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「何しに帰ってきたの」
冷淡な瞳を向ける幼馴染その1カラに、笑顔を向ける。
「里帰りに決まってるじゃないか」
はーっと大きな溜息を吐いたカラを押しのけ、雑踏の向こうに見える実家を目指す。
何年ぶりだ。
まさかここに戻る時に子供を抱いている事になろうとは。いやいや、人生何があるのかわからんものだね。
「ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよ、キーキー煩いな。折角寝てんのに起きたらどうすんだよ」
腕の中で眠る末っ子を気遣って諌めると、あからさまに舌打ちなんかする。
あーやだやだ。乱暴な女って。
「他の子はどうしたのよ」
「嫁が先に実家に連れて行ったけど?」
「あっそ」
興味ありませんって顔するなら聞くなよ。顔を見るなり絡んできて、本当にコイツは昔っから姉御肌行き過ぎって感じで小うるさいんだよな。
「ササは?」
「あんた隣の家なんだから見てくればわかるでしょ。大体人の顔見るなりササはって。超失礼っ」
素っ気ねえな、ったく。
「わかったわかった。後でシュウの店行くから、その時にでもな」
ひらひらっと手を振って背を向ける。
子供抱いて険悪な会話を繰り広げる気も無いしな。
背後から巨大すぎる溜息が聞こえたような気がするのは、気のせいだろう。
村を出た時からは考えられないほどの賑わいを見せた商店街の中を歩き、目的地の実家へと辿り着く。
隣の幼馴染2の店は盛況のようだ。
さしあたっては腕の中の子を横にするのが先決だろう。
横目でパン屋を見送って、今や懐かしいという形容が似合う実家の敷居を跨いだ。
夜が更けて、村にある一軒きりの酒場に顔を出すと、カウンターで管を巻いている幼馴染1の姿を発見する。
怖えー。あれと話すの嫌だなぁ。何であんなに機嫌悪いんだろうな。女ってわかんねー。
「よお」
当たり障りの無い感じで声を掛けて、しょうがないから隣に座る。誘ったの俺だし。
カウンターの中にいる店主のシュウが珍しいものを見たような顔をする。
「お前、帰ってきたのか?」
「上官がまとまった休みをくれたから、孫の顔を見せにね」
「そうかそうか。で、今お前何人子供いるんだっけ」
「3人。男男女。今また妊娠中」
プっとシュウが噴き出す。
「随分子沢山だな」
「そうか? 子供は可愛いから何人いてもいいよ」
「100人に増えたらぜひ教えてくれ」
「それは無理」
何がおかしいのかケタケタ笑って、シュウはジョッキを置いてカウンターの他の席へと足を向ける。
ん? どこかで見たことあるような気がするけど。他人の空似だな、きっと。
「そんなに子供いて、大変じゃないの?」
左隣に座る幼馴染が呆れたような顔をしている。
「お前のほうはどうなんだよ」
「嫌味ね。子供がいたらこんなに勝手気ままには飲みに出られないでしょ」
「そうだよな」
暑さで泡があっという間に消えてしまうジョッキに口をつけ、勢いよく飲み込む。シュワシュワと喉を通る感じが心地よい。
村の名産品のワインもいいけれど、暑い日はやっぱりこっちだよな。
「旦那放って飲み歩いてて、文句言われねえのか」
「言われるわけないじゃない、婿養子に貰ったんだから。私に頭、上がるわけないでしょ」
うーん、それ以前の問題な気がするけどな。めんどくせえから黙っておこう。
よくこれと結婚する気になったもんだ。きっと、そいつとは一晩中でも酒が飲めるに違いない。
「こっちにいる間に挨拶に行こうかな」
「えー。やめてよ。来なくていいって」
思いっきり嫌そうに眉をひそめるというのは、会わせたくない何かがあるのか。
「お前の旦那を見に行くんじゃなくて、おじちゃんとおばちゃんに挨拶に行くの。別にいいだろ」
ダメって言われても行くし。
めったに村になんて帰れないんだから、こんな機会に色々見ておきたいしね。
色々変わったんだろうな、村中が変わったように。
