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1st day

 かなり難解な表現+構造を含みます。この話で訳が分からなくなった方は、活動報告で解説を書く予定なのでそちらをご覧ください。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/162578/blogkey/683221/

 まず、第一に。


 賭けの内容は、わたしが一次死者(アストロノーツ)になるかどうか。


 掛け金は……そうね、勝ったほうが、負けた方に何でも一つ命令できるってどう? それだとわたしが圧倒的に不利じゃないかって? いいじゃない、こういうのって恋人らしいと思うんだけど。


 ……いいわね。決着は、おそらく五十時間後ぐらい。三連休の、最後の日までね。それまでわたしたちは、検察官と弁護士みたいに、互いの主張を押しつけあうの。


「それが、玲奈の提案するギャンブル? なんだかとっても悪趣味だね」


 一通りのルールを説明し終えて、彼は完全に理解はしたようだけれど、納得はしていないようだった。


「スパイスが欲しいのよ」


 そんな彼の困り顔に、わたしはできるだけ自分が呆れているように見せながら言葉をぶつける。すると彼は意外そうな顔をして、わたしの言葉を咀嚼した。


「なんだか拍子抜けだなあ。玲奈はあまりイベントには興味ないから、この三連休はゆっくりしていられると思ったのに」


 それから耕史は、わたしの髪をそっと撫でる。彼の指が首筋にあたって、くすぐったい感触とともに、彼の持つ体温がわたしの心へ映し出される。


 わたしはその手を軽く払いながら、


「確かに、そうね。でも、お涙ちょうだいのテレビドラマよりも、こうしたほうがよっぽどスマートだとは思わない? あんなの、体の水分がいくらあっても足りないわよ」


 つっけんどんに言うと、彼はしようがないとため息をついて、わたしの口調をまねた。


「『誰からも忘れられたって構わない。わたしには、特別なドラマなんて必要ない。ただ普通の高校生として生きて、そしてなにも成さずに消えていくことが、どうして許されないの』ってね。玲奈の性格はよく知ってるよ。だから、僕が何を言っても聞かないのもわかってる」


「あきらめが早いのはいいことだわ」


 まったく、黒歴史な台詞も言ったものね。


 とはいえ、わたしの性格が悪いのは重々承知。もし彼じゃなかったら、早々に赤の他人になっていたことは間違いない。


「それじゃあ、始める? けど、俺のほうは準備が必要だよ」


「いいわ。あなたのターンは、明日からでいい。まずはわたしからやる」


「わかった。じゃあホワイトボードとか、いる?」


 彼がまじめな顔で言うので、わたしは思わず吹き出してしまう。


「こんな場所にホワイトボードがあるわけないでしょ。それに、わたしと耕史の会話にホワイトボードが存在していたことが、一度だってあった?」


「いや、ないね」


 答えて、耕史も笑い出す。どうやら冗談だったらしい。それにわたしは本気でつっこんでしまったようだ。なんだか負けた気分。


「そ、それじゃあ、まず前提から話しましょう」


 わたしは咳払いひとつすると、彼を指さす。


「これが間違ってたらどうしようもないんだけど……あなたは、すでにこの世界から消失している。まあこれは、少なくとも肉体はって話だけど……」


「それってさ、逆なんじゃない。俺についてわかっているのは、すでに俺という『からだ』が死んでしまっているってことなんだからさ。……心はいつでも玲奈を愛してるよ!」


「うん、まあ、そうね。それで、わたしはあなたと違って、ちゃんとこの世界に生きている」


 さて、ここで問題です。


 わたしの目の前には、ちょうど三ヶ月前に大型トラックにひかれて悲痛な死を遂げた市倉耕史いちくらこうじという人間が、五体満足プラス傷一つない姿でいます。彼の体は透けているわけでも、どこかのホラー映画みたいにウイルスに感染しているわけでもありません。


 では、神の啓示や血の雨もなく、ましてや臨死体験などもってのほかなのにも関わらず、死んだはずの人間に会うことのできるわたしは、一体何者でしょう?


