186話 オーガでの修行
修行は分かっていた通り、走り込みからだった。
いやこれ、走り込みっていうか完全に登山だよね? 重い荷物を持ち、えっちらおっちらと山道を登る。
荷物が重い。装備が重い。剣が重い。足取りが重い。呼吸がきつい。
「大丈夫ですか?」
横を歩くサティが心配げに聞いてくる。他の面子はすでに相当先へと進んでいる。
「大丈夫。それより悪いな、付き合わせて」
俺の言葉にサティが首を振る。体力は休養でほぼ回復しているのにこの体たらく。もともと体力がないのもあるのだろうが、原因は肉体強化を始め、ステータス強化関連のスキルを全部リセットしてしまったことだ。
レベル5で3.5倍。それがなくなってステータスがいつもの三分の一になった計算である。
だがむしろ加護のない今が通常の状態で、しかしステータス強化がなくなったところで元のステータスは常人より相当に高い。問題はないだろうと思っていたが……
もうどれくらい歩いただろうか? メニューで時間を見ると出発してまだ三〇分も経ってない。サティたちも初日戻ってきたのは日暮れ後だった。あと何時間こうして歩いてなきゃならんのだ?
サティによると最初に見えている大杉まではまだ道が良くて楽なんだそうだ。これ日暮れまでに完走とか絶対無理じゃね?
「マサル、スキルをリセットしろ」
初日の修行は剣聖がそう言い出したことから始まった。
「本当は剣術も一から仕込みたいところだが、時間がないしお前は嫌がるだろう。だから強化関連だけで良い」
剣聖と色々話し合った結果、俺は力を使いこなせてないのではという結論になり、ならばリセットして最初から鍛え直せばいいだろうという理屈である。
エルフの里での休暇は、俺もずっといちゃいちゃしてたわけでもなくて、ちゃんと休養を取っていたし、剣聖とも色々と話し込んだ。
話題は主に俺のことと、加護に関してである。
それに剣聖も姿が見えない時は別にずっと観光していたわけではなかったようで、エルフに俺のこと、エルフの里防衛戦での話をたっぷりと仕入れて来て、お返しにビエルスでのことをエルフに話して好評だったようだ。
特に剣聖とうちのパーティのガチバトルの模様は何度もしたようだ。会食で何度か俺も聞いたし、俺視点での話もさせられた。
エルフの手練とも手合わせをして、三日が過ぎる頃にはエルフの多大な尊敬を勝ち取っていた。
「そもそもマサルは体が貧弱すぎるのだ。まずは加護に頼らない力を身につけるところから始めねばいかん」
ニート時代から見れば相当に締まった体つきにはなってはいるが、鍛え上げた冒険者や剣士に比べるとまだまだ貧弱なのは確かだ。
「走れ。剣を振るうにも足腰を鍛えるのがまずは基本となる」
それは覚悟はしていたが、加護をリセットさせられるのは想定外だった。そしてそれ以上に加護を無くしたことでこれほど力がなくなるとは思いもしなかった。
知らず知らずに加護に頼っていたのだろうか? 頼りすぎていたのだろうか?
時間を確認するがさっきからまだ一〇分も経ってない。だいたい荷物が重すぎるんだ。ただでさえ装備が重いのに、背負う荷物も加護がある時に測った力の強さから想定した重量だ。
減らしたほうがいいんじゃないかと言ってはみたが、すぐに却下された。
「慣れろ」の一言である。
慣れる前に潰れちゃうんじゃないだろうか。ちらちら目に入る大杉はまだ全然近づいているようには見えない。時間は――
走り込みの次は剣の稽古である。下半身と上半身を交互に鍛える方針のようだ。慣れてくると走り込みからは昼までには戻ってこれるそうで、午後からは走り込みでふらふらになった状態でひたすら剣を振るう。俺たちは走り込みで一日を費やすので剣は翌日だ。
限界まで疲労した状態で無理矢理体を酷使することで自分の限界を体感するのだそうだ。
しかも夜中近くまで登山をして戻って、翌日も朝一からだ。回復魔法がなければ初日に膝をぶっ壊して死んでいた。
「お前弱いぞ! ほんとにリュックスさんに勝ったのか? これならオーガのやつらのほうがまだ手応えがある」
最初に立ち会ったコリンが馬鹿にしたように言う。
登山の疲労できついのを差っ引いても体が動かない。いつもの大剣は重すぎるので、初期に使っていたような軽めの片手剣にしたのだが、それでも思うように振るえない。加護をなくした弱体化は想像以上だった。
「そうだな。マサル、しばらく下でやり直してこい」
致し方ないにせよ修行開始二日目でのオーガ落ちである。タチアナにやっぱり! とか言われそうだ。
