164話 バーンフェイス
ビエルスは見たところ、シオリイと同じくらいの規模の、どこという変わったところのない町だった。剣聖はどこにいるんだろうと思ったが、すでに夜になり、本日もかなり疲労困憊していたので、適当に目についた酒場に入って、個室を用意してもらい休憩することにした。
フランをビエルスの領主の館に送り届けるのは他にお任せして、俺とティリカとウィルで留守番だ。
結局フランとウィルは以前のようにとはいかなかったようだ。道中の稽古は無難に行い、態度は丁重なまま。こりゃウィルに脈はなさそうだ。まあ数日後にまた会えるし、ウィルがどうにかしたいなら、そこから長期戦だな。
まあ俺にはどうでもいいことだ。そんなことよりいい加減疲れた。
「今日は屋敷に帰りたいな」
俺の部屋の、ふかふかのキングサイズのベッドでゆったりと寝たい。お金も節約できる。こんなに疲れてる時にお風呂もない安宿は嫌だし、いいお宿は高い。
俺の体調が万全ならこの二日間もついでに狩りができたはずで、多少の無駄遣いも平気だったのだが。
「それなら明日は一日家で待ってればいい。エリーのところについてから合流すれば問題ない」
そうティリカが提案してくれる。明日、もう一日移動すれば最終目的地のエリーの実家に到着する予定なのだが、日数短縮のためかなり移動時間を増やしていて、今日も完全に日が落ちてからの到着で、俺の体力が厳しいことになっている。
「それはいいな。とてもいい案だ」
俺と……エリーとリリアはダメだし、サティも探知に必要だ。そうすると一緒に留守番が出来るのはティリカかシラーちゃん。道中何かあった時のことを考えると、前衛はウィルも出来るし、シラーちゃんなら引き抜いても大丈夫だろうか。
一人さみしく留守番なんか嫌だし、ウィルはもちろん論外だ。
「じゃあシラーと待ってるよ」
この分じゃ明日もまだ安静でお荷物だろうし、安全な村の屋敷で待っていたほうがみんなも安心だろう。それに人数が減って軽くなった分、リリアが楽になって行程が捗る。エリーの実家での仕事もあるし、何かあったときに備えて俺は十分に休息を取っておいたほうがいい。
危険に関しては地上の敵は無視できるし、空の敵は接近前に気がつける。手強そうな敵が出たら逃げればいいし、俺とシラーちゃんを回収してから戦闘に入ってもいい。
明日からのルートは魔境に近い辺境で危険は増すようだが、引き続き街道沿いを通ればそれで特に問題もないはずだ。
いやしかし、王都以来の久しぶりの休暇じゃないだろうか? ついでにシラーちゃんと友好を深めておこう。王都で加護ついてからこっち、あっちのほうの仲を深める機会が少なかったことだし、一日いちゃいちゃと――
「運動はまだ禁止ね。シラーもしっかりマサルの様子を見て、安静にさせておくのよ?」
フランを送り届け戻ってきたエリーに休暇する案は賛成してもらったが、釘をさされてしまった。
今現在ぐったりした状態で、明日は大丈夫だとはさすがに言えないし、みんなが辺境を旅してる間に俺だけ遊んでいたいとも主張できない。
残念だが明日はのんびり休んでいよう。
町の外へ出て、人気のないところへ移動し、村の屋敷へと転移で戻った。
うちのお風呂に自分のベッド。やっぱり我が家は落ち着く。アンも連れて来れたらよかったんだが。
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翌朝、出発するみんなをシラーちゃんと見送る。昼ごはんだけ食べに戻ってくるそうだ。俺のアイテムボックスも使えないし、俺の様子見ついでだ。
今日の体調はずいぶんといい。頭痛や気分の悪さがなくなって、あとは疲労が残っているくらい。長期戦じゃなければ戦うことくらいできるし、魔法の使用も問題なさそうな気がする。
一応今日も魔法は使わず、明日エリーの実家で様子を見つつ、試してみる。壁や家なんかはエリーも出来るようになったが、農地作成魔法だけは俺しか使えない。
とりあえず日誌がかなり溜まっているので、書いておくことにする。
居留地の出来事に倒れた顛末。魔力使用量限界に関する考察。
思いついて米のことも問い合わせる。日本人にとって米はソウルフードである。それがない遠方に人を派遣してるんだし、福利厚生に米くらい寄越すべきだな。