 タイムマシンに乗ってきた未来人? まあ、五十点ね。それならわたしは未来からきて、耕史を助けようとしている健気な少女ということになる。まあ、安心しなさい。ぜったいにそんなことはあり得ないから。


 天使かなにかだって言った? 零点よ、零点。どこかの物理学者が「神はサイコロ遊びをしない」って言ったのを知らないの? そんなのSFとして失格だわ。それに、ファンタジーでは神やそれに準ずる存在の賭ごとっていい結果になった試しがないでしょう。はいそこ、さり気にのろけない! 俺の天使とか言わない!


 ……では、わたしは何者か。


 ごく普通の市立高校に通う、二学年目所属のただの女の子。とはいえ、わたしが得られる生涯年収は億に行かないどころかマイナスになるだろうけど。


 そう、わたしには、すでに未来というものが存在していない。


 そして、だからこそ、ここにいる。


 CーCIS


 累積的情報空間の構築(Construction of cumulative information space)というなんの捻りもない英文の短縮語。ほんの、つい最近開発された技術。


 この技術を作った研究機関のスタッフに原理を聞けば、懇切丁寧にこちらの頭がパンクするまで話してくれるけれど、まあわたしには半分も理解できない。


 けれど、大事なことは一言で済む。


 この技術を使えば、「死んだ人間に会うことができる」のだ。


 透き通ったおぼろげな姿でも、セピア色をした過去の姿でもない。「生きた人間」として。


 矛盾している? そうね。


 でも、それはほんとうのこと。今この場にいる市倉(いちくら)耕史(こうじ)という人間は声によって大気をふるわせ、わたしの耳へと言葉を流し込んでいる。テレパシーとか、天からの声でもない。れっきとした物理法則に従って。


 さて、ここでもう一問。


 そのような技術がメディアを通して一般に公開されたとしたとします。それで救われる人間と、何らかの被害を受ける人間の数は、どちらが多いでしょう?


 答えは明白。どう考えたって、後者の方が多いに決まってる。だって、何のために日本には死刑という制度が残っているの? 自分の神が絶対だって証明しようと躍起になっている人たちは、どうして爆弾をしょって航空機に乗っていくの? どうして、毎日自分の信じる神に向かって、五体を捧げなきゃならないの?


 死の否定。それだけ聞けば最高に平和的な言葉だけど、それが本当に実現されたとしたら、わたしたちの文化の何割かが役目を失ってしまう。何かが失われるとき、そこにあるべきエネルギーはもっぱら破壊へと働く。ちょうど、空いた穴を塞ぐために流れ続ける滝のように。


 だからこそ、この技術はまだ秘匿されるべきもの。世界中の政府がこんなものを本気で発表したら、贔屓目でみても綺麗とは言えない花火が世界中の地面を抉るのは想像に難くない。そしたら、この国だってただじゃ済まない。


 だから、この技術には参考意見(モニター)が必要だった。貴重な意見と、この世界から累積情報空間(CIS)というモニターの向こう側に行ってしまう人間が。


 わたしに未来がないというのは、つまり、そういうこと。端的に言ってしまえば、わたしは死ぬ。ここ半年間健気にわたしの体を支えてきたナノマシンが、明後日、活動限界を迎えるから。


 そういうわけで、CISに入る前には様々な検査が当事者に対して行われる。わたしが研究施設のモルモットか、人類で初めて宇宙に進出する宇宙飛行士(アストロノーツ)と見るかは、あなたの自由。


 ついでに言うと、わたしがCISに来るのは初めてじゃない。わたしが初めてここに入ったのは一ヶ月も前のことだし、そこで耕史と感動的な再会を果たしたのも、もう過去の話。つまりは、三ヶ月前にわたしと耕史は永遠に会えない悲恋もののカップルになって、それから僅か二ヶ月でごく普通のだらっとした男女に戻ってしまったというわけ。


