預言者出現
鬼と巫女の交流に輪廻転生を少々絡めた一作
雨が降り、深夜の鐘が鳴った。
この時、城主の息子、岐流は書物を机に伏せ、窓の外を眺めていた。
「あれ!」
茶を運び、退出しようとした侍女が不意に悲鳴を上げた。
「外に老婆がおりまする」
と震えている。岐流は再び外を見て、
「誰もいないではないか」
と言うと、侍女は奮えながらも座り直して
「いいえ、若、下ではなく上でございます」
と言った。見ると、窓の側に生えている大木の上に老女が一人休んでいた。
髪も眉も白く、杖を持っている。老女は岐流の顔をまじまじと見て
「ふむ…やはり、心が、魂が満たされておらんな」
岐流の眉がぴくりと動いた。
同時にこの老女はただ者では無いと感じた。
自分が許すまで誰も部屋へ入らせるなと言い置いて侍女を下がらせる。
「お前の心も、魂も、満たされぬよう呪いがかけられておる。
お前は物心ついた時からただ漠然と会いたい、信頼したい、
慈しみたいと強く思いながらも、
その思いを傾ける相手が見つからずひどく苦しんでおったはずじゃ」
岐流は溜め息をつき、ひそかに手にした刀から手を離した。岐流が静かに
「呪いとは何だ。詳しく話せ」
と問うと、老女はにやりと笑った。
「前世の話じゃ。今から数百年もの昔のこと。
鬼岩の怪異も関わる。長物語になるぞ」
城裏にある切り立った崖下には鬼の姿をした黒い不思議な岩の幻が出る。
これを鬼岩と呼ぶ。大きさは人間大。周囲は波が荒い上によく霧がかかる。
岩の幻に向かい殺気をはらんで弓で射ようとしたり、
切りつけようとすると恐ろしい叫び声が聞こえ、
不吉な事が起こると伝えられ、恐れて誰も近づかない。
「はるかな昔のこと、うち続く戦乱に国はどこも荒れ果てていた…」
と語り出す。
深い山奥に、戦いとは無縁の里があった。
ある日、里に戦を忌み嫌う珍しい若い鬼が一匹、どこからともなくやって来た。
いつしか鬼は里で一番強い霊力を持つ若い巫女、天手と心を通わせるようになり、
これの読経の声に耳を傾け、心を澄ますようになった。
一方、帝は不思議なお告げを授かった。
強い力を持つ巫女を集め祈祷させれば世の乱れは鎮まるとのお告げだ。
「ありとあらゆる巫女を探し、連れて来るのだ!」
帝は重臣にそう命じた。
重臣の一人、雅太刀は従者三人を連れて馬に乗り、ただひたすらに急いだ。
そして数ヵ月後に里がある山のふもとに着き、山へ分け入った。雅太刀は目を疑った。
川の形、樹木の配置など、命が下る前日夢で見た通りの風景だ。
馬を降りてしばらく進み、険しい岩場と滝にたどり着いた。
よくよく見ると滝の裏に洞窟が見える。雅太刀は洞窟を進んだ。周りは暗い。
従者三人は途中ではぐれてまだ姿が見えない。
雅太刀は真っ直ぐ進んだ。
滴る水滴を払い、蝙蝠と思われる動物の羽音を聞きつつ進んだ。
こうして外へ出た。
その頃、天手は滅多に人が来ない河原で静かに精神統一をしていた。
すると音もなく鬼が現れた。背は恐ろしく高い。
筋骨隆々とした暗緑色の肌、鬣のような茶褐色の髪。鷲のように鋭い赤い目。尖った爪、牙。
「何か、感じたの?」
天手は精神統一を中断し、鬼に近付く。
(武器である破魔矢・札も持たずに近付ける唯一の鬼…)
鬼は天手をしみじみと見つめていた。
「滝の方向。間もなく男達が通る。帝の部下だ」
「そう…」
天手は何故帝の家来が?と違和感を感じながら頷く。
「帝が巫女を探し出し、帝の元へ連れて来いとふれを出した。帝は妖に魅入られておる。
