそれだけ言ってにやけながら來の荷物のある部屋へ入っていった。
來はケータイをズボンにしまい、李哉の元へ戻る。
「おかえり來。さっき何話してたの?」
「別に。ただ小言言われてただけ」
「そっか」
「そういえば、來君。かなり顔が赤いね。日焼けしたんじゃないか? 痛くないかい?」
台所にいた秀が部屋に来て來にそう聞いてきたのだが、來は普通に答える。
「全然大丈夫です」
本当はずっと痛みが続いており、納まる所か逆に痛みが増しているような気がする。
すると背後に気配を消している涙が立っており、思いっきり來の背中を叩く。
「どうも、ごちそうさまでした~!!」
バシンッ、と痛そうな音が聞こえ――來は数秒間無言。
そして――――
「いっ…………てえぇえーーーーーーー!!!!」
來の叫び声はどこまでも聞こえる威力を放ち、その場に蹲る。
その反応を見て秀が來の元へ行き、服をはいで背中を見る。
來の声を聞いて驚いた雪や李菜や政哉に大喜が部屋にやってくる。
「どうしたんだ!?」
「何があったの?」
「やっぱり日焼けしてるじゃないか。それにこれは酷い、火傷みたいになってる」
「來あんた、日焼け止めクリーム塗らなかったの?」
涙が少しだけ――本当に少しだけ罪悪感を感じながら聞いてきた。
しかし、質問に答えられるだけの余裕を來は持っていなかった。
「だから僕は言ったんだよ! 塗った方が良いって!」
「今すぐ水風呂に入って来なさい!」
李哉と雪の声が聞こえてきて、來は痛みに耐えながらなんとか言葉を紡ぐ。
「……いい」
「いいじゃない!! 早く入って来なさい!! そんなんじゃ何処にも行けないわよ!?」
雪の怒鳴り声が聞こえたが、それはいつも聞く声なので無視をしようとしたのだが――
次に今まで聞いた事のないほどに静かな李哉の声が聞こえてきた。
「わかった。じゃあ僕が來を入れてくるから」
「李哉君、悪いわね」
「そんな事ないです。もう慣れましたから」
「今日はもうみんな先にお風呂入ったから一日中その子お風呂に浸けといてくれる?」
「わかりました」
「ちょっ…俺は別にいいって言って――」
「來、今日は流石にみんな怒ってるよ…?」
そう言う李哉の声音に少し怒りが混じっているのを感じて來は口を閉じた。
「それじゃあ來を入れてくるので」
李哉はそれだけ言うと來を引き摺るようにして風呂場へと連れて行く。
(今日なんか俺……ついてないな)
風呂場へ連れて行きながら李哉が言い出した。
「來、今日はもうお風呂場で寝なさい」
「え!?」
「え、じゃない。そうでもしないと本当に夏休みの思い出、何にも出来ないよ。夏休みの日記が全部〝日焼けしたのでどこにも行けませんでした〟になってもいいわけ!? 小学校最後の年なのに!!」
「そ、それは――」
「そうなりたくないんだったら今日と明日、ずっと水風呂に入っていなさい」
「はいはい……」
「はいは一回」
「は~い」
「伸ばさない!」
「はい!」
その時丁度脱衣所に着き、李哉は少し溜息を付いて今度は優しく言う。
「ほら、服脱がしてあげるから」
「ん。痛いからゆっくりな」
「一体いつから痛かったわけ?」
「海の家でシャワー浴びてた時から」
「なんで言わなかったの?」
「なんとなく」
李哉はゆっくりと來の服を脱がしていく。
李哉にとってはそんな事なんともないのだが、來はすごくドキドキしていた。
一緒に風呂に入ったのは小学校二年生までだった。
その時はこの気持ちが何なのか理解していなかったから何ともなかったが、今となっては話は別だ。
李哉に身体を見られる事が恥ずかしい。
だけど、自分一人で肌を痛めずに服を脱ぐ事は出来ない。
そう自分に言い聞かせながら我慢していると――上半身の服を全て脱がせた李哉がズボンに手を掛けた。
(これはマズイ!!)