 より正しく言うのならば、耕史はこの場所から出られないから、具合が悪くて入院した彼氏を見舞いにきている感じだろうか。CISという名の病棟へと。


 C-CISにオカルト的な要素があるとしたら、これぐらいだろう。なにせ、CISに行くための扉ときたら、その境界面に、白いもやがかかっているんだから。


 確かに、死んだ人間に会えるというだけで、オカルト的な要素はある。でも、巫女に憑依するわけでもなく、突然天から光が射すわけでもないのに言葉を話し、ついでに人間と同じ体温を持った一次死者(アストロノーツ)は、どう考えてもオカルトとしては失格ものだ。


 ……話を戻しましょう。


「つまり、わたしと耕史は、生者と死者という越えられない壁を隔てているはずだった。でも、今、こうやって話している」


 耕史はうんうんと頷く。


「じゃあ、あなたは『何』なの?」


 当然、この問いに対する答えを、わたしはあらかじめ知っている。


 一次死者(アストロノーツ)


 累積情報空間(CIS)でのみ姿を保っていられる、死んだはずの、生きた人間。今の耕史はわたしと彼だけしか知らない秘密を知っているし、幼いころの記憶もちゃんとある。


 ここで、あなたに質問。


 わたしの目の前には、三ヶ月前に死んだはずの人間が、わたしの質問に対してうまい答えを返そうと首をひねっています。彼には実体があり、考えるための頭があり、そしてなにより生物としての温もりを持っています。


 彼を死者と形容するのに、あなたは違和感を覚えるでしょうか。


 彼らがアストロノーツと呼ばれるのは、そういった理由からだ。宇宙工学(Commonweal of Independent States)によって開発された宇宙服がなければ、一分たりとも生存できない宇宙飛行士(アストロノーツ)のように、彼らは累積情報空間(CIS)がなければこの世界に存在することができない。


 一次死者にアストロノーツという呼び名を定着させた本人が、こんなゴロを考えていたのかは、正直言って疑わしい。宇宙工学といったらそんなややこしい表現をしなくても宇宙(space)工学(engineering)で事足りるし、カナダでアストロノーツとはでかせぎに行った人を示すのだから。


 とはいえ、どちらも遠くへ行った人という意味では共通する。そして、言葉の響きとしても、アストロノーツって言いやすい。少なくとも、わたしがほかの表現を思いついたことはなかった。


 一次死者(アストロノーツ)とは、ようするに、


「俺は、俺だよ」


「でしょうね」


 それ以上の意味を持つことはない。


「じゃあ、ここでわたしからの攻撃をひとつ」


 わたしは言うと、耕史の胸を指でつく。


「あなたは死者で、わたしは生者。でも、あなたはこうやって生きている。他ならぬ、あなた自身として。じゃあ、わたしが死んだときに、わたしがわたしでなくなるとしたら、わたしは一次死者(アストロノーツ)にはならないわ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()。それがキーポイントだ。耕史はちょっと首をひねり、わたしの言葉の意味を真剣に考える。本当は、この言葉に深い意味なんてなかったのだけれど。


 耕史がキーポイントにたどり着いたのは、それからたっぷり一分ほど経ったころだった。


「玲奈が、玲奈じゃなくなるの? それっておかしくない? 記憶を失ったりとか、二重人格とかだったらありうるかもだけど、死んだからって別の人間にはならないよ」


「あら、死を目前にした人間の価値観が百八十度回転するのは、よくあることよ」


「少なくとも、玲奈は変わってないと思うけど?」


「耕史は病院に通う前のわたしを知ってるの?」


「あ、知らないや」


 はい、論の防衛成功。今のところ耕史はわたしの攻撃に反論すべき点を見つけられず、反論が見つかるまでこの前提を使わなきゃならない。


 確かに、この会話は恋人らしくないと言われたら、わたしはそれを受け入れなきゃいけなくなる。恋人同士なら、最近部活がどうのとか、友達がどうのとか、はたまた何かが不安だとか、誰にもいえない秘密だって長々としゃべっているはず。わたしたちだって一時期はそんなだった。


 それでも、わたしと耕史がこんなディベートをやっていたのは、単にわたしたちが恋人という関係だけではないことが原因だった。


 当然ながら、わたしはここ二年間ほど病院通いをしている。わたしの体をどうにか生きながらえさせているナノマシンの技術は国内では例が少ないものだから、家からはちょっと離れた所まで出向かなければならない。


