命蝕む迷信
迷信・占いの類は不安定な人間ほど信じやすいらしい。それは連続殺人犯の心理に同じ
彼女が最初に現れたのはタリプと言う、祈りが捧げられる神聖な塔だった。
その頃、イノバンが王都リアヒメナからタリプまで巡礼に赴いていたのは、全くの偶然だった。
イノバンは不気味な茶と黒のまだらの仮面をつけた娘が現れたのを、他の人々と同じく驚きの目で見守った。
そして彼は、娘の仮面が古文書にある、つけている者の生命を徐々に縮める呪い『死の息吹』を暗示する仮面だと気付いた。
仮面は呪いをかけられた者の顔にぴたりと吸い付き、特別な力を与える。
が、力を使う使わないに関係なく生命を削り続ける。
仮面に憑かれた者の寿命は人それぞれだが、往々にして短いと言われ、呪いを解かない限り死ぬまで外れないと言う。
不思議と引き付けられ、彼は娘を呼び止め
「名は?」
そう問われ、娘は冷静に答えた。
「ラジュトセと申します、貴い神官さま。あなた様にお会い出来る日を、雨期を待つ乾期の生き物の如くお待ちしておりました。…お願いがあるのです」
興味を持った神官は、
「願いとは?」
と聞き返した。
「私に、自由に人を殺める権利をお与え下さい。そうすれば貴方様の悩み、王の悩みを解決して差し上げます、神官さま」
イノバンは苦笑した。
「私や王の悩みを知っているのか」
「はい、私はオキパカトより派生した、一連の惨劇を終わらせる為に参じたのですから…」
コモヒューガ国では残酷な事件が多発していた。
事件の鍵である名門エフカラ家の者とその仲間が法廷に引き出され、処刑されたと同時に事件は鎮まったかに見えた。
だが、しばらくしてまた再発した。
それもある一定の周期で増減するのだ。
犯人は未だ謎に包まれており、国の治安を預かるイノバンの頭を悩ませていた。
イノバンは心に引っ掛かっている事があった。
それは遥か昔に人道に反すると禁止されたオキパカトと言う掟が、エフカラ家を始め一部貴族の間で活用されていたこと。
オキパカトとは、その者にとって、生きる妨げとなる運命にある敵を取り除く為に首狩りを行い、神の恩恵を受ける為に、男も女も子どもも月の満ち欠けに合わせ生贄にする。
彼等はそれを領地で行っていた。
「よい所を突く」
「はい、この仮面の力」
ラジュトセは続けた。
「神官様の方がご存じでしょう」
イノバンは、彼女を王都へ連れていくのが妥当だと判断した。
そこには高位大臣、神官がたくさんいたからである。
彼女がイノバンと共に王に会いに来た時、王も娘に強い興味を示し、不思議な力が宿る最古の木の下で彼女について会議をした。
王は彼女を城中に留め置き、権利を与えた上で改めてイノバンに彼女を托した。
ラジュトセは事件が解決するまで王宮に滞在する事になり、人目に触れず自由に外へ出られる、隠し通路がある地下室が割り当てられた。
イノバンは何度か彼女の過去を探ろうと試みた。
彼女は一体何者で、何を知っているのか。
だが彼女は
「貴方が知りたがっている、その過去に悩まされ続けているのです」
とだけ答え、それ以上答えるのを拒否していた。
また、彼女はよく人々の気の変化を知る為に王宮で一番高い塔に軽々と登り、長い間風に吹かれ、街を見渡していた。
そんな時、イノバンはすぐさま質問する。
「お前が今知った事を話してもらおう」
彼女はいつも四点に絞って答えた。
それは予言のようなもので、いずれも実現した。
彼女は夜な夜な町に出て行った。
間もなく、町中のゴロツキや人買いが殺され続けている。
一体どう言う事だ、と言う報告が町中から寄せられた。
何か恐ろしいものが夜の町を徘徊している。
すぐに目撃者が現れた。
奇妙な事に、見た者が覚えているのは、いずれも顔に茶と黒のまだらの不気味な仮面をつけていたと言うことだけ。