「それにしてもアンタ、よくまあ恥ずかしげもなくあたしの前に顔出せたわね」
「は?」
「散々色々愚痴を零していたくせに、戻ってきたと思ったら3人の子持ちって。何だかなーって思われても仕方ないんじゃない?」
また説教モードかよ。めんどくせ。
「その件なら悪かったって。俺もお前くらいしか話せる奴がいなかったんだよ。悪かったな」
もう一人の幼馴染との事を言っているのだろうと思って一応謝ると、ふんっとそっぽを向かれる。
「ホントよ。心配してあげたりしてバカだったわ、あたしが」
勢いよくワインを飲み干し、カチンとグラスを指で弾くカラを横目で見つつ、ジョッキの酒を煽る。
もう何年も前の事をグチグチと。
「若気の至りってことで。この話はおしまいにしよう」
言いながら空のワイングラスにワインを注ぐと、ありがとと小さなお礼が返ってくる。
「一個だけ聞いてもいい?」
「何だよ」
「結構さ、長い間悶々としてたわけじゃない。それをどこで切り替えたの?」
悶々って。ひでえ言い草だな。
そりゃまあ、数年間はグチグチしてたから言われるのもしょうがないけどさ。
「大祭を見たからかな」
「大祭? どこで?」
「水竜の神殿で。話すと結構長いよ」
「いいよ。どうせ夜は長いんだから、とことん聞くから」
言うと、カラはおつまみやらお酒やらを山のようにシュウに頼んで、その全てが並ぶと「どうぞ」と振ってくる。
暗に話す気は無いって誤魔化したつもりだったんだけど、全然通じてないな。
さて、どこから話すとするか。
「俺は祭宮様付きの近衛兵なんだけど」
「知ってる。そんなの王子様が村に来た時に聞いた」
王子様って。
確かに王子様だけど、あの人は。そんなキンキラっぽい俗称は似合わない気がするけど、まあいいか。
「でも下っ端じゃん。あんまり護衛とかには連れて行って貰えないんだ。だから水竜の神殿に行く時は下っ端の中で交替で行くんだけどさ」
「ふーん。それで」
鶏肉を齧りながら聞くな。結構いい話だぞ、これからする話は。
「何回目かの水竜の神殿への護衛の時が、たまたま大祭の時だったんだけどさ。やっぱ違うね、水竜の神殿」
「何が」
「いや。規模とかさ。半端なく凄いな。神々しいって感じ?」
「ふーん」
興味ないのかよ。もうちょっと身を入れて聞けよ。失礼な奴。
「でさ、壇上にいる巫女を見て、ああ、こりゃ俺ダメだわって思ったわけだよ」
白い目を向けんなっての。
「俺なんかとは住む世界も違うし、手の届かない存在なんだなって思い知ったわけだよ。それで諦めたってわけ」
「綺麗だった?」
「ああ。すんごくな。宝石とか来ている衣装とかってのもそうかもしれないけれど、何とも言えない雰囲気が漂ってた。そこに水竜がいるんだって思わせる様な、な」
「そっか。近いんだから一度くらい見に行ってみれば良かったかもしれないわ」
溜息交じりに呟いて、カラがワインを一口飲む。
「それが今やパン焼いてるんだから、人ってわからないものよね」
つられて思わず笑みが零れる。
確かにそうだ。昼間に隣を覗いたけれど、そこにいるのは昔となんら変わらないササだった。
多分、元巫女を見に来る人たちは拍子抜けしたんじゃないのかな。
「ああ。そうだ。ササっていつ戻ってきたの。俺さ、今の国王陛下の即位式の時に王都でササ見かけたんだよね。その時には巫女辞めてたんだろ」
ん? とカラが首を傾げる。
「超イケメンと一緒に歩いててさ。俺びっくりよ。しかも王都だし。それにさ、超ラブラブだったんだけど、あの時の彼氏はどうしたんだろ」
「白昼夢でも見たんじゃないの」
何で俺が白い目で見られるわけ。意味わかんねえ。
「いや、本当に会ったんだって」
「それ他人じゃないの? だってササはこの夏に帰ってきたばっかりよ」
「え?」
「え。じゃないわよ。あんたが帰ってくる一月半くらい前に帰ってきたの。一応極秘だけど、水竜の巫女だけじゃなくて紅竜の巫女でもあったのよ」
耳元で囁くカラの言葉に、耳を疑う。
なんだって? んじゃあの時にあったササは?
