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小説になりきれない小説群  作者: ちゅうか
2/20

イリュージョン・トラップ

絶えず姿を変える干からびた地。そこに住み着いた悪霊に狙われる人々

エジョルヤ砂漠に黒い砂嵐が発生した時、生命力の弱い者がその砂を吸い込むと悪霊も同時に入って来る。

悪霊は人間の体に入り込むとその人間が一番望んでいるものを見せ、最終的に蜃気楼の大河へ誘い水死させてしまう。

そうして死んだ人間の肺には黒い砂が詰まっており、体もやがて黒い砂となり、悪霊の一部となる。

月が上がりきった頃、砂漠の民ギーヒー族族長の息子、セベクエフザムは流砂を避ける為に作られた険しい小路に差し掛かっていた。

石門の向こう、よく遊んだ街の中央にある広場。

見慣れた石造りの家々。珍しい物を売る商人たち。岩山に囲まれた故郷はもうすぐだ。

「セベク様!お帰りなさいませ、何とまぁ大きくなられて…」

立派な口髭をたくわえた見るからに勇ましそうな老人が数人の部下を従えてセベクエフザムの方へ進んで来た。

「じい!皆も久しぶりだ。出迎え嬉しいぞ。だが、どうして私が帰って来た事がわかる?」

とセベクエフザムは不思議そうに聞いた。

「後で分かりますよ。きっと喜ばれるでしょう」

その時である。

「あちらに人影が!」

近くにいた部下が声を張り上げた。

「あの方はアンセ様では!?」

そう遠くない距離、岩と砂の丘に一人佇む人影が見えた。

人影は流砂の方へ何かを追い求めるかのようによろめきながら走り出した。

月の光に照らし出される、族長と正妻のみ身につける事を許されたダイヤのティアラと、黒地の布に金糸と水晶糸を織り込んだ独特な衣服。

同じく黒地のマスクで顔を隠しているが、確かに祖母だ。

「お祖母様いけない!そちらには流砂が!」

セベクエフザムは祖母に向かい叫んだ。

「お前達、私はお祖母様を止める!」

「我らも行きます!」

すぐに若い部下が二人従った。

「よし、じいや後の者は父上にお祖母様の事を知らせてくれ!」

セベクエフザムは部下と共に出来るだけ祖母に近づき、ラクダから飛び下りた。

「お祖母様!!」

だが祖母は正気を失った瞳で三人を見回し、なおも逃げようとする。

「お祖母様、許して下さい」

三人はものすごい力で暴れる祖母を押さえつけ、無理矢理連れ帰ろうとした。砂が舞い上がる。

「何をするの!離して!あなたっ助けて!あなたぁ!」

「母上!」

間もなくセベクエフザムの父、クスホと側近がかけつけて来た。

「セベク!お前達!気をつけろ!」

突然アンセが激しく咳込み、黒い砂を吐き出した。

驚いた部下の一人がぱっと手を離す。彼女がもう一度吐く。

吐き出された砂はすぐに散り、消えた。

「こ、こんな所に連れて来てどうすると言うのです!?

