楽器を通じて人光る
より良い音を出す為に楽器の意志を感じる必要がある。高度な楽器奏者は一つ一つの基礎から厳しく丁寧に練習を重ねる
そのアンティーク楽器店『ナッサ・ウォイン(唯一音と通じる)』
は小さめだが、内装は非常に上品で鮮やかだった。
「慌てずに、気持ちを押し込めて下さい」
何か楽器を始めたいと考えている女子中学生、
桔導和花がナッサ・ウォインに入るなり、鋭い眩暈を幾度か感じた。
宇加霊恵と言う、
翼を象る白い炎に似た楽器に取り組む中年の男に指導する女がいた。
「まだ長い間演奏するのは無理ですね」
女が静かに声をかけた。
「これでも普段は大人しくなったんですが」
男が額にかいた汗をタオルで拭い、近くのソファに座り込んだ。
「その意志で何度も演奏すれば慣れて来ますわ」
男が手にしていた宇加霊恵をあっさり取り上げ、
女は和花の方をちらっと向いて厳しい表情を緩めた。
「慣れれば、この鋭い音を、魂に突き刺すような素晴らしい演奏をする事が出来るんですな」
と、楽しそうな中年の男。
女の手にある宇加霊恵は、白い炎の玉状に戻り、店内の明かりを反射して冷たく光っている。
「充分です。魂に鎧でも無い限り。音で釘づけにされて感 動で動けなくなるでしょう」
楽器の中には特定の特徴がある人に演奏される事を好む、
演奏者の好みの激しい楽器もいる。
宇加霊恵は大きさこそ霊系楽器の中で三位だが、気の荒さではピカ一だ。
「いらっしゃいませ。ここで楽器を購入される方は、その楽器を使って店主である私、
堂響紗癒和に一曲捧げるのが決まりです」
堂響が微笑み、丁寧に話しかけて来た。和花は緊張した。
名の知られた音楽家である彼女が 、緋銀宇譲と言う、
カメラのフラッシュに似た光を放つ霊系楽器で、演奏する音には、
ルルトーニ教で統一されているルハキ国の僧達が唱える経と同じ
荘厳な響きがあると言われるほどで、
ネットや雑誌上でも評判である。和花はちらりと堂響を見る。
「自分の好きな楽器でも、いきなり演奏するのって、
緊張して下手になると思うのですけど……」
堂響は更に穏やかな顔になり、
「上手下手を見るわけではありませんのよ。楽器が新しい主を持つにあたり、
私に別れを惜しみたがってくれる気持ちを感じるだけなのです」
和花はほっと溜息を落とした。
「不思議な経験になりますね。あ、これは?」
ガラスケースに納められた、美しいアクセ サリーのような太鼓に近付く。
値札はついていない。
「その楽器は、心で叩くイメージを描いて、その速さで出る音を調節するプルピチエです。
極めると大地の音だけでなく海の音も出せる様になります。
小さくて可愛い楽器でしょう?これに限らず、
大地のリズムを刻む打楽器はとても頭がよくて誰とでも馴染みやすいの」
「頭がいい?馴染みやすいのはどうして?」
堂響に尋ねた。
「えぇ、一説によりますと、生物が持つ心臓には元々 、
命が歩んで来た史実を刻む役割があるそうで。
打楽器の出す音……振動には全ての生き物が持つ生命の鼓動の再現や共鳴が可能なので、
そのせいではないかと言われています」
堂響がプルピチエを首にかけ、目を閉じると小さい手鏡のような大きさの太鼓を握り締める。
たちまち温かく、波のように押し寄せる音と振動に包まれる。
「うわぁ、いい音!」
太古の森にいるみたいだわ。和花は感動して、思わずプルピチエに触れた。
「でしょう?私もこの音が大好きなんです。この楽器には思い入れがありまして」
堂響が店を開いてすぐ、一人の若く美しいハーフの女性が店を訪れた。
どこかで見た顔である。友人の誕生日プレゼントを探しに立ち寄ったと言うその女性は、
プルピチエに興味を示した。
(そちらの楽器にご興味が?)
褐色の髪の女性はにこっと笑い、頷く。
(はい、私の好きな楽器の一つがこれなのです)
その時、店の奥で電話が鳴った。
(もし宜しければ、好きに演奏して下さいませ)
(では、私の好きな練習曲でも)
電話の対応をしつつも、堂響はすぐに、女性が相当の腕の持ち主と見抜いた。
その後、緋銀宇譲の他に新しくプルピチエを習おうと考えている、
と口にした堂響に 、彼女は練習方法と簡単な楽曲を幾つか親切に教えてくれた。
(丁寧に、ありがとうございました。
素晴らしい腕前ですね。お客様にただで教えて頂くなんていけませんわね、
どの品物も半額にさせて頂きますわ)
感動している堂響に、
(私の技術もまだまだなんです)
女性は苦笑しながら言った。
(こちらこそ、久しぶりに演奏を 楽しむ事が出来ました。
プロとなった今では楽しむと言うより、勝ち続けなきゃいけなくて)
(やはりプロの方でしたか。お名前は?)