妖は帝を操り、祈祷させると巫女を城へ呼び寄せては密に食い殺し、
力を強くしている。世が乱れている原因の一つだ」
天手の心は穏やかではなくなった。
「そう。ならちょうどいい、私が都へ行き、帝を操る妖を退治してやる」
すると鬼は腹を抱えて笑い出した。
「行けばいかにお前と言えど食われるだろう」
「強いのか…」
と天手が歯がみして言うと、鬼はこれを慰めて言った。
「そう悔しがるな。
巫女を食い力を得ているとは言え、お前の方が強いだろう。だが奴は賢い。
帝の周りにいる連中は、帝が妖に操られている事に気付いていない」
鬼と天手は目と目を配り、滝の方向に意識を向けた。鬼は溜息をつき、
「後ほど」
と姿を消した。
鬼は人には見えない次元の穴に、布で体を隠すように紛れ込む事ができる。
この穴には鬼道と言う道があり、それを使って姿を見られる事無く自由に移動出来た。
しかし天手のように霊感が強い者には気配を感じられてしまう。
雅太刀と、遅れて合流した従者は天手を見つけた。
雅太刀はこれが探していた巫女だと直感した。天手は雅太刀に問うた。
「何を探し、このような辺境へいらしたのか」
雅太刀は答えた。
「私が探していたのは、巫女…お前だ。他の巫女ではない、名を聞かせてくれ」
と問うと無表情で
「私は天手。ここではおもてなしが出来ませぬ。いざ、こちらへ」
と先にたった。雅太刀と従者はそのあとにつく。
天手は四人を庵に誘い、据え、茶を勧めた。雅太刀は天手に目をやり、
「初めて見参するもの、不審に思われただろう。
私は帝の家来で雅太刀と申す。帝の命により巫女を探していた。
帝の命が下る前夜、私は夢を見た。
この里への行き方、里の風景が見えたのだ。お書きものも持参している、これを」
と懐中から出して、天手に差し出した。
天手は巫女を都へ呼び寄せる理由などが記された書き物を開き見て、
「これは…」
と驚く。
(この書き物から伝わる邪気は、奇怪だ)
天手は書き物を巻きながら
「なるほど。帝の命ならばしかたありませぬ、
あなた方について都へ…帝の元へ参りましょう」
雅太刀は手の平を打ち、
「出立は明日にする。準備せよ」
と命じた。その夜、天手は
「これが里での最後の夜となるかもしれない…」
と、独り言を言いつつ河原へ来た。その時、闇の中から鬼が現れた。
「都へ行くのか」
「聞いていたでしょう?それに、私が行って助かるのは他の巫女だけではない、
全ての人々を救う事に繋がる。…倒せれば、だけど」
と、笑って言うと、鬼は真面目な表情で
「天手、儂の妻になれ」
と言った。気丈な天手はうち騒ぐ胸を静め、
「何故?」
と首を傾げた。
「あやつは力あるものを食わずにおれぬ、
例え都へ行かずともお前は追われる事になるだろう。
だが、儂の妻となれば、神力は失うがただの女となるから狙われずに済む」
と言い、更に
「操られている事に気付かない愚かな人間どもなど放っておけ。
儂と静かに暮らすのだ。お前を養い、守るぐらい造作ない」
「八鬼…」
天手は鬼の名を呟き、見上げた。
(この鬼には初め殺気が目立った。だが変わった。
鬼は私を狙う邪悪を防ぎ、また、人の姿を借り里人を守り、
仕事の手伝いをした。…守ってくれた恩は深い。
もしかしたら、この鬼は来世には人となるかもしれない。
そして私も変わった。鬼の気持ちに応えたいと…)
と、天手は鬼に向かい
「お前は私と都へ来て、退治を手伝ってくれる気はないの」
と問うた。
「お前が力を貸してくれるなら、万が一にも負ける事は無い」
何故か鬼は溜息をついた。