「あ、し……下は、自分で出来る…から」
「じゃあ脱いで」
そう言うと李哉は湯船に水を溜め始める。
來は少し戸惑いながらも下肢の服を自ら脱ぎ、すぐにタオルで李哉に一番見られたくない場所を隠す。
すると李哉が冷たい水が溜まった湯船を指差して來に言う。
「はい、入って」
「え。だって冷た――」
「いいから入りなさい」
李哉の真面目で冷たい視線に射抜かれると反論出来ない。
「う」
來は渋々李哉の言う通りに湯船に入ろうとつま先を湯船に浸け――
「冷たっ!」
考えていた以上に水の温度が冷たかったので驚いて湯船から出てしまう。
そんな來の姿を見た李哉の表情は冷たく、怒りが頂点に達した事が直感的にわかった。
李哉は静かに洗面器に手を伸ばし、蛇口から凄まじい勢いで出ている水を洗面器に溜めていき、水が溢れそうになるとその水を思いっきり來に浴びせ掛ける。
「うわぁっ!? ちょ、李哉!?」
「冷たいのは当たり前!! 今來の身体は熱を持ってるんだから!! こうなったのは全部自分のせいなんだから少しは我慢しなよ!!」
李哉は怒鳴りながら自分が濡れる事も構わずに來に水を浴びせ掛ける。
「それはそうだけど――って、そうじゃなくて! 李哉! 服! 服濡れてるぞ!!」
「そんな事はどうでもいいんだよ!」
「どうでもよくはないだろ!」
李哉は洗面器を床に落とし、水攻撃は終わったかと思った――が。
今度はシャワーを手にした李哉が静かに聞いてくる。
「いい加減に…僕の言う事、聞いてくれる…?」
この勢いだと冷たい水ではなく熱湯を浴びせられるかもしれないという恐れを感じ、來は必死に頷きながら答える。
「言う事聞く! 聞くからもうやめてくれ! 頼む!」
そう言われて李哉は溜息を付き、シャワーを元の場所に戻して來に言う。
「じゃあ湯船に入って身体冷やして」
「はい……」
今來が考えている事は、李哉を怒らせない方がいいという事だった。
数時間が経ち、すっかり日が沈んでしまった頃――來が李哉に聞く。
「なぁ、もうそろそろ出てもいいんじゃないのか?」
「ダメ。來には今日と明日、ずっと水に浸かっててもらうよ」
「え――」
「今日の反省としてね」
「はーい……」
來は肩を落として湯船に顔を浸ける。
だが、すぐに顔を出して再び李哉に聞く。
「もしかして、今日俺――ここで寝るのか!?」
「さっき言ったじゃないか。なんで忘れてるの?」
「はぁ!?」
「もっと酷い日焼けした人なんか、一週間ずっとお風呂に浸かってたんだよ」
「あ~、俺のバカ野郎~!!」
「大丈夫だよ。僕が溺れないようにずっと見ててあげるから」
「李哉……」
「今日は疲れたでしょ? 寝てていいよ」
「ありがとな……李哉。それに、すごい迷惑かけてごめんな」
「もういいよ、それは。もう気にしてないから。じゃあお休み」
「ん」
來は李哉に背を向けて湯船の端に頭を置き、眠ろうとするとすぐに意識が遠のいていった。
優しい光に包まれている中、來は目を覚ました。
風呂場の電気が消されており、風呂場の窓から優しく冷たい月の光が來を照らしていた。
どうやらしばらく眠ってしまったらしい。
一瞬、自分が眠っていた所が何処だったかがわからなかったが、頭が冴えるとここにいる理由を思い出す。
來は深い溜息を付き、李哉の方を見る。
李哉は椅子に座ったまま首を項垂れて眠っていた。
月明かりに照らされた李哉はとても美しく、とても愛しく思えた。
だが服は濡れたままで、夏とはいえ、このままでいたら風邪を引いてしまうのは目に見えた。
李哉に声を掛けようとすると李哉の隣に二つおにぎりが置いてあり、それを見た瞬間、來の腹が鳴った。