 そうそう、あなたなら知っているでしょうけど、ルールにのっとってここの説明もしないとね。わたしが何でナノマシンに頼らなければ生きてゆけない体になってしまったのか。そして、どうしてこんな勝負をするようになったのか。


 それは、わたしが先天性の大腸がんだったから。


 早期発見はできたかもしれない。少なくとも、わたしの母さんはそう言って後悔していたし、確かに早く見つけていればここまでにはならなかった。


 けれど、毎日成長し、他愛のない生活に忙しい学生のどこから「がんの心配」なんていう健康志向発言が出てくるだろうか。出てきたとしても、わたしには関係ないという言葉が、懸念に負ける日は絶対にこない。


 そういうわけで、わたしが十五の時にはすでにがんは末期の状態で、助かる確率なんかこれっぽっちも残ってなかった。


 それでも、余命を延ばそうとした。延ばそうとして、茨の道を歩んだ。


 耕史と出会ったのは、そのころだ。彼はわたしが通っていた病院に研修の名目で看護師をやっていた。年の近い人間は彼しかいなかったから、自然と会話をするようになった。


 わたしたちに共通する趣味として、SF小説を読むことがあったのは、本当に奇跡的なことだったと思う。思えば、それが事の発端だったのだから。


 まず、彼とわたしは暇つぶしにお題を出し合い、どちららかがどちらかを「言い負かせられるか」という勝負をしていた。準備期間は、次に会うときまで。


 この勝負が、とあるSF小説からきているということは、言うまでもない。


 そして、今日の所はこの場でお開き。わたしも耕史も、明日の勝負で語るべき論を一晩かけてじっくり考えるというわけ。


 さて、ここから先はあなたの知らないわたしの記憶の話になるけれど、この賭けをもっと有意義なものにするために、話しておくことにしましょう。


 とはいっても、この出来事があったのは耕史と賭けを始める、少し前のこと。わたしはCISの施設のスタッフに、一次死者(アストロノーツ)のことを聞いていた。言うならば、予習ってところ。


 ずるいじゃないかって? わたしはルールに誰かに相談してはいけないっていうものは入れていないし、あなたも反対しなかったはずだけれど?


 ……よろしい。


 さっきも言ったとおり、CISの原理はとても複雑で、わたしには深く理解できなかった。それはあなたも同じでしょう。だから、わたしが理解できたところだけ、ちょっと会話を再現することにするわ。


「それじゃあ、端的に言って、彼はわたしの知っている市倉耕史という人間ですか? それとも、よく似た複製なんですか?」


 この質問が出るまで、わたしの対応をしてくれたスタッフの人は懇切丁寧にCISについて説明してくれたけれど、そこにはわたしの知りたいことはなかった。だから、わたしはこんな身も蓋もない質問をすることになったというわけ。


「その質問には……」


 スタッフの男は、よく研究を重ねた地球学者が、「地震を完璧に予測することはできるのか」という質問をされたみたいに言葉を濁した。


 ここまでわたしは十分近く話を聞いていたのだけれど、男の身体的特徴に目を向けたのはこれが初めてだった。白衣姿の、痩せ型。目の下のくまには披露の色がありありと浮かんでいたけれど、その目はとても充実した人間のそれだった。


「はっきりと答えることはできないのです。そうですね……わたしたちは、目に入った光を視覚として処理し、耳の鼓膜や三半規管に伝わった振動を音として知覚します。他の情報も然り、です。では……」


 男は自分の手と手を握りながら、滔々と喋った。


「この場合は、Aさんという人間がいるとしましょう。Aさんが死んでしまったとして、あなたはAさんの発する声や、その容姿を完璧に覚えていたとします。もし、あなたの目の前に、Aさんと同じ空気の振動を発し、全く同じ波長の光をあなたに届ける存在がいたとして、それはAさん以外に誰がありうるのでしょう?」


