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 何でこのメンツで酒飲む事になったんだっけ。

 ああ、そうだ。どうしてもカラが自宅には俺を招きたくないって言ったからだっけ。忘れてた。

 相変わらずのシュウの酒場。薄暗い店内にはお客満載って程でもないけど、程よく人がいる。この村に一軒しかない酒場だからね。そりゃ繁盛するよな。

 テーブルには俺、カラ、カラの旦那、それからササ。

 2対2のカップルに見えねえ? って言ったらカラにぶん殴られた。

 それを横目でカラの旦那は微笑ましそうに見ている。てめえの女くらい、見てないで止めろよな。ったく。

 何でこんな暴力女がいいんだか。そういや旦那が惚れて惚れて惚れまくって、カラに猛烈アピールして口説き落としたんだっけ。

「なあ、このカラのどこが良かったんだ?」

 正直にそう思うから聞いたのに、ギロっと女共から睨まれる。何だよ。カラはともかくササまで睨みつけやがって。

 カラの旦那は人好きのする笑顔を浮かべてニコニコしているだけで、答えようとはしない。

 あ、そういや俺、こいつが話してるところ、一度も見たことねえや。

 カラの実家に言った時も黙って笑ってるだけだったし、この場に来てからも喋ってねえな。変な奴。

「そんなことはどうだっていいじゃない。恋愛したりするのに理屈なんてないでしょ。あんただってお嫁さんのどこに惚れたのよ」

 酒を煽りながらカラにそんなことを聞かれるけど、答えなんてあるか?

「どこって言われてもなあ」

 付き合いだした頃は若くて可愛かったけど、今じゃなんかどーんと逞しくなって可愛らしさの片鱗もないな。

 家でごろごろしてようものなら、掃除の邪魔だとかって言われて、俺居場所ねえし。

 普段近衛でこき使われているんだから、たまの休みくらい家でのんびりしたってバチあたらねえよ。昼寝したっていいじゃねえか。たまに友達と遊びに行ったっていいじゃねえか。

 それなのに、さも俺が何もしてないような事言いやがる。

 してるだろ。仕事。給料だって渡してる。

 それ以上に何やれって言うんだよ。子供の面倒? 何したらいいかわかんねえよ。そんなの。

「あんた、口から本音がダダ漏れしすぎ」

 呆れ顔でカラに突っ込まれる。

「何も言ってねえだろ」

「言ってたわよ。奥さんに逃げられるのも時間の問題じゃないの?」

「うっせえよ。んなわけねえだろ。大体な、近衛っていや、平の兵士の中では花形なんだぜ。近衛だけが着られる制服なんてのもあってだな。その辺の兵隊とは訳が違うんだよ。優秀だから王族の護衛の仕事が回ってきてだな。っておい、お前ら少しは聞けよ」

 目の前で女共は俺の話なんて無視して、つまみに手を伸ばしている。

 ちらっとカラの旦那のほうを見たけれど、そいつまで俺の存在を無視している。

 幼馴染って何だよ。冷てえな、故郷の水は。

 手酌でワインを注ごうとデカンタに手を伸ばすと、カラの旦那の手が一瞬早くデカンタを掴み、俺の空いたグラスにワインを注ぐ。

「あ。どうも」

 ここで会話が弾むかと思ったけど、旦那は相変わらずニコニコ笑うだけで何も話をしようともせずに、自分のグラスに酒を注ぐ。

 もしかして、カラに余計な事言うなとか口止めされてんのかな。

 でも、笑ってるだけで挨拶さえしないなんて、超感じ悪くね?