きっとそのおにぎりは李哉か雪が來のために用意してくれた物だと直感し、湯船から少し出てそのおにぎりを取り、口へと運ぶ。
すると、雪が風呂場にやって来て言う。
「來、調子はどう?」
來は口の中の米粒を飲み込んで答える。
「まだ身体が熱い。あ、母さん。李哉の服濡れてるから着替えさせてやってくれないか? このままじゃ風邪引く」
「わかった」
母は李哉の肩を軽く叩いて言う。
「李哉君、起きて」
「ん…。え――?」
李哉も自分がどこで眠っていたのかを一瞬理解出来ず、だが頭が冴えると瞬時に理解しすぐに雪を見る。
「服が濡れてるから着替えていらっしゃい。このままじゃ風邪引くから。後はもう來の事は私達に任せて布団で寝なさい」
「あ、ありがとうございます。着替えてきます。――でも、來の事は大丈夫です。僕が看てますから」
「うちのバカ息子のためにそんなにしなくていいのに……」
「でも、僕にとって來ももう一人の家族ですから」
「!」
「じゃあ着替えてきますね」
それだけ言い残して李哉は風呂場から出て行った。
「あんた、本当に良い子を友達に持ったね。早くその日焼け治して李哉君との思い出作りなさいよ」
雪はそれだけ言うと來がおにぎりを食べ終えた皿を持って風呂場から出て行く。
來は火照った顔を冷やすために湯船に顔を浸す。
李哉の言葉は何度聞いても嬉しい。
〝もう一人の家族〟
その言葉がどんなに嬉しい事か――
來は水から少し顔を出して日焼けした肌に触れる。
――この日焼けは、李哉の傍にいるからしたものだ。
李哉はまるで太陽のように俺を照らして、李哉に近付くほどに身を焼かれて地上に落とされる。
まるで太陽に翼を焼かれたイカロスのように――
(どうせなら、もう李哉に近付けないほど焼かれればいいのに……そしたら李哉に告白しようと思ったりなんかしようと思えなくなるのに)
そう思いながらまた來は眠ってしまう。
次に來が目を冷ますともう日が昇っており、朝が来ていた。
「あ、おはよう來。調子はどう?」
李哉は自分のケータイから視線を來に向けて尋ねる。
「身体が、ギシギシと痛い……」
「大丈夫そうだね。身体の方は?」
「大分楽になった」
「ならもう上がって良いよ。日焼けした時の対処法は水分をこまめにとって、肌の弱い人の場合はヒリヒリする所に濡れタオルを置いて睡眠時間を多く取った方がいいみたいだから」
「よく知ってるな……」
「今調べてたんだ。それに秀伯父さんが教えてくれたしね」
「そっか」
來は湯船から上がり、來の身体を李哉が優しく拭いていく。
「大丈夫?痛くない?」
「ああ、昨日よりは大丈夫」
「……うん、昨日より大分良くなった。今日は良く寝た方がいいよ」
來の身体を拭き終えてゆっくりと、優しく服を着せて言う。
「じゃあ、みんなの所に行こうか」
「そうだな」
そう言って來は李哉と共にみんなのいる居間へと向かった。
居間へ行くとみんなが揃っており、それぞれ來に聞いてくる。
「來、身体はどう?」
「日焼けの様子は?」
「昨日よりは少し楽になったみたいだね」
「ほら來、水分をよく取りなさい」
「來、李哉君と何か進展はあった?」
約一名だけ別の心配をしている人物を來は見事に無視し、答える。
「昨日よりかなり楽になった」
「はい、とりあえず水はこまめに飲んで。この様子だったら今日の晩か明日の昼には回復しそうだね」
コップに入った水を來は一気に飲み干す。
「來、後で薬塗ってあげるから」
「薬?」
「日焼けによく効くアロエを。今は身体がふやけてるからしばらく乾かしてからね」
「へいへい」
來は扇風機の前に座り、扇風機の風を全身に浴びる。
「來、喉渇いてなくても水はこまめに飲むんだよ。ここに水置いておくから」