ヒラギス奪還戦の空白になってる神託報酬に、すぐに食べられる状態の米と種籾、あと出来れば醤油と味噌の製法がほしい。大豆はあるから自力でやってもいいが、それでは一年や二年は最低でもかかるし、ちゃんとしたものが出来るまで何年かかるかわからない。
種籾は美味しいのと、病気や冷害に強いのと、あとはもち米がほしいかな。
米と醤油と味噌は、料理と併せて我が領地の基幹産業となるはずだ。みんなも反対はしないだろう。
日本酒を作ってもいいな。要求リストに日本酒の製法も付け加える。
出汁は昆布と鰹節、あとは煮干しか。こっちは調べなかったが、帝国には海があるから、鰹はともかく昆布と煮干し用の小魚は入手出来るはずだ。
他に何か……カレーにチョコレート。あとはコーヒーとか? 欲しいものは結構あるが、あまり贅沢は言うまい。このあたりはあったらいいな程度に留めて、とにかく米だ。米を一俵、まずはほしいと書いておく。
ノートを閉じて、アイテムボックスに放り込む。いい返事が来ますように。
「さてシラーちゃん」
日誌書きも終わりすることがなくなったので、大人しく待っていたシラーちゃんに声をかける。
「ちゃんは止めてくれ、主殿」
シラーちゃんのほうが呼びやすいしかわいいのに。まあいい。アイテムボックスから衣装箱を出し、目当てのものを見つけ出し装着する。
「ほーら、ネコミミだよー」
「!?」
「遊ぼうぜ」
二日も禁欲で溜まっているのだ。多少ならリフレッシュできていいと思うんだ。
「あ、いや……遊んではダメだとエリー姉様に……」
「せっかくの二人っきりだよ。たっぷり可愛がってやる」
「ダ、ダメだ!」
ぶんぶんと首を振って言う。
「どうしてもダメか?」
「ダメだ」
きっぱりと言われた。シラーちゃんは中々デレないな。
パタリとベッドに倒れ込む。まああまりいじめてもかわいそうだ。することもないし二度寝するか……
「ちょっと寝る」
「そ、添い寝しようか?」
普段は自分からは来ないのに積極的だな。だがこれはエリーにしっかり面倒を見るように命じられているからだろう。
加護がついてまだ一〇日ほど。ほとんど移動か修行で、こっち方面はあまり仲良くする時間がなかった。これからじっくり仕込んでくれよう。
「大人しくしてるからおっぱい揉んでもいい?」
腰の剣を外して俺の横に潜り込んだシラーちゃんに聞いてみる。
「……ちょっとだけなら」
よしよし。
「ちょ、直接はダメだ!」
すすっとシャツの下に手を潜り込ませたら怒られた。
「お尻も尻尾もダメだ!」
注文が多いなー。でも胸だけでも顔を赤くして、ちょっと興奮してきたようだ。シラーちゃんはどこが気持ちいいのかな? 胸を中心に徐々に範囲を拡げて――
二度寝も終えて暇なので鷹の目を発動し、窓からこっそり村を覗く。今日も市場は賑わっているようだ。うちの村はまだ何も生産してないので、食料を売りに来てくれるのは助かる。
農地には秋に撒く麦までの繋ぎとして大豆や野菜が植えられ、ここを発つ前にはもう芽が出ていた。早く植えた作物はもうすぐ収穫できるようになるらしい。
少し寝て体の調子もいいし、気分転換に散歩に行きたいな。神官服に仮面は……怪しいか。フードくらいじゃ村人にバレちゃうだろうな。
いや、案外神官が視察に来たくらいに……
「なあ、こんな神官が村を歩いてたらどう思う?」
取り出した神官服に仮面を付けて、シラーちゃんに聞いてみる。
「祭りでもない時に仮面はかなり怪しいぞ、主殿」
お祭りや神事で使うらしいが、俺も実際仮面つけてる神官は見たことないわ。まあ仮面神官は封印した設定なので、元から使えないんだけど。
何か変装方法を考えるか、それともいっそゲートをバラしてしまうか。
ウィル方式の、フルプレートで顔を隠すのもあるな。でもこの村に冒険者は用がないから、完全装備で歩いてるのも怪しいか? それとも案外いけるか? オルバさんの知り合いで、日常的にこんな装備だとかなんとか言ってもらえれば……
まあ今日のところは休息をしっかり取れと厳命されてるからダメなんだけど。
変装用にプレートアーマーを発注しとこうかな。今の装備もちょっと傷が目立ってきたし、予備があってもいいだろう。
ぼんやりと村の様子を眺めていると、突然カーンカーンと鐘が鳴った。
「なんだ?」
敵襲!? 音は正門のほうだ。すぐに音がカンカンカンと連続へと変化した。緊急事態を知らせる鐘を連続で鳴らすのは、最大級の警報だ。
何が――居た。オーク……いや大きいな。おそらくオークキングだが、一匹だけ?