(エパティナ・ムラヒノと申します)
信じられないと言う顔で、堂響が聞く。
(村火野様の?)
(えぇ)
エパティナは楽器演奏の権威と言われた父、
村火野天良を崇拝しており 、彼から楽器を習っていた。
そしてエパティナの母、エシェフィーネ・ムラヒノは世界的なプリマドンナで、
歌う楽しみを糧にして成長、進化したような可憐な女性だった。
彼女の歌は最高だぞ、と父が母を褒めちぎるのを聞き、
娘は母に対抗するように厳しい発声練習を始めたとも聞いた。
両親にはこんなエピソードがある。
「素晴らしいですね、あなたの全てが。
姿形は勿論美しいですし、特に声を聴いていると幸せな気分になれます」
天良の言葉に、エシェフィーネは頬を染めながら、
「歌は人の心を豊かにしてくれます。歌には自分の声以外使えません。
自分が持つ声だけを使えるのは不思議な気分です。
歌を楽しむと言う、原始的な方法が私には最も合っているようで…良い環境があれば、
閃きを与えてくれますわ。
真の歌手は声さえあれば、お金の不足にも、苦難にも諦めることはありませんの」
これが、二人の出会いだった。
(ここのところ、演奏で珍しいミスが続いていると聞きましたが?)
エパティナが頷いた。
(両親が大きい功績を残して来ましたから、その分乗り越えなくてはならない壁が大きくて。
ですがもう乗り越えます。今日はこれから、改めて自分の実力を学びに行きます)
そう言い残し、彼女は性能がいいと評判のメトロノームを買って行った。
その後、堂響はエパティナの動向を雑誌やテレビ等で見守った。
あの日にあった演奏大会の後、
エパティナの演奏に対して場内から盛大な 拍手があったそうだ。
この大会でミス無く演奏しきるのは大変難しいと言われているが、
彼女は大きなミスも無く確実に決めた。
和花は紗癒和の話しが終わった後、再び店の中を回る。
関係者以外立入禁止、と書かれたドアの前に立った時、体の中がうごめく感覚がした。
「そのドアから先は一人で行かないで下さい」
紗癒和の店に は隣の楽譜館(紗癒和の夫、堂響弓史が管理している)
へ通じるドアがある。
「え?どうして?」
「あなたでは通路の両側に置いてある楽器達に攻撃されます」
通常の楽器に意志は宿らないが、この店にあるほとんどの楽器は思考しているようだった。
楽器の中には持ち主を破滅へ導くような力を持っているものがいる。
サディスティックな性質を持つ楽器は
持ち主を破滅に導いた事実が多い程自慢する傾向がある。
そんな性質の楽器が集合している場所がある場合は、それがより顕著に現れる。
どのような楽器にも日々の手入れが欠かせない。
毎日そのような楽器と対立している彼女の精神力には脱帽だ。
「どの楽器も、最初から襲い掛かって来たわけではないのでしょうけどね」
「そんなに、怖いんですか?」
「ミハト・モカルーカの話しをご存じ?」
和花はうーん、と考えた。音楽の授業で聞いた名前だ。
「あまり覚えて無いですけど、
楽器を操る天才だったって音楽の授業で習った……と思います」
紗癒和は頷いた。
ミハト・モカルーカは今から数百年前の人物で根っからの音楽家で、
あらゆる楽器に精通していた。
「そうです。この世界の楽器奏者は、楽器と心を通わせる為に
一生分の練習場所の三分の二は自身が完全に沈む程度の川や海の中で練習して
過ごしますが、浅い海底や川底ならば音が乱反射する為、
音を操る力を身につけるには最適であると発見したり、
数多ある川の中でもオコッアポ川は普通の川ではなく、
稀に見る上等な練習場所だと見抜いたのも彼です」
音の壁を水中で作れば息が出来なくなる事もなく、服も濡れない。
ちなみにオコッアポ川には目立つ目標物もなく、足を踏み入れた瞬間、
流れが異様に早いのがわかる。
練習中に音を見失って流されたままだと川の最終地点である海では命取りとなる。
「さて、これからする話しは村火野様とも関わりがありまして」
ミハト・モカルーカの死後、彼の墓の隣にある、
刻印も何もない大理石が彼の愛用していた楽器の墓だと伝えられていた。
墓泥棒により掘り起こされ、修理されて甦った楽器は結界を施されたケースの中にあった。