「わかったよ。さっきから何回も同じ事言うなよな」
「僕は何回でも何十回でも何千回でも同じ事を言うからね」
「わ、わかったよ……」
「でも二時頃に家に戻って来て正解だったね。夕方までいたらもっと酷かったよ。まだ軽い方だから良かったね」
秀が來の事を思ってそう言ってくれた。
「さて――それでは再び、夏休みの計画を練ろうか」
「そうね」
「はっ! そういえば海に行ったのに西瓜割りも花火もしてねぇじゃんか!!」
「「「それは海で溺れたり日焼けした來が悪いんでしょう」」」
來の両親と李哉に同時に言われ、來は大人しく扇風機に前で縮こまる。
そんな來を他所にみんなは夏休みの計画を立て始める。
「今日と明日は來の日焼けを治す事に専念して、明後日よね……」
「明後日は來のために夜の海に行かない?夜だったら日焼けもしないし、夕方に西瓜割りをして日が沈んだら花火をすればいいし」
李哉が來の事を考えてそう提案してくれた。
「李哉……」
「じゃあ明後日は決まりだな。すると明後日以降はどうしようか……」
「だったら兄さんと一緒に釣りに行って来ようか?」
「それはいい名案だ。來君と李哉君も付いて来ればいいし」
秀と政哉の会話を聞いて雪が反論をする。
「そんな事させたらまた來が日焼けする――」
「大丈夫。その釣り場の近くにあんまり日の当たらない砂浜があるんだ。そこなら日焼けをする事もないからね」
秀も來の事を考えて提案してくれる。
「じゃあ金曜日まで予定が埋まった事だし。来週の二十三日からはみんなでキャンプに行こう」
「キャンプ!」
「どれくらいいるの?」
「一週間ぐらい。山だったらそんなに日に当たらないから來君の日焼けを完全に治せるだろう」
政哉も來の事を考えて発言してくれた。
「來、みんな來の事を考えて計画を立ててくれたんだから…早く日焼けを治そう。ね?」
「わかった!」
來は嬉しそうに答え、キャンプを待ち遠しそうだった。
「キャンプの時に天体観測のレポートを書こう」
「そうだな」
しばらくして雪が來に声を掛ける。
「來、こっちに来なさい。アロエ塗ってあげるから」
「は~い」
雪の元へ行くとアロエがあり、雪はアロエの皮を剥き、中身の白い果肉部分を取り出してそれをそのまま赤くなっている皮膚に塗っていく。
「これを塗ったら大分楽になるわよ。塗り終わったら大人しく寝るんだよ」
「はいはい」
雪は來の日焼けした部分にアロエを塗り終え、來に言う。
「さぁ、塗り終わったから寝なさい」
「はいはい」
「はい、來」
李哉の声が聞こえ、李哉の方を向くと李哉が來にコップに入った水を差し出していた。
來は李哉からコップを受け取って水を一気に飲み干す。
空になったコップを李哉に返し、そのまま居間を出て自分の部屋へ向かった。
廊下に出て廊下の突き当たりの部屋に入り、その部屋にあった扇風機を付けて來は横になり、來は開いた窓からしばらく青空を眺め、そしてそのまま眠ってしまう。
しばらく眠り、來は涼しさを感じさせる風鈴の音で目が覚めた。
身体の痛みは寝る前とは対照的に違っており、ほとんど痛みがない。
(すげ……もう完全に治ったんじゃ――)
少し起き上がって見ると少し離れた所に水の入ったコップと置手紙のような物があった。
そのコップを置いたのが誰だがわかり、そして手紙に書いてある事も直感的にわかったが、やはり手紙を見る。
〝起きたらまずこの水を飲むこと。身体が楽になったからって無茶しないで寝ること 李哉〟と書いてあった。
「……やっぱりな」
そんなに水ばっか飲んでられるかー!等と怒鳴りたい衝動に駆られるが、日焼けをしたのは自分の責任であるため、それも出来ない。