 一見、死角のない弁論だった。少なくとも、この場ですぐに反論はできそうにない。しかも、この男はさらなる反証を用いてこの論を補強しだした。


「また、Aさんが生きていたとしましょう。その場合にもう一人のAさんが存在しているのならば、もう一人のAさんは偽物ということになります。例え、どんなに似ていても、です。しかし、もう一人のAさんが偽物だと証明する『生きた』Aさんは、もう存在しないのです」


 まったくもって、お手上げだ。この直後にあんな賭けを始めただなんて、確かにわたしはおかしかったかもしれない。


 でも、だからこそ、わたしはこれに賭けた。


 「世界五分前仮説」を聞いたことがあるだろうか。バーランド・ラッセルによって提唱された、すべてを覆すために作られたような仮説。


 例えば、世界が五分前に始まったとする。けれど、わたしは十年前の記憶を持ち合わせているし、人類の歴史は何千年も紡いでいるとされている。


 では、その記憶も、歴史も、すべて五分前に「作られた」ものだったとしたら?


 そこで、すべての理論は凍結する。七日間で世界を作った神の所行が、どんな理論も追い越していくように。「作られた」という仮定が、すべてを「無意味」という塵に帰していく。そして、この論を反証することは事実上不可能だ。


 一次死者(アストロノーツ)の存在が、生きていた人間とは別の存在だと唱えることは、つまり、そういうことなのだ。


 だって、全く同じ姿を持ち、嫌でも記憶を呼び起こすその声の持ち主が彼じゃなかったなら、生きていたころの彼が本物の彼だって、どうやって証明するの? 五分前のわたしが、本物のわたしだってことを、どうやって証明すればいいの? 五分前のわたしは、分子レベルで見れば別の存在なのに?


 過去の否定。わたしがわたしでなかったという暴論。


 わたしがやろうとしているのは、そんな論の証明なのだ。これから消えゆく人間にぴったりの無責任な遊び。


 ねえ、そうは思わない?


 ……そうそう、もう一つ、前提条件の確認が必要だわ。わたしたちが、どのような存在なのか、今一度確認しておきましょう。


「それじゃあ、一次死者(アストロノーツ)って、どういうふうにCIS内で現れるんですか?」


「その話は最初にした気がしますが……」


「あら? そうでした?」


 暴力的な論を組み立てすぎて、話が一回りしてしまったようだ。そんなときはどちらせよ、入り口を確認することは重要……のはず。


「まあ、この話は難しいですからね。


 一次死者(アストロノーツ)がどうやって現れるか。その仕組みはCISの構成と密接なかかわりを持っています。そもそもC-CISの本質とは、『累積情報空間(CIS)』という架空の空間を、現実に出現させることにあります。CISは架空の空間ですから、私たちと同じ空間に存在しているわけではないのです」


 ここで、スタッフの男は右の手を開き、こちらに見せた。


「私たちが普段色として見ているものは、実はその物質そのものの色ではありません。太陽や、室内の光源から発せられた光が、この手に反射して目に届いているものを見ているのです。


 ……変な言い方になりますが、この手が植物の葉だったとして、葉が緑色に見えるのは植物が緑色の光を光合成などで使わないからです。つまり、自分にとっていらない色を吐き出していることになりますね」


 これはちょっと聞いたことがあった。じゃあ、これを一次死者(アストロノーツ)に当てはめると?


「CISの中のすべてのものは、その物体が他の物体に対してどのように干渉していたかを再現したものです。この宇宙に存在するすべての物質は、絶対的に見てすべて最古の原子、素粒子で構成されています。すべての物質は否応もなく過去を持っているのです。


 ですから、CISに入った当事者……この場合はあなたですね……も過去を持っています。あなたは様々なものに干渉し、そして干渉されてきたはずです。一番わかりやすいものとしては、人間ですね。……ここまで、わかりますか?」


 全てを完璧に理解した。なんて言ったら嘘になるけれど、わたしはこの先、このスタッフが何を言おうとしているのかなんとなくわかってきた。


――もし、あなたの目の前に、Aさんと同じ空気の振動を発し、全く同じ波長の光をあなたに届ける存在がいたとして、それはAさん以外に誰がありうるのでしょう?