それならエルフの警備兵がどうにか……
魔法や矢が放たれているが躱されるか、大きい盾でしっかりと防がれている。それに門へと逃げる村人たちが邪魔で、思うように攻撃できないようだ。
エリーたちと合流……ってどうやってするんだよ! こっちに敵がでることは想定外だよ!
防具をつけている余裕はない。神官服のまま剣とバックラーを取り出す。ここにはいないことになっているから、変装用に仮面を付け直す。
「行ってくる!」
少しヤバそうだ。接近を許せばエルフは脆い。村は今日もたくさんの人で賑わっている。たった一匹でもオークキングだ。侵入を許せば大惨事になりかねない。
「私も!」
「シラーは走ってこい!」
【短距離転移】詠唱――シラーちゃんを連れてのフライでは間に合わない――発動。城壁への中間付近の家の屋根へ転移。もう一度、【短距離転移】詠唱――城壁の上へ。
突然真横に現れた俺にびくっとしたエルフに、「俺だ」と、短く告げる。何かいいかけたエルフを制して、オークキングを確認する。攻撃魔法は……逃げてくる村人を巻き込むつもりでもなければ無理か。
村の周囲の壁、城壁と言っていい規模の立派な壁は、さらに深い水堀で囲まれていて、正門には跳ね橋がある。有事にはもちろん橋を上げるのだが、今回の敵はオークキング一匹。村人の避難もまだだということで、上げる判断をしなかったのだろう。
村人はなんとか逃げ切れそうだ。それならオークキングが下に来るまで待って、大岩で潰そう。いつでも大岩を出せるようにメニューを用意しておく。
大岩でダメならエルフと協力して倒す。なかなか手強そうだが、たかが一匹。囲んでフルボッコだ。
だが逃げ込んできた村人の一人が、ようやく門にたどり着こうかというあたり、つまり大岩投下予定地点で転んでしまった。そこにまっすぐオークキングが、防ぎ切れなかったエルフの矢を何本か受けながら突っ込んで来た。
とっさに飛び降り、レヴィテーションでふわりと跳ね橋に降り立つ。
「村の中へ急げ!」
そう倒れた人に叫び、【エアハンマー】詠唱――オークキングの突進を止めないと、村人が踏み潰されてしまう。ぎりぎり間に合う――発動。
至近距離で放たれたエアハンマーはオークキングの持つ盾で受け止められたが、たたらを踏ませることができた。あわよくばダメージをと思ったが、岩をも砕く俺のエアハンマーでもよろめいただけのようだ。すぐに体勢を立て直した。
だが足を止めることはできた。そして俺を敵と見定めたか、唸り声を上げて向かってきた。
でかい。俺が何度か戦ったオークキングよりさらにでかいようだ。豚面じゃなかったら、トロールか何かだと思ったかもしれない。ボルゾーラよりさらに上背があり、手に持った大剣とタワーシールドがおもちゃのように見える。
顔が醜くただれているのは火傷か? ヘルムに鉄のプレートメイル。プレートメイルは胴全体と、腰と太腿あたりをカバー。あとの部分も革装備で防御力は高そうだ。
体には矢が刺さってるが気にした様子もない。
唸りを上げて襲い掛かってくる大剣を躱し、下がりながら剣の一撃を入れるが盾で防がれた。
エアハンマーはダメだ。効果が薄い。他のレベル1クラスの魔法、ファイアーアローでもこいつを倒すには弱い。
レベル2の魔法ならさすがに効果はあるだろうが、距離が近いと詠唱は潰されやすい。一歩二歩で剣の間合いになる距離なら、剣のほうが圧倒的に早い。
オークキングに防具もなしは気が進まないが、剣でお相手をする。
またオークキングの剣を躱し、膝上の革装備の部分に斬りつける。が、浅い。
急所は首か腰装備の隙間くらいか。あとは足を潰せれば楽になるはずだが、大振りではあるがリーチはあるし、防具なしでは一撃が致命傷になりかねず、あまり踏み込めない。
それに相当腕がいい。でかくてパワーがあるだけなら、瞬殺してやるところだが、剣と盾をかなり上手く使いこなしている。厄介だ。
ちょっとした隙があれば魔法剣を使ってもいいが、剣か盾で防がれてぽっきり折れてしまうリスクがある。アイテムボックスから予備の武器を出し、装備し直す余裕は当然ないだろう。
オークキングが一匹だからと舐めていた。
「助太刀を!」
エルフがそう叫ぶ。
「いらん! 俺が相手をしてるうちに門を閉じろ!」
門が閉じてしまえば、こんな危険な魔物の相手を直接する必要はない。さっさと城壁の上に退避してしまえば、あとは攻撃し放題だ。
とりあえずエアハンマー(弱)を攻撃におり混ぜ、回避重視で時間を稼ぐ。エルフから隙を見て矢も飛んで来るので、オークキングも攻めあぐねている。戦っているところに矢が飛んで来るのはかなり恐ろしいが、俺には当てないと信じるしかない。
そして倒れた人も他の村人に助けられ、ようやく門の中に入った。
門が閉じ始めたのに気がついたオークキングが、そちらに向かおうとした。
させるか! 村には絶対に入らせない!