來は深い溜息を付き、水を一気に飲み干して勢い良くコップを畳みに叩き付け、特にやる事がないのでまた横になる。
昨日の疲れやら日頃の疲れやらで横になるだけで数秒で眠れるようになってしまっていた。
再び目を覚ますといきなり視界いっぱいに李哉の顔があったので思わず飛び起きる。
「うおっ!?」
「あ、起こしちゃってごめん。寝冷えしないようにタオルケット掛けてたんだけど…」
「あ、いや……ちょっと寝惚けてただけだ」
「來」
声を掛けられたので振り返ると、今日はあまり見たくなく飲みたくない物が必ず李哉の手の中にある。
來は李哉の手の中にあるコップに入った水を妬ましそうに睨み付け、李哉から水を受け取って一気に飲み干す。
そしてゲップをする。
「調子はどう?」
來は大きなあくびと伸びをしながら答える。
「いくらでも寝られる……」
「あははは…」
「かなり楽になった。これだったら明日にはどっか行けるぞ」
「ダメだよ。念のため明日は休んでて」
「ちぇっ…」
來はまたも横になる。
「また寝る?」
「んー」
「じゃあお休み。夕方には起きてきてね。まぁ、起きてこなくても起こしに来るけどね」
來の返事はなく、それはいつもの事なのだが今回は李哉の言葉を聞く前にすでに來は眠ってしまっていた。
來の寝息を聞いて李哉は困ったように笑い、またコップに水を入れて部屋に置いて居間へと戻って行った。
夕方、朱色の夕日が全てを照らす時間。
來は嫌な気配を感じて目を覚ます。
すると目の前に涙の顔があり、その手にはマジックペンが――
「おい姉貴……何しようとしてんだ?」
「えっ、あうっ…そのぉ~……」
「フツーに起こせよな……」
來は大きなあくびをして起き上がる。
「おはよう――と言ってももう夕方だけどね」
李哉の声が聞こえ、來は李哉の方に手を伸ばす。
「ん」
「ん? 何?」
「水、どうせ持ってんだろ?」
「流石にもうわかるよね。はい。水」
李哉から水を渡され、來は水を一気飲みした。
「おぉ~。いい飲みっぷりだねぇ~。もう一杯! 一気! 一気! 一気!」
「うるせぇな! ここはキャバクラか!?」
「残念! ここはBLホストクラブでした!」
涙の返事に來は肩を落とし、コップを李哉に返す。
來は立ち上がって大きく伸びをし、頭をボリボリと荒く掻きながら居間へと向かった。
來に続いて李哉と涙が居間に向かい、來が居間に入ると雪の声が聞こえる。
「來、日焼けの具合はどう?」
「もう完全に治ったぞ! これなら明日には何処にだって行けるぞ!」
「それならいいけど、明日は念のために寝てなさい」
「絶対ヤダ!」
「駄々捏ねない!!」
「なんだよ~」
深い溜息を付いて扇風機の前に行く來に李哉が優しく言う。
「明日は何処も行けなくても明後日はまた海に行けるんだよ?」
「でもなぁ~」
文句を言う來に雪が一刀両断する。
「そんなに駄々捏ねるんだったら明後日の海もなしにするよ」
「えぇ!? マジかよ!?」
「そうなりたくなかったら大人しくしてなさい」
「へぇ~い……」
來は渋々了承し、そんな返事をした。
それからしばらくして伯父が夕食に魚料理を振舞ってくれて夕食を楽しく過ごし、みんなでトランプをしている間に一人ずつ風呂に入っていき、來は日焼けをしてるために一番最後に入る事になった。
風呂から出てしばらく経つとまた雪によって身体にアロエを塗られ、塗られた後は自分の部屋でゴロゴロとしていた。
寝る時間も近付いてきたので來は自分の分の布団を敷いていると李哉が部屋にやって来た。
「あ、もうそろそろ寝ようか」
「ああ」
「その前に、水をどうぞ」
「今日最後のか?」
「そうだよ」