私に何かするつもりなら、お前達…みんな殺してやるから!」

クスホは心配そうに母アンセを見下ろす。

「母上。私はあなたとエチャフェレーの息子、クスホ。こちらが孫のセベクエフザムです」

アンセが不審そうにクスホに眼をやった。

「私の息子?あの人との?…孫?」

次の瞬間意識を失い、全身の力が抜けたようにセベクエフザムの胸に倒れ込んだ。

見慣れた日干し煉瓦の壁をランプの微かな火が照らす。

父と息子は繻子のベッドに横たわる祖母を見ながら視線を交わした。

依然として祖母は目を覚まさない。

「私が旅に出ていた間、お祖母様に何があったのです?」

砂漠の民の男は十五になると、成人と認められる為に、広大な砂漠に敷かれた、各部族を繋ぐ長い長い一本道を一周すると言う試練がある。

長い旅で危険も多く、命を落とす者や途中で投げ出し行方不明になる者も多い。

試練を終え、皆に祝って貰い成人と認められないと部族の一員として戦う事も、妻を持つ事も出来ない。

その上生涯不運に付き纏われるとされ、一族から横暴な扱いを受ける。

セベクエフザムが旅に要した時間は五年である。クスホが椅子に腰掛け、長い溜息をついた。

「母が、父の死をきっかけに憔悴されていたのは覚えているだろう?」

「はい」

セベクエフザムが十三の時、祖父が死んだ。

それ以来、誰が幾ら呼び掛けても祖母は虚ろな瞳だった。

寝床に横になったまま、目の前に置いた祖父の肖像画をひたすら見つめ続ける毎日。

セベクエフザムは祖父の死後、唯一祖母から声をかけられた時の事をはっきり記憶している。

「セベクや」

「はい、お祖母様」

出来るだけ祖母の視界に入るよう気をつけながら膝をつき、目線を合わせる。

「すまないけど、この肖像画を固定して欲しいの。この前倒れそうになってしまって」

セベクエフザムは、立て掛けられていただけの肖像画を、針金で固定した。

「しっかり留めましたよ、お祖母様」

「ありがとうね」

クスホの声が、セベクエフザムを現実に引き戻した。

「ずっと危惧していた事が起こってしまった。お前が旅に出てしばらくして、黒い砂嵐に捕まってしまわれたのだ」

「そんな!」

セベクエフザムは思わず叫んだ。

「それからと言うもの、母は夜になると徘徊するようになった。お前も知っているように、悪霊は陽が昇ると活動を停止し、夜に動き出す。その影響だろう。しかし最近は昼でもだ。眠っていない間は私や召使いを襲おうとするんでな、母には気の毒だが、普段はお一人で、離塔にいて頂いている。しかし外から幾ら厳重に鍵をかけても、毎度のように抜け出されてしまう…」

「クスホ様」

女が一人入って来た。

この地に住む女性と同じく、黒地のマスクで顔を隠している。唯一見える目の色は淡い灰色。

黒地の服を身につけ、宝石やビーズで作られた、美しいアクセサリーをつけている。

そして、手に、太陽の目と言われる、水が湧き出る不思議な鏡が埋め込まれた、スルバビータの杖を持っていた。セベクエフザムは思わず駆け寄った。

「リアエット!リアエットだね!」

リアエットは彼の幼なじみであり、許婚でもあるドルデフ族族長の娘だ。

「セベク殿…」

リアエットは目を細め、次の瞬間かすかに潤ませた。

「お帰りなさい」

「たびたび母の具合を見に来てくれていたのだ。母の中の悪霊を抑える祈りも捧げてくれている。医者に言わせると、前より状態は大分改善されているそうだ。お前が帰って来る事も、彼女が教えてくれた。さすがはドルデフ屈指の魔術師だ」