いつしか彼女は死神として民衆に恐れられ、また敬われるようになる。
ラジュトセが王宮に滞在してしばらく。
ラジュトセは、イノバンに次第に心を開くにつれ、仮面に憑かれた経緯を徐々に語った。
仮面に憑かれる前のラジュトセにとって、最も大切な男性は父親だった。
しかしある男と再会してから、聡明で頼もしかった父は、次第に儀式と言う名の殺人に溺れていった。
その儀式には、ジャスリ石と言う、翡翠の一種に根を張り、暗緑色の花をつける、ジャニンナと言う植物から取れる毒を使う。
父は儀式について詳しく語らなかったが、ある日言った。
「私の、師であるソイフェルと会った。彼は、新しい儀式を教えてくれた」
「儀式?」
「お前も見るがいい。私も、最初の儀式では何も感じなかった。だが、回を重ねるごとに力を得られるのだ…」
父はラジュトセの手を引き、儀式の行われている場所へ連れて行った。
しかし、ここからラジュトセの記憶が激しく混乱している為、ラジュトセは、どこで何を見たか、いつ頃なのかはっきり語る事が出来ない。
寝台に横たわる、鮮血滴る、不自然に歪んだ傷だらけの身体から、美しい光を放つ水晶と化した心臓が掴み出され、燃やされる光景。
それが、儀式について最後の記憶。
人が、あのように惨たらしく殺される事に、幼いながら激しい恐怖と嫌悪感を抱いたラジュトセは
「あんなのひどい、ひど過ぎるわ!もうあの男と手を切って!」
と父を幾度も諌めた。
しかし父は、生死を自由に操る感覚に溺れ、自分を神だと認識するようになり、既に常軌を逸していた。
次に、ラジュトセが語ったのは、慈愛に満ちた優しい母だった。
今考えると、父が儀式を行うようになったと思われる時期だろうか。
母は父を異常なほど恐れ、口をきかないどころか側に寄せ付けなくなっていた。
父はそんな母を疎み、ついに儀式に使う事にしたのだ。
まず父は、母を象った人形に何本も釘を刺したものを数体、ベッドの上に吊した。
命を狙われていると知った母は、父に別れ話を持ち掛けた。
「それが、母の最後となりました」
母は珍しい体質を持っていた。
父に、激痛と共に体内変化を起こすジャニンナの毒を盛られても、何の変化も起きなかった。
つまり、その毒への耐性を持っていたのである。
激怒した父は、母に直接手を下し殺害。
次にラジュトセを呼び寄せた。
彼女が父の部屋に足を踏み入れると、殺戮現場だった。
ラジュトセは言葉を失っていた。現実だと理解するまで時間がかかった。
切り裂かれた服、飛散した血。
未だ頭を離れない。
凶器は鋭利な杭だった。
母は胸に杭を打たれ、絶命していた。
母の体質を受け継いだラジュトセは、ジャニンナの毒を飲まされても、何の変化も起きなかった。
「お前も、母のように私を愚弄するのか…」
次にラジュトセが覚えているのは、部下と共に、部屋に入って来た父の師、ソイフェル。
父は彼の命により、ラジュトセを刺鎖で拘束した。
(これは父さんじゃない。お父さん、どこ?お母さん、どこ?助けて)
心の中で呟き続けた。
意識は混濁し、鎖から来る痛みは既に感じ無かった。
ソイフェルはあげくの果てに、
「お前の娘は稀な事例だ、これを試してみたい」
と、父親にラジュトセの血で、死後もつきまとうと言われる呪いの仮面を錬成させ、彼女の顔を覆った。
そして部下にも手伝わせ、人食い魚の群れがいる死の湖に投げ込んだのだった。
水面が遠ざかり、この国を、世界を、己のものにすると言う彼等の凶々しい意志を感じながら、目の前が暗くなる。
しかし魚達は、不思議と彼女に危害を加えなかった。
沸き上がった強い悲しみと憎しみで、彼女は奇跡的に意識を取り戻した。
岸に辿り着き、立ち上がったラジュトセは、それから長い間彷迷った。
仮面は彼女に、様々な夢と幻を見せ、知識と力を与えた。