「本当にか?」
「そんなにいるならもっと持って来ようか?」
「結構です」
來は仕方なく李哉からコップを受け取り、一気に飲み干した。
そして自分の分の布団を先に敷き終えた來はすぐに布団の中に入り込み、李哉に背を向ける。
「來、もしかして疲れが溜まってた?」
「は? なんで?」
「だって、どう考えても今日の來の寝る姿見てたら誰でもそう思うよ」
「昨日の疲れが溜まってるんじゃねぇの?」
來はあくびをしながらそう答える。
「どうして他人事なの…?」
「あ、今思い出した。夏休み終わったらすぐに文化祭じゃねぇか」
「そういえばそうだね。來はどんな出し物をしたい?」
「めんどくせーからしなくていい」
「それはダメだよ」
「って言ってもまだ出し物決まってねぇんだろ?」
「正確にはまだ決めてないだけだよ」
「大体文化祭ってなんだよ、めんどくせー」
「みんなでの思い出作りだよ」
「思い出、ねぇ……」
「もう電気消すけどいい?」
「ああ」
李哉が電気を消すと部屋は一瞬で暗くなった。どうやら満月は雲に隠れてしまい見えなくなっているようだった。
そのせいで虫の鳴き声しか聞こえない。
これが秋ならば鈴虫達の綺麗な合唱が聞こえるのだが、夏なのでジー、ジー、という虫の鳴き声しか聞こえない。
虫の鳴き声しか聞こえない中、李哉の声が聞こえる。
「やっぱりいいな」
「何が?」
「來といる方が」
「え――」
心臓がドクン、と跳ねる。
「盆の頃にここに来たりするけど、僕って一人っ子だからこんな広い部屋に一人で寝るのってすごく寂しいよ。でも…來がいると全然寂しくない」
ずっと李哉に背を向けていた來が李哉の方を向く。
その時、丁度雲に隠れていた月が出て来て優しく李哉の顔を照らす。
李哉は優しく冷たい月明かりに照らされ、優しく微笑んでいた。
「李哉……」
――李哉に触れたい。
來はゆっくりと李哉に向けて手を伸ばす。
――李哉にキスしたい。
またも來は右手で李哉の左頬に触れる。
――溢れてくる想いがもう止められない。
ゆっくりと李哉に自分の顔を近付けていく。
――李哉の全てが欲しい。
李哉の唇に触れそうな距離まで近付く。
――このまま、李哉を自分だけのものにしてしまおうか――
(そんな事して李哉が俺の目の前からいなくなったらどうする?)
自分の思考で一瞬動きを止める。
もし李哉に告白をしたなら、李哉は必死に考えて――考え抜いて答えを出してくれるだろう。
でも、今無理矢理キスをしたりそれ以上の事をしたら、絶対に嫌われてしまう――
そんな事をしたらきっと李哉は、自分の目の前からいなくなってしまう。
もう二度と、触れられない所へ行ってしまう。
自分の内に秘めた想いを伝えるのは難しい事であり、簡単な事でもある。
來はただ李哉に嫌われたくない、ただ隣にいてくれるだけでいい、その想いが強くて――李哉を失いたくなくて自分の気持ちを伝える事が出来なかった。
(李哉を傷付ける…そんな事、俺に出来るわけねぇだろ……)
「來…?」
顔が近い事に、ましてや唇が触れそうな距離まで近付いているので流石に李哉は頬を赤く染める。
來は溢れ出した想いを無理矢理胸の奥に閉じ込めて言葉を紡ぐ。
「お前、なんでいつも顔にホコリやゴミ付けてるんだよ?」
いつものように、平然を装ってそう言う。
「えっ!? うそ、また?」
「お前さ、一日三回以上は顔洗えよ」
「で、でもビックリした…。すごい距離近かったし、なんかキスでもされそうな気がしたから…」
「んな事するわけねぇだろ。俺、もう寝るからな」
來はまた李哉に背を向けてそう言う。
そんな來の顔はこれでもかと言うほど赤くなっていた。
(しようとしてたんだよ、バカ……)
