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潮干狩りの怪

「すごいわ。こんなに採れたわ」

 妻が嬌声をあげるのも無理はない。毎年この海岸に潮干狩りに来るが、掘り始めて三十分もしない間に、自分と妻のバケツは一杯になり、まだ小学二年の息子ですら、自分の小さめのバケツに一杯のあさりを取っていた。

「今年は筍が豊作だけれど、あさりもそうなのかしら」

 妻は腰をぎくしゃくと伸ばしトントンと後ろ手に叩きながら言った。

「いや、そういうわけでもないみたいだ」

 そう言って私は妻にめくばせをした。すぐ隣の男性に目を向けると、彼のバケツにはまだ半分ほどしかあさりがいなかった。後ろの家族連れにしても自分達ほど採れている様子はない。

「健のバケツが一杯になるまで、もう少し採ろう」

 妻と二人で子供を挟んで腰をおろし、又貝堀熊手を手にした時

「お母ちゃん、こんなのが捕れた」

 娘の恵理が魚網を突き出した。娘は健と年子で小学一年生になったばかりだった。貝堀にはすぐあきてしまって、もっぱら小魚を追っていた。


「タツノオトシゴだわ」

「嘘だろう」

「僕にも見せてよ」

「こんな所にタツノオトシゴなんていないよ」

 家族それぞれが網の中を覗き込んだ。タツノオトシゴは見間違いようのない形をしている。別名海馬と言われる通りの馬面、そして縦長い姿に膨らんだお腹、くるりと巻いたようなシッポ。まぎれもなくタツノオトシゴだった。

「信じられないなぁ。恵理すごいものを見つけたな」

 娘の恵理は、どうやら自分がすごい獲物を採ったことに気付き、誇らしそうに口元を閉じ、胸をそらした。それから、タツノオトシゴを私が小さな水槽に入れるのを確認して、又網を手にして魚を追い始めた。娘の仕草が愛らしくてしばらく目で追っていると、カラフルな水玉の長靴の丈の長さに横に赤い線がすっと入っていることに気がついた。

「お母さんちょっと見てやって」

 妻はすぐ娘を連れてきて言った。

「あきれたわ。下が砂のような泥地だから、歩くのに力が入って、長靴ですれたのよ。この子、よっぽど歩き回っているわ」

「恵理、もう魚とりをしないで、もう少しあさりを掘ろうか。足が痛いだろう」

 私が気遣いながら声をかけると、恵理は首を振っていやいやをした。そして、又じゃばりじゃばりと水の入った長靴で歩きながら小魚を追った。

 しばらくすると、娘の長靴のじゃばり、じゃばりという音が聞こえ又、網を私に差し出した。

「何か採れたのかい。何も入っていないじゃないか」

 娘が首を振る。もう一度よく見ると透明がかった三センチほどの細長い稚魚がいた。急いで水槽に入れてみる。まるでうなぎの稚魚に見えた。

「すごい。帰って調べてみるけれど、ウナギの子供かもしれないよ。恵理はすごいな」

 兄の健が羨ましそうにいじけた様子をしていた。妹ばかりが活躍をしているようで面白くないのだろう。

「さぁ、健もお父さんともう少し頑張ろう。恵理はあさりを採っていないのだから、恵理の分もお兄ちゃんが採ってやらなくっちゃな。ママのおいしいシーフードスパゲッティを作ってもらうのだからな」 

 兄が機嫌を直した頃、恵理は又網を片手に獲物を捜していた。あさりはすぐに子供のバケツ一杯になった。


「それにしても、今日は大漁だったわね。たくさんのあさりにタツノオトシゴにウナギの赤ちゃん。すごすぎるわ」

 妻の言葉がどうしたことか胸に引っかかるような気持ちがする。

「タツノオトシゴかウナギの赤ちゃんかどちらかを、逃がしてやろうか」

 どうしてそんな気持ちになったのか分からないが、言葉が先に口から出た。

「ダメだよ。恵理がせっかく採ったんだから」

 健が絶対ダメだと言うように水槽を抱えた。

「そうだな、さぁそろそろ帰ろう」

 あたりを見回すと、恵理は一団から外れて、一人で河口と反対方向に向かって歩いていた。

「嫌だわ。恵理ったら、あんなところまで行って。連れ戻してちょうだい」

 妻の声を後ろに聞きながら、私は急ぎ足に恵理に向かった。

「恵理、恵理」

 大きな声で近寄っていく。しかし、片手に魚網を持った恵理は思いもかけない早さで歩いてゆく。これが、海に向かっているのなら大変なことだぞと思った。それにしても、足もとがぬかって歩きにくい。何だか胸がドキドキする。大きな声で娘を呼ぶ。

「恵理、恵理」

 何だって娘は立ち止まらないのだ。かぶせている黄色い麦わら帽子のリボンがひらひらと風になびいていた。長靴の水玉模様がちらちらとした。足が痛いだろう恵理。ようやく娘との距離が縮まり、じゃばり、じゃばりと歩く長靴の音が聞こえた。その音を聞き私は安心して、もう遠くになってしまった妻と息子を振り返り、大きく手を振った。そして恵理の手を取ろうとして、目を見開いた。恵理がいない。何故。さっきまで目の前にいたじゃないか。この場所は溺れるような深みも隠れる場所もない所なのだ。

 

日が暮れかかっていた。海風がひやりとした空気を運ぶ。人波がばらばらと家路へと向かって行く。恵理、恵理と叫びたいのに口がぱくぱくとあえぐだけで、声にならない。

 遠くに妻と息子がこちらへと向ってくるのが見えた。


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