彼女は自分の目と身体で、惨劇を確認していた。
一刻も早く王に伝えなければならない。
知らせなければ、もっと多くの人間に被害が及ぶ。
まず王の信頼厚いイノバンの理解を得られたならば、何とかなるかもしれない。
こうして彼女は、彼に会う機会を根気強く探していたのだった。
その日、イノバンは書類を書いていたが、ランプが陰ったので筆を止めた。
彼女は珍しくイノバンの部屋に現れた。
「近く、王と貴方に権利を返上出来そうです」
「見つけたか」
「はい、やっと。クレスセイ地方の、ムセスハ地域の呪術の存在を知りました」
「ムセスハ?聞いた事が無い、どんな地域だ?」
「毎日命が儀式の道具となっている場所でございます…処刑された人間の、生首や首吊り死体が普通に見れますわ。それも、警備員の鼻先で行われているのです。自らの魔力を高める為に、他人の体を犠牲にする集団が支配しております」
彼女の声が陰った。
「通行人が、奇妙なロケットペンダントを首から下げて歩いていたのが気になり、中を見せて頂きました…中にいたのは死んだ胎児でしたよ。後で知ったのですが、よく効くお守りなのだそうです」
イノバンは眉をひそめた。
「何故そんなものを…」
「動物や、植物から作られたお守りでは、力が弱いからだそうです。人間の体…臓器は、最高の魔力を得る為の材料ですから。それも、子どもならよりよいとされているのです」
ラジュトセは両手を握りしめた。
「毎日殺されております、くだらない迷信の為に。依頼者が親だと言うのも笑わせますが」
「何だと」
イノバンが頭を抱えた。
「あの地域では、珍しくもありませんわ。多産で、胎児なんかいくらでも手に入りますもの」
イノバンの顔に険しい表情が浮かんだ。
「人の、臓器の意味は?」
「えぇ。彼らの信仰では、生贄にされた人間の手を持っていたら力が強くなる、性器を持っていたら子孫繁栄、目を持っていたら千里眼を開く、心臓は他人を呪い殺す効果があるそうです。よくある話しですね」
ラジュトセが俯いた。
「生贄にされる動物や人が暴れ、苦痛の中で上げる悲鳴が響けば響くほど、魔力を高められるのです」
「バカな」
「その通りです。しかし彼らが、そう信じているのは事実です」
「まさか、お前はそれを信じていないだろうな」
突き刺すような視線を向けるイノバンを横目に、ラジュトセは自らの仮面を指差す。
「私は、紛い物の信仰により、力を得る幻に溺れる必要はありません」
イノバンの、声の圧力が少し穏やかになった。
「町で随分と活躍しているようだが」
「貴方や王の悩みを解決する為に、必要なことです」
「最終的に、誰にたどり着くのだ?」
「ルバーダ…」
「ルバーダ?クレスセイの、ディソニー卿付き魔道士の一人ではないか」
ラジュトセは頷く。
「ルバーダは卿を操り、卿は不正な裁判や尋問どころか拷問にまで、自ら進んで手を染めています」
「ラジュトセ」
「はい」
「場所は分かっているのか」
「聖なる場所、ゲスシャク。近々、そこで主要な人物達の集会が開かれるそうです」
「行け。行って、決着をつけるのだ」
「よろしいのですか?」
「お前にしかできまい」
ラジュトセは膝をつき、イノバンに向かい深々と頭を下げる。
「ルバーダ達に死をもたらせば、私が死神となるのはこれが最後でございます」
「そうか…」
イノバンは一度息を吸い込んだ。
「人に戻ったら、妻として私の側にいて、私を安心させてくれるか?」
イノバンの言葉を、不思議な気持ちで聞いていたラジュトセは、顔を上げ、頷いた。
「人でなくなった時も…いつもあなたを想っていました。ですが、仮面を外した私は、きっと醜いでしょう…それでも側に置いて下さるの?」
「一つ、忘れないで欲しいんだが」
イノバンは一歩、ラジュトセに近づいた。
