第17話:希望への旅立ち――帝国を目指す小さな足跡
豪雨が去り、薄日の差す王都。だが、下町を包む空気は、雨の時よりも冷たく絶望に満ちていた。
壊れた家屋の片付けに追われる住民たちの前に現れたのは、支援物資を抱えた救護隊ではなく、煌びやかな鎧を纏った王宮の警備兵たちだった。
「これより、王都復興のための臨時徴発を行う!下町に保管されている建築資材、並びにすべての魔導石を差し出せ!」
高圧的な命令が下町に響き渡る。下町のジャンク屋の親方が、泥まみれの服のまま叫んだ。
「な、なんだって? 俺たちの家すら直っていないんだぞ! 貴族街の修復のために、俺たちの資材を奪っていくというのか!」
「黙れ下民が! アレクシス殿下のお言いつけだ! それだけではない……今回の水害は、下民どもが無断で水路の弁をいじり、暴走させたことが原因と判明した! 弁を触った者を連行しろ!」
「な……なんですって?」
群衆の後ろで、テッサは激しい怒りに全身を震わせた。 水害の渦中、自分たちを捨てて真っ先に逃げ出したのは王宮の技師たちだ。それを、必死で命を懸けて弁を止め、街を救ったテオに罪をなすりつけようというのだ。
「ふざけないで! テオは……テオはみんなを救うために―――」
飛び出そうとしたテッサの口を、ジャンク屋の親方が大きな手で素早く塞いだ。
「喋るな、テッサ……! 奴らは本気だ。自分たちの無能の責任を、誰かに押し付けなきゃ示しがつかないのさ……!」
親方は兵士たちに擦り切れた金貨を握らせ、なんとかその場をやり過ごした。兵士たちが貴重な魔導石や資材を強奪するように奪い去っていく後ろ姿を、住民たちは悔し涙を流しながら見送るしかなかった。
その夜。打ち捨てられたジャンク屋の裏部屋で、小さなランタンの光を囲み、下町の職人や大人たちが集まっていた。
「もうおしまいだ……。この国は、完全に腐り切っている」
「あのエレノア様を『無能』だと追い出した時から、こうなる運命だったんだ」
大人たちの深いため息が充満する中、今日街に入ってきた行商人の男が、周囲を警戒するように声をひそめて言った。
「なあ……みんな、噂を聞いたか? 北のガルディニア帝国の話を」
「帝国……? あの恐ろしい軍事国家か?」
「ああ。あの大雨で、我が国が自滅しているまさにその時……帝国では、一滴の泥水すら溢れさせず、完璧に水害を防ぎ切ったそうだ。それを指揮したのが……他ならぬ、エレノア様だったらしい」
「「!」」
部屋にいた全員が息をのんだ。テッサとテオの瞳が、暗闇の中でカッと輝く。
「エレノア様が……? ご無事だったのね!」
「それどころか、帝国の冷血皇帝陛下に『至宝』として迎えられ、国家最高顧問という凄まじい地位に就かれたそうだ。今や帝国中が、エレノア様を女神のように崇めているらしい」
「……そうか。やっぱりエレノア様は、本物の天才だったんだ……!」
テオは胸元の魔導ランプを強く握りしめた。溢れ出る涙を拭い、隣に立つ姉のテッサと深く頷き合う。
「テッサ……僕、行くよ」
「ええ。私も行くわ」
十二歳の双子は直立し、大人たちの前で力強く宣言した。
「僕たち、この国を捨てる。……ガルディニア帝国へ行って、エレノア様に会いに行く!」
「この国にいても、奪われ、踏みにじられるだけだわ。私たちはエレノア様に教えてもらった技術と知恵で、もっとたくさんの人を救いたい! 自分たちを本当に必要としてくれる場所へ行きたいの!」
一瞬の静寂の後、ジャンク屋の親方がゆっくりと立ち上がった。その顔には、怒りではなく、温かな笑みが浮かんでいた。
「……行きな、お前たち」
「親方……?」
「こんな泥の船と一緒に沈む必要はねぇ。お前たちはエレノア様から『本物』を受け継いだんだ。こんな腐った街に縛り付けとくわけにゃいかねぇよ」
親方は棚の奥から、使い古された革の鞄と、なけなしの貯金が入った袋を取り出し、テオとテッサの手に握らせた。
「これは、俺たち下町のみんなからの餞別だ。国境を越える裏ルートの地図も入れておいた。……エレノア様に会えたら、伝えてくれ。『下町のみんなは、今でもあんたに感謝してる』ってな」
「親方……みんな……っ!」
職人たちも、自分のポケットから乾パンや頑丈なブーツ、護身用のナイフを持ち寄り、二人の鞄へ詰めていく。
「頑張れよ、テオ! テッサ!」 「エレノア様によろしくな!」
温かい手と、涙ながらの激励を受けて、双子は何度も何度も深々と頭を下げた。
深夜。雨上がりの濡れた月光が照らす中、二つの小さな影が、王都の地下排水口―――かつてエレノアが点検していた秘密の抜け道を通って、外へと抜け出していた。
振り返ると、泥と醜い欲望に塗れた王都の影が、不気味に蠢いている。 かつて自分たちが生まれ育った故郷。だが、そこに未練は一粒もなかった。
「行くぞ、テッサ。北へ……ガルディニア帝国へ!」
「うん! 待っていてください、エレノア様!」
テオの手の中で、エレノアが直してくれた魔導ランプが、行く手を照らす道標のように優しく、オレンジ色の光を放っていた。
泥の街を捨て、小さな足跡を刻みながら、双子は光の差す場所―――憧れの天才が待つ、新天地の帝国へと向かって力強く歩み出したのだった。




