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静かな夜の小さな家

午後11時を少し回った頃だった。

南第7区にある住宅街では、ほとんどの家の灯りが落ち、あたりは静けさに満ちていた。


ただ一軒だけ、角にある平屋の窓からはまだ明かりが漏れていた。中では、母親とその娘がまだ起きていた。テレビでは深夜番組のエンディングが流れ、母親はキッチンで翌朝の弁当の下ごしらえをしていた。娘は居間のソファに寝転び、膝に小さなクマのぬいぐるみを抱いている。


「ねえ、お母さん、あのさ――」

「うん?」

「明日の遠足、雨降ったら中止かな」

「降らないよ。お天気、ずっと晴れって言ってたもの」


母親の声は柔らかく、娘は安心したように目を細めた。日常の、穏やかな会話。疲れた日々の中で、それはささやかな癒やしの時間だった。


だがその外では、ある男がその家を見上げていた。


暗い夜道の途中、電柱の陰にその姿が紛れている。男はフードとマントを羽織り、仮面を被っていた。口元が笑ったように歪んだ、黒地の鬼の面。顔どころか、表情すら読めない。


彼はただ、玄関を見つめていた。

玄関の鍵は古く、最近メンテナンスされていない。雨に濡れたドアノブの反射まで目に入る。ノブの金属の質感が冷たい空気に沈んでいるのを感じた。


ドアの隙間に細工を施しながら、彼の中で別の時間が流れ出す。


すべての空間がゆっくりと遅れはじめた。彼の体だけが、通常の速度を維持したまま空間をすり抜けていく。

世界が黙り込む中、彼の動きだけがまるで疾風のように映る。


だがその力には代償がある。使用するたびに、骨の軋みのような痛みが胸に残る。脳が焼けるような倦怠感も、決して消えない。


ナイフを手に、彼はリビングへ滑り込んだ。音も気配もない。だが確実に、彼はそこにいた。


母親が振り返ったのは、ほんの一瞬の遅れだった。背後にいた“それ”を見て、目が見開かれる。理解が追いつかない。彼女は叫ぶこともできなかった。


ナイフの切っ先が喉に滑り込んだ。

血は滝のように溢れたが、音は静かだった。まるで呼吸が止まる瞬間のように、部屋はただ沈黙した。


彼女は崩れるように倒れた。床に流れた血がキッチンマットを濡らしていく。


この“作品”に、満足げな気配が仮面の奥に宿る。


静かに振り向くと、まだ気づかぬ少女が居間にいる。彼女はうつ伏せのまま、ぬいぐるみに顔をうずめている。

その背中を眺めながら、男は何歩か近づいた。


少女が小さく身じろぎし、首をかしげた。

何かに気づいたのだろう。いや、それは“本能”かもしれない。背後に死の気配があると、幼い直感が告げたのだ。


彼は、仮面の下で微かに頬を緩めた。

そう――始まりだ。逃げるか、震えるか。それとも諦めるか。どれも構わない。ただ、絶望の色を刻めれば。


彼女がゆっくりと振り返る。その目に映ったものは、血のついたナイフと笑う仮面だった。


静かに、そして唐突に、彼女は飛び上がった。


ぬいぐるみを投げ捨て、玄関へ走る。玄関に向かって一直線に。鍵に手を伸ばすが、彼はすでにそこにいた。


少女の足が止まる。理解が追いつかない。たしかに後ろにいたはずだ。なぜ、前に――?


混乱の隙を突くように、彼は少女の足元に罠を仕掛ける。地面に指を滑らせると、淡い光が一瞬、床下を走った。地雷型の魔法陣。触れた者を中心に、下半身を吹き飛ばす。


だが彼はそれをすぐには起動しなかった。じわじわと、恐怖で追い詰めたい。


少女がもう一度逃げようとしたその瞬間、魔法陣に触れた。


足元が裂けた。血の飛沫が空気を濁らせる。少女は地面に崩れ落ち、喉の奥から悲鳴にならない声を漏らした。


男は静かに膝をつき、彼女の顔を覗き込む。目を見開いたまま、少女はただ震えている。


男は何も言わない。ただ仮面を傾け、まるで笑っているように首を揺らした。


恐怖と絶望を与えること。それがこの“遊び”の終わり。


少女の目が閉じたとき、男は静かに立ち上がり、ドアを開けて外へ出た。


空はまだ夜のままだった。

誰にも気づかれぬまま、彼は次の“遊び場”へ歩き出す。

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