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第12話 大干ばつの地に恵みを―――大規模送水始動

 単体試験(ユニットテスト)の成功から数日―――。


 南部大平原の中央に鎮座する、要塞のごとき巨大施設「南部中央魔導統轄塔」には、かつてない緊迫感が漂っていた。

 全二十四区画に及ぶ魔導弁と中継回路の単体点検は、エレノアの指揮のもと不眠不休……もとい、ヴァルハイトの厳重な「強制睡眠命令」による休息を挟みつつ、完璧に完了していた。


 そして、この日、いよいよ全系統を一斉に開放し、大平原の果てまで水を注ぎ込む本番運用―――「全線一斉送水」の日を迎えたのである。


「……エレノア最高顧問、全二十四区画の魔導回路、並びに圧力制御弁の待機状態、すべて緑信号です!」


 報告に走ってきたのは、あの大男の技師長バルトロであった。数日前までのエレノアに対する横柄な言動は見る影もなく、その瞳には、彼女への熱烈な敬意と信頼が宿っている。


「ありがとうございます、バルトロ技師長。各中継点の技師たちへ通達を。……旧来の方式と異なり、今回は水圧の負荷を均等に分散させる多重魔導並列術式《マルチスレッドマトリクス》を起動します。初期開放時の衝撃波(ショックウェーブ)は私の術式で相殺しますので、現場は指示通りのバルブ開度を維持してください」


「ははっ! 了解いたしました!」


 統轄塔の広大な管制室の真ん中で、羊皮紙の図面と魔導表示盤を交互に見つめながら凛とした声で指示を出すエレノア。その姿には、かつて王国の暗く湿った地下室で虐げられていた少女の影などどこにもない。一国の社会基盤を預かる最高顧問としての圧倒的な威厳と、技術者としての誇りが満ち満ちていた。


 そんな彼女の斜め後方、一段高い場所に設けられた観覧席には、漆黒の礼装を纏った皇帝ヴァルハイトが鎮座していた。


 アイスブルーの冷徹な瞳は、刻一刻と変化する魔導表示盤には一瞥もくれず、ひたすらに中央で指示を出すエレノアの横顔だけを射抜いている。


「……ふむ。素晴らしい統率姿はなによりだが……少し声を張り上げすぎではないか? 喉を痛めないか心配だ」


「……陛下。エレノア様は全軍を指揮する将軍のように立派にお仕事をなさっておられます。もう少し厳かな空気をお楽しみになってはいかがですか」


 ヴァルハイトのすぐ後ろに控え、影のように佇むジルヴェスターが、呆れたように低く呟いた。


「声が枯れたら、私が手ずから蜂蜜を舐めさせてやるまでのことだ。……それよりジル。現場の技師の中に、エレノアの指示に対してコンマ一秒でも返答が遅れた者がいたな。あの者は何だ?」


「あれは、ただの緊張による硬直です。……まさか処分なさるおつもりではありませんよね?」


「エレノアの完璧な采配に澱みを生ませる存在など、我が帝国には不要だ。もし本日の開放でエレノアに一筋でも汗をかかせるようなヘマをしでかしたら……分かっているな?」


「……冷血ぶりは、相変わらずですね。技師たちには『失敗したら命はないと思え』と、僕から優しく伝えておきましょう。ただ、そんな発言を続けていたら、エレノア様に嫌われちゃいますよ?」


 いたずらっぽく表情を崩す従者を、皇帝は凍えるような瞳で冷たく見つめる。


「おっと……おしゃべりが過ぎたようだ―――」


 肩をすくめたジルは、気配を消して、どこかへと去っていく。

 

 ヴァルハイトから発せられる見えない極寒の威圧感に、管制室の隅にいた文官たちは背筋を凍らせ、ガタガタと震えながら持ち場へと戻っていく。


 そんな周囲の緊張を知ってか知らずか、エレノアは大きく息を吸い込み、中央の巨大な魔導水晶へと歩み寄った。


「―――時刻となりました。これより、南部大平原・全線一斉送水を開始します」


 エレノアが白磁の手を魔導水晶の上に掲げた。


 旧来の帝国、そして旧王国の技術体系であれば、全区画を同時に開けば急激な水圧の変化に耐え切れず、魔導管が爆砕するか、エネルギーの相互干渉で暴走を引き起こす。それが「全線解放は不可能」とされてきた最大の理由だった。


(でも……私の魔導術式(マトリクス)なら、すべての水流と魔力ラインを並列で演算し、リアルタイムで干渉を相殺できる……!)


「多重魔導並列術式《マルチスレッドマトリクス》―――展開!」


 エレノアの瞳が深い紺碧から、神聖な青銀色へと輝きを変えた。


 次の瞬間、統轄塔全体が鳴動した。


 エレノアの頭脳から解き放たれた無数の魔力の光糸が、空間を裂いて幾重もの立体魔法陣を描き出していく。青い光の帯は管制室を突き抜け、屋外にそびえ立つ全二十四の巨大な魔導門へと、光の速さで駆け巡った。


「管制塔から解き放たれた術式が、水路全体を包み込んでいく……!」


「なんという美しさだ……!」


 外で見守っていた数百人の技師や兵士たちから、地鳴りのような歓声と驚愕の叫びが上がった。


 巨大な魔導管の中に溜め込まれていた莫大な水流と魔力が、一気に奔流となって押し寄せる。破砕しかけた管の継ぎ目、暴走しかけた魔石の波動―――そのすべてを、エレノアの張り巡らせた光の術式が優しく包み込み、完璧な調律のもとで受け流していく。


「第一区画から第十二区画、圧力正常! エネルギー散逸率、ゼロ点ゼロゼロ二パーセント!」


「第十三区画から第二十四区画、同調完了! 水流、予定数値を維持したまま加速していきます!」


 興奮気味に声を張り上げたバルトロの報告が飛び交う。


 グラグラと揺れていた大地の振動が、嘘のようにピタリと鎮まった。 制御不能の暴走ではなく、洗練された大河のごとき力強い律動が、地下の水路網を満たしていく。


「本当に……全線が、一つに繋がっていく……」


 周囲の声を耳にしながら、エレノアは汗ばんだ額に触れ、溢れ出る成就感に胸を震わせた。

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