いや。でも確実に間違いなくササだったぞ。声も姿も。ああ、姿はちょっと変わって可愛らしくなってたけどな。
軽く頭の中が混乱する。
こればっかりは本人に聞いてみないとわからないな。
「か……っ!! 何してんの?」
噂の本人の超でかい声が酒場の中に響き渡る。どうやら入り口付近の席で誰かに指を指している。
「あんたが呼んだの?」
隣のカラが問いかけてくる。ササのことだよな。
「昼間に隣に寄った時に、カラと酒飲むけど来るかって聞いたから」
「あっそ」
くるくる回る椅子を180度向きを変え、カラが酒場の入り口のほうに目を向ける。
「で、あれ誰?」
「知らないわ」
問いかけにカラは首を横に振る。
全然気付かなかったけれど、カウンターでシュウと話していた片目の客が入り口付近の席に席を移していて、そこでササと何やらこそこそ話をしている。
何だろう。知り合いか?
気になって思わずふらふらとササの元へと寄る。
「知り合い? 知り合いなら一緒に飲もうぜ」
ポンポンとササの肩を叩くと、振り返ったササと片目の男がぎょっとした顔をする。
なんだよ。何も間違った事は言ってないだろ。
「私、片目とはお酒飲みたくない」
「わたしだってお断りです」
やっぱり知り合いなんだろうな。仲違いでもしてるんだろうか。
「細かい事気にすんなよ。折角会えたんだし、別に酒くらいいいだろ」
二人は互いの顔を見合わせて、はーっと同時に溜息をつく。
折角俺が気をつかってやったのに、その態度はないだろ。
ちらっとササが片目と呼ばれた男へ視線を向けると、片目は頭を抱えるような仕草をする。
「あなたがいいなら、いいですよ。大体飲めるんですか?」
「超失礼っ。お酒の名産地で育ったんだから飲めないわけないじゃない。ねえ、片目。飲酒喫煙は良くないんじゃないの?」
「細かい事は気になさらなくて結構ですよ」
「細かくないでしょ」
クスクスと笑うササに片目が向ける視線がやけに優しげで、ちょっとイラっとする。
それに笑うササの顔は、王都で会ったササに重なって腹が立つ。俺の前ではそんな顔をしなかったくせに。
大体こいつとどういう関係なんだよ。
カウンターから片目の座る席に移って、最初の話題はそれだった。俺がどうしても聞きたかったからなんだけど。
問いかけると二人で顔を見合わせる。二人だけの世界みたいなのが、また腹立たしい。視線だけで会話しやがって。
「知り合い、かな」
恐らく考え抜いたであろうササの誤魔化しに、カラは「ふーん」とだけ答える。
俺は全然納得してないぞ。その答え。
なのにカラは気にする素振りも見せず、そのまま他の話を始めてしまう。
おい。俺はもっとちゃんと問いただしたいんだって。この怪しげな男とササの関係を。
と、思っていたらカラに思いっきり裏拳を喰らった。腹に。
「察しなさいよ。馬鹿」
何で三人とも呆れ顔なんだよ。しかも馬鹿扱いかよ。
「こちらの方々は?」
「幼馴染よ。カラはこの村でワイン用の葡萄を作っていて、こっちのルアは王都で近衛兵やってるの」
ピクリと片目の眉が動いた。
ふふん。俺の凄さがわかったか。
「祭宮様の近衛兵です」
付け加えると、片目の視線が宙を見る。
何かを考えるかのようにして、それからワイングラスに口をつける。
「そうですか。近衛兵を。祭宮様付きということですと、色々大変でしょう」
「まあ。全国色々回ったりするので」
どう取ったのかは知らないが、うんうんと片目が頷く。
よしっ。一本取った。
「で、あなたはどんなお仕事をされているんですか」
「察しなさいってば」
問いに片目は答えず、カラの肘打ちがみぞおちに決まる。
やべえ。飲んだ酒があがってきそうだ。
さっきから察しろ察しろって、意味わかんねえよ。
「こちらのワインはあなたの……」
「はい。うちの葡萄から作っています」
「美味しいですね。何杯でも飲めそうなくらいフルーティーで飲み口が柔らかく。女性が好みそうな味ですね」
「ありがとうございます」
褒められたのに気を良くしたのか、カラがニコニコと笑っている。お世辞に弱すぎだろ。
確かにこの村のワインは、近隣の中でも人気も高いけど。
この怪しい風貌のおっさんに褒められて嬉しいか?