それを発見したのがミハトの子孫である村火野だったが、
いつでも演奏出来るよう良好な保存状態で葬られた楽器には怒りが生まれ、
そこに付け込む音魔
の存在もあり性質はかなり変わってしまっていた。
心を閉ざした楽器の前に、天良の優れた演奏能力は役に立たなかった。
「あなた。これは私の場合ですが、
万物に歌を通して気持ちを伝えるには単に言葉を紡ぐだけではだめなのです。
歌う人間の心から相手の魂へイメージを送っているのよ」
エシェフィーネは夫にこう助言した。
「君にはあの楽器の言葉が分かるのか」
「最初の持ち主…ミハトを怒っているわ。とにかくミハトの事をとても怒っているの」
エシェフィーネは目を伏せた。
「僕を置いてどこへ行ってしまった?って。
ミハトが亡くなった事、誰かちゃんと説明したのかしら?」
天良の肩に頭をもたせ掛ける。
「どうして毎日いつも一緒だったのにどうして!そう叫び続けているわ。
暗い土の中に入れられてから呼び続けて。
哀しくて会いたくて……ずっとミハトを待っていたのよ。本当に哀しかったのね」
「どうしたらいい?」
「誠心誠意を込めて説明なさい。
この子が穴の中にいる間思い出していた事が分かる、ミハトといるの。
優しい思い出を見せてくれるということは、
怒っていてもミハトの事をどこかで許している証拠なの」
その頃、部屋で勉強をしていたエパティナは何気なく窓の外を見た。
(私はここにいるの。私はここにいるの)
それが現存数が極僅かであるディトスェ(未知の圧力)と呼ばれる楽器の声とは知らず、
エパティナはふらふらと声に導かれるがまま楽器ケースに辿りつき手を触れた。
「今、結界の中に何かが入った」
天良がはっとして呟く。
扱えなければ、持ち主は恐れて反射的に逃げ出す程の楽器だ。エパティナは悲鳴を上げた。
楽器を掴む手が言うことをきかず、頭が激しく痛む。
怯えたペットのキツネ、ビレッブが外へ通じるドアを引っ掻いている。
「エパティナ?それを」
天良は慎重に娘に近づいた。
娘が握りしめている楽器が妻と当の娘を威嚇しているように感じる。
最初の持ち主、遠い先祖がこの楽器を保存しなければ、魔を宿す事もなかったかもしれない。
エパティナは狂喜じみた笑みを浮かべた。
「お父様にとって、演奏は簡単なこと。
その技術を新しい人材に継承させるのが課題なのでしょう。
私が自分でこの最高位の楽器を演奏するのよ。何時間でも演奏して見せるわ」
その日から親子の戦いが始まった。
ディトスェの奏でる音にとりつかれた人間の行動は予測がつかない。
楽器に限らず激しい魔力にさらされた思春期の男女は狂気を宿す事が少なくない。
楽器を手にして一年で、エパティナの髪の色が褐色から銀に変わってしまい、
更に数年でまた元通りになり話題になった。
「…もう大丈夫そうだ。恐かっただろう」
天良がゆっくりとエパティナから楽器を取り上げる。
エパティナは自由にならない意識の中、
父の指導の下必死にあがき見事に楽器の魔力に打ち勝った。
楽器は以前の荒れた姿からは想像もつかない、
ありえない程素晴らしい音を出すようになっていた。
(何故妻や娘を気にする?奴らがお前に何をしてくれた?)
天良の頭の中で声のような音が言った。
「エシェフィーネ、エパティナを頼む。それからその楽器を……」
(お前に俺以外の助けなどいらん。特に家族の助けはな)
「こいつは当分エシェフィーネやエパティナに近づけないようにしなくてはな」
エパティナは当時の事を、後に雑誌のインタビューでこう語っている。
「私の目から見て、
明らかに私や母や楽器への愛に溢れた父が与えてくれた大切な…気持ち…
素晴らしい経験だったわ。
だから、父に会いに行く時は、お金が許す限り贈り物を持って行くの。
父への感謝の気持ちだから」
恐ろしくて切なくも美しい話しが終わり、
和花は何かに掻き立てられるようにフィズペ
(バンデルペレン国の楽器で、
楽器の歴史上模範的な楽器で尊敬されている事から楽器の紳士と呼ばれる)
と言う楽器を手に取った。
そして、非常に穏やかな気持ちで堂響が与えてくれた楽譜
『コニスポノン(楽器の祈り)』を、
彼女やその場にある楽器達に捧げるように演奏した。