「攻撃魔法は禁止だ。勝てとは言わん。最低限リュックスとまともに戦えるようになるまでは戻ってくるな」
リュックスか。果たしてこの状態で戦えるようになるのだろうか? 俺は所詮は凡人。加護がなければ剣聖の弟子になる資格などまったくなかったのかもしれない。
ああ、でも走り込みをしないで済むのはいいな。あれはもう二度とやりたくない。
「走り込みは続けるぞ。走る日はちゃんと戻ってこい」
俺の考えを見透かしたように剣聖が言った。ちくしょう。
とぼとぼと山道を一人で歩き、オーガの闘技場の門を開けると剣士たちが皆手を止めて、何事かとこっちを見ていた。リュックスはいないか。
「マサル、まさか戻されてきたのか?」
声をかけてきたのは不動剣の使い手、七位のブリジット・ミュールベルちゃんだ。
「そんなとこだ」
「上から戻ってくるのは珍しくない。私もそうだった。まあ元気出せ」
とりあえず手始めにブリジットちゃんにお相手をしてもらったのだが、これがまったく敵わない。
力負けする。剣を振る速度も追いつかない。相手の動きがしっかり見えているだけに、今の俺の弱さがよくよく理解できる。
「……これで本気か?」
何度か立ち会って全勝したブリジットが首を傾げて疑問を呈する。さすがに弱すぎると思ったのだろう。
「疲労で体が動かない」
そう言って誤魔化しておく。だがどうしよう? もっと弱そうな相手に手合わせを申し込んでみるか? そんなことを考えているとリュックスがやってきた。
「おお、マサルじゃないか。どうした? もう落ちてきたのか」
「ええ。師匠にリュックスさんと攻撃魔法なしでまともに戦えるまで戻ってくるなと」
これまで呼び捨てでタメ口だったが、もはやリュックスにそんな口は叩けない。リュックスさんで敬語である。
「ほう。では少しばかり稽古をつけてやろう」
もちろん散々だった。話にもならない。
「走り込みの疲れか?」
「それもあるんですが……ここだけの話、師匠に力を制限されてかなり弱くなってます」
ここは弱くなったのを正直に話したほうがいいだろう。見栄を張ったところでオーガの上位には到底かなわない。下位なら勝てるだろうか? もしかするとゴブリンクラスからスタートするのがいいんじゃないかとすら思う。
「制限? 確かに相当に弱くなっているが……何か変な薬でも飲まされたか?」
あの薬湯はまだ飲んでいる。あいまいに頷いておく。
「ふうむ。じゃあ一番下から試してみるか」
リュックスに連れられ、闘技場の反対側へと移動する。どうやら上に近いほうが上位。下の町に近いほうが下位と住み分けて練習もしているようだ。
今は四、五〇人ほどが練習に励んでいるだろうか。
「せっかくだ。イベントにしよう」
ニヤリと笑ってリュックスが言った。
「聞け! 一〇〇人抜きのマサルがオーガに戻ってきてくれた!」
パンパンと手を叩いて注目を集め、リュックスが話しだした。戻ってきてくれたの下りでちらほらと見える観客から笑いが起こる。
ああもう。好きにしてくれ……
「上での厳しい修行で疲労困憊。攻撃魔法は禁止で一〇〇人抜きに再挑戦してくれることになった! 果たして今のマサルで何人抜けるのか! さあ張った張った!」
最初の相手はオーガに上がりたての新入り。つまりオーガでも最下位だ。
いや、オーガまで上がってきたのだ。相当な強さのはず。今の俺ではこのレベルですら油断はできない。
ここで負けてしまったら更に下に落とされるのだろうか? さすがにそれは恥ずかしすぎる。なんとしても勝たねば。
もっと今の体が動かない状態を想定して戦わなければならない。力と速さではなく、技で勝つのだ。
そんなことが出来るか? だがやるしかない。くそっ。せめて少しくらい練習がしたい。今の状態に体を慣らす時間がほしい。
だがこうなっては実戦で慣らすしかない。慎重に、手探りで戦おう。
「よろしくお願いします」
「え、あ。お願いします」
あまりそういう習慣がないのだろうか。相手の新人剣士は俺の礼に戸惑ったように返事をした。
開始の合図がかかった。相手は警戒している。それはそうだろう。落ちてきたとはいえ、元ドラゴンクラスだ。普通なら敵う相手ではないと考える。
それが俺には都合がいい。じっくりいこう。小手調べとばかりにちょっかいを出し、相手の攻撃を慎重に捌く。
よし。やはり動きはしっかりと見えている。サティや上位の連中に比べると動きが悪い。防御に問題はない。
