音のない来訪者
午後三時を過ぎた空き屋の中で、ダンは妹リナの姿を探していた。薄暗い室内に差し込む午後の光はほとんどなく、埃っぽい空気が重く沈んでいる。静まり返った廃屋の中、二人だけの遊びが始まったはずだった。しかし、リナの姿はどこにも見当たらなかった。焦りが胸を締めつける。階段の下に片方の靴が転がっているのを見つけた瞬間、ダンの背筋に冷たいものが走った。
その時、黒いマントをまとい、口元が歪んだ笑みの鬼面をつけた男が闇の中から現れた。彼は動かず、ただ首をわずかに傾げ、まるで遊び相手の反応を待っているようだった。男の周囲の空間は異様にゆっくりと流れているように感じられ、彼の動きだけが普段通り、あるいはそれ以上の速度で繰り出される。ダンは叫び声を上げることもできず、ただ恐怖に体を震わせながら後退した。
出口へ向かったその一歩が、運命を変えた。足元に仕掛けられていた淡く光る魔法陣が瞬時に発動し、ダンの右足首は文字通り砕け散った。彼は激痛に耐えながら倒れ込み、呻き声を漏らす。鬼面の男は冷ややかにそれを見下ろし、首を傾げたまま、まるで子供の遊びを眺めるような視線を送る。時間は再び通常の速度に戻り、ダンの絶叫は空気の中にかき消された。
必死に這い出そうとするダンは、薄暗い外の世界に顔を向け、必死で妹の名を呼んだ。しかし、返事はなかった。彼の視界はぼやけ、身体の痛みは常に彼を締め付けていた。背後からは再び沈黙の中に潜む“鬼”の影が近づき、追い詰められていく焦燥が彼の心を支配した。
一方、異能調整省・治安監視課の新人、レイチェル・フォンは監視塔で緊急通信を受け取った。D-7地区の異常振動、異能反応は検知されていないという報告。彼女はその言葉に背筋を冷たくした。異能者ならば必ず波形を示すはずだ。だが“ゼロ”と報告されたその場所には、異常な力が何者かの意志によって操作されているのかもしれない。急ぎ第3分隊に現場急行を指示し、応援の手配を始めた。
街では、市民たちに向けて不明異能犯罪者への警戒を促す情報が拡散していたが、それでも日常は揺らぎを見せず、誰もが日々の営みにしがみつこうとしていた。ダンは病院のベッドの上で手当てを受けながら、妹の安否を気遣い、そして“鬼”を捕まえる強い決意を胸に刻んでいた。彼の怒りは静かに、しかし確実に燃え上がっていた。
こうして、静かな街の片隅で、誰もが気づかぬまま“鬼”の影が忍び寄り、政府の異能取締部隊が緊迫した動きを始めた。裏社会もまた動き出し、この街に訪れる破滅の序曲は密やかに、しかし確実に奏でられていた。