「あぁ…」
直後、姿を消す。天手の耳元で声がした。
『承知した。お前は儂が守ろう、お前の影となって』
その翌日、天手は里人に見送られ、帝の家来に守られ数ヵ月かけ都へと向かう。
一方、都では各地から城へ集められ、
祈祷しようとした巫女達が次々と謎の黒雲に掠われ行方不明になる事件が相次ぎ、
都中の人々が驚き怪しんでいた。
天手は都に着くとすぐに帝の前に出された。
たくさんのかがり火に照らされ、生まれながらの美貌がますます輝く。
天手は帝の前で手をつき、頭を下げた。
帝は暗い影を宿した目でじっと天手を見つめ、やがて雅太刀に何か囁いた。
雅太刀は頷き、
「明日の夜、早速祈祷してもらおう。今夜はゆっくり休むがよい」
あてがわれた部屋で、天手は静かに呟いた。
「八鬼」
どこからか返事がした。
『何用だ?』
「初めて会った時の事を覚えている?」
『…祭りだった。お前はすぐに、人の形をしていた儂を見抜いた』
「そうだ」
と、天手は重々しく頷く。
『帝の事だな』
「あのお姿…まさか、これ程とは」
帝の全身にどす黒い邪気が絡み、うねり、暴れていた…。
『逃げるなら、手を貸そう』
天手は思案しながら微笑み
「手と言わず、全てを」
と、鬼に自分の考えをしかじかこうと語った。
翌日、日が傾き始めたころ、帝は
「巫女、弓は使えるか」
と聞く。天手は
「きくまでもなく」
と言う。帝は笑い、
「それなら、一矢教えを受けたい」
と言った。天手は頷き、
「どなたでも…」
と言った。
その時。
城の上にひとひらの黒雲がわき、風雷すさまじく、石や砂を巻き上げた。
「まただ!」
と動揺する家来たち。
雲が次第に下りて来て、天手を包もうとした。天手の体は地面を離れかけた。
天手は心を落ち着け、静かに弓を構えた。
雲の中に、引き込もうとする何かがいるようだ。弓を射た。
「!帝!?」
家来達が、突如胸を押さえ屈み込む帝を恐る恐る取り囲み、介抱していた。
いつの間にか風は治まり、雲も晴れ、天手だけが何事も無かったかのように凜と立っている。
「巫女よ…」
帝は左右を家来に支えられながら、静かに言う。
「そなたは真に力ある巫女だな」
帝はにやりと笑った。
「褒めて遣わす」
「勿体無い…」
雅太刀はこの時、天手が表情険しく弓矢を持ち直したのを不審に思った。
雅太刀は近くの家来達に急いで矢をつがえさせる。
「妙なそぶりをしたら、構わず巫女を殺せ」
天手は気がつき、さっと帝に向かい矢をつがえ放った。
矢は帝の頭上に撃ち込まれ、消えた。帝にとりついていた妖はその痛みに耐え兼ね
「あぁ!」
っと帝もろとものけぞる。
鬼はこれを見てすぐさま妖に喰らいつくと、妖は益々弱り、
何とか鬼から逃れようと死に物狂いで反撃する。
だが、これがとどめと次の矢をつがえようとした天手は背後から矢を放たれ、
ほとばしる血と共に倒れる。鬼は一瞬そちらに気を取られた。
隙を窺っていた妖は鬼の体を骨も貫けと突き、深手を負わせた。
さすがの鬼も痛みに耐え兼ねて姿を現したが、
妖に構わず倒れている天手に走り寄り抱き抱えた。妖はこれを見て
「さては巫女はこの鬼を殺そうとしたのか。血を流しているのは巫女の矢を受けた証拠。
それ、一刻も早く鬼を殺し、巫女を救え!」
と帝を操り下知した。
妖が天手を助けようとしたのは天手が稀に見る強い力の持ち主だったのでこれを食い、
体の回復をはかろうとしての仕業だった。
妖は出来れば鬼もと一度帝を離れ、最後の力を振り絞って浮遊し始めた。