「君の素顔の美醜に関心は無い。こう言う事は、美しいから愛しいと言う単純なものではあるまい。どんなものを着ていても、どんな顔をしていても、不満に思う事は無い。だから、安心するがいい」
途端、バリバリッと彼女の仮面に真っ二つに亀裂が走り、半分が剥がれた。
「また、助けて下さるなんて」
呟いた直後、ラジュトセは窓の外へ飛び出して行った。
聖なる地、ゲスシャクにあるタッシニボロ塔はムセスハに幾つかある塔の中でも、とりわけ宿る力が強力だと言われ、そこでは未だに様々な秘密の会合が行われていると言う。
ラジュトセはディソニーを始め、ルバーダ達の前に降り立った。
「来たか、リアヒメナの死神…」
呟いた人物は、ラジュトセとはまた違う仮面をつけ、黒衣に身を包んでいた。
「まさか、女だったとは」
声でルバーダだと悟り、有無を言わせず切り掛かろうとした刹那、ラジュトセの周りの景色が裁判所に変わった。
「この裁判は処刑から始まる」
巨大な斧を振りかぶったルバーダが、部下と共に近づいて来る。
「もし、偽証したら」
と、ラジュトセ。
「お前は手足を切断され、野ざらしにされる」
ルバーダが更正しているのではないか、と言う彼女の希望は絶たれた。
「死神は、死者の世界へ帰られるがよい」
ルバーダは勝利を確信し、ほくそ笑んだ。
彼女の心境も知らずに…。
突如、彼女は叫んだ。
「ならばお前も、お前達も共に連れていく!お前はその死神の父親なのだから!」
ルバーダはラジュトセの半顔をまじまじと見つめた。
「お前…まさか…」
ルバーダの仮面の下に、驚愕の色が浮かぶ。
自らと同じ髪と目。
この、彼女の反撃はルバーダにとって予想外だった。
ラジュトセは隙を突き、ルバーダを始め、その場にいた者全ての胸を鋭い杭で貫いた。
それが迷信に取り付かれた者達の末路だった。
ルバーダの血を浴びた瞬間、残り半分の仮面が剥がれ落ちた。
彼女は無言で火を放ち、たった今剥がれ落ちた仮面の半分を炎の中に放った。
仮面を飲み込んだ炎は瞬く間に広がり、辺りはすっかり火の海だ。
ラジュトセはゆっくりとその場を後にする。
塔から出ると振り返り、塔が炎に包まれるのを見守った。
城へ戻ると、彼女の部屋の前に立つイノバンの姿が見えた。
こちらに背を向けているが、彼女に気付いているだろう。
ラジュトセは彼を抱きしめたい衝動に勝てず、一気に駆け寄った。
イノバンは驚いた様子もなく、回されたラジュトセの腕に自分の手を優しく重ねた。
押し付けられた彼女の体は細かく震え、イノバンは彼女が泣いているのだと分かった。
コモヒューガ国に伝わる『死神の娘』ラジュトセ。
彼女がどこの生まれかなど、歴史の舞台に登場する推定年齢十七、八歳以前の話は伝わっていない。
だが優れた武術や美貌と共に、裏社会の監視員と言う一面も持っており、
裏社会に染まった市民を始め、貴族や司祭に至るまでを処刑する処刑人として、当時の女性とは全く違う生き方をしたことが判明している。
彼女は影で暗躍する処刑人でありながら、王の腹心、偉大なる神官イノバンの妻となり、民衆はもちろん王さえ魅了する。
彼女は、人々を誘惑して服従を強いようとする裏社会の黒幕達と戦い、勝利と平和をもたらした。
しかし彼女は、イノバンとの間にナダギと名付けられた、
後に王妃となる女児を遺し、この世を去った。
ラジュトセの活躍は、現在では伝説となっている。
〜頂いたコメント〜
名前:鋼玉 2007-12-11 17:19
面白かったです。文も読みやすく、思わず見入ってしまいました。これからも頑張って下さい。
名前:水瀬愁 2007-12-11 20:41
おお……浮ついた感じとか特になしで、読みやすいことこの上ない。
これからもがんばッス♪
名前:SEI 2008-01-31 04:03
素敵な物語で楽しめました。ありがとうございます。