「じゃあお休み」
來はもう答えなかった。
――いや、答える余裕がなかったのだ。
(ヤバイな、今日絶対寝られねぇ…)
赤くなって來はそんな事を思いながら空に浮かんだ丸い満月を見つめていた。
次の日、來が目を覚ますと幾重にも重なって蝉の鳴き声がこだまして聞こえていた。
「熱い……」
來は起き上がり、李哉の姿を探す。
李哉がいない代わりに水の入ったコップが置いてあった。
今回は丁度喉が渇いてたため、その水をありがたく頂く。
水を飲み終えて立ち上がり、居間へと向かった。
昨日は中々眠れず、そのおかげでまだ眠たく、ずっと眠っていたい気分だった。
居間へ向かう途中でトイレから李哉が出てきてまだ寝ぼけていた來は一瞬驚く。
「おっ…と、李哉か」
「あ、來ようやく起きてきた」
「ようやくって、今何時だよ?」
「十二時前」
「マジかよ」
「ここで嘘付いてどうするの?」
「通りで腹減ったわけだ。なんか食いたい」
「今秀伯父さんいないからお母さんがそうめん作ってくれてるよ」
「よっし!」
「じゃあ先に居間に行ってて。どうせ來、布団畳んでないだろうから」
「わかった」
李哉は來と入れ替わりに部屋へと行き、來は居間へ行った。
「おはよー」
「って、もう十二時前じゃない」
「アンタの場合おはようじゃくて〝おそよう〟ね」
「うるさいな、姉貴。中々寝られなかったんだよ!」
「あっそう」
「それより、身体の方はどうなの?」
「全然へーき」
「來君おはよう、そうめん食べるわよね?」
「食べる」
「もうちょっとで出来るからね」
すると李哉が丁度居間に戻ってきた。
「お母さん、僕に手伝って欲しい事ある?」
「特にないから李哉は來君の所にいてあげて」
「わかった」
「……なぁ、母さん。今日何処も行っちゃいけないのかよ?」
「念のために大人しくしてなさい。特に今外出たらまた日焼けするでしょ」
「俺はもう平気だって言ってんだろ!?」
「あんたの肌が全然平気じゃないでしょ」
「なんでだよっ……」
「もしかして來、何処か行きたい場所でもあるの?」
すると扇風機の前でうつ伏せになってBL同人誌をまるで雑誌でも読んでるかのように堂々と読んでいる涙が言う。
「どうせ単細胞だから動かずにはいられないだけなんじゃないの?」
「単細胞ってなんだよ!? この腐女子が!!」
腐女子と言われても涙はBL同人誌を読むのに夢中なので反撃もしてこない。
そんな涙の姿を見て來は深い溜息を付き、その場に座り込む。
「來、明日は海に行けるし花火も出来るし今日は大人しくしていよう。ね?」
「李哉……」
李哉は優しくそう言って微笑み掛けてくる。
その微笑みに來の胸は高鳴ってしまう。
李哉の自分に向ける笑みが、自分だけのものだったらどんなにいいか――
「キャアーーーーー!!!!! そうそうその顔! その顔がサイコーーー!! その切なげな表情がこの腐った私の心に突き刺さるのよぉーーー!!!」
涙の奇声が聞こえたので自分をネタにして叫んでいるのかと思えば、そうではなく、同人誌を見て叫んでいる様子だった。
だとすれば、もしかしたら先程単細胞と言ったのも同人誌に書かれていたセリフを言っただけで全く現実の声が聞こえていなかったのかもしれない。
涙を見ていると底無し沼にはまったかのような気がして、それだけで体力を奪われる。
「みんな、そうめんが出来たわよ。李哉、持って行ってくれる?」
「はーい」
李菜に呼ばれて李哉は台所へ行く。
少しして李哉が人数分のお皿と麺つゆを持ってき、李菜が茹でた麺を持ってきて言う。
「さぁ、食べましょう」
「俺もう腹ペコ~早く食べようぜ!」
「ほら涙! 本読んでないでお昼ご飯よ!」
