壊れだした歯車⑤
夕食もすっかり冷めてしまい、おいしそうな匂いも消えた。
一神楽と顔を合わせなくなって一体どれ程立っただろうか。
後宮にやってきても姿のない妻に心が凍りそうだ。
あの日の夜のことはやってしまったとどれだけ後悔してもしたりない。
妻が竜将軍として政に参加しだしたことは本当に心強い。
というより、俺の心に余裕が出来た。
俺の目の範囲に、手の届く範囲に四六時中妻がいるのは嬉しいものだ。
だが、それも数日で消え去った。
友好の条約は結んだに長期にわたって居座る藍光の紫翠と惷国の礼音によって妻との時間を奪われた。
妻は「これからの璉国のため、閃の為にするのだからお願い。」
滅多にないというか絶対しないお願いをこんな所で使われたらイヤだと言えるはずもなく、許してきた。
だが、この頃の礼音の動きは度を超えている。
明らかに竜将軍の正体に気づいて妻に触れているのを目撃した。
共に歩いている姿を見ただけでも腸が煮えくり返りそうになったのに、よろけてしまった妻の肩をあいつは抱いたのだ。
あの細くしなやかな神楽の肩を!!!
そして明らかに俺が見ているのに気づいており、鼻で俺を笑った。
怒りが爆発してすぐさま斬り殺しに行きたかった。
その笑った顔のまま宙に舞わせてやりたかった。
しかし俺に衝撃だったのはそれだけではなかった。
酷かったのが男の行為を神楽が咎めなかったことだ。
俺には頼まなければ触れもしない神楽が事故ではあったが触れた男に咎めない。
ましてや認めたかのような態度に頭に昇った血が急降下して目眩がしてくる。
見えているはずの距離に妻がいるのに、果てしなく遠いところに妻がいってしまったように見える。
離れていくことが怖い。
一人になる怖さが襲ってくる。
傍にいるはずの妻が今は別の男のそばに立っている。
離れていくことが怖くて神楽の本心が知りたかった。
俺はあの夜問い詰めようと思って後宮へと向かった。
後宮は王だけの花が存在する贅を極めたはずの存在なのに灯されていない楼閣の上が廃墟のように寒々しい光景に見える。
まだ仕事が終わってなかったかと一人愚痴りながら、先に夕食の準備でもしながら待つかと、用意された食事を机に並べ神楽の帰りを待っていた。
一体どういうことだ!!確かに神楽には仕事を回してはいるが今日はそこまで大きな仕事はなかったはず!!
なのに何故にこんなに遅い!!
すでに月が空高く昇り、日付が変わった頃階段を上る音が響く。
神楽の足音だ。
溢れ出す怒気と戻ってきた安堵感が交差する。
怒気を押さえるために椅子に座り込み、彼女が部屋に入ってくるのを待った。
ギィーッと音がしてゆっくりと戸が開いていく。
しばらくして俺に気づいた神楽が声をかけてきた。
「閃遅く」
「今まで何処にいた?」
やはり俺はかなり怒っているようだ。俺と神楽しかいない空間は静寂に包まれ俺の怒気をありありと彼女に伝えていた。
「せ、閃?あの、その、ちょっと惷国の」
「惷国だと!!あの男のもとにいたのか!!」
その言葉が神楽の唇から紡がれた瞬間目の前が真っ赤に染まる。
自分の中で何かが音をたてて切れ、振り下ろした手が手置きに当たり大きな音をたてた。
あまりの大きさに慌てたように神楽が近づき
「閃!何をするの?手は大丈夫!?」
無事かを確認するため手を取った。
だが、俺はそれよりも神楽の顔が信じられなかった。
この楼閣に戻れば一番に外す仮面が外されていない。
神楽の素顔を隠すその真っ白な仮面が異常なまでに俺と神楽の境界線のように存在していた。