 何かこいつに話しかけてもイライラするだけだから、話しかけるのやめよ。

「なあ、カラ」

 ササと談笑していたカラに声を掛けると、一気に眉間に皺を寄せて不機嫌顔になる。こいつも感じ悪いな。

「旦那とどこで知り合ったの?」

 カラはダンナと顔を見合わせ、二人で微笑みあう。

 うわー。二人の世界ですか。んなこと口に出したら、またぶん殴られるから言わないけど。

 とりあえず押し黙ってワイングラスを口元に当てて返答を待つ。

 別にカラがどこの誰と結婚しようと俺が口を挟む権利なんてないけど、気になるじゃん。幼馴染の旦那がどんな奴なのか。

「俺がこの村に奇跡を求めてやってきて、偶然カラと出会って一目惚れして今に至ります」

 おおっ。初めて旦那の声を聞いたぞ。っと、驚くところはそこじゃないな。

「へー。奇跡を求めてって何しに来たの?」

「文字通り奇跡を求めてですよ。残念ながら奇跡の恩恵には預かれなかったけど、幸運にも最愛の女性に巡り会えて感謝してますよ。水竜には」

「もうっ。何でそんなこと言うのよ。恥ずかしいじゃない」

「恥ずかしい? たまには本音も言っておかないと。カラの気持ちが過去に引きずり戻されたら困るからね」

「ちょっと。余計な事言わないでよ」

「はいはい」

 目の前で繰り広げられる痴話喧嘩を呆然と見つめる。

 なんだ、この甘々空間は。

 あのカラが頬を染めて旦那に上目遣いで……。幻覚か。いや、現実だ。

 女だてらにガキ大将の異名を持っていたカラがねえ。変わるもんだ。

 妬けるとかってわけじゃないけど、何か、もやっとするな。俺が村を離れていた10年の間に、村だけじゃなくて人も様変わりしたんだな。

 カラが女に見える。

 生まれた時から女なんだけど、どんなに髪を伸ばそうがスカート履こうが男らしかったカラが変わったんだな。

 溜息を吐き出すと、ササと視線が合う。

「どうしたの?」

「ラブラブ光線に毒された」

「何それ」

 まるで貴族のお嬢様のように、ササが口元に手を当ててクスクスと笑う。

 昔はこんな仕草しなかったのにな。やっぱり巫女だったから変わったのか。綺麗になったと思うけど、それだけじゃなくてものすごく上品になったような気がする。それこそ俺が王宮で見かけるようなご令嬢方のように。

 着ているのはごわごわの麻の服のはずなのに、まるで絹を纏っているかのように見える。雰囲気だけだけど。

 例えば椅子に座る時、ワイングラスを持つ時、笑う時。そういった細かいもの全てがご令嬢風だ。

 それとも、もしかして例の宝石の人の影響か?

 何せあのカラが旦那でこんなに変わったくらいだ。ササも恋人が出来て変わったとか。

 あれ、でも王都で会った時にはもうこんな感じだったよな。ということは、やっぱ巫女効果か。

「ルアは奥さんとラブラブじゃないの?」

「え? ああ。そんなの無いな。腹の中入れたら子供4人だぞ。今更そういう甘い空気は無いな」

「えー。そうなの? でもそんなに子供いるくらいなんだから、仲いいんでしょ」

「まあ、悪くないけど」

 ササに聞かれると、どうもカッコつけて迎えに来るなんて言ってた手前、嫁のことを聞かれると引け目を感じるせいか後ろめたい気持ちになる。あんまり嫁の事は話したくないのに、ササはそんなことお構いなしだ。

