止まらぬ焦り
深夜の屋敷はいつになく静まり返っていた。
ニーナがいなくなったという衝撃の事実が、幸太郎たちの胸に重くのしかかる。廊下には慌ただしい足音や、不安げなメイドたちの声が行き交い、ロゼッタが必死に指示を出している様子が伝わってくる。
幸太郎は椿とともに廊下を駆け抜け、階下へ向かった。足音が妙に大きく響き、壁にかかった絵画がランプの明かりを反射している。
「ロゼッタ、どこにいる……?」
そう呟きながら角を曲がると、そこには鎧姿のロゼッタと、震えながら立ち尽くすメイドの姿があった。
「ご主人様っ」
メイドが涙目で駆け寄ってくる。
「ニーナさんが見つからないって本当ですか? さっき、別の使用人が廊下で人影らしいものを見たって言うんですけど……」
ロゼッタは腕を組み、険しい表情で言葉をつなぐ。
「今、廊下の見回りを強化しているけど、侵入者の姿を捉えられていないわ。ニーナの部屋には割れた窓があったし、何者かに連れ去られた可能性が高い」
幸太郎は椿と視線を合わせ、すぐに行動方針を決める。
「庭か周辺の通りに出てるはずだ。椿は裏庭を探してくれ。俺は正門のほうを見に行く」
椿は息を詰めながらうなずき、袴の裾を翻して駆けていく。ロゼッタは苦い顔をしながら、幸太郎に向き直る。
「私は騎士団の仲間と合流して、屋敷全体を警戒するわ。使用人は部屋に待機させて。無闇に動くと混乱を招くだけだから」
「わかった。……ロゼッタ、後で合流しよう。ニーナを必ず見つけ出すんだ」
廊下には青ざめた顔のメイドたちが何人も姿を見せていた。幸太郎はできるだけ落ち着いた声で呼びかける。
「大丈夫だから、部屋に留まっていてくれ。屋敷には騎士団もいる。必ずニーナを取り戻すから」
そう言って玄関ホールへ急ぎ、扉のすき間から冷たい夜気が流れ込むのを感じると、幸太郎は心の中で祈るように呟いた。
「ニーナ……どうか無事でいてくれ」
扉を開けて外へ飛び出す。暗い敷地内を見回しながら正門へと走っていく。足元をかろうじて照らすランプの淡い光だけが頼りだった。
門の近くに差しかかったとき、かすかにうめく声が聞こえる。「……助けて……」
幸太郎は胸が締めつけられる思いで、門柱の裏をのぞき込んだ。
そこにはローブ姿の細身の男が苦しそうにうずくまり、荒い息を吐いている。
「ニーナか? 違う……お前、誰だ? 屋敷に侵入したのか?」
恐る恐る問いただすと、男は顔をゆがめながら、剣を握ろうとするが腕はうまく動かないようだ。
「くっ……また邪魔が……。おまえが“鬼畜オヤジ”か……」
男の肩を掴み、幸太郎は必死に問いかける。
「ニーナをどうした! まさかお前が連れ去ったのか!」
男はうめくように答える。
「あの女……思ったより抵抗しやがって……逃げられた。計画が狂った……」
「やっぱりニーナを襲ったんだな。……何が目的だ! 答えろ!」
男はぐったりと力を失い、ローブの中から剣を落とす。そこには家紋のような刺繍があったが、血と泥で半分しか判別できない。
「こんなとこで邪魔されるとは……くそ。 俺はクラウス卿の部下だが……本当の主は……“バルド・デュアルテ”様なんだよ……」
「バルド・デュアルテ……?」
男はうわごとのように言葉を続けようとするが、意識が遠のいているのか声がかすれる。
「バルド様は……どんな女でも……城でも……好きにして……俺も出世するはずだったのに……」
幸太郎は男を揺さぶって問いただそうとする。
「おい、ニーナはどこだ! 何が狙いなんだ!」
しかし、男はそれ以上何も言わずにがくりと崩れてしまう。
「バルド・デュアルテ……もしや、あいつか。ニーナや俺を追い込むつもりか」
幸太郎はきつく唇を噛む。この世界に来る前の“ゲーム”で何度もその名を見たことがある。女性を凌辱しまくる卑劣な悪役――バルド・デュアルテ。
(ゲームでも散々見た、陰惨な展開を生み出す悪役が現実に……。あんな奴に囚われたらニーナが大変な事に……。待ってろ。俺が絶対に助け出してみせる)
遠くで馬の嘶きが聞こえ、夜の闇が深く重く迫ってくる中、幸太郎は再び闇へ向かって走り出した。大切な仲間を取り戻すために。