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プロローグ

中国のとある山脈に、沿うように造られた建物がある。

古くから伝わる、厳しい修行を着実にこなしていく、こじんまりとした寺院。

昔は多くのものが集い、互いに高めあって生活していた。

現在は修行僧の数を数人にまで減らしており、その衰えは建物の風貌にまで影響していた。

漆で黒く塗られた木製の柱は酸や血が滲み、崩れかけ、赤瓦で敷きつめられた屋根は所々剥がれ落ち、下地がむき出しになっている。



そんな屋根の棟瓦の上に二人の男が対峙していた。


「これがある限り、あんたの計画は実行できないだろ!…師匠!!」


チャンパオのような寺院の制服に大きいフードが着いた黒いマントを羽織った青年が息を切らしながら声を荒らげる。

その目は夕焼けの影響か、元々赤い瞳がより赤く燃え、まっすぐに相手の全貌を捉えていた。

突き上げられた手には小さい瓶が割れないように握られている。

その中の青黒く光るリングが夕焼けを反射しながら宙に舞う。


師匠と呼ばれた年配の男は、長く蓄えた白髭をいつもの癖で整えながら応える。


「なんで君()()はいつも私の邪魔をするのかなあ…。」


ゆったりとした口調で、平静を保っているようだったが、袖の中の手は白くなるほど、力強く握られている。

加齢によって濁った緑色の瞳は、相手がこの後どう動くか見極める役割を、かろうじて全うしている。


お互いがお互いの機会を窺っている中、諦めたかの様に片方が動いた。

ため息と共にシワの多い手が長い裾から出てきた。


“出た”というより、“落ちた”。

液状になった老人の手は滴り落ちる度に音を立てて瓦を溶かしていく。

「…最後の忠告だ、霧の信徒。“輪”をこっちに渡せ。今なら見逃そう。」

深くゆっくりと一つ一つの言葉を大切に扱う様に、されど力強く言い放った。

そのいつも聞いていたはずの声は、いきり立っていた青年の足を震わす。

同時に若い心に迷いを生じさせる。


おそらく自分はこの人に敵わない。今からでも許しもらおうか。こんなところで死ねない。


…いや、ここまできた。やっと尻尾を掴んだ。

自分しかできない。思い出せ。これまでのことを。今まで失ってきたものを。思い出せ。忘れるな。


向かってくるなら、

「殺してやるよ…!!」

「……愚かな。」


掛け合いが合図かの様に、老人の溶けた手から水弾が放たれる。

青年は避ける動作をせず、受け止める様に足に力を込める。

水弾の当たる刹那、青年の身体は霧状になり相手の攻撃がすり抜ける。

対象に当たらなかった水弾は、そのまま奥の木々に落ち、周囲を溶かす。

その光景を横目に、青年は至って冷静だった。


お前の出方はもうわかってるんだ、と言わんばかりに相手の目をじっと見つめる。

そして目を離さないまま、右手に吐息をかける。

口から出た気霜は、みるみる刃の形に精錬される。

力を込めた足にしっかりと体重を乗せ、一気に間合いを詰めた。

手刀が、咄嗟にしゃがんだ老人の白髪を掠める。


…もちろん一回の攻撃で決着がつくなんて考えていない。


隠していた左手を強く握り、しゃがんで位置が低くなった顔面めがけて拳を飛ばす。

ジュゥッと音を立てて溶け出す手。

老人は既に顔を酸に変えていた。

ただ、驚いているのか、すぐ反撃が来ない。

冷静さを欠かない様に痛みを堪えながら、青年は顔にめり込んだ手をもう一方の手で切り落とし、おそらく変化していない腹を思いきり蹴る。


吹き飛ばされた老人は軒先の向こう側へ消える。

仇が目の前からいなくなった青年は、手を無くした腕を慰める様にさする。

消えた先を見つめながら、次の策を練る。


もしものために覚えといた、技の準備でもしながら近づくか。


そんな一瞬の思考の間に、青年の死角から水の斬撃が飛んできた。



「え…?」


突き飛ばすために使った右足が自分の体重を支えようとする前に、左足が切り落とされる。

何が起こったのか理解できず、痛みで頭が真っ白になる。

軸を失った身体は、勢いの無くしたコマの様に平衡感覚をなくし、倒れ込む。

そのまま屋根から空中に放り出される。

脚と手に強い痛みを感じ、青年は冷静になんてなっていられなかった。


ただ一つ、小瓶を渡してはならない、ということだけを忘れない様にしていた。

次の瞬間、背中から胸に向けて長い槍が刺さった。

老人が墜落場所に先回りしていたのだ。


さすがは師匠。俺らみたいな()()とはレベルがまるで違う。

薄れていく意識の中でそんなことを思いながら最後の技が発動した。



―  ―  ―  ―  ―  ―  ―  ー



手塩にかけた弟子の死体から、石でできた槍を抜く。

馬鹿げた理想を馬鹿真面目に語るのが好きなやつだった。

私はそんな綺麗事をそばで聞くのが好きだった。

よく話し合えば私の理想も理解してくれたのだろうか。


…いや、もう終わったことだ。


身につけていた黒いマントが消えていくことでその主人が死んだことが伝わった。

コロコロと音を立てて、マントにしまっていたのだろう瓶が、転がる。

それを拾い上げ、古びた寺院の方向へ進む。


自分の理想のために、また弟子を1人失ってしまった。


自分はまだ未熟者だと気付かされ、やるせなさや申し訳なさで、いっぱいになる。

見上げた空はすっかり太陽が沈み、分厚い白い雲が辺り一面に拡がっている。


寺院に戻ると少ない弟子の内の一人が薬の調合をしていた。

ボサボサの緑髪と大きな図体で細かく繊細な動きをしている。

頑張ってるなあ。

一本の蝋燭の火で灯りを確保している姿を見て、また申し訳なってくる。


「僕の武器使えましたか。」


実験の途中だろうに、彼は道具を机に置いてこちらに体を向ける。

「ああ。とてもね。」

その答えに満足したのか、周りにぶつかりながら机に向き直って実験の再開をする。


その背中を見ながら、ふと、小瓶の中身を確認してみる。

青黒い輪っかがか細い蝋燭の光を吸収している。

おかしい。

この輪は漆黒なのにも関わらず、どんな微弱の光も反射するという特性を持つ。

慌てて今さっき死んだばかりの愛弟子を見に外へ出る。

ちょうど口から気霜が出きったところだった。


「逃げられたちゃったか…。」


集まってきていた雲が証拠を消す様に雨を降らせる準備をしている。

手には、粉々に割れた瓶により付けられた傷と、黒い煙が残った。

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