 その、嫁のことを聞いても全然平気って感じがまた、俺に興味なんて無いって宣言してるみたいでイラっとする。

「そうなんだ。子供、次は男の子かな女の子かな。楽しみだね」

 無邪気に笑うササが小憎たらしくなってくる。

 別にさ、今更どうこうなろうとか考えてないけど、そこまであっさりされるのも寂しいっていうか、腹立たしいっていうか。

 俺ばっかり意識してんのかよ。

「そんなことより、ササの恋人ってどんな奴?」

 またカラにどつかれるかと思って構えたら、意外にもカラは何もしてこないでニヤニヤ笑っている。

「今更あんたの出番は無いわよ」

「そんなんじゃねえよっ」

 いけね。思わず熱くなっちまった。これじゃ余計にカラのニヤニヤが酷くなるばかりだ。

 俺には嫁も子もいる。それにいつまでもガキの頃の恋愛引きずってねえって。

 溜息をつき、カラを睨む。

「10年も前のガキの頃の話なんか、いい加減忘れろよ」

 照れ隠しがてら言うと、カラとササが顔を見合わせて溜息をつく。

 何だ、その反応は。

「んなことどうでもいいからさ、この中で売れ残ってんのササだけだぜ。どうすんの?」

「どうするのって?」

「だからさ、その宝石の人とはどうなんだって聞いてんだよ」

 ササの顔が一気に赤く色付いていく。

 あー、もう何も言われなくともわかった気がするよ。

「もういいや。そんな顔するような相手なわけだな」

「そんな変な顔してないでしょ。失礼ねっ」

 プンプン怒った顔してるけど、頬は赤いまま。

 あーあ。俺、敗北感でいっぱいだ。ここにいなくとも、ちょっと話題に上がっただけでもその反応かよ。

 あの超イケメンに会った時にも思ったけど、女の子らしい顔してくれちゃってさ。俺と付き合ってた時にはそんな顔しないで怒ってばかりだったってのに。

 恋が人を変えるってか。

「ああ、そうだ。明日、朝早いんだった。ゴメン、先帰るね」

 慌てた様子で立ち上がると、ササはカラと旦那に挨拶をしてそそくさと店を後にする。

 何だよ、付き合い悪いな。この間は延々閉店までカラと飲み明かしてたらしいのに。

 俺がいると飲む気にもならないのかよ。それとも、よっぽど宝石の人の事は聞かれたくねえのかよ。

 ぐいっと飲み干してグラスを空にすると、旦那がまたグラスにワインを注いでくれる。

「どうも」

「いえ」

 今度は返答があった。最初からそうやって返事しろよ。

 わけのわからないイライラで腹の中が熱いくらいだ。こいつも、ササもイライラさせやがって。

「何であんなに急いで帰ったんだ。よっぽど大事な用事でもあるのかよ」

 カラに聞いてもわからないかもしれないけど、聞かずにはいられなかった。まるで俺のことを避けるみたいにして帰ったササに腹が立つ。

 クスクスとカラは笑い、旦那のほうを見る。

「多分、宝石の人じゃない?」

「あ?」

「だから、宝石の人と会うんじゃないのかな。宝石の人って言って急に思い出したみたいだし。ね?」

 同意は旦那に向けられている。俺じゃない。

「だろうね。あんなにそわそわしてるって事は」

 旦那も訳知り顔で頷いている。ちぇっ。俺だけ蚊帳の外かよ。

「ところでさ、最近王子様元気?」

「急になんだよ」

「いやー気になって。あんた相変わらず王子様に仕えてんの?」

 女ってのはコロコロ話が変わるな。

「あー。殿下付きの近衛だけど、何で」

「ううん。長期休暇って事は、王子様に何かあったのかなって思っただけ」

 何でそんなことが気になるんだか。

 あ。もしかして、俺がいつまでいるか気になるとか。ちょっと気分が浮上してきたぞ。

「殿下はお元気だ。国の状態も落ち着いたから、俺ら地方から出てきてる下っ端に地元に帰る機会をやろうっていうご配慮だよ」

 すげえだろ。俺の上司は。気遣いも完璧なんだよ。

 至近距離であんまり会った事ないから、正直顔の細かい造形とかわかんねえけど。

 俺、いつも最後列付近だし。

「ふーん、そっか。だからあんたが村に帰ってきたって訳ね」

「ああ。なんかしばらく領地の方に行くから、領地の城のほうにも兵士がいるし、配下の近衛全部連れて行かなくてもいいらしい。領地もそういえばこの辺なんだよな」

「ふーん。そう」

 こくんと頷き、カラは旦那のほうを見つめる。

「間違いないわね」

「そうだね」

 二人は俺にはさっぱりわからない会話をしている。この阿吽の呼吸にどうやって突っ込みを入れろっていうんだよ。

 どーせ俺はもう余所者だよ。ぽっと出の奴に負けるくらい、存在感ねえよ。ちくしょう。

 クスクスっとカラが笑う。

 さっきのササがしたのよりも、全然上品じゃないけどな。

「あんた、そんなにササのことが気になるなら、夜明け前に村をぶらぶらしてみな。きっと会えるよ。ササの彼氏にね」

「おい」

 咎めるような旦那にカラが手と首を振って、何か言おうとした出先を挫く。

「いいのよ、いずれわかることでしょうしね。それにどうせルアはそんなに早起きできやしないもの」

「馬鹿にするなっ」

 ふんっとカラが鼻で笑う。

 それがまたイラっとするんだよ。あたしは何でもあんたの事知ってるんだからねって言わんばかりでさ。