がっちりと防御を固め、少しづつ攻撃の手を強めていく。
いける。今の俺でもこの程度の相手なら問題はない。考えてみれば加護もレベルも俺より相当少ないウィルやシラーちゃんも、オーガ上位の実力はあったのだ。
今回リセットしたのはステータス強化のみ。剣術や回避系スキルなどはそのまま残している。
ほどなく俺の攻勢に耐えきれず一撃が入り、勝負はついた。
だがちょっとヤバイ。上で少し戦ってきたにせよ、一戦目にしてすでに足の疲労がきつい。剣は軽くなったが装備は相変わらず重いし、長期戦は厳しいが……やるしかない。
二人目、三人目と順調に倒していく。足はまだもちそうだが、今度は腕まで重くなってきた。
五人。そして十人。今日はここにいる人数も少ないし、すでにオーガ中位クラスに差し掛かっているだろうか。手強い。
「もう相当に疲れているようだな。それに攻撃魔法もない。先日のリベンジをさせてもらうぞ!」
十一人目はどうやら俺の魔法でぶっ飛ばされた奴らしい。ここまでの相手はどこか警戒して慎重にかかってきていたが、こいつは違った。最初から勝つつもりで積極的にかかってくる。
腕が重い。足が重い。こいつは手数が多い。防御で手一杯になる。
だが攻撃に粗さがある。隙が――ミスった。反撃で僅かに攻撃を食らう。鎧でダメージはないが、初めて攻撃を受けた。
防御主体で戦っているのを見透かされているんだ。俺も積極的に動かないと。リスクを恐れてはいけない。
もっと踏み込むんだ。それが俺のスタイルだったはずだ。ダメージを恐れるな。死ななければ回復はできる。
突然の攻勢に対応できなかったのか、そいつは俺の一撃で倒れた。
体は重いが、それにも慣れてきた。まだ戦える。
十二、十三……腕や足が疲労で震えてきた。剣が重い。
「休憩を取るか?」
リュックスがそう聞いてくる。
「いや大丈夫。これも修行だ」
水分だけ補給する。剣聖の指令は自分の限界を知ること。その限界を超えたところに奥義があると言う。俺はまだ限界ですらない。
十五、二十。もう足はろくに動かない。腕にも力が入らない。相手の打ち込みに押される。打ち負ける。
だが相手の動きは見えている。集中しろ。隙を見つけるんだ。
二十五人目。動きの落ちたところを突かれた。まともに攻撃を食らう。真剣であれば致命傷となりかねない一撃。
だが甘い。勝ったと油断した相手にそのままカウンターをぶち込み、強引に倒した。
「ヒール」
痛みと疲労で頭がくらくらしてきた。これでやっと半分くらいか。
「まだいけるか?」
「ああ」
「タフだな」
「王国では不死者という二つ名をもらっている。この程度」
呼吸が落ち着いてきた。
「次だ」
二十六、二十七、二十八、二十九。一人一人が恐ろしく手強い。歯を食いしばり限界を絞り出し、薄氷を踏む思いでの勝利を重ねる。
そして三十人目。攻撃を食らい膝をつく。それでも構えを解かない俺に、相手は油断なく追撃をかけてきた。回復している隙は与えてもらえない。
ダメージで体が思うように動かない。必死に防御を試し見るが防ぎきれない。
そのまま二発、三発と容赦ない攻撃を食らい、ついに地面に転がり、そこに剣を突きつけられた。
「……参った」
三十人か。一〇〇人抜きには程遠いが、よくやれたほうだろうか。
勝利者への歓声と拍手をBGMに回復魔法を唱え、よろよろと立ち上がる。俺への拍手もあるようなので軽く手を振って、闘技場の隅へと移動し座り込む。
負けた相手はオーガで中位より少し上くらいだろうか。思ったより勝てたというか、この程度で負けたと言おうか。これが今の俺の実力ということなのだろう。
「お疲れさん。なかなかの熱戦だったぞ。客もいいものが見れただろう。これは賞金だ」
そう言ってリュックスから硬貨を何枚か渡された。少なくともそう不甲斐ない戦いぶりではなかったようだ。
「もうすぐ昼だ。食事の用意があるから食っていくといい」
いちいち町まで戻らなくていいように選手や観客向けに食事があるらしい。
その後はどうするか。考えるまでもないな。修練だ。
リュックスには勝てなくてもいいが、オーガの残り全員を倒さないと再び上に上がれない。
二位は不在でそうするとラスボスは三位のサンザか。あれに剣のみで勝とうとか無謀にもほどがあるな。
何をこんなに必死になってんだろうと思わなくもないが、上で修行をしているサティたちに置いていかれたくはないし、魔境にはかつて剣聖ですら勝てなかった相手がいたのだ。
もっと。もっと強くならないと。