そんな俺の不機嫌さは女共には伝わらないらしく、俺の存在ガン無視で目の前で会話が繰り広げられている。
久しぶりにあった幼馴染より、おっさんのほうがいいのか。お前らは。
この山のような肉もつけ合わせの野菜も、全部俺が胃袋に納めてやる。
ただひたすらに口に酒と食べ物を交互に詰め込んでいるけれど、誰も何も突っ込んでこない。
俺、ちょっと寂しいかも。
一通り和やかな会話が終わり、ふいに会話が途切れた途端に片目が立ち上がる。
「では、わたしはこの辺りで失礼します」
まるで兵士のような腰からパキっと折れる礼をして片目が席を立つと、ササがその後を追って何かを話しかけている。
やっぱり、ただならぬ関係か。
「何邪推してんのよ。色ボケ」
つめたーい視線の主に目を向けると、ふんっと鼻で笑われる。
感じ悪いな。全く。
「あれ見てわかんないなんて、あんた超馬鹿ね」
「色ボケとか馬鹿とか、言いすぎだろ」
「じゃあ目が腐ってんのね」
言い返そうとしたけれど、カラは聞く耳持たずの体勢に入っている。畜生。
「確かにやたら身のこなしはしっかりしてるし、ただのオッサンっぽくないけど、ササの何なんだよ」
「……本人に聞いてみたら。答えてくれるかどうかはわからないけど」
溜息をついて、カラは二人の様子を目で追っている。
「ちなみにあんたが考えているような仲じゃないわよ。ササの相手は別にいるわ」
「え? 誰だか知ってんの?」
「女の勘よ」
一番あてにならない奴じゃねえかよ。
なんだよ、あのオッサンじゃなかったら誰だって言うんだよ。
戻ってきたササに、開口一番聞いてみた。
「あいつ、ササの恋人か?」
カラが飲んでいたワインを豪快に噴き出して、涙目になりながらむせている。
そんなに面白い事言ったつもりはないぞ。
「カラ大丈夫?」
ササの問いかけに、カラはゲホゲホという咳で答えている。どうやら気管に入ったようだ。ご愁傷様。
「で、俺の質問に答えろよ」
「片目はそんなんじゃないよ。数年来の友人ってとこかな」
「あのオッサンがか?」
「おっさんって。まあ確かに中年かもしれないけど、友人には違いないわ」
苦笑しつつもササが答える。そう言うならそうなのかもしれないけど、なんか腑に落ちないぞ。
「じゃあ他にいる恋人って誰」
一瞬目を見開いたかと思ったら、まだむせているカラの背中をバシバシとササが叩きだす。
「何で余計な事言うのよー。もうっ。昔っからカラはそうやって言わなくていいこと言うんだから」
「いたっ。痛いって」
カラがササの手を払いのけて、その攻撃を交わす。
「聞かれちゃ不味いような相手なわけ?」
問われたササが視線を泳がせる。聞かれたくない相手ってことか。
「今のところ考え中なのっ。もうこれ以上聞かないで」
そう言われると、余計気になるんだけどな。
「宝石の人じゃないの?」
どこまで知っているのか、カラがササに問いかける。ササはじとーっとした目でカラを見る。
「宝石の人って何」
「ササがいつも身に着けている宝石よ。ササ、見せてあげたら?」
「どうして言わなくていいことばっかり」
ぶつぶつ文句を言いながら、ササが鎖に繋がった青い石を胸元から引き出して見せる。
かなり大きな、そして恐ろしく値の張るものだろうという事は俺でもわかる。石の周囲の白金の細工も見事だし。
こんなもの、ポンと買えるようなもんじゃないぞ。俺の給料何年分だ?