 けど、ついつい徹夜してしまった。酒がまだ残っているぼんやりとした頭のまま、まだ闇の色の濃い時間に実家の外へとそーっと足をしのばせながら出る。

 寝ている家族を起こすのも悪いしな。

 ぶらぶらと村の中をあてもなく歩いてみるものの、目的の二人には出会えない。

 本当にササが男と会ってるのかよ。こんな殆ど夜中みたいな夜明け前の時間に。勘違いじゃねーの。

 こんな形でカラに騙されるんなら、素直に寝床に入ればよかったよ。

 欠伸をしながら静まり返った村の中を歩く。

 どこにもいやしない。やっぱりカラに騙されたんだな。

 寝不足と酒の回った状態で、腹立たしさだけがこみ上げてくる。

 とりあえずそんなに広くない村をぶらぶらと一周したけれど、ササなんてどこにもいやしない。もしかしたらまだササ寝てるんじゃないか。それなら一度家に戻るか。

 とぼとぼと家路に着き、実家の店側の入り口から入ろうと扉に手を伸ばす。


「ねえ、眠くないの?」

 ドアノブを回しきろうとした時に、ササの声が耳に飛び込んでくる。

 どこだ。

 きょろきょろと周囲を見渡してみるけれど、どこにもササの姿なんて見えない。

「眠くないわけないだろ。じゃあ昼間に会いに来てもいいのか」

「……それは、嫌」

 クスっと男の笑い声が耳をくすぐる。

「じゃあ我慢しろって」

 どこだ。この声はどこから聞こえて来るんだ。

 声のするほうに顔を向けてみるけれど、どこにも姿が見えない。ササんちのほうから聞こえるんだけど、家の中から聞こえる風でもないし。

 足音を消して、そーっと一歩ササの家のほうに歩き、更に耳を澄ます。

「私は眠くないけれど、ウィズは眠いでしょ」

 ウィズ? その男の名はウィズっていうのか。聞き覚えが無いな。この村の人間じゃなさそうだな。

 隣の村とか、それとも宿場町に住んでるとかか。

「まーた俺の名前口に出したな」

「あっ。でも、何で名前を呼んだらいけないの?」

「俺の素性がばれたら困るから」

 素性がばれたら困るって、もしやお尋ね者か? そんな相手はやめとけよ、ササ。

 じりじりと声のするほうへと体を向ける。どうやら俺の実家とササの家の間の僅かな路地に二人はいるらしい。

 ばれないように体を乗り出して、二人の姿を確認する。

 ササはこちらに背を向けているし、男の顔は暗闇でよくわからない。わかるのはササよりも頭一つ半くらいでかい男って事くらいか。

 うーん。今武器持ってないんだよな。素手でひっ捕らえる自信ないな。鍛えてるって言っても、相手がヤバイ武器なんか持ってたら反対にこっちがやられる。それにササに抵抗されそうだしな。

 実家の壁に寄りかかって考える。どうしたもんかな。

 こんな薄暗い中で密会しなきゃいけないような、名前も口に出す事を禁じられるような相手だ。絶対、まずい。

 恋は盲目だとかって言うけど、これは俺が幼馴染としてササの目を覚ましてやらなきゃいけないよな。

「ちょっ。ヤダ」

 んー!?

「やっ。ウィ……」

 ぐっと地面を蹴った。

「おいっ、何してる!」

 考えるより先に、路地に飛び込んだ。

 男の腕の中でササがピクっと肩を動かして、こちらを振り返ろうと首を回すけれど、男の手がそれを阻む。

「何って。別に咎められるような事はしてない。邪魔するな」

 冷ややかな声が向けられたかと思うと、まるで見せ付けるかのように男はササの頬に口付けする。

「やっ。やめてよ」

 くすぐったがるような仕草で甘い声を出すササは、俺が見ても本心から嫌がっているようには見えない。

 カーっと頭に血が上ったのがわかる。

 足音を立て、二人の傍へと歩みよってササの肩に手を掛けようとするけれど、男がすっと体を入れ替えて、ササを隠すように抱きしめる。

 ちくしょう。離せよ。

「出歯亀くん。恋人との久しぶりの逢瀬を邪魔するのはやめてくれるかな」

 にやりと笑ったのが暗闇でもわかる。

 何だとこの野郎。

「うるせえ。俺は幼馴染として、あんたみたいな不審者をササに近づけないという使命があるっ」

 くすっと男が笑う。超馬鹿にしきったその態度、一発殴らなきゃ気がすまねえ。

「え? ルア?」

 素っ頓狂な声に、握り締めた拳の力が抜ける。

 腕の中からひょっこりと顔を出して振り返ったササの顔が、みるみるうちに固まっていく。

「何してんのよ。何でこんな時間に起きてるの」

「問題はそこじゃねえだろ」

 それよりも問題はお前を抱いているその男の正体だ。

 ササが男を見上げると、男は肩をすくめて苦笑している。

「どうする?」

「どうするって言われてもな。どうしようもないだろ」

 ササに聞かれた男は、ササの髪を撫でながら俺を見る。

 じーっと俺を見つめるその顔に、見覚えがある気がする。どこだっけ。俺、人の名前と顔覚えるの苦手なんだよな。でもこんな片田舎の村に知り合いがいるとは思えない。

「あんた誰だ」

 意を決して聞いたのに、男はぷっと噴きだす。どうやらとことん小馬鹿にされているらしい。

「ちょっとルア」

「お前は黙ってろ」

 ササが何かを言いかけたのを男が制する。ぷーっと頬を膨らませてササは溜息をつく。けれど、男は決してササを離そうとはしないし、ササも男の腕の中から逃げようともしない。