 つまり、そういうこと。わたしに干渉し、干渉され、恋人という関係を今なお続けている耕史という存在は、CISの中でわたしの記憶の中の彼と全く同じ音を発し、同じ光を届けている。


 ここでも、「世界五分前仮説」に近い仮説をたてることができる。


 例え、彼が実体を持たず、「彼そのもの」として認識できる情報をわたしに与え続けているだけの存在だとしても、わたしは彼を彼と認識することしかできない。


 そしてそれは、現実だって同じ事。


「CIS内では、あなたの体験……というよりはあなたを構成している物質が体験してきた過去が、再現されます。とはいえ、全ての過去を掘り起こすことはできませんし、それを実行したとしても意味をなさないでしょう。ですから私たちは、社会的に最も価値があると考えられる、『死者』を再現することにしたのです。ここでは再現という言葉を使っていますが、CIS内では『死者』がもし生きていたとして、私たちに与えたであろう影響すらも再現されます。それは、もう再現とは言えないのではありませんか?」


 このあたりになると、わたしにはもうわからない。そのかわりに、わたしにはちょっとひっかかったことがあった。


「過去を再現するって言いましたよね? じゃあ、死んでいる人間ではなくて、生きている人間を再現することはできませんか?」


 わたしが言うと、スタッフの男はあっと小さく声をあげた。しかしそれは「想定していなかった」のではく、「言い忘れていた」という類のものだった。


「それは……できません」


「どうしてですか?」


 すかさず食いつくと、男は自分の手と手を握りながら唸る。この男は考えるときに自分の手を握る癖があるらしい。


「どうしてできないか、というよりは、何故かできないのです。CIS内で死者が再現されるとき、その死者の情報は当事者……あなたのことですが……の記憶を元にします。あなたの記憶を頼りに、一人の人間の情報を組み立てるのです。ですから、生きている人間でも問題ないはずなのですが、何故か現れないのです。今のCISでも、本当はあなたの記憶の中にある『死者』ではなく、『人間』を再現するようにプログラムされているはずなのですよ」


 正直言って、この話は意外だった。だって、この話が本当ならC-CISが認識している「人間」という存在は、死んでいるものとして認識されていることになるんだから。


 と、考えて、わたしはC-CISが何でできているか疑問に思って、聞いてみた。


「演算装置……分かりやすく言うならば、コンピューターと思ってもらってかまいません。とはいえ、C-CISに使われているものはフォトニクス結晶コンピューターと言って、人間の神経系を模した、常に変化し続ける回路を持ったコンピューターです。この演算技術は……」


 ここから先はとにかく訳の分からない世界だ。だからわたしは、ひどくデフォルメされた理解の仕方をしなければならなかった。


 曰く、物事を演算して演算して演算していたら、いつの間にか演算されていた物事が実像として浮かび上がり始めた。ちなみに演算していた対象というのは、十数年前に脳梗塞で亡くなったとある量子力学者らしい。


 その天才と呼ばれた量子力学者の脳を解明するため……そしてあわよくば彼の脳を再現して意見を仰ぐため、さっき話に出た最新のコンピューターで演算しまくったらしい。


 そしたらあら不思議、ある日研究員が端末のある部屋に入ってみると、そこには亡くなったはずの某量子力学者がコーヒーを片手に朝の挨拶をしてきたではありませんか!


 斯くして、某量子力学者は最初の死者となった。皮肉なことだけれど、彼の助言がなければC-CISの開発は、少なくともあと五年は遅くなっていたという。まるで最初に死者の国に入り、それから死者の国を支配しだした閻魔様のよう。


 この話の間にはもっともっと苦労話があって、特に某量子力学者についてはさまざまな格言が飛び出したのだけど、まあそこはわたしたちには関係のない話。


 その後わたしはあなたに会うためにCISへと入っていった。ナノマシンの寿命が近いことを話したのは、確か五日前だったかしら?


 ……そうね。今のあなたとわたしは、初対面のようにふるまうルールだったわね。


 なら、わたしと耕史がどうして恋仲になったのか、改めて確認しておきましょう。


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