門を背にする俺の横を抜けようとしたその頭上に、大岩を三個、アイテムボックスを操作して出現させてやった。潰れてしまえ! 俺自身も被害を受けかねないのですぐに飛び退る。
数トンは確実にある岩だ。当たればただで済まない。その予定だったが、落とした高さが足りなかったのか、三個じゃ少なかったのか、大岩の一個がまともに命中したオークキングは、またもよろめいたのみ。
それどころか出した大岩の一個が木製の跳ね橋をぶち抜き、別のが橋を支える金具を破壊し、橋が落ちそうになっている。かろうじてもってはいるが、あと一個か二個投下すれば橋が落ちそうだ。
それでも大岩を食らったオークキングは動きを止めていたが、俺も跳ね橋が半壊した余波で足場が悪くなり、とっさに手を出せない。
そして動き出したオークキングの一歩一歩で、橋がぐらぐら揺れ、落ちそうになる。いっそ水堀に落ちて逃げ……いや、追撃されたら普通に危ない。
だが門も完全に閉じ、分が悪いと判断したのかオークキングは逃げ出すことにしたようだ。俺から離れていく。助かった。
逃げるオークキングにエルフの矢が追撃に飛んでいく。逃がすのもヤバイな。まだ外に誰かいるかもしれない。
【火球】詠唱――ここで倒す。
跳ね橋を抜けたオークキングがくるりと振り向き、こちらを見た。俺の魔力を感知したのだろう。
そして何を思ったか、ブモオオオオオオと叫び声を上げると、またこっちに向かってきやがった。
少し驚いたが火球のほうが早い――火球、発動! 爆散して死ね!
火球が飛翔するとほぼ同時に、奴が盾を投げつけた。数メートル先で盾に火球が命中し炸裂する。俺は近距離で爆風を浴びて軽く吹き飛ばされ、先ほど出した大岩に背をぶつけた。打ち付けた背中と、お腹のあたりに鋭い痛みが走る。
盾の破片……か? 神官服の脇腹あたりにじわりと血がにじみ出てきた。
オークキングは――爆風を抜けて向かってくる。
立ち上がる。お腹が焼けるように痛むが、確認してる余裕はない。痛みと揺れ動く足場で魔力の集中も乱れる。
オークキングが迫ってきた。盾を失った奴に、エルフの矢が何本か刺さるが止まらない。
剣を構える。
負傷して魔法の詠唱もできず、足場が悪い程度がなんだ。たかがオークキング一匹だ。
奴の剣は大振りだ。当たらなければどうということはない。
振り下ろされる大剣をギリギリのところで躱す。一歩、深く踏み込み、狙い過たず首を深くすっぱりと切り裂いた。
しかし首から血を吹き出しながらもオークキングは止まらず、大剣を俺に向ける。足場の悪い場所で剣を振った俺は、完全にバランスを崩していた。このままだと躱せないが、一撃で倒せないだろうことは想定済みだ。
奴と俺の間に大岩を出現させ盾にする。
しかしオークキングは大岩に構わず剣を振るい……あろうことかそのまま振り抜いた。大岩の上三分の一ほどが削り取られ、俺の神官服をわずかに切り裂く。
危なっ! 岩で止めなければ真っ二つ!?
力任せに剣を振るったせいか、オークキングも揺れる跳ね橋の上で動きが止まった。だが俺もグラグラ揺れる跳ね橋の上でバランスを崩したままなのは同様だ。
オークキングの首からはいまだ血が吹き出ているが、まだ死にそうな様子はない。
奴は俺を見、悠々と剣を振り上げ……
その頭上に三個の大岩を出してやった。いい加減死ね!
オークキングは振り上げた腕で、一瞬大岩に耐えたように見えた。
だが更にその上からもう三個の大岩を出現させると、今度こそやつは大岩に押しつぶされ、俺の視界から消えた。
そして跳ね橋も大岩落下の衝撃で完全に崩壊し、水堀に落下していった。
もろとも水堀に落ち水中でもがきながら、久しぶりにレベルアップした音を聞き、奴が絶命したことを知った。