「これでいいでしょ」
そう言うとササはあっという間に石をしまってしまう。
もうちょっと見てみたかったんだけど、残念だな。
「そんなすごいのプレゼントするくらいなんだから、超金持ちなんだろうな」
「……超金持ちかどうかは何とも言えないけど」
どうもすっきりしない言い方だな。どっちにしろ金はありそうな相手だという事はわかった。
「あ。あのイケメンか。王都で会った」
ポンっと手を叩いて聞くと、ササの顔が曇る。
「その人はもういないの」
ぽそっと呟いたかと思うと俯いてしまう。
おいおい。俺不味い事聞いちゃった? やっべ。
超暗い顔になるササの肩に手を置いたカラが、思いっきり睨みつけてくる。
なんだよー。お前が変な話題振るからいけないんだろ。
横目で二人の様子を伺いながら、酒に手を伸ばす。
気まずい事聞いちまって悪かったかな。そんなに落ち込むような事だと思ってなかったし。
軽率っちゃ軽率かもしれないけど、一応俺昔の彼氏だし、色々気になるんだよササのことは。
「色々大変だと思うけど、まあ頑張れ」
的外れだったらしい俺の言葉に、ササは苦笑いを、カラは溜息とつく。
「それにしても不思議だなー。全然あの水竜の……」
ドゴっという大きな音と共に、俺の頬にカラの右ストレートが炸裂する。女の力だからさほど痛くねえけど、いきなり殴られる意味がわかんねえ。
カラに喰って掛かろうとした瞬間、ぐいっと誰かに背後から肩を押さえ込まれた。
「あ?」
怒りのままに振り向くと、シュウがニコニコ笑って立っている。
「知らないだろうから、教えておいてやる。お前が言おうとしたことはこの村では禁句だ。次に言ったら今度は俺がぶん殴るから覚悟しとけ」
かなりドスの聞いた声に、怒りを飲み込んで、うな垂れるしかない。
なんだよ、一体何がこの村で起こっているって言うんだよ。かったりーな。言いたいことも言えないのかよ。
「この村から巫女が誕生した。が、巫女はもうこの村にはいないんだ。よく覚えておけ」
は? 全然言っている意味がわかんないんだけど。
首を傾げると、シュウが持っていたお盆でゴンと頭を叩いてくる。
「いってぇ」
両手を頭の上に乗せてシュウを仰ぎ見ると、今度は思いっきり耳を引っ張られる。
「余計な事を言うな。ササを守りたいんだったらな」
耳元で囁かれたけど、囁きっていうよりは脅迫に近い雰囲気だった。
ササを守りたい? なんだそりゃ。
「詳しくは家で母ちゃんにでも聞け。だから、今日のところはとっとと帰れ」
しっしっと追い払われるように店を出たけれど、ササとカラはそのまま残ったようだった。
みんな俺の事邪魔者扱いしやがって。確かにこの村を出て10年近く経ったけど、そんなに邪険にしなくたっていいじゃねえか。
ふと家までの帰り道、空を見上げる。
全然昔と変わんない空なのに、何もかもが変わっちまった。
大人になるっていうのは、何でこうも厄介なんだろうな。
家に帰ると嫁と母ちゃんが談笑していた。
そして教えてもらった。シュウの言っていた言葉の意味。
ササが巫女になった後、どこから漏れたのか村には沢山の観光客が「巫女生誕地」と見たくてやってきた。
最初のうちは村は便乗商売を始めて、隣の家の前にも「巫女生家」なんて立て札がしてあったらしい。
いつまで経っても戻らないササ。そして「奇跡の巫女」の伝説の流布。
どうやらササは大変な巫女になったらしいと、村の人たちは思ったらしい。誇らしくも思ったそうだ。
しかしそれと前後して、村には奇跡を求める人たちがぽつりぽつりと訪れだし、その数は爆発的に増えた。
ササはいないのに、巫女を求めてやってきて奇跡をと言い募る人々に、段々嫌気がさしてきた。
そして本当にササが戻った時に、ササがどのような目に合うのか、身をもって体験する事になった。
それから「巫女生誕地」「巫女生家」の立て札も外し、巫女はもういないということにした。実際にササはその当時まだ戻っていなかったし。
そして大分村が落ち着いてきた頃、ササがふらりと戻ってきたようだ。
だか誰も、ササに巫女のことがどうとか口にしたりしない。
もう村に巫女はいない。実際ササはもう巫女じゃない。
奇跡を求めてやってくる人たちは後を絶えないけれど、それはこの村から出た巫女とは別人だし、巫女であった人は村にはいないと口を揃えて答える事にしているそうだ。
ササと守る為、ね。
むかーし、俺が好きだった女ってのは、大した女だったようだ。
青い衣、薄いベールに隠された素顔。光差し込む祭壇の前で儀式をする巫女。
緋色の衣に身を包み、空を竜と飛ぶ紅竜の巫女。
そのどちらも俺は実際にこの目で見たことがある。
神々しく、そして優美さの漂っていた巫女。
それとササが同一人物だなんて、ぜーんぜん実感ねえな。
どうせこれからもパンを焼き続けるんだろ?