「口尖らすなって」

 クスクス笑い、男はササの唇に人差し指を押し当てる。

 おい。いちゃいちゃすんなっ。

「ああ、ごめんごめん。君の存在を無視していたわけじゃないよ」

 俺の心の声が聞こえたようで、男の視線がササから俺に移る。その視線にぞくっと寒気がした。

「他言するな。もし他言したらお前の首はないと思え。いいな」

 決して怒鳴られているわけでもないのに、腹に響くその声に聞き覚えがある。

 全身に鳥肌が立った。俺、やべえ。

 背中にだらだらと冷や汗が流れてるし、手のひらは汗だくだ。

「な、な。なんで。なんで。なんで、ですか」

「それはどちらの意味か」

「ど、ど、どち。どちら、どちらって」

 焦る俺を他所に、男は、いや、俺の仕える人の目は笑っているようにも見える。

「他言無用といった事と、彼女と俺がここでこうしていること。そのどちらに対して何でと言ったんだ」

 そんな細かい事言われてもわかんないって。

 何で自分でもそんなこと言ったのかわかんねえもん。

 がくりと頭を垂れるしかない俺の頭上に、笑い声が降ってくる。ああ、そうだ。俺を笑え。俺はとんでもない道化だ。

「まあいい。余計な事を喋るな。俺の邪魔するな。以上だ。下がれ」

「はっ。はいっ」

 瞬間的にぴーんと背筋を伸ばして、最敬礼する。

 この声に逆らえるはずが無い。

 回れ右して、行進のような姿勢のまま路地を出る。振り返る事なんて出来なかった。

 振り返ったらその場で俺の首が飛びそうな気がして。


 仮眠を取って、軽く食事を済ませた後、嫁の小言と子供たちの遊んでコールを無視して家を飛び出す。

 目指した先はカラの家。

 ドンドンと扉を叩くと、カラが不機嫌そうな顔で力一杯扉を開ける。

「うるさいのよ。呼び鈴一回鳴らせば十分でしょっ」

「お前、知ってたのかよっ」

 眉をひそめてカラが俺を睨む。

「何のことよ」

「だーかーらっ。ササのことだって」

「ああ。あんた見たのね」

 クスクスとカラが笑い声をあげる。笑って、それから指を指す。

「もっと見たかったら、あの丘の上に行けばいいと思うわよ」

「出来るかボケっ」

 大声を上げて笑うカラにイライラする。

「知ってたなら教えろよ。俺、危うく近衛首になるところだったんだぞ」

「あーら。それはごめんなさいね。でもあんた、あたしが何言ってもきっと信じなかったでしょ。その目で見ない限り」

「そりゃそうだろ。ササの恋人が祭宮殿下だって言われて、普通、信じられるか?」

「あんた、それを口に出すのは迂闊すぎよ」

 ぐいっと腕を引っ張られて、カラの家の玄関に入ると、カラは勢いのわりには小さな音を立てて扉を閉める。

「ササの事、パン屋の娘って事以外は口に出さない方がいいわ。巫女の事も、王子様の事もね。どこで誰が聞いているかわからないもの」

 焦って思わず視線を巡らせる。

 どこで聞き耳立てているかわかんねえ。もし、今カラにこの話をしたことがばれたら。

 あの目、あの殿下の目は本気だった。

 先王陛下を殿下が毒殺しようとしたとか、薬を盛って廃人にしたとか、色々黒い噂のある人だ。やる気になったら、俺なんてあっという間に消される。

 今の国王陛下だって、殿下の傀儡って噂だってあるんだぞ。

「巫女は王子様と幸せになりました。ほら、まるで始まりの巫女の詩みたいじゃない?」

「……あの人は王子様なんてキラキラした人じゃない。やばい。俺、超やばい。絶対にやばい」

 ガクガク震える俺を、カラは呆れた顔で見つめるばかりだ。

 見るんじゃなかった。あんな現場。俺には乳飲み子や、これから生まれてくる子もいる。可愛い子供たちを路頭に迷わせるわけにはいかないんだ。

 この秘密、絶対墓場まで黙って持っていこう。

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