竜の涙
あのあと何度も紫翠から送られる視線に困ったような笑みを浮かべては流していたが食事が終わり席を辞し、藍光の者達の部屋を用意したあと、重い足を引きずって後宮へと向かった。
【怒っていらしゃるだろう・・・このような無断の行為に・・】
どれだけ無謀な行いをしたか分かってはいたが、紫翠姫を見た瞬間にこの方だと思えた。王の傍に相応しい方だと。
楼閣の前にはいつものように兵が見張りをしており、その横を通り抜けながら上へ上へと向かう。どんなにゆっくり進もうと最後には部屋へと到着してゆっくりと最後の扉に手をかけた。
開いた扉の向こう側は人の気配もなく、閃はまだ戻ってないようだ。
湯浴みを済ませるかと、衝立を用意して浴槽に水を入れる。
仮面を外して髪をまとめていた紐を引っ張るとハラリと髪の毛が落ちてくる。
切ったときは肩ぐらいの長さだったが、今はだいぶ伸びて鎖骨当たりまで伸びてきている。
フワリと舞う髪からは酒臭い匂いやタバコに匂いが混じっている。
不快感にガシャガシャと髪を掻くが一向に消えはしない。
替えの下着や服を用意して衝立にかけて、剣を外して立てかける。
一応何かあったときにすぐさま掴める距離に剣を置きながら浴槽に入る。
チャプンと水音をたてて、波紋が広がっていく。
それを見ながら用意していた布を取りだして水につけ、ハーブの匂い付きの石けんを擦りつけて泡立たせる。
泡だった布で体を洗いだした。
そして目も背けたくなるような体中に走った傷跡に何度となく溜息を吐く。
神楽は決して剣の才や薬学の才があったわけではなかった。
全てそうならなければならない運命によって努力というモノによって生まれてきたモノであった。
4歳の時に目の前で父と母を殺された。
やっと父から学び始めた薬草を試したが、全く何も出来ずに父と母を失った。
絶望をしたが、義母の柳燕によってまた新たに薬草の技術を学び始めた。
救えるかもしれない命があるなら救いたい。その技術を父から教わった。それを残していきたい。父が残したモノを無駄にしてはいけないと、必死になって勉強した。
そして、守るためには傷つけられる前に倒さなければいけないとも考えて、殺生をしない棒術で武を磨いた。
女は男に勝てないと言われたが、それを覆すための努力はやってきた。
力で勝てないなら技術で勝てばいい。
速さや技術で相手を負かし続けた。
だが、その代価として体中に傷を負った。
無数に走った薄いピンク色の傷。肉を歪ませ、抉れている部分もある。
手を見れば薬草が染みついて爪や指が緑色に変色している。
嫌な匂いも少しする。剣ダコや水などによって荒れた手。
思い出すは紫翠姫の白魚のようなスルリと伸びた指。
綺麗に手入れされ指はシミ一つなくすんなりと伸びいた。
また抱き上げたときにふんわりと臭った甘い果実のような香り。
柔らかな体躯が小刻みに震える姿に庇護欲がそそられる。
自分にないモノがそこにあった。
雄々しい男のような自分と弱く女らしい紫翠
身分も体格も何もかもが違いすぎる憧れる存在がそこにあった。
いや決して今の自分が嫌いというわけではない。
望んで今の自分になった。閃を守ると決めたときからいくら傷つこうが、この国のためと思っていた。
だが、平和になったとき自分がいるだろうか?
竜と言われる牙がいるだろうか?
答えは簡単だ・・・・いらない。不必要だ。
いずれは去ると決めた。安定するまで。閃が王としての地位を確立する目で傍で支え、そして誰かを娶るときに去っていこう。
ズキンと胸の奥底から疼く痛み。
頬を伝う雫に気を取られてはいけない。
決めたのだ。これが私の愛し方。
閃を守ることが私の愛し方。
どれだけ傷つこうと、この傷一つ一つが閃への愛。
歪んだ愛情だと思うが、自分で決めた以上進む道は決まっている。
まだ和平を結んでいない露国を傘下に置いて、璉国を第一国家とする。
閃の地位を安定させて、正当な王妃を・・娶らせる。
今のところ藍光国の紫翠はその筆頭にあげられる。
愛する人が別の人を妻にする。それも自分がお膳立てするなど自虐的にも程がある。
しかし、これしかないのだ。
閃の国が璉国が未来永劫続くことが私の望みであり、幸せなのだ。
溢れ出す涙や慟哭を両腕をかき抱いて押さえているが
溢れる嗚咽だけは暗闇の中を響いていた。