リアエットの一族は、他の一族より霊的な力に恵まれていた。

満足そうなクスホとは対称的に、リアエットは何故か憂いを帯びた表情でアンセを見つめていた。

それでセベクエフザムに疑問が浮かんだ。口にしようとした矢先、祖母が目を開けた。

「あの人は…死んでしまった」

ぽつりと呟いた。ぼんやりと遠くを見つめたままである。

その眼は旅に出る前の祖母と変わらない。

「お祖母様、益々痩せられて…」

元々体が弱いのに。セベクエフザムは寂しそうに、祖母の手に自分の手を重ねた。

「あら、あなたどなた?すみませんが私を家へ帰して欲しいの、あの人が待っているから」

「お祖母様…」

祖父はもういないと言いかけ、黙った。祖母の記憶が混乱している事に気付いたからだ。

「我らの事もほとんど分からない。医者に診せたところ、動けるのが奇跡らしい…いつ逝かれてもおかしくないのだ」

それからセベクエフザムの生還と、成人祝いにささやかな宴が開かれた。

騒ぎが静まる頃、どこかへ行ってしまったリアエットを探し、中庭に出たセベクエフザムは、父クスホと何かを話しているリアエットを見つけた。

急に違和感を感じ、静かに木の影に歩み寄った。

「日に日に増幅しております、悪霊に保たれている命なんて…あの姿は残酷です」

リアエットは溜息をついた。何とか考えを改めて欲しいもの…。

「何度も言わせるな。今死ねば、母は悪霊にそのまま取り込まれてしまう」

クスホは首を横に振った。

「お許し頂ければ、命に代えても引きはがして見せます」

強い決意を声に混ぜ、リアエットが言った。

「私の立場を考えておくれ、万が一失敗したらどうする?一族から悪霊を出すわけにはいかないのだ。お前も失うわけにいかん」

リアエットは俯いた。

寿命が尽きかけているのに加え、元々体力の無いアンセの命を損なわず、その上自分も無事に悪霊だけを上手く切り離すのは至難の技である。

「アンセ様のお命、残された時間は僅かです…二人とも無事であると言う、ほんの僅かな可能性に賭けられるなら、ご決断をお急ぎ下さい」

悪霊達のざわめきが大きくなっている。

リアエットは、このざわめきは不吉な事が起こる前兆だと知っている。

セベクエフザムの説得もあり、クスホは決断を出さざるを得なかった。

「二人とも、必ず、悪霊に打ち勝て」

クスホがセベクエフザムとリアエットの二人を呼び、言い放った。

セベクエフザムがリアエットに導かれるままにラクダを進めていたら、既にあたりは暗くなっていた。

このエジョルヤ砂漠は、世界で一番水から遠い砂漠と言われていた。

過去に、身軽さで有名なツァクック族は砂漠を越える際、乗っていた馬やラクダの血を飲みながら渡る羽目になったそうだ。

二人は守り袋から水晶を取り出した。

古代より、水晶は喉の渇きを癒すと信じられている。砂漠を旅する時に水晶を口に含む。

水晶は喉の渇きを癒し、身体の浄化をすると信じられていた。

その時だった。アンセの助けを求める声を聞いた気がしたのは。

二人はラクダから降り、動きを止めた。

「騙されるな。大丈夫だな?」

リアエットは杖を見つめ、首を縦に振った。彼女の表情に変化は無い。

「よし」

セベクエフザムは頷く。それほど遠くない場所、黒い砂嵐の中からゆっくりと近付いて来る人影が見える。リアエットは怪訝そうな顔をした。

「一つ聞きたいのですが」

リアエットがセベクエフザムに話し掛けた。

「ちょうどよかった、俺も聞きたい事がある」

「なんです?」

「お先に」

「何故貴方がもう一人いるのでしょう?」

リアエットが近付いて来る影を指差し、セベクエフザムは頷いた。

「偶然だな、俺にはもう一人のお前に見える」

その時、空が暗くなり、雲が赤く染まった…と思った瞬間、強風が二人目掛けて吹き付けて来た。

「セベクエフザム、許して下さい」

風が激しくなるにつれて二人はお互いの気配が離れるのを感じた。

「私は貴方でも…命を狙うならば殺すっ」

「わかっているっ!」

セベクエフザムは目を見張る。影が少しずつ距離を縮めて来る。

ターバンからこぼれた美しい金髪が月の光を受けて煌めいた。

そうして顔をさらけ出すと、見れば見るほどリアエットにそっくりなのがよく分かった。