一方、鬼は手近な木に飛び乗り、広庭に踊り出た。
かすかな邪気にはっと振り返ると、
遠くに、黒い雲のようなものが醜く蠢きながら向かって来る。
帝の背後から突然の鬼の出現に呆然としていた兵どもは、雅太刀が
「何をしている、帝の命令だ。鬼を、追え!殺せ!」
と命じたのを機に攻め立ててきた。一方、天手を抱えた鬼は崖に追い詰められた。
日はとうに落ち、鬼の目の前に黒い海が見えた。鬼は覚悟を決め
「天手、天手よ」
と呼び掛ける。天手は気がつき、ほっとして
「八鬼…」
と、顔を見つめると、鬼は難しい顔をして、
「心を静めて、聞くがいい。妖はまだかろうじて生きている。が、先は短い」
と言う。天手は苦しい息の下からほんの少し立ち直り、
「そう…よかった」
と呟く。
「安心するのはまだ早い。
帝の家来が儂を殺しに、帝を離れた妖がお前を食おうと追って来ている」
天手は意識朦朧としながらも鬼のひどい怪我に気付いた。
「八鬼…よく聞け。私はもう長くない。
昨夜、帝の元へ参り妖を倒したところでお前が私を掠い、逃げ、
人知れず共に暮らそうとあいはかったがもはや叶わぬ…
私の息がある内に私を食え。お前に食われるなら本望…
それで力が幾らか戻る、ここで犬死すべきではない」
鬼は憂いを含んだ目で天手を見つめる。
「それよりも、いずれ死後には夫婦の対面をしようぞ」
と鬼は優しい心で天手に語った。
天手はほんの少し顔を赤らめる。そしていよいよ末期かと目を閉じ
「はい…」
と頷き、そのまま息絶えた。大勢の足音が近くに聞こえた。
振り返った鬼の目に飛び込んで来たのは沢山の松明、刀や槍、弓を構えた兵士。
遠くの敵が鬼に向かいひっきりなしに矢を射て来るので、
鬼の背はたちまち矢だらけになる。
しばらくして矢は止み、代わりにわっと時の声がした。
鬼は一度天手を抱き締めてから天手の遺体を天へかかげた。
少しでも人の手にかからぬように、天手の遺体が傷つけられないようにしたのだった。
だが無情にも兵の一人が鬼の脇腹に槍を突き刺したのをかわきりに
次々と刀や槍が突き刺さった…。
「老婆」
と岐流は思わず口を挟んだ。
「それからどうなった」
と言って、老婆を見守る。
「その時、妖が追い付いた。
突如嵐となり、鬼と天手を黒雲が覆ったので、兵はどよめくだけだ。
妖は天手を食い尽くしたが既に絶命していたため体は回復しなかった。
次に鬼を食おうとした。が、鬼も息絶えていた。
妖は腹立ちまぎれに鬼の体を海へ沈め、また、二人の魂に向け呪いを放った。
二人が出会えぬように、どうしても出会う定めなら、
出会っても満たされぬ心にもがき苦しむように。そして妖は消滅した。
鬼は魂の状態にありながらも巫女を愛でるあまり呪いを全て受けた。
こうして時は流れ、鬼の事も、巫女の事も人の心から忘れ去られていった」
いつしか岐流の目に涙が滲んでいた。老婆が労るように言う。
「おぉ、おぉ、苦しいな。もうしばらく辛抱するのじゃ。
いずれあの巫女の生まれ変わり、お前の妻となる娘が現れ、
悪いものを全て取り去り、お前の心も、魂も満たしてくれるだろう。
お前の家はますます栄える」
老婆は溜め息をつき、
「これで、あの鬼岩の怪異も鎮まるだろうて」
岐流は思いがけず怪しい老女に説き聞かされて、心が洗われるような思いがした。
「老婆、何故お前は現れた」
「なに、余計なお節介を焼きたくなったんじゃ」
と、老婆は笑って言って、さっと木から飛び降りた。
地面にたたき付けられたかと見ると、その影は霧に紛れて行方も分からなくなった。