「ん~、今いい所~」
「そんな事言うなら涙の分はないわよ?」
「それでいい~」
適当に答える涙の姿を見て雪は涙のお尻をパシン、と叩く。
「痛っ!?」
「早くお昼食べなさい!」
「は~い……」
涙は渋々席に着き、箸を手に取る。
みんな席に着いて箸を手に取ると來は麺つゆを皿にドバドバと入れ、そして――
箸で大量の麺を水の中から掬い出す。
「こら、來! みんなの事を考えて取りなさい!」
「來、そんなに急がなくてもそうめんはまだあるよ」
みんなから注意され、來は箸で取った麺の量を減らし、取った麺を麺つゆに付けてすごい勢いで吸い込んで食べていく。
「落ち着きがないわねぇ…。少し落ち着いて食べなさい!」
それでも來は勢いを弱めずに食べ続け、すぐに食べ終えてしまった。
「おかわりお願いしま~す!」
李菜は呆れる事もなく、すぐに追加のそうめんを持ってきてくれる。
それに二回ほど箸で麺を取って食べ、來は箸を置いた。
「ごちそうさま」
「相変わらず來はそうめんだと食べるの早いね…」
「麺類好きだからな」
來は居間から出て行こうとしたので李哉が止める。
「何処行くの?」
「寝る」
「また?」
「日焼け治すのには睡眠が必要なんだろ?」
「そうだけど…」
「んじゃおやすみ」
そう言って來はまた部屋に戻って行った。
実際には寝不足だったのでただ寝たかっただけなのだが――
來はまた部屋に来て横になり、深い眠りに付いた。
來が次に目を覚ますとその時はもう夜だった。
「……李哉、今何時だ?」
すぐ近くに李哉の気配を感じて尋ねるとコップの水を差し出しながら答えてくれる。
「丁度九時だよ」
起き上がって李哉から水を受け取ってそれを飲みながら呟く。
「ヤバイ、寝過ぎた」
「…ねぇ、來。もしかして普段から疲れてた?」
「なんで」
「だって、いくらなんでも寝過ぎだから…」
「たまたまだよ」
「來、無理はしないで」
李哉は心配そうに來を見ており、空になったコップを李哉に返して笑いながら答える。
「わかったよ。それに今寝とかねぇと明日思いっきり遊べないだろ」
李哉はまだ心配そうな顔をしていたが、すぐにいつも通りに戻る。
「そっか。あ、そうそう。來の晩ご飯、おにぎりだよ」
「マジでか!?」
「マジだよ」
「なんか俺、昨日からおにぎりばっか食べてないか?」
「みんなと一緒に食べないからだよ」
そう言いながら李哉は來におにぎりを差し出す。
來はそのおにぎりを受け取って食べ始める。
「來、お風呂は?」
「明日の朝入る」
「そっか」
おにぎりを食べ終えて來は李哉が自分が寝ている内に敷いてくれていた布団の上に横になる。
「寝られそう?」
「横になって目ぇ閉じてたら寝られるだろ」
李哉は來が食べたおにぎりの皿とコップを台所へ持っていき、戻って来た李哉の手には水の入ったコップがあった。
「喉渇いたら飲んでね。僕、もう寝るけどいい?」
「ああ」
李哉は部屋の電気を消し、布団の中に入る。
來はしばらく眠れそうになく、自分を上から見下ろす満月を見つめる。
――このまま、時が止まってしまえばいいのに。
そうすればいつまでも李哉と同じ時が過ごせるから――
來は少し李哉の方を見てみる。
李哉は既に眠っており、寝息を立てている。
來は李哉に触れたいという衝動を抑え込み、ただ月を見上げる。
――この片思いが叶う日は訪れるのだろうか――
頼りにならない恋のキューピットがいるからきっと叶わないだろう。
來は深い溜息を付き、目を閉じる。
――李哉、ずっと俺の隣にいてくれよ。本当は寂しがり屋の、俺の傍に――
俺は、李哉が傍にいれくれるだけでいいから――
~To be continued~