最高の医師
かなり残虐なシーンが入ります。亡くなるシーンもあります。読まないと次が分かりづらくなると思います。自己責任でお願いします。
東の空から日が昇り始めた頃
閃は天幕の中でただひたすらに待ち人を待っていた
月が昇り始めた頃に来ると言っていたはずなのに、太陽が昇った
虎の毛皮に覆われたフワフワの椅子に座り上体を前に倒し剣で支え
その剣に両手を重ね、入り口の幕が開くのを睨むように見ているが一向に誰かが入ってくる気配はない
握りしめた剣がギリリと音を立てた瞬間、閃は立ち上がり治療場へと足を進めた
これ以上神楽を放っておくことは出来ない
例え神楽がどんな罵声を浴びせようと、あの場所から神楽を連れ去ろうと決意して閃は荒々しく前に進む
誰もが閃王の恐ろしさに道を譲り、ガタガタと震えた、平伏することを忘れ身動きが出来なかった
鬼のような形相にアレなら鬼でも裸足で逃げ出すぞと、誰もが思った
治療場に来ると静まりかえっており、昨日まで痛い痛いと叫んでいた者が今はぐっすりと眠っている
その静けさに不信を抱きながら、辺りを見渡すが目当ての人物は見あたらない
また奥に一歩踏み出そうとしたとき
「陛下。何かご用でしょうか?」
閃が振り返ると全身を真っ赤な血で染められた衣服を纏った髭を生やした老人が立っていた
「誰だ?」
「このような姿で申し訳ありません。この治療室の責任者の阿宗と申します。」
膝をつき礼をとろうとする老人を手で制止
「よい。ここはそなた達の戦場。やっと治療が終わったのであろう。ここにおった仮面の人物は何処に行った?」
鬼のような形相の王から老人を敬う台詞が出てくるとは思ってもいなかった阿宗はにこやかな笑みを浮かべた
「あの者は大変素晴らしい医術を持っております。私ですらあの者の医術に驚かされました。ここで多くの者を救っておりましたが、今はあちらで最後の仕事をしております。」
阿宗の示した場所は陣の端にある治療室よりさらに少し離れた場所にある天幕を指さしていた
「ですが、あそこはお見せするような場所ではございません。どうか、あの者が来るまでお待ちいただけませんでしょうか?」
「あそこは何なのだ?王が行ってはいけぬ場所があるのか。」
低く怒気を含んだ言い方に先ほどまでの笑みを引っ込めた阿宗は困った表情をした
「ご気分を害する恐れがあります。それでもよろしいですね?」
だめ押しのように聞いてくる阿宗医師にしっかりと頷いた閃を阿宗医師は
「こちらです。どうぞ」
案内された場所は一気に周りと温度が違うような気がする
暖かな日差しが寒気を感じる
周りに立ちこめる匂いは戦場では良くある匂い
死臭がたちこめる
阿宗医師が厚く閉められた天幕の入り口を捲るとその匂いはいっそう強くなった
そこは目を背けたくなるような死体の山だった
男、女、子供、老人関係なく多くの死体があった
それもただの死体ではない
多くの者が、腹が切り裂かれていたり、頭が割れて中身が出ていたり、手や足だけが落ちていたり地獄絵図とはまさにこのことだと思える光景が広がっている
閃はこみ上げてくる者が我慢できず、吐き出した
吐瀉物の匂いがするがそれよりさらに強い死臭がする
「陛下大丈夫ですか?ご気分が優れないようでしたら、こちらに・・「よい・・大丈夫だ」
閃を天幕から遠ざけようとするが、それを閃は手で制する
荒い呼吸を無理矢理正常に戻す
大きく吸い込む吸気に死臭が混ざる
全身に、内部に、体の奥深くまでこの死臭が入り込むと思うと、身震いする思いだが、ここに案内されたということはここに神楽がいる
彼女に会うまではここを離れるまではいけないその一心で閃は膝に力を入れ天幕をめくって一歩を踏み出した
彼女はすぐに見つかった
この場で動いている者などそんなにはいない
彼女は全身を真っ赤に染めた男性の傍に膝とついて寄り添っていた
男性はほとんど虫の息のような状態で、閃も一目で長くは保つまいと思えた
そんな男性に神楽は話しかけていた
「そうか、そなたは南の出身か。あそこは温暖な気候と聞く。小麦が採れると聞いていたのだが、そなたの故郷でもそうだったのか?」
「・・・あぁ・・秋に・・なると・・辺り・・一面が・・黄金色になる・・。その先に・・家があるんだ・・・。妻に・・父ちゃん・・母ちゃん・・俺の子供だって・・いる・・。あっ、笑ってやがる・・・待ってくれ・・俺も・・俺もそっちに・・行くからよ・・」
息も絶え絶えに話す男は血だらけの手を何もない空中に伸ばし、彼だけが見える家族を掴もうと宙を彷徨う
その手をゆっくり神楽は握りしめ
「そうか・・笑っているか。ゆっくり進むんだ。彼らのもとに。大丈夫。迷わず行ける。何度も歩んだ道であろう。家族の元に返るんだ。」
「あぁ・・暖ったけぇ・・やっと帰ってこれた・・。ありがとう・・ありがと・・・」
握っていた手から力が抜ける
神楽はその手をお腹の上で組ませ
「安らかに眠りたまえ。御魂が迷わず故郷に帰れることを・・・」
正式な死者への礼儀を口にした
その場で目を伏せ神への祈りを捧げた後、立ち上がった
「この者もきちんと埋葬してくれ。」
「はい」
その場にいた兵達に指示を出した
「かの者は最高の医師です。戦場において死ぬことは、寂しいものです。故郷から離れ、家族に看取られることなく一人で痛い思いをしながら死んでゆく。これほど無念で悲しいことはあるでしょうか。そういった者達はものすごく悲愴な顔をして死んでいきます。ですが、かの者は彼らに光りを与えて笑みさえ浮かべて死んでゆく。まさに最高の医師です。」
自分の医術の未熟さに多くの者が救えず、死んでいった者達がいるたびに未熟さを嘆いた
だがかの者は違う
最後まで人で生きさせ、人として死んでいくことを導いている
だから、笑みを浮かべる
医術が未熟でも、救えなくても人で死ねる
人として誇らしく死ねる。命の尊厳を教えてくれるかの者に脱帽したと阿宗医師は自分より若い閃王に話した
「・・・わかった。かの者の仕事が終わりしだい天幕に来させよ。話があると伝えてくれ。」
「わかりました。伝えておきます。・・・陛下。差し出がましいですが、お願いがございます。かの者の医術は素晴らしく、璉国には必ず必要となる知識です。どうか、才知あるご決断をお願いします。」
老いた医師が年若い閃に頭を下げる
「そなたに言われずとも、分かっておる。」
再度仮面の者を見つめ、閃は一つの決意をする
決意を胸に秘め、軍議を行う天幕に足を向ける
途中で警護をしている兵に
「すぐに軍議を行う。将軍達に集うように至急伝えよ。それと昨日の町の者達にも集まるように伝えよ。すぐにだ。」
王の命令に兵は礼をとり、すぐさま伝えに走った
・・・これで、君を守ろう・・・神楽・・君を守ってみせる・・・
閃が歩く大地が太陽がまぶしく照らし出す
日が昇り、やっと世界が動き出した