一方リアエットにも、同じ現象が起きていた。

この時点では二人とも、相手の実力がどれほどのものか見当もつかなかった。

二人は腕に自信があるものの、このような悪霊の集団相手に戦った事は無かったからだ。

「あなたが悪霊ね?」

「ドールーデーフー…リアン」

リアエットは顔をしかめた。

「悪霊?私の名を覚えたの?」

リアエットは、杖を握る力を強くした。

「彼も、私をリアンと言う時がある」

リアエットの祈りで通常時より鋭く湾曲した杖を見て、セベクの姿をした悪霊が冷たい笑みを浮かべる。

「その杖…多くの仲間を追い詰め、散らせた」

悪霊の声だけが、別人に変わった。

「君の杖は、信じられない威力なんだよね。我らを払うには?どれくらいの力がいる?」

リアエットは無言のままだ。

「その杖を使いこなせる君は、相当パワフルでなくちゃいけないね」

セベクエフザムは苦笑していた。

「昔の人は、針を飲んで体から出す事が出来たそうよ。あなたも試す?」

リアエットの姿をした悪霊が、針の塊を手に不気味に微笑む。

「俺は、今の人だから針を飲む必要は無い」

悪霊に向かい真っ直ぐ切り掛かる。悪霊は慌てて祖父に姿を変えた。

「アンセは、随分歳をとったな。でも、やっぱり綺麗だ…欲しいのだ」

「黙れ!」

セベクエフザムは悪霊を覆う淀んだ空気に足を踏み入れた。

「祖母は、このような醜い悪霊と人の間を行ったり来たり…か」

セベクエフザムは悪霊を追ってはひたすら切り続けた。

巨大な渦のような悪霊の気から、自分と、離れた場所にいるセベクエフザムを守るには、あらん限りの霊力を要した。

それでも杖は中々言う事を聞かない。じきに杖も暴走を始めてしまう。

リアエットは周囲を見渡した。悪霊の気が満ち、飲み込もうと猛然と迫って来る!

セベクのお陰で、悪霊の気に一カ所乱れが生じた。

リアエットは覚悟を決め、悪霊に向かい大きく杖を振った。

ほどなく、全身を砂で打たれる衝撃と共に、激痛で体中がバラバラになった気がした。

「うわぁ!」

体力が尽きかけていたセベクエフザムが叫んだ。

突如悪霊が苦悶の叫びを上げて散り、衝撃で仰向けに倒れたセベクエフザムは、息も絶え絶えで腹ばいになると、流砂ではない道をじりじりと前進し、しばらく行った所でリアエットと、彼女の少し先に祖母を見つけた。

「君の…すぐ奥に祖母がいるんだ。だが流砂に囲まれている、すまない…君の体の上を通らせて欲しい…」

「は…い…」

彼女は素直に頷いた。

肋骨や両手足等を複雑骨折しており、激痛に苛まれていた筈だった。

だが、彼がまともに腹や足を踏み付けても、顔を歪めただけで何も言わなかった。

しかし彼が体の上を通過し終わった時に

「く、る、し…」

と一言だけ、苦痛を訴えるのが聞こえた。

やがて、祖母が倒れている場所にたどり着くと、セベクエフザムは急に泣き始めた。

「さようならお祖母様、あなたを信じてるから…」

そう言ってセベクエフザムは気を失った。

砂漠を金に染め、太陽が昇り始めた。

口に袋が充てられ、水が流れ込んで来る。

クスホ達だ。

「よくぞ打ち勝った」

「お祖母様は!」

「安らかに逝かれたよ」

「悪霊は…」

「遺体は、砂にはならなかった」

リアエットがセベクエフザムの側を通って運ばれる際、彼女は口を開いた。

「大変な時に、弱音を、ごめんなさい」

セベクエフザムは、思わず涙ぐんた。

抱きしめたかったが何とか堪えた。

「痛かっただろう、本当に悪かった」

「五体満足だった事を考えたら、これぐらいの代償は何でもありません」

その日、速やかに祖母の葬儀が終わった。

「ところで、君の見た俺はどんな姿だった?」

「あなたの方が、遥かにいい姿です」

リアエットは微笑む。

「そうか、よかった。君は、俺を信じてくれていたんだね」

「神より」

「神より?最強だな、私は」

リアエットはそれ以上何も言わず、セベクエフザムの目を優しく見つめる。

二人は既に、お互いの目を見つめるだけで、気持ちが通じるのだった。

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